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私はロシアの意図を読み誤った…軍事研究のプロが「プーチンは本気だ」と確信した"開戦3日前"の不穏な予兆

プレジデントオンライン / 2025年1月31日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/3dmitry

ロシアがウクライナを攻撃する直前に、何が起きていたのか。東京大学先端科学技術研究センターの小泉悠准教授は「ウクライナの国境周辺では、ロシア軍の数が日増しに増えていた。大規模な戦争を始める能力が整いつつあった」という――。

※本稿は、小泉悠『情報分析力』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

■「プーチンの頭の中」よりも「能力」に着目した

2021年の秋から2022年初頭にかけて、メディアから同じ質問を何度も受けました。すなわち、「ロシアはウクライナに侵攻するだろうか」ということです。当時、ウクライナ国境には多数のロシア軍が集結しており、これが単なる脅しなのか、本当に戦争が始まるのかを世界は固唾を吞んで見守っていました。冒頭のような質問が繰り返されるのは当然であったと思います。

非公開の場でも同じような質問を受けました。ロシアに投資をしている会社とか、もしヨーロッパで戦争が起きたら非常に困ると考えている会社の人たちです。こちらは自社の利益がかかっているので、もっと切迫感がありました。幾度となく繰り返されたこれらの質問に対して、私はいつも同じように答えていました。

「プーチンが本当に戦争を始めるかどうかはわからない。しかし、その気になれば非常に大規模な戦争を始められるだけの能力が整いつつある」

ロシア軍事のプロだったらバシッと答えろよ、と思われるかもしれません。実際、その方がウケたでしょうね。でも、私はこの答え方が最善だったと今でも思っています。軍事に関する情報分析というのは、こういう考え方に基づくものなのです。

人間の意図――この場合はプーチンの頭の中は、どうしたってわからない。プーチン自身だって最後の瞬間まで決心を保留しているかもしれない。だから、意図という曖昧模糊としたものを一旦脇に置いて、より外形的に把握しやすい「能力」の方に着目するのです。

■ロシア軍の「能力」は上がっていた

戦争当事者それぞれの「能力」を掛け合わせたものを、軍事用語では「可能行動」と呼びます。A国はその気になったらどこまでできるのか、対抗するB国側はどこまで防ぎ切れるのか、というようなことです。仮にA国が少数の軍隊しか持っておらず、しかもそれらの大部分が駐屯地の中にこもっているのであれば、政治指導者が何を言おうと大戦争など始められるはずがありません。

他方、大規模な軍隊が攻撃準備態勢に入っているなら、政治指導者の号令一つで戦争を始めることはできます。ではB国側の対抗能力は……こんなふうに「能力」を分析の出発点にすることで、起こりうる事態の上限を把握するわけです。

この可能行動という点で見ると、私が繰り返し同じ質問を受けていた2021年の秋から2022年初頭は、非常に重要な時期でした。ウクライナ国境周辺に展開するロシア軍の数が日増しに増えていたからです。つまり、ウクライナに対して実施可能なロシアの行動の幅(能力)は広がり続けていました。

当然、ウクライナもこれを察知して動員をかけます。徴兵を終えて予備役になっていた一般市民男性たちが召集されたり、州ごとに編成された郷土防衛旅団が実働態勢に入るなどの動きが活発化しました。ということはロシア側が行動を起こす「能力」に対して、これを妨害するウクライナ側の「能力」も上がっていたわけですから、この双方を勘案しないと可能行動は出てきません。

■私は開戦前にどう見ていたか

ロシアがウクライナ周辺に展開させていた「能力」を当時の私がどう見ていたかを、もう少し詳しく見ていきましょう。

今回の戦争が始まる直前、ウクライナ国境に集結したロシア軍の規模を15万人程度(親露派武装勢力等も含めて最大19万人)であるとアメリカは見積もっていました。当時のロシア陸軍が採用していた基本的な戦闘単位である大隊戦術グループ(BTG)換算では、125個という評価も伝えられていました。

問題は、この数字をどう解釈するかです。開戦前のロシア陸軍は概ね28万人程度とされ、このほかに海軍歩兵部隊(西側でいう海兵隊)や独立兵科である空挺部隊を合わせると、地上兵力は36万人程度と見積もられていました。この意味では、動員可能な兵力の半分も集まっていないではないかという評価もできるでしょう。

ちなみに、この28万人とか36万人という数字は、英国の国際戦略研究所(IISS)が毎年発行している年鑑『ミリタリー・バランス』から取りました。数万円もするかなり高価な年鑑ですが、ケチらずにこういう基礎資料に投資しておくのは大事です。いざというときに信用のできるデータがパッと出てくるかどうかは、普段の投資とかなりの程度まで比例します(詳しくは本書の第2章で改めて述べます)。

ロシア国旗の胸パッチ
写真=iStock.com/fortton
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fortton

■「15万人」はロシア全土からかき集められていた

話を「15万人」の評価に戻しましょう。ロシア軍の兵力全体と比較するとそう驚くものでもないんじゃないか、ということでしたが、ロシア軍事を継続的に観察していると、また別の評価が導かれます。

第一に、36万人の地上兵力のうち、約20万人は徴兵(ロシアの場合、18〜30歳の男子が国民の義務として軍隊で12カ月間勤務する)で占められています。これは毎年春と秋に出される大統領の徴兵令を追っていくと概ねわかることです。

第二に、2003年以降のロシアでは、徴兵を戦地に送ってはならないとされています。戦争をするのは職業軍人である将校と下士官、そして志願兵(契約軍人と呼ばれる)だけであり、徴兵はあくまでも軍事訓練を受けにきているだけだという建前なのです。そしてこの建前がある程度までは守られてきた、ということがロシアの社会や過去の戦争を観察しているとわかってきます。

以上を総合すると、地上兵力が全部で36万人だと言っても、うち20万人は実戦投入が難しいのではないか、ということが推定できます。ということは、15万人の地上兵力というのは、ロシアが実戦に投入できる兵力のほぼ上限ということになるでしょう。

第三に、この15万人はロシア全土からかき集められていました。ウクライナに面する西部軍管区や南部軍管区だけでなく、シベリアや中央アジアを管轄する中央軍管区、あるいは極東の東部軍管区からも主力部隊が丸ごと引き抜かれて、ウクライナ周辺に派遣されていたのです(これは第3章で紹介するオープンソースインテリジェンス[OSINT]で明らかになったものです)。こんな兵力集結は、毎年秋に行なわれる軍管区レベルの大演習でさえ見たことがありませんでした。

■ロシア軍は“かつてない広がり方”をしていた

最後に、15万人のロシア軍がBTGとして編成されており、その数が125個と見積もられていたことも、見る人が見れば意味を持ちます。BTGというのは師団や旅団のようにきちんと決まった編制ではなく、そこから兵力を抽出して「生成(generate)」されることになっています。

例えばロシア陸軍の歩兵旅団は通常3〜4個の歩兵大隊で構成されますが、このうち契約軍人(徴兵ではない志願兵)によって充足された高練度大隊を基幹とし、ここに戦車・砲兵・防空部隊などを付け加えた戦闘チームがBTGなのです。ということはロシア軍の旅団は見かけ通りの規模で戦闘力を発揮できるわけではなく、その中から何個のBTGを「生成」できるかが問題になるわけです。

ロシア軍のヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長は、2019年時点でその数を136個としていました。それからの数年間でBTGの数が150個くらいまで増加していたとしても、125個BTGというのは投入可能な戦闘チームのほぼ全力であろうという結論がやはり導かれます。

こうした思考過程から、欧州部におけるロシア軍の可能行動がどうもかつてない広がり方をしている、ということがわかってきたのです。情報を取るだけではなく処理すること、すなわち「情報処理装置」が重要であると私が強調する理由はこの辺にあります。バックグラウンドを知っているか知らないか。同じ情報に接しても、その意味するところの解釈が大きく変わってくるのです。

ロシア兵
写真=iStock.com/???? ??????
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/???? ??????

■「意図」を読み取るのは難しい

もちろん、意図の分析をしなくていいということではありません。可能行動の範囲内で実際に何ができるのかを分析しないと、常に最悪のシナリオばかりが出てくるに決まっています。

私が大学での仕事を終えて帰宅すると、奥さんが夕食を作っておいてくれています。もし、可能行動だけでものを考えると、奥さんがそこに毒を入れておくことは可能なわけです。だからといって「俺は夕食を食べないぞ」と言い出すのは異常ですよね。大抵の人は「よもや奥さんがそんな意図を持っているはずがない」と考えて夕食に箸をつけるはずです。

ただ、このような性善説的推測は一定の信頼関係があるから成り立つ話であって、前夜に刃物沙汰の騒ぎが起きていたなら、違った推測が成り立つかもしれません。軍事に関する情報分析というのは多くの場合、ある程度の緊張関係を前提としているので、どうしても性悪説になりがちです。

毒は入っているかもしれない。ではそれは致死的なものであるのか、それとも体調を悪化させる程度のものであるのか。可能行動の範囲内で相手は何をしてくるのか。相手の意図にまつわる曖昧性が、こうして立ちはだかってくるのです。

■私は「プーチンの意図」を読み誤った

実際、私はこの戦争に関してロシアの意図を大きく読み誤りました。ロシアがウクライナに戦争を仕掛けるとしても、それは限定的なものになるのではないか、と考えていたのです。

より具体的に言うと、ウクライナ東部ドンバス地方での紛争解決策として2015年に結ばれた第二次ミンスク合意をロシアに有利な形で履行させるため、限定的な軍事力行使で圧力をかけるのではないかというのが私の考えでした。いくらなんでも全面侵攻に及んだ場合、ロシアが被る経済的ダメージや外交的孤立などのコストが大きすぎる、というのがその根拠です。

実際、開戦直前にはこの見立てを裏付けるかのような動きが相次いだので、私はかなりの確信を持ちました。当時、ロシアの国家規格に遺体の大量埋葬に関する手順が追加されたり(多数の戦死者や民間人死者が出ることを想定していたのでしょう)、緊急輸血用血液の備蓄が増えているとの報道が出るなど、開戦が近いらしいという感触自体はありました。それでも軍事行動の規模自体は限られたものになるのではないかと考えていたのです(詳しくは拙著『ウクライナ戦争』でその思考過程を述べています)。

ところが開戦の3日前、ロシアは、ドンバス地方の親露派武装勢力占拠地域(「人民共和国」と呼ばれていた)を独立国家として承認してしまいます。第二次ミンスク合意は、ドンバスの「人民共和国」があくまでもウクライナ領の一部であることを前提としたものですから、これは合意が完全に破棄されることを意味していました。

ホワイトハウスのテレビに映るプーチン大統領
写真提供=ロイター=共同
ホワイトハウスのテレビに映るプーチン大統領=2022(令和4)年2月21日、米・ワシントン - 写真提供=ロイター=共同

■“相手が発信する情報”に精通するだけでは不十分

ここまで来るとロシアの意図はもはや明確です。全面戦争が不可避であることが誰の目にも明らかになりましたが、逆に言えば本当に大戦争が始まる3日前までロシアの戦争意図を確定させることができなかった、ということになります。

加えて難しいのは、相手が意図を偽る可能性があるということです。毒入り料理を食べさせようという人が、「毒が入っているよ」と教えてくれることはまずありません。これと同じで戦争を始めようとする国の政治指導者は「そんな意図はない」と言うでしょうし、実際にロシア政府の高官たちは開戦直前までそう言っていました。後の目で見れば、プーチン大統領その他の発言の中に戦争を匂わせる部分はあったのですが、これは後知恵に過ぎません。

さらに侵略の危険に晒されていたウクライナ自身も、戦争など起きるはずがない、と繰り返し言い張っていました。ウクライナのゼレンシキー大統領はのちに「そう言っておかないと経済が大混乱になっただろうから」と弁明していますが、本当にそういう配慮があったのか、単に侵略の危険を見誤っていたのかは不明です。

いずれにしても、分析対象の意図を把握するためには、分析対象自身の発信する情報に精通するだけでは不十分である、ということが以上からは読み取れるでしょう。分析対象発の情報に精通すればするほど、「対象が実際に考えていること」と「対象がそう信じさせたいこと」の区別が曖昧になってしまうのです。政治的な語り(ナラティブ)を分析しているうちにそのナラティブに溺れてしまうわけです。この、ナラティブにまつわる危険性については本書の第6章で改めて注意喚起したいと思います。

■「戦術はまた別かもしれない」という難しさ

もう一つの問題として、戦略レベルでは意図を把握できたとしても、戦術レベルではまた別かもしれない、という点があります。

意図を偽るのは政治指導者だけではなく、軍隊も同じです。戦争を始めるかどうかを決めるのは政治指導者ですが、実際に軍隊を指揮する軍事指導者は、大統領に与えられた任務をなるべく達成できるように工夫を凝らします。ウクライナ侵略について言えば、ロシア軍は開戦前、大規模な欺瞞作戦を展開しました。

欺瞞はロシア語でマスキロフカと言いますが、ソ連・ロシア軍は伝統的にこの種の偽情報活動を得意としてきました。どの方向から攻め込もうとしているのか、どのような種類の部隊がどのような戦術を使おうとしているのかを敵に誤解させるわけです。これに成功すれば、戦争の最初期段階(IPW)で相手を屈服させられるかもしれないわけですから、軍人たちが欺瞞を重視するのは当然でしょう。

この戦争でロシア軍が用いたマスキロフカは、メインの攻撃方向(主攻方向)がドンバス地方であるかのように装い、これによってウクライナ軍主力を国土の東部へとおびき出すというものでした。そうしてガラ空きになった首都キーウを、ヘリコプターに乗った軽歩兵部隊による着上陸作戦(ヘリボーン作戦)で電撃的に占拠してしまおうとしたのです。ウクライナが首都を明け渡さずに済んだのは、数少ない首都防備部隊が予想外に善戦したという、多分に幸運によるものでした。

■“一人の人間”ができることは限られている

この辺になってくると、私のような民間の分析者が収集できる情報には限界がありますし、それを読み解く「情報処理装置」もまた別のものが必要になってきます。端的に言えば、自衛隊で教えられるような戦術や作戦に関する知識ですね。ロシア軍事専門家ってそういうのもわかるんじゃないの? と言われそうですが、わかりません。

小泉悠『情報分析力』(祥伝社)
小泉悠『情報分析力』(祥伝社)

私が専門にしているのはロシアの軍事思想であるとか軍事的な制度、軍改革をめぐる歴史、政府と軍の関係性(政軍関係)などであって、戦場での具体的な戦い方は明確に専門外です。当初はこういうことにもコメントを求められては苦し紛れになんとか答えていたのですが、不誠実だろうと思って触れないようになりました。現在では、このレベルの情報分析は、私は原則的にやっていません。

ただ、戦場で起きる比較的ミクロな出来事が、時に戦略レベルの効果を生むことがあります。キーウをめぐるロシアとウクライナの攻防などはその典型と言えるでしょう。畑違いだけれども重要、というこの種の情報分析をどうすべきか。自分で勉強してみることも大事ですが、同時に、信頼のおける隣接分野の専門家を見つけて頼る、という方法を私は推奨します。例えば自衛隊出身の研究者みたいな人ですね。

一人の人間にできることは所詮限られているのですから、「餅は餅屋」と割り切って、その道のプロに頼りましょう。そういう人を探して繫がりを作るのも情報分析力の一部です(本書の第4章を参照)。しかし、向こうもタダでは協力してくれないでしょうから、そのためにも自分の情報分析力を磨いて、相手にとって役立つ存在になる必要があります。

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小泉 悠(こいずみ・ゆう)
東京大学先端科学技術研究センター准教授
1982年、千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、未来工学研究所客員研究員などを経て、2022年1月より現職。ロシアの軍事・安全保障政策が専門。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、サントリー文芸賞)、『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)などがある。

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(東京大学先端科学技術研究センター准教授 小泉 悠)

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