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すぐキレる「老害」にならないための必読書…齋藤孝が60歳以上の大人に勧める「400年以上前の名著」

プレジデントオンライン / 2025年1月31日 7時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kobus Louw

名著が時代を超えて読まれ続けているのはなぜか。明治大学の齋藤孝教授は「どれだけ時間を費やしても空虚さが残らないのが、名著を読むことの大きな魅力だ。人生のひとつの節目であり、時間に余裕ができる60歳を機に、名著に手を伸ばしてみてほしい」という。著書『60歳から読み直したい名著70』(扶桑社新書)より、一部を紹介する――。

■娘たちの「愛情」を試したリア王は…

シェイクスピア『リア王』
福田恆存・訳、新潮文庫 (初版:1967年、改版:2010年)

シェイクスピアの『リア王』は、老いについて深く考えるために必読書です。特に60歳前後になった頃に読み返すと、その深さが一層心に響きます。

物語は、リア王が自身の王国を三人の娘たちに分け与えるところから始まります。王は娘たちの愛情を試すため、「どれほど自分を愛しているか」を問いかけました。長女ゴネリルと次女リーガンは美辞麗句を並べて父への愛を強く訴え、王の領地を受け取ります。しかし、末娘のコーディーリアは「申上げる事は何も無い」と言い、続けてこう答えるのです。

不仕合わせな生れつきなのでございましょう、私には心の内を口に出す事が出来ませぬ。確かに父君をお慕い申上げております、それこそ、子としての私の務め、それだけの事にございます。

■悲しい最期を迎えた父娘から学べること

そんな真心からの言葉は父の不興を買い、コーディーリアは追放されます。しかし、領地を与えられたゴネリルとリーガンはリアを冷遇し、彼の権威を奪い去ろうと試みます。リアは次第に狂気に陥り、嵐の荒野をさまようようになります。

末娘のコーディーリアは父を助けに戻るものの、戦いのなかで捕らえられ、悲劇的な結末を迎えることに。事実を知ったリア王は、嘆き悲しみ、失意のなか、亡くなってしまうのです。

さて、この物語から、私は大きく分けて二つのメッセージを読み取りました。

■いつの時代も家族を狂わせる遺産トラブル

まずひとつ目は、遺産相続のタイミングについてです。若い頃は偉大だった王が、年老いて力を失ったとき、自らの存在価値を保つうえで、遺産はひとつの手段でもあります。実際、財産を譲った後の親子関係が冷たくなったり、子どもたちが親を顧みなくなったりするのは、現実にもよくあることです。

日本でも、会社を譲った親と子が対立し、最終的には会社が崩壊してしまう例を耳にすることがあります。このような事例に照らし合わせても、遺産管理の慎重さは大切だと痛感させられます。

私は個人的には、若い世代にお金を少しずつ渡して、社会全体でのお金の循環を促進するのは良いことだと思っています。ただ、リア王のようにすべての財産を一度に渡すと、不安な老後を迎えるリスクもある。一風変わったシェイクスピアの読み解き方ともいえますが、私たちにひとつの指針を与えてくれます。

■老いによる怒りをどうコントロールするか

もうひとつのメッセージは、老いるほどに怒りっぽくなることへの自戒です。人間は年齢を重ねるにつれてどうしても怒りが表面化しやすくなります。

年配の男性
写真=iStock.com/RapidEye
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RapidEye

たとえば、冒頭でコーディーリアの答えに激昂したリア王は、周囲の人になだめられても、「黙れ、竜の怒りに触れるな」と叫び、コーディーリアを追い出すのです。このときのリア王の怒りは、尋常ではありません。

その後も、リア王は、自分の思い通りにならないと感じた瞬間に、憤怒を大きく表し、ときには嵐にまで怒りをぶつけることも。

泣け、泣け、泣け! ああ、お前達は石で出来ているのだ! お前達の舌や目が俺のものなら、大空も割れ裂ける程に泣叫んでやろうものを! 娘はもう二度と戻っては来ぬのだ。

まるでこの世のすべてに怒り狂うかのようなその様子は、非常に印象的で、老いとともに怒りが制御できなくなる状況を象徴的に描いています。

以前、私も『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)というタイトルの本を出していますが、『リア王』は様々なことが学べる作品です。人間(特に男性)は、年齢を重ねると怒りっぽくなる自身の傾向を理解し、老いのなかでどのように振る舞うべきか、自らの感情とどう向き合うべきかを再考する必要性を感じます。

シェイクスピアの『リア王』は、老後にむけて、自分の財産と怒りをコントロールする上での、非常に貴重なテキストだと言えるでしょう。

■新しい環境で失敗しないための重要視点

ピーター・ドラッカー『マネジメント【エッセンシャル版】 基本と原則』
上田惇生・編訳、ダイヤモンド社(2001年)

「マネジメント」という言葉を聞くと、私たちは職場を連想しがちです。経済学者ピーター・ドラッカーが打ち出したマネジメント理論は、組織の成果を最大化するための方法論として、多くのビジネスパーソンの間で知られていますが、本書『マネジメント』を読むと、この理論は、仕事から離れた生活のなかでも活用できるのだと気づかされるはずです。

60代になると、会社を引退し、新たな環境に身を投じる人も増えていきます。再雇用を選ぶ人もいれば、起業やボランティア活動などの新天地に身を投じる人もいる。はたまた、悠々自適な隠居生活を選ぶ人など、選択肢はさまざまです。

どんな環境を選ぶにせよ、新たな環境に行けば、その場に合ったやり方や道理があります。しかし、会社員時代の思考が抜けきらないと、自分のやり方を通そうとするがゆえに、周囲との軋轢を生み、新たな環境にうまく順応できずに残念な結果に終わる人も少なくありません。

その事態を避ける上でも、ドラッカーの視点は大きな武器になります。マネジメントの視点があれば、どんな場においても、自分の立ち位置を見直し、戦略的に、適切な行動を取り、自分の真価を発揮できるからです。

ピーター・F・ドラッカー
ピーター・F・ドラッカー(写真=Jeff McNeill/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons)

■企業は「顧客」がいないと成り立たない

まず興味深いのが、「顧客」という概念について。「顧客とは誰なのか?」という問いかけは、企業の使命を定義する上で最も重要なものだとドラッカーは指摘します。一見簡単に思えるこの問いですが、実は非常に奥深いものがあります。

企業とは何かを決めるのは顧客である。なぜなら顧客だけが、財やサービスに対する支払いの意志を持ち、経済資源を富に、モノを財貨に変えるからである。しかも顧客が価値を認め購入するものは、財やサービスそのものではない。財やサービスが提供するもの、すなわち効用である。
企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。

「顧客の創造」を通じて、新たな潜在的な顧客を見出し、市場を作りだす。その上で、組織の成果は生まれるのです。

■60代以降にとっての「顧客」は誰か?

この「顧客とは誰か」という問いは、60代になり、会社を離れた人には、大いに有効な視点となるでしょう。

仮に引退後、家にいる時間が増えた人であれば、自分が長く時間を共にする家族が、顧客とも考えられる。つまり、「家庭をマネジメントする」という視点を持つことで、家族の喜ぶ行動、家族が満足する行動を意識できれば、幸せな家庭生活という「成果」が生まれるかもしれません。

そのほかにも、マネジメントを達成する上での具体的なプロセスが述べられます。たとえば、「問題を明確にする」というテーマの場合は、次のようなポイントが紹介されています。

問題に対する答えは人によって違う。しかし答えの違いの多くは、何についての意思決定かについての認識の違いから生ずる。問題の認識の違いが、答えの違いをもたらす。したがって、どのような認識の仕方があるかを明らかにすることが、効果的な意思決定の第一歩となる。

本書を読むと、マネジメントの理論は、どんな場所でも、どんな年齢でも通じる普遍的な原則だと痛感します。ビジネスの現場に限らず、個人の生活や家庭での問題において、どうすればよいのか迷ったとき、ドラッカーの示す実践的な理論は、いつでも大きな助けとなるはずです。

■原文を声に出して読みたい『福翁自伝』

福沢諭吉『福翁自伝』
土橋俊一・校訂校注、講談社学術文庫 (2010年)
齋藤孝『60歳から読み直したい名著70』(扶桑社新書)
齋藤孝『60歳から読み直したい名著70』(扶桑社新書)

福沢諭吉の『福翁自伝』は、数ある自伝の中でも特に輝きを放つ作品で、日本人が書いた自伝のベスト3に入るほどの名作だと感じます。

福沢の生き方や語り口には、合理的で開放的な気質が感じられ、そのエピソードの一つひとつがいまの私たちにも新鮮な気づきを与えてくれます。

『福翁自伝』の面白さを形作るのは、本作が福沢諭吉の言葉を口述筆記して綴られている点です。話し言葉ならではの柔らかさが感じられ、まるで福沢本人が目の前で語っているかのように、文章が頭や心にすっと沁み込んできます。

私自身、この作品の現代語訳も手がけましたが、原文のこなれた語りには独特の捨てがたい響きやリズムがありますので、この作品もぜひ原文を音読にて味わっていただきたいです。

福沢諭吉の著作物といえば『学問のすゝめ』が有名ではありますが、「自分の人生とはどんなものだったか」を考えることの多い60代の方には、ぜひ『福翁自伝』をおすすめしたいと思います。この自伝は、自分の人生をいかにおもしろく語るか、あるいはどんな視点で振り返るかといった「自分語り」のお手本になるからです。

福沢諭吉
福沢諭吉(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

■子供のときから科学的かつ合理的だった

たとえば、福沢諭吉が自身の幼少期を振り返るくだりでは、彼は昔から占いもまじないも一切信じない性格だったと語っています。幼い頃、神社にあった御神体の石を取り出して、自分が勝手に拾った石を代わりに置き、周囲の人がその石を拝んでいる様子を見て「なんてバカらしい」とばかりに笑う場面は秀逸です。

年寄りなどの話にする神罰冥罰なんという事は大噓だとひとりみずから信じ切って、今度は一つ稲荷様を見てやろうという野心を起して、私の養子になっていた叔父様の家の稲荷の社(やしろ)の中には何がはいっているか知らぬとあけてみたら、石がはいっているから、その石をうっちゃってしまって代りの石を拾うて入れておき、また隣家の下村という屋敷の稲荷様をあけて見れば、神体は何か木の札で、これも取って棄ててしまい平気な顔していると、間もなく初午(はつうま)になって、幟(のぼり)を立てたり太鼓を叩いたりお神酒を上げてワイワイしているから、私はおかしい。

占いやまじないなどを信じないという福沢の態度は、科学的で合理的な考え方が若い頃からすでに根付いていたことを示しています。この点は、時代を超えても新鮮です。

■福沢諭吉が生涯、喧嘩をしなかった理由

さらに、門閥制度への痛烈な批判も展開されます。たとえば自身の父が出世できなかった理由を、門閥の無さに起因するという福沢は、「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」とまで言い放つのです。こうした潔い姿勢が彼の人生を支え、後の思想家としての活躍にもつながっていったのでしょう。

また、印象深いのは、何かの漢書を読んでいた福沢が「喜怒色に形(あら)わさず(喜びや怒りを表に出してはいけない)」という一句に出会い、「これは立派な言葉だ」と感じ、終始この教えを守り続けたことです。

ソコデ誰が何といって賞めてくれても、ただ表面(うわべ)に程よく受けて心の中には決して喜ばぬ。また何と軽蔑されても決して怒らない。どんな事があっても怒った事はない。いわんや朋輩(ほうばい)同士で喧嘩をしたという事はただの一度もない。ツイゾ人と摑合ったの、打ったの、打たれたのという事はちょいともない。これは少年の時ばかりでない。少年の時分から老年の今日に至るまで、私の手は怒りに乗じて人の身体に触れた事はない。

単なる「自慢話」や「自己憐憫」ではなく、自分の過去を明るく、ユーモアたっぷりに語る文章は、読んでいて自然と笑みがこぼれ、時には深く考えさせられることもある。我々も自分の人生を語る際には、福沢のような自然体を心掛けたいものです。

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。

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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)

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