だからこんな奇抜な建物を都心のど真ん中に建てた…自力でのビル建設に人生を懸けた男が伝えたいこと
プレジデントオンライン / 2025年1月28日 9時15分
■自力でのビル建設でもっとも大変だったこと
――当初3年で完成予定だった蟻鱒鳶ルは、約20年かけてほぼ完成となりました。なぜ、そんなに歳月がかかったのでしょう。
着工当時は、鳶職、鉄筋工、型枠大工など職人として経験を積み、技術だけでなく知識も高まっていることを実感していたので、3年くらいでつくれるだろうと考えていたんです。しかし、それは甘かった。
設計から施工までひとりで行うセルフビルドですから、なんでもやらなければなりません。かつてぼくが鳶として現場で働いているときに「あの土工のオヤジ、ホウキ持ってるだけで楽そうだな」と感じていたような作業も全部やらなければならない。
毎朝、鼻息荒く現場にきて「今日はあれもこれも終わらせて」と考えてはいるんですよ。でも、その日が燃えるゴミの日なら、1時間くらいかけてゴミをかき集めなければならないし、苦情がきたら菓子折りを持って謝って事情を説明しなければならない。電球が切れただけでも、買い出しに行く必要がある。
現実問題として、そんなこまごまとした仕事に時間をとられるんです。
作業面でも金銭面でも思った以上に苦労しましたが、なにより大変だったのは自らに湧いてきた「意識」との戦いです。
構想時から、自分ひとりでやるわけだから、思いもよらない考えが芽生えるだろうという予感はありました。実際に、建設作業をはじめると、次々と浮かんでくる問題意識に一つひとつきちんと向き合わなくてはビルを建てられない、と感じるようになったんです。
■建築における装飾とはどうあるべきか
――具体的には、どんなことでしょうか。
たとえば……見てください。
蟻鱒鳶ルを知る人なら誰もが分かると思いますが、普通の建築とは違って、よく分からない装飾がたくさんあるでしょう。
ぼく自身、建築の装飾にはさほど関心はありませんでした。どちらかと言えば、装飾を排した、つるんとした透明な建物を好んでいました。
自分でも意外だったのですが、蟻鱒鳶ルをつくりはじめると「装飾はどうあるべきか」ということに関心が向かっていきました。そこで、この数十年の建築家たちの装飾についての議論を調べてみました。しかし誰も納得できる答えを語れていなかった。
――建築するなかで、装飾に対する岡さんなりの答えは出ましたか?
装飾とは何か。頭で考えても答えにたどり着かない。その中でもなんとかひねり出したのは、職人たちが、祈るような気持ちで、自らの手で何かを表現するのが、本来の装飾なのではないか、ということでした。
昔の大工さんは家を建てるときに、そこで暮らす家族の幸せを祈り「明るい家庭になるように」という気持ちで手を動かしたはずです。例えば、小学校の建築現場では、職人たちは子どもたちの成長や、楽しい日常に思いを馳せたでしょう。何より彼らにとって、装飾は、辛い作業の合間に、自分の思いや個性、遊び心を投影する小さな楽しみだったはずです。
■「楽しんでつくったものは美しい」
その意味では、一部の金儲けだけを考えるデザイナーの方たちには、本来の装飾のありように思いがいたらないでしょう。理屈ではなく、職人の思いや願いの結実として、装飾とは施されるものですから。
この装飾に対する答えを生み出せたから、蟻鱒鳶ルを続けられたと言えるかもしれません。
問題意識をクリアしたことだけでなく、建築の楽しさを見いだせたからです。
蟻鱒鳶ルをつくりはじめる少し前の30代の頃に、著名な建築史家の鈴木博之先生の講義を聴講しました。鈴木先生は、産業革命の時代にイギリスの評論家・ジョン・ラスキンについて話していました。美しさとは何か。ジョン・ラスキンは「楽しんでつくったものは美しい。そうでないものは美しくない」と語ったそうです。
当初、ぼくはそんなバカな、としか感じなかった。楽しんだら、美しいのか。なんだ、その間抜けな話は、と。
そんなに生ぬるいことではないだろう。そもそもそんなに簡単なら誰も苦労しない。さまざまな経験を重ね、勉強して感性を磨き抜いた末に、本当の美しさがあるはずだ。
職人たちは危険な現場にもかかわらず、酷い待遇で仕事をさせられている。それでは、楽しい気持ちでつくれるわけがない。
そう思っていたのですが、蟻鱒鳶ルをつくりはじめて、ラスキンの言葉がよくわかりました。
■「私はあなたも、あなたのビルも嫌いです」
設計図のない蟻鱒鳶ルの建設現場では、日々の作業に苦労しつつも、あれもしてみたいこれもしてみたい、と新しいアイディアがわいてくるんです。壁の装飾をこだわってみれば、やっぱり楽しいし、手前味噌ですが美しさを感じる。ラスキンが語った「楽しんでつくったものは美しい」とは、こういうことかと実感できました。
まぁ、そうした気づきに向き合っていくとどうしても、時間がかかってしまうんですが。
――日々楽しみながら、ひとつのことに打ち込めるのは、理想的な働き方、生き方のようにも感じます。
そうは言っても、反発をされることも多いんです。
親しく付き合っていたはずの近所の人から、ある日こんなことを言われました。
「実は、蟻鱒鳶ルが嫌いだった。ほとんどの人にとって仕事はキツくて辛いもので、歯を食いしばりながらがんばっている。それなのに、あなたは毎日楽しそうに働いている。それを見るのがどんなに辛かったか……。しかもあなたの喜びの結果、ビルが日々大きくなっていく。それを見るのが辛かった。私はあなたも、あなたのビルも嫌いです」
厳しい言葉で最初は驚きましたが、その人の気持ちが理解できる気がしたんです。
テレビのドキュメンタリー番組で、いくら働いても貧困のループから抜け出せずに苦労している人が取り上げられますよね。貧困でないにしても、一生懸命働いても現状に満足できない人もたくさんいるでしょう。
そんな人が、ぼくに腹を立てるのは当然だと思います。ネットでも実家が太いとか勝手なことが書かれています。
■すべて順調ではない
――それは事実なんですか?
いえ、まったく違います。
ぼくは3人兄弟なのですが、子どもの頃、隙間だらけのあばら屋に暮らしていました。小学校高学年のときに、家族会議が開かれました。家を建てるか、大学に行くかどちらかを選べと父親に言われました。ぼくら兄弟は3人とも家を建てて欲しいと大学への進学を諦めたくらいです。
もちろんぼくも霞を食って生きているわけではありません。収入はいくつかの大学などの非常勤講師代や、取材を受けたときにもらう謝礼です。足りない分は、親族からの借金で賄っています。借金といっても、ぜいたくはしないので、それほど膨れ上がってはいません。
ビルを建てるというと高額な費用を想像する人もいるかもしれませんが、実際はそんなに高くはないんです。コンクリートの材料となる砂と砂利は、1回にトラック1台分、約4トン買うんですが、1万数千円。だから材料費は月2万から4万円ほどで済みます。
とはいえ、順風満帆というわけではありません。経費が安いとはいえ生活費は毎日かかるわけで余裕なんてまったくない。
今後、このビルは周囲の再開発の影響で10メートルほど移動させる曳家工事が行われます。その後は、住居として利用する予定ですが、それにはまだまだやらなきゃいけないことがたくさんあります。
■建築はメディアであるべき
――先の近所の方のように蟻鱒鳶ルが嫌いとまではいかなくても、個性的な外観に驚く人は多いでしょうね。
「建築とは表現物ではない」「建築を作品として捉えてはいけない」という言い方をする建築家たちもいます。
けれど果たしてそうでしょうか。建築に限らず、物をつくるという行為は、何かを表現することです。ものづくりは表現から離れられないと思うのです。
もしも建築物が、表現や作品ではないとしたら、「表現がいかにムダかを表現したビル」になるだけです。
のっぺらぼうで意志のない超高層ビルが青空を押しのけるように建ち並ぶ都市の風景を思い描いてみてください。多くの人は、そんな環境よりも、広々とした青空を望んでいるのではないでしょうか。
それは、超高層ビルの設計を手がけるデザイナーや建築家もわかっています。だから、人々から青空を奪う超高層ビルの設計に尻込みする。「建築とは表現物ではない」「建築を作品として捉えてはいけない」と責任から逃れようとしているのでしょう。
絵画や彫刻などのアート作品なら、アートに理解がある人がお金を払って、ギャラリーや美術館に足を運んでくれます。
一方で建造物は、建築に理解がある人もない人も目にして、評価を下します。アートのような“箱入り娘”ではなく、路上で数多の人の目にさらされて、不特定多数の人に批判され、殴られかねない作品です。そうした存在だからこそ、昔から「建築はメディアだ」と言われるんです。
■蟻鱒鳶ルとは、僕からのメッセージ
たとえば、フランスのパリにノートルダム大聖堂があります。パリを訪れて、ノートルダム大聖堂をはじめて目にした地方の人は「なんだ、これは……」と感動する。そして彼は、自分の村にも美しい教会をつくろうと決意する。あるいは、その感動を地元の人に伝える。
そうして歴史的、文化的なストーリーが広まり、観光が生まれ、地方にも文化的な建築物がつくられる。つまり建築物はメディアそのものなんです。
再開発に組み込まれるまで、ぼくは現場をシートで隠したりせず、フルオープンで見せながら建築しました。建築物をできるだけ近所の人、通りすがりの人とも共有したいという思いからです。
近所の子供が「なんかスゲェ」と面白がってくれたり、こんなビルもアリなんだと建築を志す人の刺激になればいい。前回語ったような職人について思いを馳せてもらえればなお嬉しい。時には嫌悪感を持つ人がいるかもしれない。でもそれでいいと思っています。それも含めてのメディアなので。
蟻鱒鳶ルはある研究者から200年持つと言われています。長い間、ここにあることで存在の意味は変わってくるでしょう。それも含めて、蟻鱒鳶ルは、ぼくからのメッセージなのです。(3回目に続く)
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ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521
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(ノンフィクションライター 山川 徹)
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