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「全裸遺体」への視聴者の反応ではっきりした…真田広之の「SHOGUN 将軍」にできてNHK大河にできないこと

プレジデントオンライン / 2025年1月23日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は、初回から女郎の全裸遺体を映し出すなど、話題を呼んでいる。コラムニストの河崎環さんは「アメリカで高く評価された『SHOGUN 将軍』と比べると、NHKの大河ドラマは、日本国内の視聴者を第一の対象とし、史実や繊細な視聴者の『お気持ち』への忠誠を誓わされているために冒険がしづらい。日本の創作をつまらないものにしているのは、実は視聴者も共犯なのではないか」という――。

■NHK大河の覚悟問題

年明けから放送開始したNHK大河ドラマ新作。2025年は江戸の吉原を舞台に、いわばポップカルチャーの名プロデューサーとして活躍した蔦屋重三郎の生涯を描く「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」だが、すでに1月5日の初回放送「ありがた山の寒がらす」から病死・餓死した女郎たちの遺体が積み重ねられたシーンとして女性の複数の裸体を放送するなど、「NHK大河の覚悟問題」とも呼べる大きな話題を提供している。

日曜夜8時台に家族で見ていたようなSNSユーザが、放送中からその衝撃を投稿。放送後には出演者による裏話、放送関係者による制作環境や制作意図の分析、史実との照合などさまざまな発言が出揃い、SNSやウェブ記事、ニュース記事で賛否さまざまな感想が述べられた。

このプレジデントオンラインでも関連記事(だからNHKは「女性の全裸遺体」をあえて映した…大河のお約束を破壊する「べらぼう」は傑作になる予感しかない)が公開されているが、大河ドラマで女性の全裸が「遺体として」「後ろ姿のみ」であるにせよ放送されたことが、どれほど日本人の度肝を抜くことであったか、その反応の方が興味深くもある。それだけ、大河の視聴者は数多く、思いも強い。ある意味エンタメ擦れしていない部分もある。視聴者の幅が広く、層も厚く、大河がこれまでの歴史でしっかりと培ってきた正統派イメージへ高い期待や関心が寄せられていることの反映だ。

当初は「大河で裸が出てきてびっくりした」「NHKはどういうつもりなのか」と、女性の全裸が放送された事実一点のみで不快感を露わにする向きもあった。また、亡くなった花魁役を演じた元宝塚歌劇団女優・愛希れいかさんだけでなく、打ち捨てられたその他の遺体役としていわゆるセクシー女優に出演を依頼したNHKの判断を、「グロい」と揶揄する批評もあった。

だが、すでに第3回まで放送された現在、初回の女性全裸放送への衝撃はかなり沈静化し、ストーリーは着々と進んでいる。映画やドラマなどの撮影現場において役者と製作者の意思を調整し、役者の権利を守るインティマシー・コーディネーターを入れて7時間に及ぶ真剣かつ誠実な撮影を行ったとされるNHKの判断を「新しい大河を作っていこうという制作者の覚悟が表れている」として、肯定的に評価する声が多いように思う。

■“幼い”視聴者たちがSNSに投げつける「ご意見」

横浜流星さん演じる蔦屋重三郎が、遊郭たる吉原再興へ寄せる強い思い入れの理由も明確になり、彼が江戸の有力者や有名人を巻き込んで企画発行する吉原のガイドブック「吉原細見」、人気女郎を花に見立てたビジュアルムック「一目千本」などのプロモーション活動が成功していくさまには、現代のメディア事情を重ねて見てしまう人も少なくないだろう。

だが一方で、「新しい大河への覚悟」を背負っているとされる大河制作陣が向き合う視聴者環境にも、感じるところがある。大河ドラマを静かに観られないSNSの「井戸の中で論理武装した無邪気な“被害者”」。男女問わず「セクシー女優の裸なら流していいと思っているのか」「宝塚女優の裸は隠すのに」とまで激しいアレルギーを起こし、NHKの女性観を「グロい」となじるほど、大河に社会文脈的な意味をなぞらえぶつける。

SNSでは、むしろそういうユーザの声に対してこそ、「それこそ偏っている」「彼ら彼女らの主張はもはや行き過ぎて、何がしたいのかわからない」と辟易する意見が多く見られた。日本のテレビがいま向き合うさまざまな問題の一つとして、本来の年齢という意味でなく“幼い”視聴者たちが無造作にSNSへ投げつけるご意見という礫(つぶて)に制作(創作)が振り回されることは決して無視できない。

■「ふてほど」を知らない人もいた

昨年の流行語大賞が「ふてほど」だったと知って、「それは何?」と思う人が少なくなかったのだそうだ。2024年1月クール、TBS系列の大ヒットドラマ「不適切にもほどがある!」の略称だが、「ふてほど」は放送開始後すぐにこのコラムでも取り上げたほど私としては視界に入りまくっていたのに、そのドラマの存在自体を知らなかった、目にも耳にもしなかったという人々が一定数いたということである。

この時代に国民的、かつ男女・世代横断的なヒットを作ることの難しさを痛感する。裏返すなら、いま国民的と言えるレベルの知名度を持つヒットを作れたなら、それはもう普遍的な関心と価値を持つ物語や音楽、ニュースや人なのだということになる。「みんなが同じテレビを見る世界」ではなくなってしまった現代の世間は、みなそれぞれが作り上げた情報のフィルターバブルの中にいて興味関心はバラバラ、透明なスジコみたいな姿をしているために、私たちはお互いに性別やら世代やら職業やら趣味やらでうっすらと分離されている。

私たちはそれぞれ、スジコの粒々なのである。

■「テレビ受難の時代」に残った“最大公約数”NHK

毎年、流行語大賞が発表されるたびにその中身を巡って「これは知っている」「これは知らない」とSNS上でキャッキャした騒ぎになるものだが、近年は「まだ流行語大賞とかやってるんですね」へ特殊進化を見せた声が聞かれるようになった。

2024年末に至っては流行語大賞の選考委員の高齢化や資格を指摘する声にまで発展したから、なるほど、と思った。テレビというこれまで圧倒的な影響力を持っていたメディアから視聴者が離れたことで、国民的な社会現象ともなるような統一の流行が生まれづらくなった。同じ体験や感情を共有し得なくなった社会には、流行語の社会的インパクトを比較審議する「大賞」というもの自体の必要性が、もはや希薄なのだろう。

ミクロな流行はプチプチと次々生まれては秒で弾けて消えていくが、マクロの流行なんてものは生まれづらい。万人が一斉に褒めるコンテンツ作りなんて至難の業。そんなテレビ受難の時代にドラマを作らねばならない人々が、SNSの「一億総評論家」やウェブのコタツ記事から勝手な感想をぶつけられて途方に暮れるのも、無理はない。

国民的ブームなるものが生まれなくなった時代ではあるが、そんな中でも結局なんとなく「みんな」がうっすらと視野に入れているらしき最大公約数めいたものが一つだけ残った気がする。それがさすがの公共放送、NHKである。

■見ていなくても知っている「朝ドラ」「大河」

NHKニュースへの信頼度も高いが、それ以上に朝ドラや大河ドラマ、紅白歌合戦が日本のエンタメ最大公約数としての役割を背負っていることを実感するのだ。特に大河ドラマは、老若男女どこの誰にどう話を振っても、仮に返事が「あー、見てないですねぇ」であるにしても、意外と出演者については部分的でも知っていたりすることに、老若男女の興味関心に引っかかるよう幅広くキャスティングが行われていることを感じさせられる。

ものすごく高い関心を持って積極的に見ている人もいれば、ドラマ自体は全く見ていない人や、NHKの受信料を払っていない人たちも存在するが、スマホであれパソコンであれ、「朝ドラ」「大河」は何らかの投稿やニュースとなって入ってくることが多い。読者諸兄姉も、いまの朝ドラが橋本環奈さん主演の「おむすび」で、大河が横浜流星さん主演の「べらぼう」であることは「ああ、そういえば」と、ごく断片的であっても聞いたことがあるのではなかろうか?

だからなのだろう、SNSで、いまだに「朝ドラ」「大河」がバズり、ときに炎上しうる。炎上なるものには明白な二面性があり、もちろん批判され叩かれまくってボコボコにされているのだが、マスメディアにいる者たちからすれば、それだけ人々の目に触れてリアクションしてもらえた、その一瞬に過ぎないとしても記憶に残すことができた、という手応えでもある。

■サンドバッグになる公共放送

日本の公共放送であるNHKは、他の民放局とは性質が違う。受信料徴収の上に成立する「有課金」メディアであるために、広告収入モデルである他局とは、背負っている社会的、文化的意義の大きさ重さが構造部分からレベチなのだ。NHKを仮想敵に掲げる妙な政党が存在することからもわかるように、「お客様は神様」を戦後DNAに刷り込まれた日本の大衆は、無意識のうちに、受信料を支払っていることを根拠として自らに横暴を許す。まるでサンドバッグだとでも思っているかのように。

NHK放送センター
NHK放送センター(写真=Joe Jones/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

■放送番組審議会に出席して実感する「NHKの大変さ」

民放地方局の放送番組審議会という場所に身を置かせてもらって丸3年、今年は4年目となる。放送番組審議会とはなんぞや。総務省の監督下、放送法に基づいてその放送事業者に設置義務化されたもので、テレビやラジオなどジャンルによってまちまちではあるが平均的には5〜7人ほどの学識経験者によって構成され、自局の放送番組に対する意見や感想、答申を求める。

局側からは社長以下、放送に直接関わるおよその役員、担当者がズラリと出席し、その出席者や議題・審議の概要などは公開が義務付けられており、ただの会議ではない。審議番組の選定や審議会出席者のオーガナイズ、当日の仕切りやアテンド、記録、そして公開まで、各局ほぼ月1で行われる番審の運営は緊張感を伴う大仕事であり、局によっては専任チームもあるほどだ。

そこで、放送法と一般社団法人 日本民間放送連盟の放送基準などに則ったBPO報告や放送周りで起こるさまざまな事象の報告を受け、有識者を交えたディスカッションを通して思うのが、「NHKさんは、絶対、もっと、めちゃくちゃたいへんだろうなぁ……」なのだ。民放地方局でもこれだけ責任重大なのに、NHKに至ってはさぞかし精度高く緊張感も高い審議会を重ねているのだろうなぁと、慮ってしまうのである。

受信料で成立するNHKは、他の民放局とは性質が違う旨は先述した。確かにNHKの受信料総体(2025年度予算5800億円、事業収入全体で6034億円見込み)は、売上減で制作予算の圧迫に苦しむ民放各局の予算に比較すれば安定的で潤沢に映る。だから大河であんな豪華なセットが組めるし、衣装が作れるのだろう、専門家に依頼して、史実との精細な照合を行いながら、日本の公共放送として流して終わりじゃない、世界の放送史にアーカイブしていく「作品」を遺していけるのだろう、とよく言われるが、よくよく考えればその受信料で地上波2チャンネル、BS2チャンネル、ラジオ3波を賄っているのだ。

そこに、「受信料をきちんとありがたく使っているのか」と国民から厳しい監視の視線が注がれる。決して殿様商売感覚で番組を作っているわけでも、懐事情でもない。あのクオリティの大河ドラマを作り続けることは、NHKの覚悟というか矜持以外の何であろうか。

■「SHOGUN 将軍」にできてNHKにできないこと

先般、米国でゴールデングローブ賞の授賞式が開催され、昨年のエミー賞でも史上最多18部門の受賞をさらったことで大きな注目を浴びていた真田広之さんプロデュース・主演「SHOGUN 将軍」(ディズニー傘下、FX社制作)が主要4部門を受賞した。

日本の戦国時代を壮大なスケールで描く制作の経緯として、真田さんが本物の日本文化をきちんと発信することにこだわり、衣装や殺陣など細部に至るまで日本の大河ドラマレベルのクオリティを米国ハリウッドで実現するべく、日本人専門家が起用されたことも話題となった。

2024年2月25日、ニューヨークでディズニープラス配信のドラマ「SHOGUN 将軍」の試写会に出席した俳優の真田広之さん。
写真提供=ゲッティ/共同通信イメージズ
2024年2月25日、ニューヨークでディズニープラス配信のドラマ「SHOGUN 将軍」の試写会に出席した俳優の真田広之さん。 - 写真提供=ゲッティ/共同通信イメージズ

一方で「ハリウッドならでは」とも言われたのが、史実ではなく史実にインスパイアされた外国人作家による小説(ジェームズ・クラヴェル『将軍』)をベースにした創作であるが故に、ストーリーや表現の飛躍的なエンタメ性が可能となっている点だった。

年間を通して放送されるNHKの大河ドラマと、ディズニー傘下FXの10回シリーズである「SHOGUN 将軍」を単純に比較することは、条件の違いからしてナンセンスではある。だが、ここにNHK大河が囚われている創作上の足かせ、しがらみも見て取ることができる。

日本国内で、日本国内の視聴者を第一の対象としているために、史実や繊細な視聴者の「お気持ち」への忠誠を誓わされている。それゆえに冒険がしづらく、ブレイクスルーが起こしづらい。後ろ姿の裸を一瞬出しただけでも大騒ぎになる。

日本人の、日本語による創作を小粒に、無味乾燥でつまらないものにしているのは、実は視聴者も共犯なのではないか。2つの時代劇がそれぞれに受ける反響を見て、そんな感想を抱いた2025年の年明けだった。

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河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。

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(コラムニスト 河崎 環)

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