客は1日5人"ポンコツ"駄菓子屋が年商9億円超に…5000種が並ぶ日本一の売り場にポテチもポッキーもない理由
プレジデントオンライン / 2025年1月31日 10時15分
■5000種の駄菓子販売で、12期連続黒字決算
岡山県瀬戸内市ののどかな田園地帯に、年間100万人もの客が駆けつける倉庫がある。同市の人口は3万人台だが、駐車場には、いつも近隣の大阪や兵庫、愛媛、徳島からやってきた車がズラリ。
そのお目当ては、駄菓子だ。入り口には「日本一のだがし売場」の手づくり看板が掲げられ、750坪(およそ畳1500枚分)の広さにカラフルなお菓子やおもちゃが、所狭しと陳列されている。その数、約5000種。さながら駄菓子のテーマパークといったところだ。
平均客単価は3000円。子どもだけでなく、大人も文字通り“大人買い”をし、つい財布の紐がゆるむ。カゴいっぱいに買い込むすべてのひとが満足げな笑顔を浮かべて、帰路につく。
「日本一のだがし売場」を運営するのは大町(本社:岡山県瀬戸内市)。代表・秋山秀行さん(66)が2011年にスタートさせた。
たくさんの客に愛され、順風満帆に見える秋山さんの商売人生だが、ここに至るまでの道は険しかった。何度も経営危機に見舞われたという。
■経営知識がゼロのまま跡を継ぎ、4度の経営危機に陥る
同社はもともと、食品卸売業として戦後1952(昭和27)年に岡山市内に設立された。祖父の戦死を受け、秋山さんの祖母・玉恵さんが生計を立てていくために一念発起して立ち上げた。父・忠宏さんは、生計支援のために高校を1年で辞めざるを得ず、祖母の創業期を支えた。秋山さんは1958年に生まれ、当時住み込みの社員や祖母に目をかけられて育ったという。
「祖母は『なんとかなる!』が口癖の、とても豪快な人でした。友だちにちょっかいかけてしょっちゅう廊下に立たされているやんちゃな僕をずっと肯定してくれて、すっかりばあちゃん子に育ちました。小さな頃から『あんたは大町の跡継ぎやからな』と言われ続け、それが当たり前と思っていました」
大学卒業後は「家業に入る前に好きなことをやりたい」と、京都の大手百貨店に入社。婦人服や小物販売などを任され、直接販売の他、外商、訪問販売、通販と、小売業の一切を現場で学んだ。
しかし、スーパーマーケットが普及した1985年頃、食品卸業界内での価格競争が激化。同社の業績も悪化した。知らせを受けた秋山さんは岡山に戻り、家業に入社する。
2代目の父から経営をバトンタッチしたものの、秋山さんには経営の知識はゼロ。コストカットのために社員を解雇したり、営業ノルマに月に1000万円を課したりした。業績アップを図るために、売上至上主義を信じて突き進んだが……。
1996年、近隣で発生したO-157騒動に巻き込まれて一度目の経営危機に陥る。
何とかしのいだ後、1999年に代表就任後も逆風にさらされる。2002年の雪印産地偽装事件、2007年のおたべ賞味期限偽装事件、同年の赤福偽装事件にも見舞われ、被害を受けた側ではあったが、食品を取り扱う卸売会社として顧客や関係者への説明対応に追われた。
「ずっと綱渡り状態で、常にギリギリでした」
情勢が落ち着いた2010年、40代前半の秋山さんは新規事業で「一発逆転を狙おう」と新入社員を一気に16人を採用した。地産地消の食品ブランドや輸入菓子の100円ショップを思いつくままに作り、手を打ち続けるものの、やることなすこと失敗に終わる。投資しても全く回収されず、社員の信用も失った。極め付きは、大口顧客のスーパーからの事業撤退だった。現在の社屋は、中四国最大級の配送センターとして倉庫を建設したが使用する顧客が不在となり、最悪の結果になった。
「がらんどうの倉庫を前に、愕然としましたよ。すべて失敗。社員は呆れ、疲弊しきっていました」
廃業、倒産という言葉も頭にちらついた。絶望的な気持ちの中、僕は次どうしたらいいのだろうかと自問自答した結果、決めたのが「会社を大きくすることは一切考えないようにしよう。楽しいことだけやろう」だった……。だが、このまさかの開き直りが幸いにも吉と出た。
■「経営者」を捨てて、子どもたちの目線で売り場を作る
自分が楽しいと思うこと。必死に考えた秋山さんは家業を継いだ当初から年2回開催していたイベントを進化させることを思いつく。賞味期限が近づいたお菓子の在庫処分市で、子どもやその親など例年5000人ほどが来るほどの賑わいだった。子どもに関わるのが好きな自分の特性を生かせないか、という苦肉の策である。
「今思うと浅はかなんですけどね、これを“毎日”やったろかなと」
もちろん社員は大反対。しかし「経費をかけない条件で、勝手にやってください」と半ば諦めにも似た空気のなか、秋山さんとパート1人で駄菓子販売をスタートさせた。投資金額5万円。廃材を集めて棚を手作りして、約20坪のスペースを使って菓子小売店「もったいない広場」を作った。2011年4月のことだった。
当初は1日にたった5人の来客で、売上は2000円ほど。賞味期限当日のお菓子は、来店する子どもたちにタダで配った。噂を聞きつけた子どもたちが「お菓子をもらいに」遊びに来た。「経営面で見ると、ポンコツでしたね」。
その後も子どもたちとの交流は続く。楽しくはあるが、儲けは薄い。だが、あることがターニングポイントになって、店が活気づいたのだ。それは、ある日来店した子どもがこう秋山さんに文句を言ったことがきっかけ。
「○○スーパーには5種類のうまい棒があるのに、ここには2種類しか置いていない!」
そう焚きつけられ、悔しくなった秋山さんは「それやったら全種類揃えるわ!」と16種類を仕入れた。以来、他店にないお菓子のリクエストがあれば、全部取り揃えるようにしたという。
「ウチには昔も今も、売れ筋のポテトチップスやポッキーは置いてないんです。人気の低い売れないものを売ってるのがウチの強み。そのほうが子どもたちが喜んでくれるんですよ」
秋山さんは、子どもやかつて子どもだったすべての大人の要望を聞き、その都度すべて応えてきた。他にも、子どもが一人で計算できるように小さな駄菓子にも値札をつける。10円単位の価格設定にする。幼児がひとりで取れる高さの商品棚、スペースに整えた。膨大な品数だが、賞味期限管理も怠らない。メーカー希望小売価格での販売なので、誰も損しない。
そうやってほとんど利益を追わず、「子ども目線」で非効率なことばかり追求していたわけだが、気づけば売上が右肩上がりになっていて一番驚いたのは当の秋山さんだった。「手が掛かることばっかりでしょ? でも子どもの笑顔を優先した結果なんですよね」。
当初はお菓子を万引きする子どももいたが、警察に突き出すことはしなかった。
「1年に9人くらいの子どもを捕まえました。僕は子どもが大好きなんで、ウチの店からは犯罪者を出すわけにはいかなかった。ウチに来たら元気になって帰ってもらいたいんです。とはいえ、悪事を働いたらちゃんと厳しい姿勢は見せないとダメ。だから親御さんにも伝えたうえで、うちで1週間しっかり働いてもらいました。仕事内容はトイレなどの掃除、棚のDIYなど。最終日は『ありがとうございました!』と笑顔で挨拶するようになっていた。顔つきがまるでちがって、うれしかったなあ。今でも『社長!』と電話をくれる子もいます」
わずか20坪の売場面積「もったいない広場」は、品数が増えるのに比例して面積が拡張。2015年4月、「日本一のだがし売場」に改称した。秋山さんがやることに文句を言う社員はひとりもいなかった。
■石巻イベントに向けて、ローマ法王からのメッセージ
子どもに大人気の駄菓子屋のおっちゃん=「だがしおじさん」として、として名をはせた秋山さん。話はこれで終わらない。菓子小売業のかたわら、日本を飛び越えて世界の子どもに駄菓子を広めた功労者にもなったのである。
いったいどういうことか。
事の発端は、2014年11月に開催されたフランスのパリ及びナントで日本文化を発信するイベント「SAMURAI JAPONフランスツアー」。秋山さんの知り合いが同イベントの関係者で、声が掛かり出展者として参加することになった。本イベントでの売上の一部が東日本大震災の基金になることもあり、フランスでの駄菓子の販売が許可された。
秋山さんはフランスに駄菓子を持ち込み、日本の菓子文化として披露することを思いつく。フランスでは、お菓子は、大人が子どもに買い与えるものという認識が一般的だ。一方、日本の駄菓子は、子どもがお小遣いの範囲で買える廉価なものといった具合。両国において、お菓子文化のそもそもの相違があった。
1ユーロ(当時140円)で的当てゲームをしたら3つ取り放題という縁日のようなブースを企画した。用意した駄菓子は30種類。ブース前に来た子どもたちの目は、みんなキラキラしていた。2日間で「数え切れないほど」の子どもたちが押し寄せ、大盛況となった。
秋山さんはこの経験で確信する。駄菓子に国境はなく、世界中の子どもたちを笑顔にする力があると。
帰国後、秋山さんは即行動に移す。駄菓子を通じて「世界中の人々の笑顔に貢献する」団体を設立するべく、菓子メーカー1社1社を訪問し、フランスでの出来事を熱弁した。ココアシガレットのオリオン、芋けんぴの澁谷食品など、菓子メーカーとおもちゃメーカー18社が秋山さんの熱意に賛同し、2015年4月「DAGASHIで世界を笑顔にする会」の発起人会を開催。同年12月の2度目の「SAMURAI JAPONフランスツアー」に大町含む4社で出展し、再び大成功を収めた。
後日、3月12日を「だがしの日」として正式登録する運びに。東日本大震災が起こった3月11日のあくる日である。そのため、2015年12月に東京都恩賜上野動物公園で開催した「一般社団法人DAGASHIで世界を笑顔にする会」(以下、だがしの会)設立総会には福島県から避難している家族を招待し、総勢約8000人が来場する大きなイベントになった。以来、毎年3月12日に「だがしの日」イベントを催す。
「いつか必ず被災地でイベントを開催する」という秋山さんの願いは2018年に実現することになった。経営者セミナーで知り合った人が石巻出身で、トントン拍子に企画が進んだ。
さらに導かれるように、秋山さんの人脈が想定外の出来事を成就させる。駄菓子で世界平和を実現したいと願う秋山さんの志が奇跡を起こしたのだ。
秋山さんが尊敬する精神科医の山本昌知氏の伝手で、カトリック大阪大司教の前田万葉氏と繋がる。前田氏から、ローマ教皇庁福音宣教長官フェルナンド・フィローニ枢機卿来日の情報を受け、秋山さんはすぐに駆けつけた。そこで、平和を願うメッセージを賜りたいという内容の手紙を手渡すことができたという。
すると……2018年2月16日、ローマ法王からメッセージが本当に届いたのだ。内容は、東日本大震災の被災者への哀悼の念と世界平和を目指すだがしの会への祈り。その文面は石巻イベントで読み上げられた。秋山さんの思いと行動力、そして駄菓子の力がローマの枢機卿をも動かしたのだ。
「第10回目となる2025年3月12日のイベントは昨年被災した能登で開催します。菓子メーカーと一緒に現地に出向いて、駄菓子を手渡してきます。寄付して終わりじゃなく、顔と顔をちゃんと突き合わせてね」
総額1500万円分の20万個もの駄菓子を、社員総出で約540カ所分を仕分けするその現場は、笑いが絶えないのだという。
跡を継いだ当初から秋山さんを見守ってきた同社の桜間博史さんは「社長は頭で考えるより先に、志で瞬間的に動いてしまう人。まっすぐなんです。だから憎めないんですよね」と笑って振り返る。
秋山さん率いる会社のだがし事業は当初、1日の客数がわずか5人というもはや商売とはいえない規模だったが、2023年度の売上は約9億5000万円。典型的な薄利多売ビジネスではあるものの、だがし事業の効果で会社知名度も高まり、食品卸や農産物直販などを含む全社の経常利益で見ると12年間で約55倍(2012年約247万円→2024年1億3642万9000円)の伸び幅を記録し、12期連続の黒字決算を達成した。
「駄菓子で世界中の子どもを笑顔にする」。秋山さんは子どもたちと全力で遊ぶために、日々走り続ける。
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フリーランスライター
1979年生まれ。ジャンルレスで地域のヒト・モノ・コトの魅力を伝えるフリーライターとして活動中。兵庫県在住。
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(フリーランスライター 野内 菜々)
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