だからiPS細胞は評価され、STAP細胞は「黒歴史」になった…一般人も知っておきたい科学界の"常識"
プレジデントオンライン / 2025年1月27日 18時15分
※本稿は、竹内薫『フェイクニュース時代の科学リテラシー超入門』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
■科学は常にくつがえる可能性がある
科学とは何かを語るうえで、「反証可能性」という哲学的なキーワードを紹介しましょう。
これはカール・ポパーという人が提唱した概念で、科学と、科学でないものを区別する基準を示しています。
ポパーの提唱した内容はこうです。
それに対して、科学以外のものは反証が可能とは限らない。
科学においては「ある実験をした結果、ある理論が否定された、つまり反証が挙げられた」がつねに可能ということです。絶対に反証できない理論があったとしたら、それは科学ではないんです。
現代では、ほとんどの科学者がこの考え方に則って科学に取り組んでいます。
■「100%正しい理論」なんて存在しない
誰でも知っているニュートン力学や、アインシュタインの一般相対性理論についても、当然ながら反証可能性はあります。少し前にも、素粒子の「標準理論」という現代科学の根底にある理論に対して、必ずしも正しくないのではないかと主張する論文が出ています。
理論上、「正しくないかもしれない」という可能性から始まって、「じゃあ実験してみよう」という人が出てきて、実験をした結果、もし反証ができるのであれば、その理論はくつがえされます。基準としては明確ですね。
つまり、反証可能性があるということは、100%正しい理論、絶対的な真実というものは原則として存在せず、科学の出す結論はつねに「仮説」であると言えるのです。
ちなみに、過去にはポパーの提唱する反証可能性に異を唱えた人もいました。科学哲学者の、ポール・ファイヤアーベントです。もともとは天文学や数学、音楽などを学んでいましたが、のちに科学哲学に転向し、科学に対してアナーキズムを提唱しました。
ざっくりいうと、科学はつねに反証可能性があるなんてことはなくて、もっとアナーキーなもの、何でもありなんだと言ったんですね。ただ、彼はものすごくおもしろい哲学者ですが、主流の考え方ではありません。
■科学者が実験したい時、まず必要なもの
科学と仮説の関係性について、現実的な観点から「科学は仮説ありき」と説明することもできます。
ある科学者が、実験をしたいと思ったとしましょう。
科学者は、実験するための装置を組み立てる必要があります。昔の科学実験であれば自分の机の上にいろいろな道具を並べて、工作キットを組み立てるみたいに実験装置をつくっていたはずです。ところが現代の科学実験では、そんなに簡単に実験装置をつくることができません。
たとえば、高エネルギー物理学の実験をしたいと思ったら、「粒子加速器」が必要です。それをつくるのには、1億円や2億円なんて金額では足りません。ざっくり言っても1000億円くらいの規模でしょう。
その規模のお金をぽんと出してくれる人はいないので、当然、「この実験はこういう仮説を検証しようとしています」と説明が必要です。その仮説もなんでも良いわけではなくて、政府がお金を出してくれるような、おそらく正しいであろう、大きなインパクトのある仮説でなくてはなりません。
■検証によって得られた結論も「新たな仮説」
小さな規模で実験をするときも、その実験装置を組み立てる必要がある以上、まず仮説があります。いきなり適当に、実験装置を組み立てるわけにはいかないですよね。
読者のみなさんの中には「帰納法」という言葉を知っていて、「いろいろな現象がまずあって、それを観察することで、理論を組み立てていくのではないか」と考えた人もいるでしょう。もちろんパターンはいくつかあるのですが、何らかの目標がないと実験はできないので、まず仮説ありきになるんですね。
科学は仮説を立てることから始まるし、検証により導き出した結論も、あくまでも新たな仮説なのです。そして、仮説の中でも、たくさんの専門家がひとまずは正しいと考えている「白い仮説」と、間違っているとされる「黒い仮説」があり、すべての仮説はその間のグレーゾーンを行き来しています。
■仮説が「白」か「黒」かの判断基準
では、科学者たちはどのようにして「ここまでいったら白い仮説だろう」「これは黒い仮説だ」と判断するのでしょうか。
まず、論文がどの科学雑誌に掲載されているかが、一つの判断基準になります。科学界で絶大な権威を持つ2大科学誌の『Nature』『Science』で発表された論文であれば、かなり「白い」と言えると思います。
『Nature』や『Science』には長い歴史があり、ノーベル賞に輝くような数々の論文が出ています。当然、審査も厳しいわけです。査読といって、その分野を専門とする科学者たちが論文を読み、掲載に値するかどうかを判断して編集長にコメントを返し、編集長が最終的に掲載を判断します。編集長も基本的には科学出身の人です。
『Nature』や『Science』の場合は、査読のレベルが非常に高いので、どうでもいい論文は通らないのです。
■他人に再現できなければ「黒」になる
ただもちろん、のちに取り下げられたり、反証が出てしまったりすることもあるので、掲載された時点では完全に白ではありません。かなり白い、くらいですね。発表された論文をもとに科学者たちが追試をするので、結果が再現できないこともあり得ます。
その場合は、その仮説は徐々にグレーのほうに移っていって、本当に誰にも再現ができなければ、「あの論文は間違ってたね」と黒い仮説になっていきます。
逆に、誰も知らないような科学雑誌に論文が掲載されていることもあります。たとえば数名の科学者が集まって、自分たちで内輪の学会をつくり、そこで学会誌をつくれば、それは科学雑誌とは言えるわけです。
ただ、その科学雑誌への掲載は競争率が当然低いので、そこで論文が発表されても、みんな最初からは信じません。だから、かなりグレーな状態の仮説と言えます。
ただ、たくさんの科学者の追試によって「この論文の言っていることは本当だ」と広まれば、それは白い仮説となっていく。もちろん、100年後に何か非常に細かいほころびが見つかる可能性もありますが、そうなるまでは白い仮説です。
■iPS細胞とSTAP細胞の分かれ道
グレーの状態から白い仮説に変わったもので有名なのは、iPS細胞です。2006年に山中伸弥教授が論文を発表した当初は、今からすると意外ですが、あまり注目されていませんでした。でも科学者たちが追試をしたら、結果が再現できた。こんな方法で細胞は初期化できるのかと、みんな驚いたわけです。一気に白い仮説になっていったんですね。
逆に黒い仮説になってしまった例は、2014年に発表されたSTAP細胞です。
論文が掲載されたのが『Nature』、著者の小保方晴子氏の所属が一流の研究所で、彼女の上司がES細胞の権威だったことで、発表当初は世界中の科学者がこの論文を信じていました。ところが、残念なことに誰も追試で再現できず、「あの論文は間違ってるんじゃないか」と一気に転げ落ちてしまいました。
実は、科学雑誌に載せる前の査読では、論文におかしいところがないか、論理的な整合性が保たれているかを主に見るので、実験をして確かめることはしません。
実験して確認したほうがいいんじゃないかと思うかもしれませんが、査読は基本的にボランティアなうえに、最近の科学はおいそれとは実験ができないので、それは現実的でないのです。データが改ざんされている可能性ももちろんチェックはしますが、確認には限界があります。
つまり科学論文は、性善説のもとに掲載されているのです。掲載された後に、世界中の科学者がその論文を読んで、追試が始まるという構造で成り立っているわけですね。
■科学者や医者は「100%安全」と断言しない
ここまでお話ししてきたことからもわかるように、「100%白い仮説」は1つもありません。100%と言ってしまったら、それは反証がないことなので、科学ではなくなってしまいます。ところが、どうしても人は科学に100%を求めてしまうものです。
とくに最近の身近な事例でいうと、新型コロナウイルスのワクチンの副反応の話が記憶に新しいでしょうか。ワクチンに関しては、「それは100%安全なのか」という質問が多く寄せられます。科学者や医者はそれに対して、科学的な姿勢として、「100%ということはありません」と答えます。
■ワクチンが効くかどうかは徐々に判明する
科学の基本的な考え方を知らない人からすれば、「なぜ100%と言い切れないのか」「100%と言えるまでちゃんと調べてほしい」と思ってしまうでしょう。その気持ちはわかります。ただ、そもそも最初から、科学には100%はあり得ないんです。
ワクチンの場合、実際にそのワクチンができた段階では、どのくらい効果があるのかも完全にはわかっておらず、その後の臨床試験で効果を確かめます。
まず試験に参加してくれる人を集め、ワクチンを接種してもらいます。その中でランダムに選ばれた半数の人はプラセボ(生理食塩水)を接種しているので、実際にワクチンを接種した人と、そうでない人の効果を見比べることができます。
ワクチンを打った人々のほうがその病気にかからないことを示す数字が出て、効果があると判断されれば、ワクチンとして認可されるという流れです。
認可が下りたことで使う人の数が増えてくると、当初の臨床試験の効き目が本当だったのかが、さらに検証されていきます。大規模な人数に打ってみたら、意外と効き目がなかった、なんてことも当然あり得るのです。
■ワクチンの副反応をゼロにできない理由
そして、副反応がないかどうかは、厚生労働省が認可する前にもちろん確認します。たとえば、心臓の重篤な病気になる副反応が臨床試験で頻出するようであれば、そのワクチンは認可できません。
ところが、実際に大規模な接種が始まってみると、必ず一定の割合で副反応が出ます。ワクチンがそもそも、実際の病原体を弱くしたものや、その一部を体に打って、体が反撃するしくみになっているからです。
技術が進化してどんどん安全性は高まっていますが、それでも一定程度、副反応は起きるものなのです。また、予期していない副反応が起こることもあります。
「最初から副反応が起きるとわかっていたのに、どうしてワクチンを認可したのか」と言いたくなる人もいるかもしれません。しかし、そこは「数字」で判断するしかないのです。
■100万人の命を救うか、10人の命を救うか
たとえば、そのワクチンを使わなければ100万人が亡くなってしまう。しかし、そのワクチンを使えば、100万人はほぼ助かるが、そのうち10人は副反応によって亡くなってしまうだろう。そういうデータが出てきたら、そのワクチンは認可されるでしょう。つまりこれも、100%ではないという前提で判断しているのです。
その10人の命はないがしろにしていいのか。そういう意見が出ることは、もちろん心情的には理解できます。ただ、その10人の方々も、ワクチンがなければその感染症で亡くなっていたかもしれない。そう考えると、そもそも100%安全なことはないのであって、ワクチンに副反応が発生するのは仕方ないと言うしかないのです。
気持ちとしては納得がいかない、受け入れられないと感じるのは当然です。ただ、それが公衆衛生の考え方です。だから副反応によって亡くなってしまった方のためには、国が補償する制度があります。
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サイエンスライター
1960年、東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学専攻)、東京大学理学部物理学科卒業。マギル大学大学院博士課程修了(高エネルギー物理学理論専攻)。理学博士。大学院を修了後、サイエンスライターとして活動。物理学の解説書や科学評論を中心に100冊あまりの著作物を発刊。物理、数学、脳、宇宙など、幅広いジャンルで発信を続け、執筆だけでなく、テレビやラジオ、講演など精力的に活動している。
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(サイエンスライター 竹内 薫)
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