歌会始に歌を寄せなくなったことは寂しいが…美智子上皇后の未発表歌集に見える歌人としてのすごみ
プレジデントオンライン / 2025年1月29日 9時15分
■愛子内親王が初参加した今年の歌会始
1月22日、皇居では恒例の「歌会始の儀」が行われた。
今年の話題は、愛子内親王がはじめてそこに参加したことである。昨年も、歌は寄せているが、出席はしていなかった。
クリーム色のロングドレスで出席した愛子内親王は、大学で和歌を研究しただけに、詠み上げられる歌にじっと耳を傾けていたという。
愛子内親王が今年寄せた歌は、「夢」というお題にちなみ、「我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの夢」というものであった。
その夢がいったいいかなるものなのか、国民の一人としてはそれを知りたいところだが、ネット上には「敬宮さまのお歌、若々しく繊細な感じがホロッとします」とか、「特に敬宮愛子さまの若く溌剌としたお歌に感銘を受けました」といった声が上がっていた(『女性自身』1月23日配信の記事より)。
天皇の御製は、「旅先に出会ひし子らは語りたる目見(まみ)輝かせ未来の夢を」というもので、全国を訪問した際に出会った子どもたちを詠ったものだった。
■美智子上皇后の巧みな歌の存在感
皇族としては、他に雅子皇后、秋篠宮夫妻、佳子内親王、常陸宮華子妃、高円宮久子妃、同承子女王が歌を寄せている。三笠宮百合子妃が亡くなったことで、寛仁親王の信子妃や彬子女王は、例年とは異なり今年は歌を寄せていない。
それもいささか寂しいことだが、歌会始にずっと注目してきた人間としては、令和の時代になって以降、美智子上皇后が歌会始に歌を寄せなくなったことは、何か重要なものが欠けてしまったように感じられてならない。それほど、上皇后の歌は巧みでもあり、また特別なものであった。
おそらく、そうしたことを感じているのは私だけではないだろう。それを見越したかのように、歌会始の儀が開かれる寸前、1月17日には、上皇后の『歌集 ゆふすげ』が岩波書店から刊行された。
上皇后の単独の歌集としては、1997年に『瀬音 皇后陛下御歌集』(大東出版社)が刊行されている。2014年には、釈・秦澄美枝『皇后美智子さま 全御歌』(新潮社)も刊行されている。今回の『歌集 ゆふすげ』は、そうしたものにはない未発表の歌がおさめられている。
解説は、細胞生物学者で歌人の永田和宏氏が行っている。永田氏は、宮内庁上皇職に対して、今も上皇后が歌を詠まれているのかを尋ねたところ、そうした未発表の歌があることが判明し、それが歌集の刊行に結びついた。
■上皇后の『歌集 ゆふすげ』のこまやかさ
本書の表紙には、上皇后と親交が深かった故・安野光雅氏の「ゆふすげ」の絵が使われている。それは帯にも使われているのだが、カバーを外さないと本体の絵は見られない。口絵は、表がゆうすげに囲まれた上皇夫妻の写真で、裏は御所に咲くゆうすげの写真である。
ゆうすげは、黄菅(きすげ)とも呼ばれ、ユリ科ワスレグサ属の多年草である。レモン色の花びらを特徴とするが、夕方に開花し、翌朝にしぼむため、この名がつけられている。
『歌集 ゆふすげ』には、いくつかこの花にちなむ歌がおさめられている。その一つは、昭和50(1975)年に詠まれた「ひとところ狭霧(さぎり)流るる静けさに夕すげは梅雨(つゆ)の季(とき)を咲きつぐ」である。
永田氏は、「ひとところ狭霧流るる」の部分に、上皇后のこまやかな着眼があるとし、それによって風景が目に見えるようにいきいきと読者に再現されると解説している。こうした特徴を持つ歌は、数多く収録されているが、最初に登場する、奄美への旅を詠った「いち早く木叢(こむら)は萌ゆる緑にて照り葉まばゆき島の昼なか」(昭和43年)などはその代表だろう。
■上皇を詠った圧倒的な魅力の重み
しかし、上皇后の歌が他の歌人の歌と比較できない圧倒的な重みを持つのは、生涯にわたる伴侶となった上皇を詠ったものにおいてである。『歌集 ゆふすげ』には、いくつもそうした歌がおさめられている。
昭和46(1971)年の歌には、「こゆき舞ふ賢所(かしこどころ)の回廊を進みます君が黄丹(わうに)の御袍(ごはう)」とある。
賢所は、皇居にある宮中三殿の中心で、皇室の祖神である天照大神を祀っている。そこで、天皇は神主役として神を祀るのだが、その際には、黄櫨染(こうろぜん)御袍という正装で臨む。何か接するだけで、厳粛な気持ちになる歌である。
こちらは平成3(1991)年のものだが、「四方拝終へて還らす君を待つ松かざり立つ未明の門(かど)に」も同種の歌である。
四方拝は、天皇が元旦の早朝に天地四方の神祇を拝する儀式である。最後に未明とあることで、その場のさぞや冷たいであろう空気が一気に伝わってくる。皇后として、儀式が続く間、慎みながら控えていたことだろう。
■歌という形で表出された無二の道
スケールの大きさを感じさせたのが、平成6(1994)年、還暦を迎えた天皇の奉祝歌として詠われた「日輪は今日よみがへり大君のみ生まれの朝再びめぐる」である。天皇の還暦が、宇宙の更新と結びつけられており、古代の神話を彷彿とさせる歌になっている。
国賓として海外を訪れたときに詠まれた歌としては、「ブラジリアの騎馬儀仗隊その列に仔馬一頭ひたに走れる」(平成9年)や「初夏(はつなつ)のリスボンにありてこの国の大航海時代の書(ふみ)をひもとく」(平成10年)などがある。
国内で訪れるものとしては被災地が重要だが、永田氏もあげている「帰り得ぬ故郷(ふるさと)を持つ人らありて何もて復興と云ふやを知らず」(平成27年)となると、社会批判の様相を呈している。
天皇や皇族は、その立場上、政治的な発言を行うことを封じられている。だが、皇太子妃から皇后、そして上皇后となっていったことで、むしろ政治とかかわる場面に接することも多かったはずだ。しかも、皇后であった時代には、天皇とともに「慰霊の旅」をくり返していた。そのなかで感じたことが、歌という形で表出されているわけである。
■地下鉄サリン事件を詠う歌人のすごみ
平成15(2003)年の「軍事用語日増しに耳になじみ来るこの日常をいかに生くべき」は、アメリカでの同時多発テロの事件以降、アフガニスタンやイラクで戦闘が続いた時期に詠まれたものである。同じ年の「をとめ座のスピカまたたく春の夜(よる)遠きイラクに空爆つづく」は、変わることのない星座のありさまと、悲惨な現実が対比して詠われている。ともに反戦歌としての響きがある。
こうしたことと関連し、個人的に衝撃を受けたのが、平成11(1999)年の「サリンとふもの撒(ま)かれたる日に聞きしカイツブリの声今も怖るる」だった。これが地下鉄サリン事件のことであるなら、カイツブリの声を聞いたのは平成7年3月20日のことになる。
この歌が平成11年のいつ詠まれたかはわからないが、昭和50(1975)年に沖縄のひめゆりの塔を訪れた際、皇太子の足元に火炎瓶が投げつけられるという事件が勃発した。地下鉄サリン事件がそうした事件とも重なってくるのかもしれないが、サリンが登場する歌を詠むところに、上皇后の歌人としてのすごみが感じられるようにも思われた。
■皇室の伝統を深く究めた上皇后
もちろん、『歌集 ゆふすげ』には、そうした政治や事件ともかかわるような歌だけではなく、わが子とその成長を詠った歌も含まれ、読者もほっとした気持ちにさせられる。
昭和44(1969)年の「羊歯(しだ)のみの茂れる昔絵に見せぬ吾子のひた読む恐竜の歴史」は、現在の天皇のことであれば、7歳か8歳ということになる。
昭和57(1982)年の「いや高き学びの道に進まむと面(おもて)さやかにわが子告げ来ぬ」は、現在の天皇が学習院大学を卒業し、大学院に進学したことを詠ったものである。
末の娘である清子内親王が結婚した折には、「汝(なれ)を子と持ちたる幸(さち)を胸深く今日君が手にゆだねむとする」(平成17年)と祝いの歌が贈られている。むしろ、こうした歌で送り出される子は幸せである。
『歌集 ゆふすげ』には、昭和43(1968)年から、昭和の時代の歌が192首、平成の時代の歌が274首おさめられている。
歌を詠むことは、古来、皇室の伝統である。一般家庭から皇室に入った上皇后は、五島美代子や佐藤佐太郎・志満(しま)といった歌人から歌を習ってきた。『歌集 ゆふすげ』には、こうした師を追悼する歌が含まれている。才能もあったであろうが、上皇后が相当の研鑚を積んだことが予想される。
■「夢」を上皇后はどのように詠むのか
もし歌の道に精進しなかったとしたら、その人生は異なるものとなっていたかもしれない。
とくに上皇の日々の姿を間近で詠うという立場を明確にすることによって、自らの立ち位置を確立することができたのではないだろうか。それは、皇太子妃から皇后へと歩んできた、私たちからは想像できない過酷な道の先を照らす希望を与えるものとなったのではないだろうか。
永田氏も気にされたように、上皇后になってからの歌があれば、それは知りたいところである。少なくとも、歌会始のお題が公表された際には、密かに歌を詠まれてきたのではないだろうか。
そうであれば、今年のお題、「夢」を上皇后がどのように詠んだのか。
夢を持つことが難しい時代であることを踏まえれば、是非ともその歌を知りたいと思うのは、私一人ではないだろう。いつか、上皇后になってからの歌集が編まれることを期待したい。
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宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳)
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