「意見が通りやすい人」は自然とやっている…周囲に「頭がいいな」と思わせる発言後に付け足す「4文字の言葉」
プレジデントオンライン / 2025年1月30日 8時15分
※本稿は、伊藤真『考える練習』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■司法試験で「合格なんか考えるな」という理由
自分の考えがいまひとつはっきりしなかったり、その答えでいいのかどうかわからなかったりするときは、荒療治の方法がある。それは、「自分の考えを極端なまでに徹底させる」というものだ。あえて極端まで突っ走ると、はっきりしなかった「本質」が見えてくることがあるのだ。
私が最近、あえて「立憲主義」という言葉を使っているのも、その一例である。
立憲主義とはきわめて多義的な言葉で、学問的にいうと定義が難しいのだが、私は「要するに憲法で国を縛ることだ」と極論で言い切っている。すると、現代は国王はいないのだから、憲法で縛られるのは誰かという疑問が生まれ、つまり憲法は国民が国を縛るための法、という本質が見えてくる。
伊藤塾では、司法試験においても、「合格なんか考えるな、合格後を考えろ」と指導している。合格するために塾で勉強しているのに、「合格なんか考えるな」と言われると、塾生は「あれっ?」と思う。なぜそんな言い方をするのかと考えるきっかけになるだろう。
■極端な意見は「考える練習」の入り口
「憲法は法律ではありません。だから国民には憲法を守る義務なんかありません」と言えば、国民も「あれっ?」と思うはずだ。なぜそんなことを言うのだろうと疑問に思ったり、関心を持ったりするので、「憲法を守る義務があるのは、国民ではなく国である」という本質に到達しやすくなる。
「あれっ?」と思うほどの極端な意見にふれることが「考える練習」の入り口になる。
自分で考えるときも、よけいなものをそぎとって、何か本質をいいあらわす言葉を考えて、あえて極端に言ってみるのもいい。
そのためにおすすめしたいのは、「キャッチコピーを考えること」だ。
キャッチコピーを考えるには、本質がわかっていなければならない。本質を可視化する、言語化するということがコピーを考えることだから、コピーを考えるのは本質に近づく行為そのものである。
ああでもない、こうでもない、と言葉を探していく過程が、本質に迫る過程でもあり、「考える練習」の筋トレでもある。そしてその本質が何かをはっきりさせるには、極端に走るという荒療治の技術が効果的なことがあるのだ。
荒療治だから、筋トレでいえば、かなりきつい部類のものになる。だからこそとぎすまされた言葉を探すのは、頭の訓練になる。
「私は一五〇歳まで生きる」とか「国民には憲法を守る義務はない」とか、とにかく極端な言い方をしてみよう。そして、その自分の言葉に「本当かな」ともう一人の自分が疑問を投げかけ、自分の中で議論、討論しながら、考えを深めていく。その過程で考えが深まっていき、考える力が鍛えられていくのである。
■なぜ人は「勝手な思い込み」をしてしまうのか
「考える練習」の方法として、「具体的なものを抽象化する方法」がある。たとえば、ある具体的な失敗があったとする。そこから、抽象的なルールや教訓を見いだしていくのだ。
身近な例を出そう。私は先日、顔が赤くなってヒリヒリするほど日焼けをしてしまった。なぜならその日、私は屋外で朝早くから講演をしたからだ。壇上に立ったとき、太陽に向かって話すことになるなと気づいて、「日焼け止めを持ってくればよかった」と思ったのだが、もう遅かった。
スタッフが気を利かせて、おしぼりや水は壇上に用意してくれていた。だが日焼け止めはない。「まさか日焼け止めを持っている人はいないよな。用意してくればよかった」と心の中でつぶやきながら、太陽に照らされて午前の講演は終了した。
そして休憩に入ったときだった。スタッフの一人が「午後は暑くなりますから、もし日焼け止めが必要でしたら、おっしゃってください。用意してありますから」と言ってくれたのだ。
なあんだ、用意してあったのなら借りればよかった。あとの祭りである。
私はだれも用意などしてくれていないと思い込んで、彼に日焼け止めが欲しいとは言わなかった。彼も午前中はそれほど日が強くないので、必要ないと思っていたのだろう。そして私はまさか彼が持ってきてくれているとは思わなかった。勝手な思い込みが、いくつも重なって、せっかくの日焼け止めが役に立たなかったのである。
■具体的な経験から抽象的な法則を導き出せるか
そこで得た教訓はいくつかある。来年はちゃんと日焼け止めを持って行こうというのもひとつだし、勝手な思い込みで判断せずに必ず相手に確認したほうがいいというのもひとつだ。さらに、相手によかれと思ってやったことでも、きちんと意思疎通ができていなかったら、意味がないということ。相手に伝わったことが伝えたことであって、相手に届かなかったら自分が伝えたつもりでも伝えたことにはならないこと。
たかが日焼け止めかもしれないが、この小さくて具体的な失敗から、抽象化した学びやルールをいくつも得ることができた。
私はこれも「考える練習」のひとつだと思っている。「具体的」な経験から「抽象的」な法則やルールが抽出できないと、同じ失敗をくり返すことになる。だから、「具体的」な経験をたんなる経験で終わらせないで、必ず「抽象化」するクセをつけるほうがいい。
同じことが逆方向にもいえる。ルールを「具体的」なものにあてはめていく作業である。
■考える力が弱い人に足りないものとは
たとえば、「報(ほう)・連(れん)・相(そう)」が重要だといわれたとき、自分の具体的な行動で、これは電話で確認だとか、これは一度相談しようとか、抽象的なルールをきちんと具体化して行動につなげていくのは「考える練習」だ。
考える力が弱い人には、抽象化が苦手だという人が多い。具体的な出来事は「あれもあります」「これもあります」とたくさんあげられるのに、「だから何なのだ」という結論が言えない。リサーチは得意だが、そこから自分の見方や意見や考えや答えをつくり出すのが苦手なのだ。
そういう人は、まず「共通点」と「相違点」に注目して、「共通点」の概念を広げていくといい。共通点と相違点を見つけ出すのが分析だと言ったが、いろいろな共通点を集めていって、それを統合し、より大きな共通点で抽象化していく。
それは「統合する」というイメージだ。
たとえば、男と女の共通点は何だろうと考えると、「人間」である。では人間と動物や植物はどこが共通するのだろう。「生物」だ。では「生きる」とは「命」とはと考えていく。そんなふうに、共通点の概念が大きくなればなるほど抽象化されていくと思えばいい。
自分はどうも物事を抽象化するのが苦手だと思ったら、共通点と相違点に注目して、「違うところもあるけれど、同じところもあるよね」と見かけの違い、事実としての違いを超えた共通点が何かないかと探していく。
そして、より大きな共通点にまとめあげていくのである。それこそがまさに抽象化の技術であり、「考える練習」をすることになるのである。
■「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と3回問う
一生懸命考えても、どうにも考えが深まらないときや、浅い考えに終始してしまうときに、おすすめの方法がある。それは、「なぜ」を三回くり返す方法だ。コンサルタント会社では「なぜ」を五回くり返して掘り下げろ、というところもあるらしい。
なぜ、そういうことが起きたのか。「なぜなんだ」「なぜなんだ」「なぜなんだ」と、三回くらい「なぜ」を問い続けてみよう。いやでも考えが深まってくる。
たとえば、日本では人を殺すと処罰される。ではなぜ人を殺すと処罰されるのか。いろいろな答えがあるだろう。「法律で決まっているから」と答えたとする。なぜそれが法律で決まっているのか、「なぜ」と問うてみる。あるいは「人を殺すのは悪いことだからです」と答えたとする。なぜそれが悪いことなのか、もう一度「なぜ」と掘り下げてみる。
■相手が死ななくても、なぜ量刑は変わらないのか
「悪い」とひとくちに言っても、いろいろな説明のしかたが出てくるだろう。「人が大切にしている命を奪ってしまうのは悪いことだから」という答えが出てきたら、さらにもう一度「なぜ」と言ってみる。
たしかに人が大切にしているものを奪うのは悪いことかもしれない。ではピストルで人をバンと撃ったとする。相手は死んでしまった。人の命を奪ったのだから、悪いといえる。ではピストルで撃ったけれどはずれた場合はどうなるのだろう。
これは殺人未遂といって、日本では犯罪として処罰される。しかも日本の刑法では殺人未遂と殺人は同じ刑罰でよしとされている。殺人既遂と殺人未遂という言い方をするのだが、殺人既遂罪を犯した者に対する刑罰も、殺人未遂罪を犯した者に対する刑罰も、ともに同じ重さの刑罰でかまわない。
だがそこで「なぜ」である。殺人未遂は人が死んでいない。弾がはずれているのだから、人の命を奪っていない。もし大切なものを奪ったから、悪いことなので、処罰されるのだ、ということになると、殺人未遂は命を奪っていないので、悪くないという話になって、この理屈は少しおかしいと気がつく。
■弾が不発だったのか、モデルガンだったのか、それとも…
では最初に戻って、「悪い」とはなんだろうと考える。弾ははずれたが、ひょっとしたら当たっていたかもしれないので、危険である。ピストルを撃った時点で死ぬ可能性があったのだから、危険性があったということだ。人の命を奪う危険性があったのだから、やはり悪いことだといえる。
ではもう一度考える。ピストルを撃ったけれど、弾が出なかった場合はどうか。ピストルの手入れが悪くて不発だったのか、弾を入れ忘れていたのか、そもそもピストルがモデルガンだったのか、おもちゃのピストルで弾の代わりに旗が出てきてしまったのか。どこまでが悪くて、どこまでが悪くないのだろう。どうやって「悪い」を判断するのだろう。
さらに考える。弾が入っていなければ、自然科学的に見ても、絶対人を殺せないのだから、危険性はない。この場合は悪いとはいえないのではないか。
ならば、弾が入ったピストルで撃ったとき、ピストルが不良品で弾がまっすぐ飛ばなかったり、たまたま風が吹いて弾道がずれて当たらなかったりすると、その人はそのピストルで引き金を引いても、自然科学的に絶対人を殺せない状態だったのだから、その人は悪くない、処罰しなくていいと言われると、ちょっとおかしい気がする。
弾がはずれたのと、弾を入れ忘れたのとでは、どこが同じでどこが違うのだろうか、と共通点と相違点を探していく。
「なぜ」「なぜ」「なぜ」と三回くらい掘り下げて精度をあげていくと本質に近づき、考えが深まるのである。
じつはこれは、「悩んだとき」にもおすすめの方法だ。
■発言の後に「なぜなら」を自然につける
たとえば、人生に不安を感じているとする。「なぜ」不安なのか? 司法試験に落ちるかもしれないから。「なぜ」試験に落ちると不安なのか? 浪人できないから。親の悲しむ顔が見たくないから。「なぜ」浪人できないのか? 「なぜ」親の悲しむ顔が見たくないのか? そう考えていくと、案外、不安の種は小さいことだったりする。
そのためにもふだんから「なぜ」と考えるクセをつけておくのはおすすめである。
私は、「なぜなら」を頭の中で口癖にしている。自分が何か言ったあとに必ず「なぜなら」と頭の中で自分に向かって言ってみるのだ。
発言の最後には「なぜなら」がもれなくついてくるように、クセをつけてしまう。ちょうど朝起きたら、自動的に歯を磨くのと同じである。そうすれば、知らず知らずのうちに、「考える練習」ができている。
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弁護士、伊藤塾塾長
1958年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業。81年司法試験に合格。95年「伊藤真の司法試験塾(現・伊藤塾)」を開設。日弁連憲法問題対策本部副本部長。「一人一票実現国民会議」発起人。著書に『10代の憲法な毎日』『考え抜く力』『本質をつかむ思考法』『憲法の力』など多数。
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(弁護士、伊藤塾塾長 伊藤 真)
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