観光客ゼロの商店街が激変…1泊2日20万円でも即完売「1部屋2.5畳の酒蔵ホテル」を築いた女性オーナーの奮闘
プレジデントオンライン / 2025年1月25日 17時15分
■1部屋2.5畳で1泊20万円が即完売の「酒蔵ホテル」
「どうして男性はいつでも父親になれるのに、女性は二者択一を迫られるんだろう」
そう語気を強めるのは、田澤麻里香さん(38)。ピンクに染められたポップな髪色と、黒い法被のコントラストが目を引く。
かつて蔵人たちが酒造りのために寝泊まりした築100年の建物をリノベーションし、本格的な酒造りを体験できる世界初の酒蔵ホテル「KURABITO STAY(クラビトステイ)」を創業した人物だ。
舞台となる酒蔵は、長野県佐久市で創業300余年の歴史を紡いできた橘倉(きつくら)酒造。周囲に田園風景が広がるのどかな商店街の一角に位置する。
蔵人体験は2泊3日で1人8万9800円。1部屋わずか2.5畳、シャワーもトイレも共同という決してゴージャスな設備ではない。オープンは週末のみ。それでも、ここでしかできない体験を求めて世界各地から訪れるゲストが後を絶たない。
直近で蔵人体験を予約できるのは3カ月先。年に1、2回開催するリピーター限定ツアーの中には1泊2日で1人およそ20万円と高額のものもあるが、毎回即完売である。予約はすべて自社サイトからの直販だ。
「先週末はグアテマラのお客様が来てくださって28カ国になりました。今週末は香港のお客様の貸し切りです。来週デンマークのお客様がいらっしゃれば、29カ国目です」
これまで訪れたゲストの出身国を楽しげに数える笑顔の裏で、女性としてやり場のない怒りを感じてきた。
就職活動では「どうせ結婚してやめちゃうんでしょ」と心無い言葉を浴びせられ、キャリアを積んでも妊娠を機に会社に居場所がなくなった。
田澤さんの思いは、冒頭の言葉に凝縮される。
一度はキャリアを閉ざされた田澤さんが、いかにして自分の道を切り開いたのか。その軌跡をたどる。
■ヨーロッパに憧れた少女時代
1986年、田澤さんは長野県小諸市の山間地域で生まれた。両親はともに教員で、勉強を頑張るのは当たり前。100点をとっても地元の進学校に合格しても「褒められた記憶はない」という。多忙な両親にかわって面倒をみてくれた祖母の存在が心の拠り所だった。
祖母は愛国心と郷土愛が深い人だったが、田澤さんを中学校で待ち受けていたのは「自然に湧き上がる愛国心さえも奪い取られてしまうような教育」。軍国主義につながるという理由で、「君が代」のページに上から別紙を貼るよう指示されたという。
「日本が大好きだった祖母のことを軽蔑するようになってしまい、気づいたら自分の国や地域の文化に全く誇りを持てなくなってしまったんです」
高校1年生の春休みに初めての海外旅行で南イタリアを訪れると、反比例するように異文化への憧れが膨らんだ。その後鑑賞した映画『アメリ』の世界観にノックアウトされ、フランス語の勉強を志す。
順調に将来を見据えるように見えた一方で、この頃から誰かに承認されたいという気持ちをある行為で埋めるようになっていく。
■100点でなければ許せなかった
高校2年生の時、父親から「足が太い」と言われたことに傷つき、ダイエットを始めた。食事を減らすとみるみる痩せたが、本能は食べ物を欲した。
「痩せたいけど食べたい」という矛盾した思いから、やがて「食べ吐き」を繰り返すようになる。体重は1年で17キロ落ち、生理も止まった。16歳の少女は、厳しい両親のもと、「どうすれば褒められるか」を常に模索していた。頑張れば確実に成果が出るダイエットは、周囲から認めてもらうわかりやすい方法に思えたのだ。
次第に体重のみならず、あらゆる点で100点でなければ許せなくなり、1点でも欠けると0点と同じと感じるように。自分にも他人にも厳しくなったという。
進学で上京してからも食べ吐きは続いたが、あるとき7つ上の姉からかけられた言葉で我に返る。
「食べたものが自分をつくっているんだよ。栄養のないものばかり食べてたら、心も頭もスカスカになるよ」
一度は日本への誇りを巡って批判したものの、いつも自分を認めてくれる祖母の言葉も田澤さんを支えた。
「よく頑張っているね」
「自慢の孫だよ」
■絶対にないとダメだと思っていたものを手放すと…
徐々に普通の食生活を取り戻すと、フランス語の勉強に励むかたわら、アルバイトで貯めたお金であちこち旅をする。
人生の大きな学びを得たのは、21歳のときに経験した2カ月に及ぶバックパッカーの一人旅。
この旅で、フランスの南部、エクサン・プロバンスを訪れたときのことだ。うっかり電車を乗り過ごし、時刻表を確認して落胆する。
「うわ、あと2時間もこないよ……」
途方に暮れながら街に繰り出すと、伝統衣装を着た人々が次々と現れた。その日は、町のお祭りの日だったのだ。
絵本の中に入り込んだような歴史ある街並みと、目の前で繰り広げられるあまりにも美しいパレードに心を奪われた。電車を乗り過ごさなかったら見ることはできなかった」と予期せぬ失敗に感謝した。
その後も忘れ物をしたり時刻表が間違っていたりと、思い通りにならないことばかり起こるが、そのどれもが予想外の出会いを運ぶ。
「絶対にないとダメだと思っていたものや、こうでなければいけないという考えを手放した時に、思いがけない幸運があるということを学びました」
100点でなければ気がすまなかった10代の田澤さんは、もうそこにはいなかった。
■捌くツーリズムに抱いた違和感
2009年、大手旅行会社に就職すると、人が喜ぶ姿を目撃できるツーリズムの仕事を「天職」だと感じた。しかし次第に、消費を煽る安売り合戦のツーリズムに違和感を募らせる。
安く買い叩かれたバスドライバーは何週間も家族に会えないまま労働を搾取され、コストを極限まで削減した食事はアンケートに「犬の餌みたい」と書かれる始末。薄利多売で利益は伸びず、クレーム対応に追われる田澤さんらの給料もあがらない。激務のために家に帰れない日が続き、円形脱毛症になってしまう同期もいた。
「日々大量の業務をこなすことに精一杯で、お客様を満足させられなくても仕方ないと思ってしまいました。捌くツーリズムになってしまったんです。誰も幸せになっていないと感じました」
そんな時に出会ったのが、ワインだった。
■ワインとの出会い、祖母との別れ
2011年11月、自ら企画したツアーの添乗でフランスのブルゴーニュを訪れ、そこで味わったワインに言葉を失う。
「こんなに美味しいワインが世の中にあるんだ……!」
一夜にしてワインに心酔し、あたたまった心で11日間の旅程を終えて成田空港に降り立つと、今度は心が凍りつくような知らせが届いた。
ツアーの添乗中に祖母が亡くなったのだ。空港から実家に直行したものの、既に葬儀は終わっていた。思えば、連日の激務で友人や家族と過ごす時間は極端に減っていた。
天国にいるおばあちゃんの「自慢の孫」であり続けるために生き方を見直し、転職を考えてワインスクールに通い始める。
「消費的な旅行商品を売ることにもう疲れ切っちゃったんですよね。身を粉にして働いて、大切な家族との時間を過ごせない。そんなツーリズムは嫌だと思ったんです」
2013年11月、27歳でワイン業界に転職。プライベートでは半年前に結婚し、その先には明るい未来が約束されているはずだった――。
■「もう君に任せられる仕事はないよ」
転職から間もない、2013年のボージョレ・ヌーボー解禁直前のこと。思いがけず妊娠がわかり、田澤さんは混乱していた。ワインを扱う営業職で、アルコールを飲めなくなることは致命的。くしくもボージョレ・ヌーボーの解禁を皮切りに、クリスマス商戦や年末年始のイベントが控えている。
年明けから夫の海外赴任が決まっていて、子どもはまだ先でいいと夫婦で話し合ったばかり。どうしていいかわからないままつわりがひどくなり、通勤の満員電車でだけひっそりと妊娠マークをつける。
数日後、上司に会議室に呼ばれた。
「もう君に任せられる仕事はないよ」
その瞬間、不本意な形で妊娠が会社に伝わったことを悟った。
失意のうちに翌朝出社すると、言い渡されたのはグラス拭きと雑誌のスクラップ。前日までそれなりに評価されていた営業の仕事には声もかけられない。田澤さんは延々と電話番をしながら時間が過ぎるのを待った。
このまま失職してしまうのか――。
積み上げてきたものを失うと思うととてつもなく怖かったが、どうすることもできない無力感が襲う。否応なく変化していく体と追いつかない頭で出社を続けたが、今度は嫌がらせが始まった。
社内には、子どもが欲しくてもキャリアアップのために我慢している女性社員がたくさんいた。田澤さんが電話に出るとわざと電話を切られたり、目の前で扉を「バタン!」と強く閉められたり。「(転職エージェントに)いくら払ったと思ってんの?」とあからさまに言ってくる人もいた。
会社からは、夫の稼ぎがあることを理由に退職をほのめかされるが、期待に応えられなかったことに対する負い目と申し訳なさがあり、ことを大きくしたくなかった。
■なぜ女性だけが二者択一を迫られるのか
少しでも仕事を続ける道を探り、夫に「駐在をとりさげてくれないか」と相談したが、返ってきた答えはノー。結局ここでも、家族と仕事を天秤にかけなければいけない八方塞がりの現実に愕然とする。
友人に相談すると「仕事はなんとでもなるけど、子どもは大事にしなきゃ」と言われ、1年前にうけた卵巣嚢腫の手術を思い起こして腹をくくった。年が明けて退職を申し出ると、そこから退職までの1カ月半、毎日ひたすら8時間、グラス拭きと雑誌のスクラップを続けた。そして冒頭の言葉だ。
「どうして男性はいつでも父親になれるのに、女性は二者択一を迫られるんだろう」
同じグラスを何度も磨きながら、社会に対するやり場のない怒りを噛み締めた。
「今は辞めるけど、必ず社会復帰しよう」
心に誓って、会社を後にする。
半年後、長男を出産し、息子が1歳になる頃には復職を試みる。ところが深刻な待機児童問題で、保育園の入園は「キャンセル待ち30番目」と告げられる。
夫は海外駐在を終えて帰国したが、朝7時に家を出て、帰ってくるのは午前0時過ぎ。ママ友との会話にも馴染めず、家では好きな化粧品を使うことに嫌な顔をされた。言葉の通じない子どもと過ごす毎日は、とてつもなく孤独だった。
「男性と同じように勉強して、同じように大学に入り、同じように就職して、男性は子どもが出来ても同じように働き続けることができるのに、女性は子どもが出来たら、チラシを見比べて10円でも安い食材を買うために自転車を走らせて、自分が好きな化粧品も買えない世界が待ってるなんて……。頑張ってキャリアを積んできたのにこんな結末はおかしいだろって思いました」
「孤独な育児で狂ってしまう」という焦りとともに切実に膨らんだのは、経済的に自立したいという思いだった。
■地元の人の「ここには何もない」に抱いた疑問
必死になって仕事を探し、2016年7月、実家のある長野県小諸市で“天職”に復帰する。観光局立ち上げ要員として地域おこし協力隊に採用されたのだ。埼玉に夫を残し、今度は田澤さんが子連れ赴任を始めた。
旅行会社の経験を活かして次々に旅行商品を開発すると、ある時バスツアーの企画が任される。
この頃、知らず知らずのうちに日本酒文化を誇らしく感じるようになっていた。
実は、旅行会社で働きながら通っていたワインスクールの講師は、ワインエキスパートでありながら日本酒のプロでもあった。スクール終わりの食事の席で、講師に勧められた熊本の銘酒「香露」を口に含み、その味わいに舌を巻く。
「白ワインのように華やかな香りと味わいに驚きました。感動のあまり、空になった一升瓶を持ち帰ったのを覚えています」
日本酒の複雑な製法を勉強すると、それまであまり誇りを持てなかった日本の文化を初めて「すごいのかもしれない」と感じるように。これをきっかけに、ヨーロッパにばかり憧れていた田澤さんの心は雪解けを迎える。
転職前に訪れたフランスのワイナリーで言われた次の一言も忘れられない。
「どうして日本人は日本酒という素晴らしい文化を持っているのに、ワインとかシャンパンとか外国のものばかり追いかけているんだい?」
翻って、ツアー開発のために聞き取りをした地元の人は「ここにはなにもない」と口をそろえた。本当にそうだろうか――。フランス人らしいウィットに富んだ皮肉が、鮮明に蘇った。
■好評だった「酒蔵巡り」に向けられた批判
小諸市を含む長野県佐久地域は、13の酒蔵が軒を連ねる酒どころ。田澤さんは、バスツアーの企画として「酒蔵巡り」を提案し、地域の酒蔵の門戸を叩く。
その時唯一条件が合致したのが、お隣佐久市の橘倉酒造。初対面にもかかわらず、当時の社長、井出民生さん(現・会長)の言葉は前向きだった。
「これからは小諸とか佐久とか囲い込む時代じゃない。広域で連携することが大事だから、やりましょう!」
この一言で、酒蔵見学のバスツアーが実現し、好評を博す。
ところが後日、小諸市の予算を使ったバスツアーの目的地が小諸市の酒蔵ではなかったことに、一部から批判の声があがる。
「それを聞いて本当にがっかりしちゃったんですよ。半官半民の組織では自分のやりたいツーリズムはできない。じゃあ自分でやろうって思ったんですよね」
2017年6月、着任からわずか1年で、田澤さんはこもろ観光局を後にする。
■「広敷」との運命の出会い
埼玉に戻り、観光コンサル業として独立した田澤さん。しばらくして、その後も関係が続いていた橘倉酒造から旅行会社への提案書づくりを依頼される。運命の出会いは、その打ち合わせに訪れた2018年5月に待ち受けていた。
久しぶりに訪れた橘倉酒造で、ふと古い酒蔵の横にある建物に目を留める。歴史の刻まれたつくりに魅力を感じた。
「この建物、なんですか?」
世代交代して社長に就いていた橘倉酒造の井出平(たいら)さんに尋ねると、「杜氏たちがかつて寝泊まりしていた『広敷』と呼ばれる建物で、現在は物置になっている」という。
その瞬間、今までの経験がパズルのピースのようにつながり、一つのアイディアが思い浮かぶ。
「もしここをホテルにして、寝泊まりしながら酒造りを体験できたら面白くないですかね」
その場で平社長に伝えた。
ありふれた体験ではなかなか売り上げにはつながらないことは分かっていた。「どこにもないもの」でなければ、観光地ではないこの地域には人がこない。でも、では果たして何が「どこにもないもの」にあたるのか――。
独立してからもずっと考え続けていた答えがみつかった気がした。
「面白いね! ただ、うちは今ここに投資できるお金はないから、田澤さんが自分でお金集めるなら使っていいよ」
平社長の言葉を聞いて、心は決まった。
■「自分の道を切り開くのはこれしかない」
運命の出会いからほどなくして、あるビジネスコンテストへの誘いが舞い込む。起業家支援を目的とした「みんなの夢AWARD」だ。田澤さんは起業の知識もノウハウもなかったが、大会前に開催された勉強会を通じて起業のサポートを受け、「酒蔵ホテル」の事業プランを作成。全国大会でグランプリに輝いた。
2019年5月には会社を設立。コンテストの支度金100万円に加え、銀行から900万円の融資を受けた他、総務省の助成金に採択されたことも追い風となった。
「なにもかもゼロからだったので、すごく怖かったです。初めての借金だし、もし失敗したら私はどうなっちゃうんだろう、みたいな。でも、全国大会でグランプリをもらった後は覚悟が決まりました。自分の道を切り開くのはこれしかないんじゃないかっていう思いがあったんです」
自分に自信が持てず、食べ吐きを繰り返した10代。
妊娠で直面した理不尽な現実。
狂ってしまいそうなほど孤独な子育て。
これまでの経験とやり場のない怒りが、田澤さんを奮い立たせていたに違いない。
■「世界のどこにもない魅力」を信じて
通常、日本酒造りの現場に一般人が立ち入っていいイメージはない。クラビトステイが酒造り体験を実現できたのはなぜだろう。
橘倉酒造の平社長によると、2012年頃、地元の温泉旅館の社員が酒造りの工程に携わった経験があったという。リスクがあることは承知していたが、「観光に携わるものとして日本酒文化を学びたい」という蔵の外の人の想いを受け入れた。
結果的にその時に搾った酒がコンテストで高評価を得たことで、「外の人が携わっても酒造りの工程をしっかりコントロールすればよい酒ができる」と手応えを感じたという平社長。クラビトステイについて、こう語ってくれた。
「酒蔵ホテルのアイディアについては、実は当初懐疑的だったんですよ(笑)。でも、日本酒が世界に誇れる文化の一つであるという自負だけは持っていましたから。日本酒離れが進む中で、日本酒を身近に感じていただくことは必要だと思いましたし、温泉旅館の方を受け入れた経験があったので、できなくはないなと思ったんです」
橘倉酒造のオープンな姿勢に助けられ、田澤さんは2泊3日の蔵人体験プランを一人5万9000円(※2020年当時)という価格で勝負に出る。
「本当にこの価格でいけるか最初はすごく不安でした。でも、地元の人が『自分の地域には何もない』って言うのを、そんなことないよって証明したかったんです」
特別な観光スポットがあるわけではない。最寄りの駅からは徒歩20分と、アクセスもよいとは言えない。それでも、この場所に代々伝わる酒がある。ここにしかない清らかな水があり、受け継がれる神事があり、年ごとに変化する気温を見極めて樽に腹巻きをし、慈しむように酒を造る蔵人がいて、それを称えてきた地元の人がいる。
学生時代から何千という土地を旅してきた田澤さんは、それこそがまぎれもなく「世界のどこにもない魅力」だと確信していた。
2020年2月、モニターツアーの参加者を募集すると、8人定員の3回があっという間に予約で埋まった。
■コロナ禍という“予想外”を味方にする
開業はコロナ禍の真っ只中。およそ3カ月間オープンできない日が続いたものの、これも想定外の一つにすぎない。バックパッカーの旅で「手放す」ことを知っていたからだ。
休業中は、地域にある13蔵の酒を販売するためのECサイトを立ち上げ、「お酒を売らせてください」と1軒1軒訪ねて歩いた。
「佐久地域全体の魅力を発信するためには、他の酒蔵さんとも一緒に取り組むべきだっていう思いは最初からありました」
注文が入った酒は自ら受け取りに出向き、支払いを滞りなくおこなうなど、当たり前のことを一つ一つ誠実にこなすことで、少しずつ人となりを知ってもらう努力を重ねた。
7月に県内ゲスト限定でホテルをオープンした後も、少しでも助けになればと地域の酒蔵から積極的に酒を購入し、ホテルの共同スペースで提供した。
今では橘倉酒造のみならず、協力関係にある酒蔵の見学ツアーや日本酒とのペアリングランチなど、いくつものコラボレーションを実現している。
休業中、給付金の申請書類作成を田澤さんがサポートしたという近くの蕎麦屋「ともせん」の店主は、「(ゲストが)昼も夜も一杯やりながらお蕎麦食べに来てくれてね。とにかく助かってますよ」と笑顔で語った。
橘倉酒造の平社長もコロナ禍でのスタートを肯定的に捉えてこう話す。
「インバウンドの波に乗ってあのままの勢いでオープンしていたら、我々も地域の人達も混乱していたと思う。コロナがあったことで徐々にスタートできて、酒蔵にゲストを迎えるということがどういうことなのか、少しずつ理解して準備ができたんですよ。地域の人達も同じだと思います」
■この場所を「世界で一番感動する場所にしたい」
田澤さんが学生時代、2カ月のバックパッカーで学んだことの一つに「利他の精神」がある。トラブルが起こるたび、見ず知らずの自分のために手を差し伸べてくれる人がいたことに感銘を受けた。
この場所で、同じように人の温かさを感じてほしい――。
開業前、平社長に紹介してもらいながら、周辺の店を1軒ずつ訪ね、「酒蔵体験を目的に観光客が滞在します」と説明して歩いた。この場所を「世界で一番感動する場所にしたい」という一心だ。
協力店舗を「フレンドリーショップ」としてオリジナルマップを作成し、英語の説明ボードも準備。お店の人の負担が少なくなるように配慮した。
さらに田澤さん自身、足繁く周辺の店を訪れる。今日は「れもん」、明日は「ビッグベン」、明後日は「ともせん」で、その次は「鳥忠食堂」……といった具合だ。「食べすぎて太っちゃうんですけどね」とはにかみながらも、それを毎週繰り返しながら、店主と話をする機会を重ねたという。
今ではクラビトステイのツアーにも組み込まれる「お料理れもん」の濱口雄介さんは、「最初は正直いつまで続くかな、と思っていたんですが、だんだんこの人本気なんだなって感じるようになったんです」と話す。
■地域に広がったもてなしの心
田澤さんは開業にあたり、この場所の観光をみんなで考える機会を作っただけではなく、開業後は「酒蔵アグリツーリズム推進協議会」を立ち上げた。先進的な取り組みをする他県の地域に有志で研修に行くなど、地域の未来を見据えた活動を継続してきたという。
「僕だけかもしれないんですが」と前置きしながら、濱口さんは言った。「ゲストを一緒に受け入れる仲間として商店街の人達と一歩踏み込んだ関係になれたような気がしているんです」。
クラビトステイの開業後にオープンしたコーヒー店「EDIT COFFEE ROASTERY」の井出さんは、日本酒とコーヒーには「香りを楽しむ飲み物」という共通点があるという。立ち寄るゲストにはリピーターが多く、「この場所が日本にくる目的になっていて、『久しぶり』という会話ができるのが嬉しい」と話した。
クラビトステイの開業前後を最も近くで見守ってきた道向かいの呉服店「ぬのや」の田中さんは、その変化を次のように語ってくれた。
「今まではこの場所を写真におさめていく人なんていなかったの。でも今は、毎週いろんなところからお客さんがきて写真に撮っていくでしょう。嬉しいですよね。田澤さんを中心に皆さんすごく頑張ってるのが分かるんですよ。私も何か力になれたらって思ってるんです」
取材の日、田澤さんとともに昼食を食べに鳥忠食堂を訪れると、帰り際に店主が厨房から顔を出し、特製の辛味噌をスタッフの人数分手際よく手渡した。「いつもありがとうございます」と田澤さんは満面の笑み。気さくな店主から、私まで辛味噌をいただいてしまった。
この辛味噌は、田澤さんが5年かけて築いてきた一つの信頼の証しなのかもしれない。帰宅した後にいただくと、唐辛子がぴりりとして日本酒にぴったりの味わいだった。
■「100時間滞在して地域を好きになってくれる1人に出会う」
田澤さんは旅行会社時代、5年間で50カ国以上を巡り、何千という観光地に行き、何万というアンケートを読んだ。その結果、わかったことがある。それは、「クレームが起こるのはミスマッチが原因」ということだ。
ミスマッチを起こさないように、創業当初から徹底的にデザインにこだわった。さらに予約はすべてWEBサイトからのみとし、取材してくれるメディアを通じて広報を行ってきたという。
それでも、「特効薬はない」と潔い。
「やっぱり人間って信頼している人に紹介されたものを信じると思うんですよ。なので来てくださったお客様が『楽しかった』ってお友達に紹介してくださることを目指してます。結局、目の前のお客様に200%満足してお帰りいただくことが1番なんですよね」
現在、ゲストの約半数は口コミで、リピート客も多い。ゲストの声に耳を傾け、ひたむきに試行錯誤を繰り返した結果が、満足度100%という結果につながっている。
「1時間滞在する人を100人呼ぶんじゃなくて、100時間滞在して地域を好きになってくれる1人に出会うツーリズムをやろうってきめたんです」
週末だけの営業にしたのは、仕事と家族を天秤にかけるような働き方をしたくなかったから。あくまでもゲストも働く人も幸せになれるツーリズムにこだわる。
田澤さんの表情は晴れやかだ。
■前に進むために進化し続ける
酒造りができる冬季以外も、甘酒の麹づくりや酒米の稲刈りツアーなど、酒造りにまつわる旅行商品を次々に打ち出してきたクラビトステイ。コロナ禍での開業に加え、週末限定営業にもかかわらず黒字スタートし、現在の売り上げはおよそ2500万円だ。
「創業からこれまでの失敗や苦労はなんですか」と問いかけると、「いっぱいありますよ」とからりと笑った。
最近は「模倣品が増えた」というが、良いサービスが模倣されることは織り込み済みだ。積み重ねてきた地域との信頼を軸に、田澤さんは変化を厭わない。
「同じことを繰り返しているだけでは、衰退なんですよ。前に進むためには、自分が進化しないといけないと思ってます」
2023年には、長野県上田市の岡崎酒造が新たに酒蔵ホテルをスタートするための相談役を引き受けた。酒米を栽培する棚田の保全やまちづくりに心血を注ぐ岡崎酒造は、2025年春、その中核事業として酒蔵ホテル「KIREI」をオープンする。
2024年10月、内閣府のクールジャパン・プロデューサーに任命された。これからは、日本の魅力を世界に発信するブランド戦略を担っていく。
「40歳になるまでの2年間で徹底的に投資を勉強して、投資のことも、経営のことも、地域づくりのことも、現場のことも、全部わかってる状態になりたいんです。人の夢を伴走できる人材になって、日本の地方を世界に発信していくお手伝いがしたいと思っています」
■人生という旅を楽しむ
かつて田澤さんのお姉さんは「食べたものが自分をつくる」と苦しむ妹に語りかけた。これまで食べ尽くしてきた経験が、今の田澤さんの血肉となり、これからの田澤さんをつくっていく。
2021年には離婚を経験。子どもの小学校入学に合わせて小諸市に完全移住した。我が子には「さみしい思いをさせているかもしれない」と一瞬母の顔を見せる。
「今4年生なんですけど、『オレも将来社長になりたいな』って言うんです。手に負えないくらいワガママなときもあるけど、自分の道を自分で切り開く子になってくれたらいいなって思います」
自分にも日本にも誇りをもてずにいた少女は今、1人の女性として、日本人として、ツーリズムの専門家として、そして母として、堂々と自分の道を切り開き、人生という旅を楽しんでいるように見えた。
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1984年長野県生まれ。東京大学医学部健康科学看護学科卒業後、約10年間専業主婦。地方スタートアップ企業にて取材ディレクション・広報に携わった後、2023年よりフリーライター。WEBメディアでの企画執筆の他、広報・レポート記事や企業哲学を表現するフィクションも定期的に執筆。数字やデータだけでは語りきれない人間の生き様や豊かさを描くことで、誰もが社会的に健康でいられる社会を目指す。タイ・インド移住を経て、現在は長野県在住。重度心身障害児含む4児の母。
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(フリーライター ざこうじ るい)
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