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国宝・松江城天守が泣いている…城より高いマンション建設で歴史的価値をみすみす手放す地元自治体の残念さ

プレジデントオンライン / 2025年1月20日 9時15分

筆者撮影

国宝・松江城の近くで建設が進んでいる高層マンションをめぐって、島根県松江市が揺れている。歴史評論家の香原斗志さんは「地元行政が景観保護に対してあまりに無自覚だったことに驚かされる。市はいま手を打たないと、大きな負債を背負うことになる」という――。

■奇跡的に築城以来の景観を残した松江

太平洋戦争末期、日本全国の都市が米軍機による空襲を受けた。主として攻撃目標とされたのは各都道府県の主要な産業都市で、いきおい都道府県庁所在地が焦土と化す場合が多かった。そんななか島根県の県庁所在地である松江市は、市内玉湯町の基地や列車が爆撃されはしたものの、市街地が焼かれることはなかった。結果として松江城天守も、いまに伝わることになった。

日本の都道府県庁所在地の多くはかつての城下町だが、その大半は焼夷弾や原爆を投下されて焦土と化してしまった。それだけに城下町の面影がたもたれた松江は、都市全体が貴重な歴史遺産であり、日本が誇る財産になったといっていい。

しかも松江城天守は、平成27年(2015)7月8日、国宝に指定された。現存する天守は12にすぎず、そのうち国宝は5つだけである。

昭和10年(1935)に国宝保存法により「国宝」になったものの、戦後、文化財保護法が施行されると、戦前の「国宝」は一律に「重要文化財」と呼び名が変わり、とくに価値が高いものだけが、あらためて「国宝」と指定された。そのとき松江城天守は重要文化財のまま据え置かれたのだが、ふたたび「国宝」という名を戴くことになったのである。

むろん、それは黙っていて得られたものではない。平成21年(2009)、松江市長が市議会で、松江城天守国宝化に向けて市民運動を醸成することを提唱したのを契機に、国宝化のための市議会議員連盟や市民の会が相次いで設立され、市も国宝化推進室を設置。多方面から調査や活動を重ねたところに、天守が完成した時期を示す「慶長16年(1611)」と記された祈祷札が見つかり、これが決定打となって国宝指定が実現した。

■天守より高いマンション建設騒動

いわば市を挙げての地道で堅実な調査と活動の末に、国宝化を勝ち取ったのである。そしていま、松江市は松江城の世界遺産登録もめざしている。

慶長5年(1600)の関ケ原合戦後、出雲国(島根県東部)に封じられた堀尾吉晴は、最初、内陸にある標高190メートルの月山富田城に入城しながら、都市の発展に有利な宍道湖畔に、あらたに松江城を築いて城下町を整備した。こうして成立した近世都市が城の周囲に良好にたもたれているだけに、松江城は世界遺産の候補としてふさわしいとも指摘できる。

ところが、そんな城からほど近い地域に、丘上にそびえる天守の高さを約3メートル上回る、19階建て57.03メートルのマンションが建てられつつあるのである。

信じられないのは、途中まで松江市がこの建設計画を受け入れていたことだ。その過程を確認すると、この歴史都市の行政が景観保護に対してあまりに無知で無自覚なことに驚かされる。

なにしろ、歴史都市たる松江を守るための景観計画は、「天守から見える東西南北の山の稜線の眺望を妨げない」という、きわめてあいまいなものしか存在しなかった。そして松江市は、マンションがこの景観計画を満たしていると判断し、市の景観審議会も2023年11月2日、市の判断を前提に、景観基準を満たすと答申。2024年3月下旬には着工されてしまったのである。

松江城近くに建設中のマンションのパンフレット
筆者撮影
松江城近くに建設中のマンション「MATSUE THE TOWER」のパンフレット - 筆者撮影

■世界基準から遅れている日本

松江市は前述のように、松江城天守を世界文化遺産に登録することをめざしている。ユネスコは登録のための種々の条件をもうけているが、そのひとつにバッファーゾーンの設定がある。松江城に当てはめれば、城域の周囲にそれを保護するためのバッファーゾーン、すなわち緩衝地帯を設置し、景観を保全するために条例で土地や建物の利用を規制する、ということが求められている。

具体的には、建築物に高さ制限をもうけ、改築したり新築したりする際も、素材や色彩などが周囲の景観と調和するように配慮することが必須である。

なにもユネスコが無理難題を突きつけているわけではない。こうして地域全体の景観を規制し保全することは、日本ではごく一部の地域で局所的に行われているにすぎないが、たとえば欧米では、ごく常識的に行われている。ユネスコはグローバルな視点を提示しているにすぎない。

イタリアを例に挙げよう。イタリアでは1939年に施行された文化財保護法、自然美保護法で、歴史や伝統および自然美の観点から景観を保護すべく定めたが、対象外の地域では景観を損ねる開発も行われた。そこで国土全体の景観を保護するために、1984年に告示されたのがガラッソ省令だった。

■なぜイタリアの景観は美しいのか

一例を挙げれば、すべての海岸線や湖沼岸の水際線から300メートル以内の地域は、開発が規制された。そのうえで1985年、この省令を立法化する案が国会に提出され、ガラッソ法が成立した。

法によって省令で定められた規制地域がさらに拡大され、景観上重要な地域内に、建築などを一時的に禁止できる区域を定める権限が州にあたえられた。また、すべての州に風景計画の策定が義務づけられた。

とくに歴史的市街地は保存の対象にできると定められ、多くの自治体が文化的および都市計画的な側面から、歴史的市街地における建築工事を厳重に規制している。その規制は看板や照明等にいたるまでかなり細かい。それが不動産の私権を制限するとして、たびたび裁判で争われもしたが、景観保全を目的とした私権制限は当然だ、というのが判例のほとんどだった。

その結果、イタリアでは、それこそセットを設営しなくてもNHK大河ドラマが撮影できるような場所が、都市にも郊外にも農村にもそこかしこにある。それでは不便ではないかと思うかもしれないが、たとえば古い建物の内部をリノベーションする技術などは日本よりはるかに進んでおり、美しい景観が現代的な快適性と両立している。

■審議会委員たちの後悔

ひるがえって松江市も、市の景観審議会の委員たちも、住民団体から「城下町の景観が損なわれる」と指摘されるまで、マンションの建設が景観破壊につながるという認識を、まるでもっていなかったらしい。着工直前の2024年1月、住民団体は建設予定地の購入を求める要望書を市に提出。2月には、審議会委員12人中9人が「街並みとの調和も一体として審議すべきだった」として、審議のやり直しを求める意見書を市に出した。(読売新聞2024年12月21日など)

松江城天守
松江城天守からの景観。画像左端のあたりでマンション建設が進む(写真=江戸村のとくぞう/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

松江城天守の国宝指定に向けては市を挙げて取り組み、さらに世界遺産登録をめざしている松江市が、みずからの努力を相殺してしまうような計画を、十分な検討もないままに簡単に承認してしまったという事実には、驚きを隠せない。

もっとも、松江市もいまさらながらに建設計画を変更させるべく動いてはいる。景観基準を見直し、建物の高さを法的に規制できる高度地区に指定することが検討されているが、すでに着工されたマンションには適用できないという。

そこで上定昭仁市長は、事業主体である京阪電鉄不動産(大阪市)に、高さを引き下げてくれないかと直談判したが、採算を理由に断られている。では、住民団体がいうように、市が当該の土地を購入できないのか。それについても、「事業目的がない土地を買い取ることはできない」というのが市の回答だという。

■住民の利益と施主の利益どちらが大事か

しかし、高層マンションを建てさせないというのは、立派な事業目的ではないのか。世界遺産登録をめざすのが市の「事業」であるなら、それに適うが、もっと広い視野でこの問題を眺めれば、なおさら「事業」と呼べるはずだ。

ユネスコによる、バッファーゾーンを設置して景観を守るという条件は、じつは「グローバルな視点」だと先に述べた。世界中の多くの都市が、歴史的景観や美観を守ることを、いわば事業化して取り組んできたし、いまも取り組んでいるという意味である。

冒頭で述べたように松江という都市は、空襲を経験した日本においては希少な、普遍的な価値をもつ城下町であり、その中央に国宝の天守を戴く稀有な歴史都市である。したがって、その景観自体が地域の宝であり、日本人の宝である。

こうした問題は拙著『お城の値打ち』(新潮新書)でも述べているが、地域の利益という観点から、もう少し具体化して述べてみよう。

いま守られようとしているのは、事業主体である京阪電鉄不動産が当該の土地から利潤を生み出す権利だが、その「私権」を守ることで、まず、周囲の多くの住人が快適に暮らす権利が奪われていいのか、ということを考えなければならない。

事実、2024年8月には、町内会から建設反対の陳情書が市議会に提出されている。地方自治体が存在する目的は、「そこに住む人々の生活を支えること」であるはずだ。そうであるなら、美しく快適な景観を維持して人々の暮らしの快適さを維持することは、松江市にとって優先度の高い事業であるはずだ。

相手を不快にさせたり不利益をあたえたりすることは、昨今、各方面でハラスメントとして社会問題化している。景観も同じではないだろうか。現に住民団体が不利益を訴えているのである。この歴史都市において景観ハラスメント、いわば「景ハラ」対策の重要性が認識されていないのは、自治体の罪であろう。

マンションのパンフレットに書かれている建設地
筆者撮影
マンションのパンフレットに書かれている建設地 - 筆者撮影

■地方自治体の責務を放棄している

さらに、もう一歩進んで考えてみたい。松江城が世界遺産に登録されれば、観光客は増えるだろう。世界遺産は措いたとしても、松江の町並みが維持され、城下町の風情が残れば残るほど、観光客の増加もインバウンドの効果も期待でき、それが市の豊かさにつながるはずだ。雇用も創出され、ひいては住民の生活水準の向上につながっていく。

だが、松江がもつ歴史都市としてのかけがえのない価値は、都市のシンボルの高さを超えるたったひとつのマンションの登場により、著しく毀損される。私企業が刹那的に上げる利益を守るために、将来にわたる住民の権利や利益が著しく損なわれてしまう。

筆者撮影
緑豊かな松江城周辺。2025年度後期のNHK朝ドラ「ばけばけ」の舞台になる。 - 筆者撮影

その権利や利益が守れなくて、なにが地方自治体だ、なにが市長だ、といいたい。「事業目的がない土地を買い取ることはできない」と、この期におよんで建前論を持ち出し、「そこに住む人々の生活を支える」という地方自治体の最大の責務を放棄している。いまがんばらなければ、松江市は将来にわたって大きな負債を背負うことになる。そのことを強く訴えたい。

事業主体の京阪電鉄不動産は、文書で取材を申し込んだが、「回答は差し控えさせていただきます」が返答だった。しかし、この特別な町にこのようなマンションを建てれば、それが建ち続けるかぎり、当該建築も、住人も、そして施主も、世界に誇るべき遺産を毀損した存在として認知されかねない、ということを伝えておきたい。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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