江戸時代の放火犯は「火あぶり刑」だったが…吉原を全焼させた「14歳の遊女・姫菊」が受けた"刑罰"
プレジデントオンライン / 2025年1月19日 8時15分
■11年に1回のペースで全焼した吉原
吉原は公許の遊廓であり、火事で全焼するなどして営業できなくなった場合、妓楼(ぎろう)が再建されるまでのあいだ、250日とか300日とか期日をかぎって、江戸市中の家屋を借りて臨時営業をすることが許されていた。
これを仮宅(かりたく)といったが、住人の側からすると突然、隣に妓楼が引っ越してくるのと同じである。仮宅ができた地域は一夜にして遊里(ゆうり)に変貌した。
木造家屋が密集していた江戸は火事が頻発したが、吉原もしばしば火事に見舞われた。
明暦3年(1657)に千束村の地で営業を開始して以来、明和5年(1768)4月の火事を皮切りに、幕末の慶応2年(1866)11月の火事まで、合わせて18回も全焼している。
営業を始めてから明治維新までの約210年のあいだ、およそ11年に1回の割合で吉原は全焼した。驚くべき頻度である。そのたびに仮宅となった。
■必須のガイドブック『仮宅細見』
仮宅が許されたのは浅草、本所、深川など、もともと岡場所があったり、料理屋が多いなど、歓楽の地だった場所が多い。
妓楼は許可された地区の料理屋、茶屋、商家、民家などを借りた。いちおう妓楼用に改装するとはいえ、にわか造りである。
とうてい本来の妓楼の豪壮さはない。張見世をするところもあれば、しないところもあった。また、張見世をする場合でも清掻(すががき)(三味線によるお囃子)はなかった。
仮宅になるとさっそく『仮宅細見』が売り出された。仮宅はあちこちに点在しているため、客にとっては必須のガイドブックだった。
手ぬぐいで頬被りをした細見売りが道のあちこちに立ち、
「仮宅細見の絵図、あらたまりました細見の絵図」
と、声を張りあげ、売りさばいた。
■臨時営業だからこそのお客であふれた
仮宅になると妓楼が先を争ってよい物件を求めるため、いきおい借家の家賃も高騰した。
弘化2年(1845)12月5日、吉原は全焼して、浅草、本所、深川に250日間の仮宅が許された。
『藤岡屋日記』によると、このとき間口三間(約5.5メートル)、奥行七間(約13メートル)の店舗を角町の大黒屋が30日、四十三両の契約で借りた。また、間口三間半(約6.4メートル)、奥行十一間(約20メートル)の店舗を、角町の二葉屋が30日、四十五両の契約で借りたという。ともに法外な家賃である。
店舗を明け渡した商家の業種はわからないが、主人以下引越しを余儀なくされるとはいえ、仮宅の期間は左団扇で暮らせたであろう。
仮宅は江戸の市中で営業するため、辺鄙(へんぴ)な地にある吉原にくらべて格段に便利である。臨時営業のため格式や伝統にもとらわれず、遊女の揚代(あげだい)も安かった。趣向が変わっていて、おもしろいという客もいた。
こうして仮宅には、それまで吉原や花魁とは縁がなかった男たちまでもがどっと押し寄せてきた。
画像2の絵は、通りに男たちがあふれかえるほどのにぎわいが描かれている。ほとんどお祭り騒ぎに近い。この妓楼は仮宅でもいちおう張見世をしているが、大行灯(おおあんどん)ではなく燭台(しょくだい)をともしている。
■「仮宅バブル」で生き延びた妓楼も
仮宅になると、妓楼は借家で臨時営業するため、改装にある程度の金はかけたが、吉原の広壮さにくらべると急場しのぎの粗末なものだった。調度品も間に合わせの品である。家賃が高いとはいえ、壮麗な妓楼の建物の建設費や維持費にくらべるとたいしたことはなかった。
このため、経費はあまりかけずに客は大幅にふえた。値段をさげても、妓楼の利益は大きかった。
それまで経営難におちいっていた妓楼も、仮宅になって持ち直した例が少なくなかったほどである。
幕府は『新吉原町定書』で、経営不振の楼主(ろうしゅ)のなかには火事が発生すると内心で喜び、全焼をひそかに願い、消火に努めるどころか、すぐに仮宅の借り受けに走りまわっている者がいることを指摘し、一部の楼主の不心得をきびしく譴責(けんせき)している。仮宅になって有卦(うけ)に入った楼主の喜びようは、よほど目に余るものがあったのであろう。
■「放火犯」となった遊女に対する罰
頻発した吉原の火事は類焼もあるが、妓楼が火元の場合が多い。しかも、そのほとんどが遊女の放火だった。苦界のつらさに耐え切れなくなった遊女が自暴自棄になって、火を放ったのである。
化政期以降、吉原が全焼した火事で見ると、
・文政4年(1821)の火事
付け火をした豊菊(15歳)は八丈島に流罪。
・文政11年の火事
付け火をした花鳥(15歳)は八丈島に流罪。
・文政12年の火事
付け火をした清橋(27歳)は八丈島、共謀した瀬山(25歳)は新島に流罪。
・天保2年(1831)の火事
付け火をした伊勢歌(22歳)は八丈島に流罪。
・天保4年の火事
付け火をした吉里(17歳)は八丈島、共謀した藤江(26歳)と清滝(25歳)は三宅島と新島へ流罪。
・弘化2年(1845)12月5日の火事
玉菊(16歳)、六浦(米浦/16歳)、姫菊(14歳)の放火(処分は後述)。
・嘉永2年(1849)の火事
付け火をした喜代川(25歳)が八丈島、代の春(15歳)が三宅島に流罪。
・嘉永5年(1852)の火事
共謀して付け火をした谷川(19歳)、錦糸(19歳)、玉菊(35歳)が八丈島に流罪。
・安政3年(1856)の火事
付け火をした梅ケ枝(27歳)は八丈島に流罪。
・慶応2年(1866)11月4日の火事
重菊(14歳)の放火。処分は不詳。
とあり、付け火をした遊女はほとんど流罪になった。
■火あぶりではなく、流罪に減刑された理由
当時、放火は大罪で、たとえボヤに終わっても犯人は火罪(かざい)(火あぶり)に処された。
ところが、吉原を全焼させる付け火でありながら、犯人の遊女は火あぶりではなく遠島(流罪)に減刑されている。
これは、苦界のつらさに耐えかねて遊女が犯行におよんだとみて、町奉行所は情状酌量したのである。町奉行所も苦界の女に同情していたことになろう。
それにしても、妓楼の虐待などを恨んだ遊女が放火をし、その結果、吉原が全焼して仮宅になると、かえって一部の楼主は内心で喜んでいたのだから、皮肉といえば皮肉といえよう。
■虐待に耐えかね、3人の遊女が放火を決意
弘化2年の放火について、そのいきさつが『藤岡屋日記』に記されている――。
京町二丁目にある川津屋の楼主の女房のおだいは冷酷な性格で、稼ぎの悪い抱え遊女にしばしば折檻をくわえていた。
遊女の玉菊がたまたま腹具合が悪く、用便に手間取ってしまったため、客が帰ってしまった。これを知って、怒ったおだいは塵払(ちりはら)いの棒で玉菊を打ちのめした。
ついに耐え兼ねて、玉菊は朋輩(ほうばい)の姫菊と米浦に相談した。ふたりとも日ごろからおだいの惨忍な仕打ちを恨んでいたため、
「みなで火をつけよう。そうすれば仮宅になる」
と、川津屋に放火することにした。
決行の日、姫菊は体の調子が悪くて寝ていたため、玉菊は米浦を見張りに立てておいて、火鉢の火種を持ち出し、内風呂の軒下に積んであった炭俵と薪に付け火をした。
たちまち火は燃えひろがり、吉原は全焼した。
■最年少の姫菊は15歳まで親元あずけに
火事のあと、実行犯の玉菊と見張り役の米浦は火付盗賊改に召し捕られた。
玉菊と米浦が牢屋敷に収監中、火事が発生して火の手が牢屋敷にせまった。いわゆる「切り放ち」がおこなわれ、囚人はすべて解放される。いったん避難したあと、ふたりは所定の時刻と場所に戻ってきた。
弘化3年4月、火付盗賊改水野采女により、玉菊と米浦は切り放ちのあとちゃんと戻ったことから中追放に減刑された。
いっぽうの姫菊は謀議に参加していたとして遠島に処せられたが、15歳までは親元あずけとなった。
また、女房のおだいはその仕打ちが放火を招いたとして、急度(きっと)叱りとなった。
三人の遊女が火あぶりを免れたことについて、つぎのような落首(らくしゅ)が出た。
火付をも助けるものは水野さま深き御慈悲がありて吉原
人々は、三人の遊女が助命されたのは水野采女の慈悲とたたえたのである。なお、川津屋は悪評が広まり、零落したという。
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小説家
1949年生まれ、97年に『算学奇人伝』で第六回開高健賞を受賞。本格的な作家活動に入る。江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原、はては剣術まで豊富な歴史知識と独自の着想で人気を博し、時代小説にかぎらず、さまざまな分野で活躍中。
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(小説家 永井 義男)
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