なぜ今の日本の建物は無機質でつまらないのか…異端の建築家が東京港区に独力でビルを建てたワケ
プレジデントオンライン / 2025年1月27日 9時15分
■自力で都心にビルを建てようと思ったきっかけ
――岡さんが施主、設計者、施工者として建設する地上4階、地下1階の「蟻鱒鳶ル」は、着工から19年が経つそうですね。
着工は、2005年の11月26日です。地下と1階は店舗として貸し出し、2階以上は夫婦の住居にする予定で建築を始めました。
計画当初、妻には完成まで3年と伝えていました。もし3年を越えたら、暮らしているマンションの家賃をすべてぼくが支払うと約束していたんです。
工期が延びれば延びるほど経費がかさみ、月々の家賃もキツくなる。だから「がんばるぞ」と毎日現場に出ていたのですが、3年が4年になり、5年になり……。建設途中で蟻鱒鳶ルを含む一帯が再開発区域になったこともあり、19年経ってようやく目途が立ちました。
――「蟻鱒鳶ル」建築のきっかけを教えてください。
変なことを意図してしようとしたわけでも、目立とうとしたわけでもないんです。建築しようと思った理由は、100個も200個もあります。
自分への自信のなさを克服したかったこと、製図板にキレイに描いた図面がそのまま立ち現れるような建築に対する学生時代の違和感、職人たちが置かれた惨めな状況に対する問題意識などなど……。
■自分は結局ニセモノなのではないか
――自分への自信とはどういうことでしょうか。
ぼくは地元福岡県の高専を出て、住宅メーカーで設計士として働いたあと、建築現場のさまざまな仕事をやってきました。土工、鳶、鉄筋屋に、型枠大工、住宅大工……。その間に自転車で旅をしながら日本中の建築を見て回り、勉強して一級建築士の資格も取得しました。
若い頃のぼくは、自信の塊が突っ走っているようなタイプでした。考えたこと、思いついたことを一つひとつ着実に実行し、実現していく。それなりに優秀だと自覚していました。友人に「岡の近くにいると『着々着々』という音が聞こえる気がする」と言われたほどです。
そんなぼくが、30歳になった頃に、生まれて初めて自信をなくしたんです。
最大の挫折が、国内外で活躍する同世代の建築家たちと会ったこと。ぼくが憧れる世界的な建築家の右腕として働いている人もいました。
ぼくは東大や早稲田を出た彼らに対し、「みんなクールで頭がよくて、要領がいいんだろう」と勝手な先入観を抱いていました。けれど、実際はまったく違いました。どの人に会っても空回りするほどの情熱を持って、自分の思いをバカみたいに一生懸命に話す。
ぼくも、職人として技術を磨いたり、自転車で旅して建築を独学で勉強したりして、情熱的に建築と向き合ってきたつもりだったんです。でも、彼らを前にして感じました。熱量が違う。自分が青春時代にやってきたことは情熱ごっこだったのではないか、と。
本物というのは彼らのことで、自分は結局ニセモノに過ぎないのではないか。そう思えて、むなしくなりました。
■「人生の望みはあるかい?」
悪いことに、自分を疑い出したら過去のことまで思い返すようになりました。
ぼくは生まれつき心臓病を患っていました。さらに色弱でもあります。みんなの見ている風景や世界の色と、自分が見ている色は違うと言われた時はショックでした。
ただその反動でしょう、どうせ短い命なんだから他の人と違うことを気にせず、みんなに愛されようと面白い少年を演じるようになったんです。
それはまずまずうまくできていたと思うんです。進学した高専では春と秋の2度、生徒が出し物をする文化祭のような催しがありました。ぼくは毎回、漫才の脚本を書いて、実際に演じました。ドッカン、ドッカン、笑いをとって、1年生から5年生まで10回の催しですべて優勝したんです。
しばらくはそれが自信になっていましたが、結局、人に好かれるために勉強したテクニックで笑いをとっただけ、高専時代もやっぱりニセモノだったとさらに不安に……。
30歳。会社に入った同級生たちがいっぱしのサラリーマンになっている頃、ぼくはそれまで抱いていた自信が、自信のなさの裏返しだったのではないかと気づいてしまったのです。
友人が散歩に誘ってくれたのは、そんな頃です。晩秋の井の頭公園をショボショボのオジサン2人が肩を並べて、ブラブラと歩きました。友人が聞くんです。「岡さんさぁ、人生の望みはあるかい?」って。
■30年頑張れば自信を持てる
ぼくは「最近、自分に自信が持てないことにやっと気づいたよ。できれば、自信を持てる人間になりたい」と応えました。
すると彼は「どこかの偉い坊さんが言っていたらしいんだけど、30年間、真っすぐにひとつのことに努力すれば、人は自信を持てるらしいよ」と話しました。
当時30歳すぎだったので、これから30年間、1つのことに打ち込んだとして、自信を持てるようになるのは、60歳ごろ。
友人から「50年間」と言われていたら諦めていたかもしれません。80歳では生きているかどうかも分かりませんからね。当時のぼくにとって、30年間は現実的で、がんばり甲斐のある歳月だと感じたんです。
――岡さんにとっての「ひとつのこと」が、建築であり、蟻鱒鳶ルだったんですね。
そうです。子どもの頃から大工や建築家に憧れていたんです。お金持ちになるとか、結婚して人並みに生きるとかそういうことを諦めて一心不乱に建設の仕事に打ち込めば、自信を持てるんじゃないかと思いました。
ただそう簡単ではなかったです。努力はしたんですが、理想と現実が結びつかず、うまくいかないことばかりで、自信を取り戻すどころかズタズタに引き裂かれてしまった。ぼくには建築はやっぱりムリだ、人並みの仕事をして生きていこうと34歳で逃げるように結婚しました。
■いまの建築への違和感
結婚後、後ろ向きなぼくを見かねた妻がこう言ったんです。
「あなたは大工もできるし、一級建築士なんだから、小さな土地を買って、自分の好きな建築をやってみたらいいんじゃないの」
その一言に背中を押されて、土地を探し始めたらアイデアがどんどんわいてきた。あぁ、やっぱり俺には建築しかないな、と高揚しました。そうして35歳――2000年9月、港区三田の40平方メートルの土地を不動産屋と交渉の末に1500万円で取得。4、5年かけて考えをまとめ、建設に取りかかったんです。
――蟻鱒鳶ル建設の動機のひとつになった「製図板に描いた図面がそのまま立ち現れるような建築に対する違和感」についてはどうですか?
ぼくは20代の頃、舞踏家の和栗由紀夫さんという方に声をかけられて、舞踏家としても活動していました。心臓病だし、クラスで一番運動神経が鈍い上に、リズム感もない。ムリだと思っていたんですが、誘ったのは和栗さんだから、下手くそでも俺のせいじゃないし、少しの期間やってみるかと踊りはじめた。
これが予想に反して、楽しかったんです。踊っていると自分のなかに眠っていた生き生きとした活力が引っ張り出される感覚がありました。その場その場で、即興で踊っているうち、学生時代に覚えた建築への違和感を言語化できる気がしました。
■設計士と職人では使うトイレが違う
舞踏は、場や空気、一緒に踊る仲間によって、即興で変わっていきます。その場で現れる思いや考え、発想の赴くままに踊る。
一方で、一般的な建築では設計者が引いた図面通りに完成させます。建築には設計士以外にもたくさんの職人が関わっているにもかかわらず、その人たちの思いや考えが反映されるケースはまずありません。
むしろ職人たちの痕跡をすべて消して、味も素っ気もない無機質で透明な建築をつくってきた。それが良いとされていることに対する違和感は、高専の頃から抱いていました。
装飾性やデザイン性を廃し、合理性や機能性を重視したモダニズム建築は、個性的な職人の手仕事を排し、均一な建築を進めたと考えています。
一部の特権階級だけが豪華な家に住む社会ではなく、平等を重視する発想があったのは理解できますが、これ以降、対等な関係だった建築家と職人は、建築家の方が強くなり職人のこだわりや思いは建築に不要とされてしまった。本来、建築ってモノづくりのはずなのですが、その楽しさは失われてしまいました。
――それが「職人のあり方への問題意識」にもつながるわけですね。
ぼく自身も職人として修行した経験が大きいです。みんな努力に努力を重ねていっぱしの職人になる。しかしどこの建築現場でも、ものづくりの主役である職人の地位は低かった。例えば、設計士や現場監督と職人では、使うトイレも分けられる。
■だからこんな奇抜なビルができた
職人は設計士が引いた1本の線を忠実に再現するだけの存在としてあつかわれていました。建築に必ず残るはずの職人の個性や、手仕事の痕跡すらも丁寧に消されていくんです。
ぼくがもっとも長く続けたのが、型枠大工です。鉄筋コンクリートビルのコンクリートを流し込む枠組みをつくる仕事です。
生命保険金には、職業ごとに異なるケガや死亡のリスクによって、受取額の上限が定められています。ぼくが働いた当時、型枠大工のランクは、F1レーサーと一緒でした。それだけ危険で技術を要する仕事なのに、なぜ、リスペクトされないのか。リスペクトどころか、汚い存在として、酷い待遇で雑にあつかわれていました。
ぼく自身は好きでやっている自覚があったので、待遇が悪くても平気でしたが、建築の現場を支える特殊な技術を持つ職人たちにもっと光をあててほしかった。
蟻鱒鳶ルの構想時、いまの建築現場が職人を大切にあつかわないのなら、俺がやるしかないという使命感を覚えました。
蟻鱒鳶ルの建築はぼくが主に作っていますが、知人の職人や建築に携わっていない普通の友人も手伝ってくれています。細かな設計図はないので、即興の舞踏のように、その日その日の思いつきやアイデア、手伝ってくれた人たちの気持ちが反映されていきます。そのスタンスは着工当時から、ずっと変わっていません。
そのせいで、このビルにはぼくの好みではない装飾や細工が随所にあるんです。ぼくが「もうちょっと考えてよ」って言っても、みんな無視して好きにやっていますから。さらにはぼくが即興でデザインした箇所も多々あります。
だからこそ、蟻鱒鳶ルが、日本のいたる所に建つ金太郎飴のように同じ外観の建物たちとは対局のビルになったのだと感じるんです。(2回目に続く)
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ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521
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(ノンフィクションライター 山川 徹)
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