部下の「わかりません」は教える上司が悪い…19歳で入社したトヨタ現役社員が指導現場でいちばん驚いたこと
プレジデントオンライン / 2025年1月29日 6時15分
■選んだ理由は「陸上部があったから」
田中星次、1987年生まれ。愛知県の豊橋市出身、豊橋工業高校を卒業して2005年に専門部に進んだ。田中は地元の章南中学では学年で9番だった。それでも普通高校に進まず、豊橋工業高校に進学した。豊橋工業高校では首席で卒業した。ただ、田中のために書いておくけれど、本人が「僕は一番だ」と自慢して言ったわけではない。
「学園の専門部を選んだ理由はふたつです。ひとつは兄が工業高校に行っていて、そこからトヨタに入ったこと。僕もトヨタに入りたいと思った。もうひとつはトヨタに陸上部があったからです。僕は走ることが好きだったから豊橋工業高校に進んで、そこの陸上部に入りました」
田中は短距離選手だ。100メートルのタイムを聞いた。彼は即答した。
「10秒4」
速いじゃないですかとわたしは言った。
田中は微笑んだ。
「自分が社会人になってから一番、よかった記録が10秒4でした。ただ、オリンピックに出るには10秒2は切らないと……」
トヨタには運動部がある。強化部という一流選手が入る運動部と一般部という社員が入る運動部だ。彼は一般部で主将を務めていたことがある。
■最先端技術の話が聞けるのは学園だけ
さて、専門部には前述の通り、電子と電気のスペシャリストを養成している。田中は電子機器の組み立てを学んでいた。
「電子はソフトの開発といったことまで含んでいます。今でしたらスマホアプリ開発もやっているのではないでしょうか。電子科は開発が多く、電気科は現場の保全への配属が多いです。専門部の授業は実戦的でした。自分は電子機械科っていうところでプログラム開発もやりましたし、基盤を作ったり機械加工もしました。
1年間の授業を終えてから職場に入って思いましたが、基本的なところはだいたいわかりました。一から教えてもらうことがなかったから、専門部は現場で役に立つ教育をしていたと思います。また、指導員の先生方が職場から来られていたので、リアルなことを教わりました。ほんの少し前まで、世の中に出る直前の車を触っていたといった話を聞くとわくわくしました。工業高校の先生からはそういった話を聞くことはできませんから。
例えば自動車センサーの講座で、『最新のミリ波レーダーの性能はここまでになっている』と教わった。トヨタの現場における最先端技術の話が聞けるのは学園の授業だけです」
■先輩後輩がいないからこそ生まれる「絆」
田中は「学園にはいい思い出はたくさんあります」と笑って言った。
「僕は専門部の16期なんです。1年の期間だから、先輩も後輩もいません。でも、横のつながりは卒業してからずいぶんたつけれど、今でもあります。寮生活をしたことがなかったから、不安はあったのですが、最後はほんとに仲が良くなりました。
高校でいうクラスの友達みたいな子と朝から晩まで一緒にいて一緒にご飯も食べて一緒にお風呂も入ってという生活をしたわけです。絆が生まれたというか。今でもそのメンバーとは一緒にお酒を飲みに行ったり、仕事の現場で会えば普通の社員の人とは少し違う関わり方で仕事ができたり。寮で共同生活をしていたというのはいい思い出です。
確かに直接の先輩、後輩はいないのですが、職場に入って専門部卒ですと言うと、周りにいる専門部卒の人が面倒をみてくれたり、各職場でも学園の飲み会をしようとなったりします。大きなくくりのなかで先輩、後輩のつながりがあります」
田中の説明を聞いていると、トヨタの生産現場には、めんどう見と職場先輩の制度が確立している。そのせいもあり、出身校や地域別に人が集まり、閥を作ることはまずない。
■後輩には、家族のような接し方をする
トヨタの取材をしていて感じるけれど、誰もが学閥、地方閥の話はしない。出身や国籍の違いも話題にのぼらない。めんどう見、職場先輩の制度もさることながら、正真正銘のグローバル企業だからだ。
たとえば、豊田市の本社や周囲にある工場の受付を訪ねると、行列しているのは世界各国から来たビジネスパーソンだ。受付前ではさまざまな言葉が飛び交っていて、国連の総会でも始まるのではないかと思われるほどなのである。
名鉄豊田市駅周辺のホテルに泊まって、朝食会場に行くと、これまた世界からやってきた人たちが食事をしている。朝食ビュッフェのおかず類は和食、洋食だけではない。必ずエスニックメニューがある。豊田市にいると六本木や大手町よりもグローバルな気配を感じる。
めんどう見と職場先輩の制度、そしてグローバルな職場環境が学歴と出身の価値を低減させている。
めんどう見とは田中の理解では「家族のような接し方をすること。愛情をもって人の面倒を見ること」だ。その通りのことを果たして現実の世界でやることができるのか。
一般の職場で新人や後輩に言葉通り「家族のように愛情を持って接する」ことはほぼあり得ない。
しかし、だがトヨタでは全員とは言わないけれど言葉通りの意味で「家族のように愛情を持って接する」ことを実現している。それも、日本だけではない。ケンタッキー工場などアメリカの一部の生産現場でも「めんどう見」はちゃんと行われている。
■昔、彼女に振られた時も…
職場先輩の制度も機能している。「チューター」など似たような名称で職場先輩のような制度を採り入れている会社もあるだろう。
しかし、トヨタは徹底会社だ。職場先輩という名前の人間が指名されるだけではない。職場先輩になったら、家族のように愛情を持って接しなくてはならない、とされる。
田中は自分が職場先輩を持った時、そして、自身が職場先輩をやった時のことについて、こう話す。
「新人の時は職場先輩がひとり付きました。その先輩は会社で仕事の相談に乗ってくれました。それだけでなく、その人の自宅に招いてもらったりもしました。そして、プライベートでも、たとえば、彼女に振られたといったことがあれば必ず助けてくれました。助けてくれたといっても、『そうか。じゃあ、俺が紹介しよう』ではありません。『田中、次に行くしかないな』と言われるくらいですけど。それでも折れた心が元に戻りました。
職場によりますが、基本的には男子には男子、女子には女子の職場先輩が付きます。職場先輩は新人に対してのもので、20代後半の人間がやります。1対1が多いと思います。ひとりでふたりの後輩の面倒を見るのはちょっと大変だと思う。私がやった時は後輩からのノートを見て、返事をして、食事に誘って話をしました」
■6年もの間、3人の先輩が助けてくれた
職場にもよるが、職場先輩になった人は定期的に面談の機会を持つ。食事に誘ったりもする。折半もあるけれど、先輩が出すことのほうが多い。そして技能系(工場勤務)の場合、職場先輩の期間は2年間だ(事技系、大卒でも制度はある)。技能系の高校卒で入社した新人は入った日からノートのやりとりが始まる。ノートは月報だ。月単位でやりとりがある。先輩は後輩が書いた内容を読んで、コメントを付けて返す。
「今月は自動運転ソフトについて学び、開発をしました」などと書いてきたら、「では、問題点を見つけてカイゼンしていってください」などと書く。
そして、ひと月に一回くらい、先輩は後輩を誘って食事をしたり、自宅に招いたりする。田中の場合は入社後、職場先輩が3人いた。ひとり2年間だから、3人で6年間、めんどうを見てもらったことになる。なお、ノートのやりとりは実質は1年半だ。2年目の最後にステップアップ研修が行われるので、その際にはレポートを提出しなければならない。
そして、トヨタは研修、教育が多い。2年目、5年目、7年目など、期間は違うが、必ず研修とレポート提出がある。学ぶほうも大変だけれど、実は中身を見て、確認して的確なアドバイスを送る研修役、職場先輩の負担も大きいのである。
■後輩を誘うのが難しい時代だが…
人材の採用、教育研修では受ける側よりも実施する側に情熱がなくてはうまくいかない。トヨタの人づくりでは研修役、職場先輩が果たす力が大きい。
職場先輩がどこまでめんどう見をするかということでは個人差が大きいようだ。プライベートな話は避ける人もいれば、何でも相談に乗る人もいる。食事に誘う人もいれば、お茶だけを飲む程度にとどめる人もいる。個人間の距離を詰めることに対して「ハラスメントだ」と感じる人もいる世の中なので、職場先輩も気を遣うと思われる。
田中が入社してから長くなり、自分が職場先輩としての立場になった時にやったことはプライベートな相談に乗ることだった。ただし、これは「聞いてあげる」ということにとどめたという。個人の問題に対しては過度に干渉することはできないと感じていたからだった。
過度な干渉は避けるような時代環境になったこともある。職場先輩の人たち全員、そのことを感じているだろう。
さて、田中は食事をするとしてもふたりで3000円程度の居酒屋に行った。割り勘でもなく、おごったのでもなく、やや多めに出した。また、引っ越しの際、いらなくなった家電製品は「欲しい」と言ってきた後輩にタダであげた。家電をもらった後輩はそれを次の後輩に譲ったという。職場先輩のめんどう見はこうしたところまで及んでいる。
■相手の「わからない」は教えるほうが悪い
ただし、「いらない家電は後輩に譲ること」といったことまで会社は規定していない。「食事するとしたら割り勘より多く出す」といったこともむろん明文化されていない。
個人で判断するのが、職場先輩であり、めんどう見だ。
職場先輩という制度は故郷を離れてひとりで暮らしている若者のために、先輩が親に代わってめんどうを見たところから始まっている。中学や高校を出たばかりの若者のために始まったもので、先輩が自主的にやわらかい態度で接することから発展し、制度になった。会社が強制できるものではない。自主的に生まれたものが発展した友愛の制度だ。会社が導入するには難しい制度だ。
田中は学園で教わった「親身に教える」態度が職場先輩になった時に役に立ったと言っている。
「最初は不思議に感じました。学園では非常に親身になって教えてくれる。一度、僕が『この部分はわからないです』と言ったら、指導員が深刻な顔になって、『そうか。俺の説明が悪かったな。では、どういうところがわからないのか角度を変えて話してみる』と言ってくれました。こういった体験は自分が職場先輩になったときに重要でした。教えたことを相手がわからないというのは、教えているほうが悪い。それがトヨタの考え方なんです。相手に伝わらないのは自分の責任だ、と」
■「トヨタの人づくり」の本質が表れている
「僕らが小さかった頃は学校で『わかりません』と言ったら、なんで、お前はわからないんだと怒られましたけれど、学園ではそういったことは一切ありませんでした。そうやってやさしく教えてもらえたために今の自分があると思っています」
この話は重要だ。会社だけでなく、企業でも教育機関でも、人材教育会社でも先生や講師と呼ばれる人は「わからない」という反応に対しては一定の考え方しかしない。
「どうして、わからないんだ」からスタートして「わからないほうが悪い」といった考え方に帰結してしまう。それでは生徒は混乱するし、悲しくなる。
生徒が言う、わからないとは「その説明の仕方では今ひとつ理解できない」という意味だ。まるっきり理解できないわけではないのである。学園の指導員、全員ではないがトヨタの上司たちはわからないという反応に対してすぐに角度を変えて説明することができる。これがトヨタの人づくりを担う教える側の態度だ。この態度を定着させるには10年、20年の時間がかかるだろう。
■燃料電池車の開発現場は今どうなっている?
では、現在、田中がやっている仕事について語ってもらう。水素製品開発部で彼がやっているのは燃料電池車(FCEV)に載せる水素ボンベを始めとする水素関係部品の開発と評価だ。田中は入社して7年間はパワートレインの騒音(ノイズ)と振動(バイブレーション)の評価部門にいた。
「あの頃はリーマンショックがあって残業がなくなり、毎日定時で帰ってました。午前8時に出勤して、16時50分に帰宅です。毎日、陸上の練習ができました。プライベートは充実していました。
仕事はNVの評価。NVとはノイズ・アンド・バイブレーション。雑音と振動です。エンジンではなく、トランスミッションなどの雑音と振動を評価して低減する。開発車両のマニュアルトランスミッションを試験していました。
現在はFCEV(燃料電池車)の水素スタックの評価をやっています。水素漏れがないように毎日、仕事をしています。燃料電池車はみなさん、まだまだあまり見たことがないかもしれません。水素製品がたくさん売れたり、水素ステーションが増えればもっと普及していくと思います。世の中は徐々に変わっていくものだから、その日のためにやるのが僕らの仕事です。開発車両のNV評価も同じことでした」
燃料電池車とその発電について説明しておく。燃料電池車はPEFC(固体高分子形燃料電池)で発電し、そのエネルギーを駆動部に伝える。その発電装置が燃料電池スタック。FCスタック(Fuel cell stack)と呼ばれるものだ。発電は水を電気分解するのと逆の原理とも言える。水素と酸素が水に変化する過程で発生した電気を利用する。
■「どうやったら速く走れるんですか?」と聞いたら…
FCスタックの構成単位となるセルでは、燃料として供給された水素が燃料極で水素イオンと電子に解離し、電子を失った水素イオンは酸素極から生成された酸素イオンと結合して水となる。
そして、電子が酸素極へ移動する過程で電気が発生する。その電気をエネルギーとする。
つまり、FCスタックに水素ボンベから水素を供給すると反応して電気エネルギーと水ができてくるわけだ。
FCスタックの外側はアルミでできていて、液体水素が入っているボンベはカーボン繊維を編みこんだものでできている。スタックもボンベもいずれもトヨタ社内で製造している。燃料電池の主要部品は内製だ。
仕事の他に田中がトヨタでやっていることが短距離走である。
わたしは聞いた。
「どうやったら速く走れるんですか?」
田中にとっては、あきれる質問だったようだ。
■約30人の仲間と一緒に
「どうやってと言われても。真面目に練習することです。一般の人は100メートル走って速い人でも15秒台かな。僕らはそれを練習して速くする。今は後輩をコーチしながら自分でも走っています」
「何秒ですか?」
「11秒ゼロです」
「37歳で11秒ゼロはすごい」
「そうですか。ありがとうございます。30人くらいの仲間と走っています。足が痛くなったり、関節が痛くなったりはありますが、歳を重ねてもタイムがよくなる練習方法も研究されていて、それも参考にしながら選手と一緒に走ってます。40歳になっても、もうちょっと記録が上がったらいいな、と」
「10秒9?」
田中は笑った。
「10秒9。そうですね、走れるといいですね。うん、いけるかも」
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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