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日本の建物の寿命はあまりに短すぎる…全国各地で進む再開発がどれも同じように見えてしまうワケ

プレジデントオンライン / 2025年1月29日 9時15分

建築家の岡啓輔さん - 画像提供=蟻鱒鳶ル保存会

建築は誰のものか。東京都港区に自力でビルを建てた建築家の岡啓輔さんは「施主でも設計士でも所有者でもない」という。どういうことか。ライターの山川徹さんが聞いた――。(3回目/全3回)

■「鉄筋コンクリートビルの寿命は35年」への違和感

――岡さんが建てた蟻鱒鳶(アリマストンビ)ルの耐久年数は200年以上と聞きます。なぜそんなに長く持つ建築物を作ろうと思ったのでしょうか。

いま日本のコンクリート建築の平均寿命は35年です。それに合わせると、着工から19年が建つ蟻鱒鳶ルの地下部分はすでに寿命の半分以上は終わっていることになります。

35年、もしくは鉄筋コンクリート建築の法定耐用年数である50年のスパンで、つくって壊して、また新たにつくる。それが、経済効率を優先した日本の建築のサイクルなのでしょう。建築にかかわる人たちもずっとそう教わってきたから、誰も問題意識を持っていない。

それがぼくには疑問でした。コンクリートの練り方次第ではもっと長持ちするビルをつくれる。それなのに、なんで50年で手打ちにしているんだ。何かがおかしい、と。

先進国のなかでも、日本はとくに建築物の寿命が短いんです。おそらく200年、300年も持つ建築物をつくりはじめたら、再開発や道路の拡張工事もやりにくくなって、経済的にも政治的にも困った状況になってしまうのでしょう。

ただし、それはあくまでも政治や経済の都合です。ぼくのような庶民が政治や経済の都合に合わせる必要なんてありません。せっかくつくるなら35年でダメになる家よりも、100年、200年住めた方がいいと考える人だってたくさんいるはずです。

見る者を圧倒する蟻鱒鳶ル。すごいのは外観だけではない。
撮影=プレジデントオンライン編集部撮影
見る者を圧倒する蟻鱒鳶ル。すごいのは外観だけではない。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部撮影

■蟻鱒鳶ルとは巨大な石である

――ビルの耐久年数はコンクリートの強度で決まるのですか?

そうです。一般的にコンクリートはセメントと水と砂と砂利を混ぜてつくります。強度の決め手となるのは、水とセメントの比率。水分が少ない方が硬く、そして強くなります。一般的な建築現場では、水セメント比は60パーセント程度で水分量が多い。軟らかいコンクリートのほうが、扱い易い上にコストも安いためです。

蟻鱒鳶ルでは、水セメント比は37%です。セメントの成分のほとんどが石灰石。このビルの砂と砂利は100%石灰石なんです。つまり蟻鱒鳶ルはコンクリート造といってもほとんど石灰石でできています。コンクリートが固まれば硬い石と同じになる。つまり、蟻鱒鳶ルとは大きな石なのです。

■だから耐久年数は200年に

建築史家の藤森照信さんが見学に来た際、ビルのコンクリートを見て「いい塗料を使っているな、何を使ったのか教えてくれよ」と言うんですよ。

ぼくが「コンクリートの純度を高めているだけで何も使っていませんよ」と応えてもぜんぜん信じてくれなかった。「何も塗ってないのに、こんなに表面がつるんとするはずがないだろう、教えてくれよ」と。そのたび「本当に塗ってないんですって」と何度も否定しました。

ミキサーにセメントを投入する岡さん。2007年ごろ撮影。
撮影=関根正幸
ミキサーにセメントを投入する岡さん。2007年ごろ撮影。 - 撮影=関根正幸

ビルのコンクリートを見てもらうとわかるんですが、光っているように見えませんか? これはガラス質です。コンクリートを打設したあと、いい状態で養生、つまりしっかり固まるまで待ってあげれば、コンクリートのなかにガラス質が生成するんです。これにより表面がつるんとしたように見える。

200年以上持つコンクリートのポイントとなるのが、このガラス質です。

ふつうのコンクリートに水をまいたら、やがてじわりじわりと吸収し、劣化していきます。また経過とともにコンクリートのなかに二酸化炭素が入り込む「中性化」という現象が起きます。これも劣化を引き起こす原因になる。

対して蟻鱒鳶ルのコンクリートは、ガラス質が水分や二酸化炭素をガードするから劣化しにくいんです。

■阪神・淡路大震災における責任

――頑丈な建築にこだわるきっかけはなんだったのでしょう。

30年前の阪神・淡路大震災です。被災した1週間後に神戸を訪ねました。まだ完全に火災が鎮火しておらず、あちこちがくすぶっていました。とても怖かったのを覚えています。

そこでずさんな建築が何をもたらすのか、目の当たりにしました。ひっくり返ったビルを見ると明らかに鉄筋の量が少なかったり、設計がおかしかったり……。30年前の被災地では、建設物は倒壊すべくして、倒壊していたのです。それはまさにぼくたち建築家の問題でした。

職人として働く中で、ずさんな現場は山ほど見てきました。適当な仕事や手抜き工事、業者同士のなれ合いが、人の命にかかわるという現実を神戸では突きつけられました。そして思ったんです。ぼくはまだ二流かも知れない。けれど、二流のぼくが丁寧に真剣に取り組んだ方が絶対にしっかりした建物をつくれる、と。

手探りではありましたが、19年かけた蟻鱒鳶ルには自信があります。

土地をつるはしで掘り進める。2005年ごろ撮影。
撮影=関根正幸
土地をつるはしで掘り進める。2005年ごろ撮影。 - 撮影=関根正幸

■建築は誰のものか

――200年以上も持つとしたら、岡さんが亡くなったあとも蟻鱒鳶ルは残り続けるわけですね。

正直に言えば、そこには怖さを感じるんです。

いくらぼくが「200年以上、持つビルをつくったぞ」と主張しても、50年後の人が必要ないと判断すれば、壊されてしまう。だからこそ、必要とされて、壊されない建物にしなければと感じます。そのためにも、デザインや外観、作業を手伝ってくれた職人や友人たち一人ひとりが込めた思いが大切になってくる。

そこを突き詰めると、ぶつかるのはこんな問いです。建築は誰のものか――。

以前『建築と日常』という雑誌のアンケートで問われた経験があります。

建築はお金を出した施主のものに決まっているんだから、当たり前のことを聞くなと感じたんです。ただ考え続けるうち、建築は施主だけのものではない、という答えにたどり着きました。

日本のように建物の寿命が35年だとしたら、施主のものと言ってもいいかもしれません。

では、100年後も建ち続けるビルが施主だけのものなのか。作業にたずさわった職人や、近隣の住民、通りすがりの人……。たくさんの人の共有物なのではないか。200年持つなら、建物を共有する人はさらに増えます。

■再開発に決定的に欠けている視点

35年の寿命なら施主の好みで建てればいい。5年、10年で買い替える家電やクルマと同じです。

しかし100年後、200年後も持つのなら思考の幅を広げていく必要がある。別の言い方をすれば、100年後に残る建築物をつくる人には未来への責任がある。

どのような建築なら未来への責任を果たせるのか。それは、建築史を知り尽くした研究者にも明確な答えが出せないかもしれません。ましてや、ぼくのような物事を半端にしか知らない者にとって、この建築なら100年後、200年後も認めてもらえるはずだと確信は持てません。それは、未来に対して傲慢な態度だとも感じます。だから怖いんです。

――建築に限らず、現代の日本で未来への責任を考える人は非常に少ないように感じます。

でも誰かがやらないといけないことだと思うんです。大企業で働く人は短いスパンで結果を出し続けないといけません。長いと言ってもせいぜい5年、10年。家電やクルマの開発ならそれでもいいでしょう。しかしそうした環境に身を置いていると、長いスパンでの思考ができなくなってしまう。

いまの日本社会で、100年後について話したとしても、現実的な成果を上げられない無能な人だというレッテルを貼られかねません。

しかし、たとえば大規模な再開発には、100年後、200年後――未来への責任がともないます。それなのに、現実に行われる再開発には、そうした思考や視線が決定的に欠けています。

窓枠をグラインダーで削る。
撮影=砂守かずら
窓枠をグラインダーで削る。 - 撮影=砂守かずら

■大量消費社会へのメッセージ

現代の日本は大量消費、効率化が進んだ末の社会です。みんな限界を感じているにもかかわらず、いまだにどんどんつくり、消費していく。それは建築も同じです。

これからは経済効率を優先させるより、しっかりした建物を建設する意識が重要になってくるのではないでしょうか。

屋上に置かれていた立て板には、自身を鼓舞させる言葉が書かれていた。
画像提供=蟻鱒鳶ル保存会
屋上には、自身を鼓舞させる言葉が書かれてた立て板が。 - 画像提供=蟻鱒鳶ル保存会

――蟻鱒鳶ルは、そうした風潮に抗う建造物でもあるんですね。

もしも蟻鱒鳶ルをつくっていなければ、ぼくの人生はバラバラに空中分解していたんじゃないかと感じるんです。

これまで述べてきたように、ぼくは色弱で、生まれつきの心臓病で長くは生きられないと言われていました。そうした経験や、建築現場で職人として働きながら、舞踏に取り組んだこと、自転車で旅しながら日本中の建築を見て回ったこと、参加型のアートギャラリーである「岡画郎」も運営したこと、結婚、さらには近所の人との出会い……そうした諸々、ぼくの生き方や思考の結晶が、蟻鱒鳶ルなんだと今は思います。

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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521

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(ノンフィクションライター 山川 徹)

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