自己顕示欲の高さは現代の「インスタ女子」以上…戦国武将たちにド派手な甲冑が大流行した歴史的な理由
プレジデントオンライン / 2025年1月22日 17時15分
■「好きな歴史上の人物ランキング」で戦国武将が上位のワケ
好きな歴史上の人物を尋ねるアンケートでは、上位に決まって戦国武将が何人も名を連ねる。NHK大河ドラマで描く対象についても戦国武将待望論が根強く、実際、戦国が舞台になると視聴率もいい。それだけ戦国武将は人気なのである。
ある意味、当然かもしれない。たとえば江戸時代の大名であれば、幕藩体制下でその地位を世襲したにすぎない。いわば、雁字搦めの組織のなかで飼い慣らされた人物である。戦国大名も、その地位は世襲される場合が多かったが、後を継いだのちに安閑としていれば、たちまち滅ぼされかねないのが戦国時代だった。
それだけに、生き残り、勢力を拡大した戦国武将は、各人がみな個性にあふれて魅力的に映る。そのことに一役買っているのが甲冑ではないだろうか。とくに兜は、戦国武将たちにとって、たんに頭部を防御するだけのものではなかった。武将の威厳を示しながら願いを込めるなどした「立物」を取りつけ、兜を通してみずからの存在感を示した。いわば武士の魂を視覚化したのである。
これが戦国武将の個性を端的に表しており、一目見てその武将ならではの魅力が伝わるおもしろさがある。この甲冑ゆえに、戦国武将の人気が高いという指摘もできるだろう。
■鎌倉時代と戦国時代の甲冑の違い
あらためて「甲冑」とは、「甲」と「冑」からなる武具一式のことで、胴部を守る「甲」は鎧、頭部を守る「冑」は兜のことを表す。日本の甲冑は海外からも「美しい」と称賛されることが多いが、時代が変わり戦法も変化するにつれて変貌を遂げている。
甲冑というと、源義経が着用していたような美麗なものを思い浮かべる人が多いかもしれない。それは平安時代に誕生した「大鎧」で、長年にわたり、もっとも格式が高い甲冑とされていた。兜、胴、袖の3つの部分で一揃えとされ、胴や袖は主として、牛革(ときに鉄)による短冊状の板で構成された「小札(こざね)」と呼ばれる部品で構成されていた。
大鎧は基本的に騎乗の上級武士が着用したが、南北朝時代になって集団戦や、徒歩による接近戦が多くなると、「胴丸」が増えた。これは平安時代からあったが、主として徒歩の下級武士が着用しており、それが上級武士にも波及したのである。
大鎧の胴は右側面が空いていて、「脇楯」という別の防具でカバーした。これに対し、胴丸は胴全体が一続きで、右脇で引き合わせるので、胴体がよく守られる。さらに下半身を防御する「草擦(くさずり)」が、大鎧の4枚に対して8枚に分かれているので、足が動きやすい。南北朝時代からは、胴丸とほぼ同じ構造だが、胴を背中で引き合わせる「腹巻」も登場した。
いよいよ戦国時代。集団戦や鉄砲戦が多くなり、それに応じて、大量生産が可能で、なおかつ機動性と防御性が高い甲冑が要求された。そこで誕生したのが「当世具足」だった。
■甲冑が一気に個性的になったワケ
それまでの大鎧や胴丸、腹巻は小札を色糸で綴っていて、凝ったつくりだったが、ほとんど工芸品のようで大量生産に向かなかった。そこで室町時代後期から戦国時代にかけ、胴を構成する小札を大型化したり、胴は一枚板にしたりして、構造が簡素化された。こうして大量生産が可能になると同時に、主として革製だった小札が鉄製になるなどして防御性も高まった。
成立したあたらしい甲冑は、現代という意味の「当世」を冠して「当世具足」と呼ばれたのである。
この時代には、甲冑は西洋からも輸入され、その胴や兜を日本風に改造したり、西洋の甲冑を模倣して日本で製作したりした「南蛮具足」も流行した。「南蛮胴」は前面の中央が鋭角的に盛り上がるとともに、下端が尖ったデザインで、鉄砲による攻撃に強く、これに日本伝統の草摺や袖が装着された。こうした南蛮具足も「当世具足」の一種である。
当世具足はこのように構造が簡素であったため、かえってデザインに凝る余地が生まれた。着用したのは、日本史上でもっとも自己顕示欲が強かったと思しき戦国武将たちである。そのデザインはどんどん多様化および個性化していった。とりわけ兜のデザインには、その武将らしさが如実に表れた。
■流行の形は「瓜」→「星」→「桃」
戦国時代の初期に多かったのは、頭頂部がへこんで阿古陀瓜(あこだうり)のかたちに似ているといわれた「阿古陀形筋兜」だが、必ずしも堅牢ではなかったようだ。次第に畿内を中心に、頭のかたちに合わせて丸みを帯びた「頭形兜」に置き換わった。これは少ない鉄板からなるために量産が可能で、当世具足を象徴していた。
同じころ、主に関東方面では「筋兜」や「小星兜」が登場した。これらは「頭形兜」とほぼ同じ形状だが、細い鉄板を鋲で継ぎ合わせており、少ない鉄板による「頭形兜」より堅牢だったようだ。鋲をつぶしたものが「筋兜」、鋲を残したものが「小星兜」と呼ばれた。
これら頭形兜や筋兜、小星兜は、戦国中期以降、形状がさらに変化していった。頭上が尖がった「突盔兜」や、頭頂部をさらに桃のような形にした「桃形兜」が登場。これらは明らかに、西洋から輸入された南蛮兜を模したもので、戦国期の日本がいかに国際色豊かであったかを物語っている。
しかも、「突盔兜」や「桃形兜」は使用する鉄板が少なく、したがって製作工程も少ないので、安価で大量につくれるという、戦国時代にはもってこいのものだった。
■信長、秀吉、家康の好み
さて、各武将の兜だが、「立物」で思い思いに装飾されていた。「立物」とは兜の鉢に取りつけられる装飾で、位置によって「前立」「後立」「脇立」があった。
織田信長の兜としては、次男の信雄が本能寺の焼け跡を捜索させて探し当てたとされるものが総見院(愛知県清須市)に伝わる。南蛮兜の影響を受けた「突盔(とっぱい)兜」で、両脇に角本が突き出していて、ここに黒田長政の「黒漆塗桃型大水牛脇立兜」のように、水牛や鹿の角などをモチーフにした脇立が付いていたと想像されている。この信長が最後に着用したと考えられる兜は、いかにも信長らしい派手な装いだったようだ。
豊臣秀吉の兜といえば、「一の谷馬蘭(ばりん)後立付兜」、すなわち29本もの馬蘭の葉をかたどった後立に飾られ、後光が射しているように見えるものが名高い。ほかに、いかにも秀吉らしい甲冑として「鉄金切付小札色々威二枚胴具足」がある。南蛮兜そのままの桃形兜ばかりか、小具足にいたるまで金箔を貼っているのである。黄金で装飾した大坂城や聚楽第、伏見城、あるいは黄金の茶室などと同じ発想で、人に真似できない秀吉ならではの金ピカ趣味だといえよう。
信長、秀吉と続いたら、家康を挙げないわけにはいかない。家康の甲冑というと、NHK大河ドラマ「どうする家康」で若き家康が着用していた、金で彩色された南蛮風の「金陀美具足」が著名だが、ここでは関ケ原合戦の直前、夢に大黒天が出てきたのを機に製作されたという「大黒頭巾形兜」を挙げる。
大黒頭巾、すなわち大黒天がかぶっている円形で周囲がふくれた低い頭巾のかたちに、鉄地を打ち出して成形し、金箔を押した歯朶が前立として飾られている。一見、派手さがないようで、かなり手が込んだものだが、家康ほどの武将でも(いや、家康ならではといえようか)、戦にはこうして縁起をかついだのである。
■三日月や鹿、六文銭に込められた意味
自己顕示欲丸出しに見える派手な甲冑も、同様に武将の祈りが込められていたケースが多い。たとえば加藤清正の「長烏帽子兜」。いわばヨーロッパ由来の「桃形兜」を後ろ上方に向けて、長烏帽子状に思いきり伸ばしたもので、銀箔が貼られている。かなりインパクトが強い派手な兜だが、この正面には数百枚の紙を貼り合わせ、清正が自筆で「南無妙法蓮華経」と書いていたという。
伊達政宗が着用した「黒漆五枚胴具足」も有名だ。兜には左右非対称の三日月形をした巨大な「前立」がつけられている。これは戦国武将のあいだに流行した妙見信仰を表しているとされる。すなわち、天空から人を見守って運命を左右する妙見菩薩に、この前立を通じて武運を祈願していたのである。
最後に大坂冬の陣で戦死した真田信繁(幸村)を挙げる。彼の兜は前立に鹿の角が飾られているが、これには意味がある。古来、鹿は神の使いとされ、そこに武運を託していたものと思われる。一方、六文銭、すなわち6枚のコインは死への覚悟であったと思われる。三途の川の渡し賃として棺桶に六文銭を投げ込む、という慣習から、死を賭して戦う意思を示していたのだろう。
武将たちは思いきり自己主張しながらも、こうしてさまざまな祈りを甲冑に込めていたのである。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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