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もはや「フジテレビ解体」の道は避けられない…元テレビ局員が考える「スポンサー離れ」が進んだ先に起こること

プレジデントオンライン / 2025年1月19日 12時15分

フジテレビ本社ビル(写真=Kakidai/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

タレント・中居正広さんの女性トラブルに、フジテレビ社員が関与したと報じられたことをめぐり、フジテレビは17日、問題を指摘されてから初めて記者会見を開いた。元関西テレビ社員で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「会見をオープンにしなかっただけではなく、港浩一社長は記者からの質問に対して、『調査委員会に委ねる』という回答を連発した。フジテレビはもはや社会の公器たる報道機関とは言えないだろう」という――。

■火に油を注いだフジテレビ社長の会見

タレントの中居正広氏と女性とのトラブルにフジテレビの社員が関与していたと、週刊文春などが報じている。

フジテレビの港浩一社長は、今月17日、この問題が報じられてから初めての記者会見で、陳謝した。その会見は、これまでの「炎上」の火に油を注ぐ結果となっている。

たしかに、指摘すべき点は、枚挙にいとまがない。

今回、フジテレビは、記者クラブ(「ラジオ・テレビ記者会」、「東京放送記者会」)に加盟している新聞社・テレビ局・ラジオ局以外は、会見に参加させなかった。さらに、フジテレビ以外の民放テレビ局は、「オブザーバー(立会人)」扱いで、質問の権利を与えなかった。

それどころか、テレビ局の記者会見であるにもかかわらず、生中継はおろか、動画撮影を認めなかった。フジテレビは、今回は2月に予定されていた「定例会見」を前倒ししただけであり、枠組みをそのまま使っているとしているが、そんな言い分は通用しないだろう。

NHKニュースでは、会見の映像ではなく、「写真」=静止画、がまるで“紙芝居”のように繰り返された。異様な光景と呼ぶほかなく、かえって、フジテレビの後ろめたさや、やましさを想像させる結果となったのではないか。

静止画しか認めなかった、といえば、以前の国会の証人喚問が想起されるからである。

議院証言法(議員における証人の宣誓及び証言等に関する法律)が1988年に改正され、証人喚問中の撮影が禁止された。その後、1999年にふたたび改正されるまでの約11年間にわたって、国会中継では、証言の前に撮影した静止画が流されていた。

あの記憶を、今回の港社長の会見のニュースを見て、思い出した人も多いだろう。

■質問に対して、「調査委員会に委ねる」を連発

映像をベースにする報道機関であり、何より、テレビ局なのに、自分たちが、どのように映るのかを想像できていない。免許事業として公共の電波を預かる会社であるにもかかわらず、説明責任を果たそうとせず、記者からの質問に対して「調査委員会に委ねる」という回答を連発したのでは、会見の意味がない。

自社のニュースや情報番組では、他の企業の不祥事を糾弾するくせに、自分たちには、甘い。記者会見をオープンにしなかっただけではなく、出席者にさえ質問させなかった姿勢は、いくら非難してもあまりある。

もとより、昨年末に週刊文春が中居正広氏と女性とのトラブルについて報じた際に、フジテレビがウェブサイトに出した「一部週刊誌等における弊社社員に関する報道について」と題する文書からして、対応を誤っていたと言わざるを得ない。

この文書のままの姿勢、つまり、「当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません」が正しいのなら、3週間以上がすぎたいまになって、「第三者の弁護士を中心とする調査委員会を立ち上げる」必要など、まったくないのではないか。

■ついにスポンサー離れが始まった

会見のスケジュールにも疑問符がつく。

阪神・淡路大震災から30年となる1月17日、それも、金曜日の午後3時から、という設定は、ニュースバリューを小さくするため、と見られても仕方がない。大きなニュースの影に隠そうとしたのではないか。週末を越えれば風が止むとの見込みではないか。そんな疑念を抱かせるに十分だったからである。

ただ、こうやって、フジテレビの対応を、いくらあげつらっても、むなしい。

今回の港社長の会見は、木で鼻をくくる、というか、のれんに腕押し、というか、彼(ら)に何を言っても詮無い、としか感じられないからである。港社長が会見の冒頭で述べたように、現時点で本当に「おわび申し上げます」と思っているのなら、今回のような、「記者会見」とは呼べない代物を開いておいて、平然としていられるわけがないからである。

裏を返せば、これだけ、世間がフジテレビに声高に物を申すということは、それほどまでに、同社に期待をしているあらわれなのか。同社が「普通の会社」であるどころか、社会の公器=報道機関である、と願っているからなのか。

そうではない。同社に、そんな願望を持つことそのものが、お門違いだろう。

トヨタ自動車や日本生命保険といった、名だたる巨大スポンサーが、雪崩を打ってフジテレビでのCM放送を差し替えているのが、何よりのあらわれである。

写真提供=共同通信社
記者会見するフジテレビ幹部。中央は港浩一社長=17日午後、東京都港区のフジテレビ - 写真提供=共同通信社

■「看過できかねます」とまで言い切っていたが…

昨年末の時点で「当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません」と断言したフジテレビは、その文書を、つぎのように結んでいる。

今回の件に関して、SNS等で弊社社員および関係者に関する憶測による記事・投稿が見られます。

誹謗中傷や名誉毀損に繋がる内容は看過できかねますので厳にお控えください。

「内容については事実でないことが含まれており」としながらも、どこが「事実でないこと」なのかを指摘せずに、「看過できかねます」とまで言い切っていた。

こうした対応を、初期に行ったのであれば、その筋を通すべきである。

実際、フジテレビ側は、会見で、「12月の時点で(同社社員の関与を)調査を終了していないにも関わらず否定されたコメントを出された」理由を問われ、「いろいろなものを調査継続中」であり、「そのホームページの記載自体も正しかったかどうかというのも(調査委員会に)判断していただきたい」と述べている。

こう答えている以上、まだ、12月に出した文書の見解=「当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません」は、維持されている。

もし、調査委員会に「判断していただきたい」のだとすれば、少なくとも、今回の港社長の会見で、この文書と、その内容について、撤回したり、訂正したり、といった対応が求められるのではないか。

主張を貫くわけでもなく、あらためるわけでもない。会見での質問を、のらりくらり、と交わすことに(しか)目的がないように、私には見える。

そんなフジテレビに、報道機関たれ、と望むのは、ムダである。

■テレビを見ないのに、なぜ関心が集まるのか

フジテレビには自浄作用があるに違いない、とか、社内の志の高い人たちが、きっと生まれ変わらせてくれるはずだ、といった期待の声は小さい。SNSやヤフコメなどでは、「停波」や「免許剥奪」を求める声が見られる。

NHKをはじめとするテレビ各局が大々的に報じたり、X上で「フジ社長」や「フジ会見」がトレンドに上がったりするのは、「テレビ離れ」と関連しているのではないか。

メディア環境研究所による「メディア定点調査2024」によれば、2024年時点のテレビ視聴時間は、1日あたり122.5分、と、携帯・スマホの161.7分を大きく下回り、16年前から約50分減っている。

テレビを見ない人が増えているのに、なぜ、これほどまでにフジテレビに関心が集まるのか。

かつて「女子アナ」と呼ばれた人たちだけではなく、テレビ局で働く人たちや、その社内の雰囲気自体が、キラキラして輝いている。そんなイメージがあった。

フジテレビで放送されている「新しいカギ」の名物企画「学校かくれんぼ」に出演する小学生から大学生に至る若者たちの表情は、たしかに生き生きとしている。

しかし、昨年、石丸伸二氏が東京都知事選挙で2位につけ、斎藤元彦氏が兵庫県知事選挙に再選されるに至り、「オールドメディアの敗北」が言われた。

テレビに出ることや、テレビの中の人たちは、これまで憧れの的だったものの、そんな時代は過ぎ去ったのである。いまや逆に、テレビ=既得権益として、反発し、恨む対象に成り果ててしまったのではないか。

石丸伸二氏(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■世間を甘くみてきたツケ

私がかつて勤務していた関西テレビ(フジテレビ系列)は、2007年、製作していた「発掘!あるある大事典Ⅱ」という番組で実験データや専門家のコメントを捏造し、民間放送連盟から除名されるなどの処分を受けた。フジテレビは、2020年、「TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020」に出演していた木村花さんが亡くなり、翌年、BPO(放送倫理・番組向上機構)に「放送倫理上問題があった」と判断された。

2007年当時はもちろん、2021年でさえ、まだテレビへの望みは残っていた。メディアの王様であり、影響力が大きく、そして何より、テレビ局側に反省し出直す底力がある、と信じられていた。

ところが、テレビ局側は、というよりも、フジテレビは、変わらないどころか、世間を甘くみてきた。その姿勢は、今回の港社長の会見が象徴している。「調査委員会」を盾に内容は空疎で、形式面でも不備しかない。そんな会見を開くのは、いまだに私たちをナメている証拠にほかならない。

もはや、世間は、こんなフジテレビを許せない。それが、今回、フジテレビへのバッシングが止まない理由である。

■行くも地獄、戻るも地獄

すると、フジテレビは反省すれば良いのか。

仮に、「当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません」との見解が、調査委員会でも保たれたとして、もう、誰も納得しないに違いない。「第三者の弁護士を中心とした調査委員会」が、そう結論を出したとしても、「お手盛り」や「出来レース」との誹りは免れない。

なぜなら、今回の港社長の会見でも、その見解を続けたからである。一度、撤回し白紙から調べたなら、まだ信憑性は高かったはずなのに、そうしなかったからである。

反対に、「当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません」との立場を、調査委員会の調査により否定したらどうか。責任は当該社員には限られない。その上司、さらには、社長の辞任は避けられない。だが、そうした連帯責任を、今回のような会見を開いた港社長が選ぶだろうか。

週刊文春では、港社長も、女性アナウンサーを伴う会食に参加していたと報じられている。「私も調査対象」と述べているものの、記憶をたどったり、記録を調べたりすれば、「調査」するまでもないのではないか。

「人の噂も75日」とばかりに、風が止むのを待つつもりなのかもしれないが、フジテレビへの怒りの高まりをみるかぎり、それもまた楽観的に過ぎよう。

「当該社員」の関与を認めなければ批判は止まず、認めれば、上層部まで一蓮托生になる。「当該社員」がテレビ局の中枢=編成部長だと週刊文春が報じている以上、トカゲの尻尾切りは難しい。

行くも地獄、戻るも地獄ではないか。とすれば、フジテレビ解体の道は、避けられない。今回の会見の意味は、それほどまでに大きい。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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