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【追悼・森永卓郎氏】67歳でのデビューに向けて着々と準備が進んでいる…森永卓郎さんが残りの人生をかける意外すぎるジャンル

プレジデントオンライン / 2025年2月2日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kimberrywood

原発不明のがんで闘病していた経済アナリストの森永卓郎さんが、1月28日亡くなった。67才だった。生前、プレジデントオンラインで掲載した森永さんの記事をお届けする――。
本当に自由な生き方とは何か。経済ジャーナリストの森永卓郎さんは「私がいま『言いたい放題』『書きたい放題』やっても、暗殺者から見逃されているのは、おそらく私ががん患者で『もうすぐ死ぬ』という最強のカードを持っているからだ。余命宣告を受け、完全なる自由を獲得した私に果たせることは、まだまだ残されている」という――。

※本稿は、森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。

■もうすぐ死ぬから「言いたい放題」「書きたい放題」で生きる

私は65歳になり公的年金を受給することにした。これですべての仕事を失っても食うには困らないという状況を迎え、私の自由は第二ステージに突入し、「完全にはみ出す」ことを厭わなくなった。

そうして書き始めたのが、『ザイム真理教』であり、『書いてはいけない』だったのだ。

そして今、私はがんになったことで、自由の第三ステージを迎えている。余命宣告を受けていることを公表する前に『書いてはいけない』を出版していたら、私は逮捕されていたか、最悪、暗殺されていたかもしれない。

事実、テレビメディアの世界からは抹殺されたが、暗殺者から見逃されているのは、おそらく私が「もうすぐ死ぬ」という最強のカードを持っているからだ。

放っておいても死ぬ人間をわざわざリスクを冒してまで殺す必要はないと誰もが思うだろう。

かくして私は「言いたい放題」「書きたい放題」という完全なる自由を獲得している。ただ国民を扇動しようという気はない。真実を知った人が何を感じ、どんな行動に出るのかは、それこそ自由なのだ。私は一般庶民が知りようのなかったことを明るみに出して、人々に判断材料を提供しているに過ぎない。

■死を目前にした人間でなければできないことがある

誰もが真実を知る権利がある。そうでなければ正しく判断することも、真に覚悟を決めることもできないのだ。

一部の人間だけが極めて重要なことを把握していて、国民を自分達の都合のいいように操作しようという体制はゆがんでいる。

フェアーじゃない。多くのジャーナリストがそう思っているに違いないのだが、私がそうであったように、これからも生きていくことを思えば怯む。

その結果、権力に加担しなければ誠意があるほうだと考えて、ギリギリの線を行く。つまり、死を目前にした人間でなければできないことがあるということだ。

余命宣告を受け、完全なる自由を獲得した私に果たせることは、まだまだ残されていると感じている。

■食べていくための仕事の他に、好きな仕事や趣味を

別にジャーナリストでなくても、老後は誰でも自由を獲得できるようになる。

退職して初めて迎えた元旦に愕然としたという話を聞いたことがある。昨年に比べて届いた年賀状が10分の1に減ったというのだ。

私は当たり前のことじゃないかと思った。仕事つながりの人間は仕事の幕を閉じれば離れていく。そこに虚しさを感じるなんてバカバカしい。

それより浮世の義理から卒業したと捉えたほうがいい。

そして仕事から離れ、本当にやりたいことをするために24時間、365日を使える喜びに浸るべきだ。自由を謳歌すべきなのだ。

現役中の人には、食べていくための仕事の他に、お金にはならずとも自分が好きな仕事を持つことを勧めたい。

仕事に限らず、趣味でもいい、ボランティアでもいい。一つの世界しかないというところから脱出すれば、人は自由を味わえる。

私にとって経済アナリストという仕事は、必ずしも本業ではない。単にカネが稼げている仕事になっているだけだ。それはそれでありがたいことなのだが、他にもやっている仕事はたくさんあって、それらの仕事はお金になっていないだけなのだ。

私は学生に「夢を持ってはいけない」と言い続けている。いつか叶うといいなと描く夢は、ほとんど実現しない。

持つべきものは夢ではなく、課題(タスク)だ。やりたいことはすぐにやる。

そして毎日1ミリでも前進する。それがゴールに近づく最短経路なのだ。

アスファルトの道
写真=iStock.com/FotografieLink
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FotografieLink

■歌人として生きていきたい

まったく知られていないが、私は歌人もしている。

あるテレビ番組で女流歌人と共演したのがきっかけで歌を詠むことに目覚めたのだ。普段、経済というギラギラした分野で仕事をしていた私は、女流歌人との会話を通じて彼女の瑞々しい感性に強く惹かれた。

季節の香り、子供の元気な声、空の色、人の儚さ……。そんなことは考えたこともなかった私にとって、彼女との出会いは衝撃的だった。女流歌人の歌に感動した私は、次の瞬間、自分も歌人になりたいと思った。

それからというもの、折に触れて歌を詠むようになったが、誰も相手にしてくれなかった。しかし2018年にNHKの短歌の番組にゲストとして呼ばれたのだ。歌人デビューの絶好のチャンスを逃す手はないと、私は前のめりになって司会者に「歌人として生きていきたいんですけど」と打ち明けた。

だが司会者に「森永さん、いま短歌の世界で、短歌でご飯が食べられているのは、俵万智さん一人しかいないんですよ」と言われた。

だからいま私は二人目を目指している。『プレバト‼』という番組で夏井いつき先生のファンになって以来、俳句にもハマっている。

『プレバト‼』に出て夏井先生への恋の句を書いて先生の逆鱗に触れ、笑いを取るというプランを練っているが、未だにお呼びがかからない。

俳句を考える人
写真=iStock.com/paylessimages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/paylessimages

■名前の中に「エロ」があるパッとしない落語家に

落語家としては笑福亭呂光という立派な名前を持っている。

ニッポン放送の笑福亭鶴光師匠の番組に、私が2003年の半年間レギュラー出演していた『ショウアップナイターニュース』というラジオ番組の宣伝のために押しかけた時、師匠から「アスパラガスとかけてなんと解く」となぞかけを出題された。私は咄嗟に「乳頭と解きます」と答えた。

その心は「マヨネーズをかけると美味しく食べられます」。これが師匠に気に入られ、なんと私は弟子入りを許されたのだ。

「乳頭なぞかけ」を得意技としていることから笑福亭呂光。ショウフクテエロコウと名前の中に「エロ」がある。しかし残念ながら「乳頭なぞかけ」のニーズは低く、ラジオ番組のイベントで時折披露するだけで、落語家としての活動はパッとしない。

■歌手でいる時はがんのことを忘れられる

歌手として私はこれまでに、中野サンプラザやよみうりホール、日比谷公園の野外ステージなどの大きな舞台にも立っている。歌は好きだが上手くはない。上手くはないが音痴というほどでもない。

とにかく歌うことが好きなのだからと歌手を目指すことにした。

15年くらい前にカラオケルームでデモテープを作り、マネージャーに頼んでレコード会社に持ち込んでもらったのだ。

箸にも棒にもかからなかったが、かくなるうえはとラジオのイベントで歌わせてもらうことにした。

昨年は東京国際フォーラムで4000人のお客さんを前に、沢田研二さんの「TOKIO」と、少年隊の「仮面舞踏会」と、髙橋真梨子さんの「for you…」を歌った。あんなに気持ちよかったことはない。

今年の7月にもニッポン放送の70周年記念イベントで、「ホワイトバタフライズ」というユニットを結成している垣花正アナウンサーと「モリタクマーチ」を歌ったばかりだ。楽しくて、気づけばがんのことなど忘れて熱唱していた。

ホワイトバタフライズ
ホワイトバタフライズ(出所=『身辺整理 死ぬまでにやること』)

■写真を撮るワクワク感を楽しむ

カメラをやり始めたのは高校時代だ。撮り続けているうちに、日経BPの雑誌で巻頭グラビアを担当するというチャンスにも恵まれたが、視点がマニアック過ぎたのかリストラされてしまった。

しかしその後もカメラ熱は冷めず、2004年に『ミニカーからすべてを学んだ』という本を出版した時には、一晩で800台の撮影をした。

取材にもデジタルカメラを持ち歩き、出張では少なくとも一日に150枚くらい撮っていた。もはや質より量の世界なのだ。

写真エージェンシーから写真を借りると高いので、空とか建物とか公共施設といった目につくものを手当たり次第に撮って、安く貸し出すことを思いつき、ひたすらに撮りためていたのだ。たぶんお蔵入りになると思うが、それはそれで構わない。

レンズを覗きながらシャッターを切る瞬間のワクワク感を存分に楽しんだ、それだけで満足なのだ。

■67歳にして絵本作家デビューは近い

モリオ。これが童話作家としての私のペンネームだ。

森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)
森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)

名づけ親は林真理子さん。私のラジオに林さんをお招きした際、童話を書いているという話をしたところ、「どんどんお書きなさい」という言葉と共にペンネームを授けてくださったのだ。

プロとして認められたわけではないが、認められたような気がして妙に嬉しかったのを覚えている。童話を書きたいと思ったのは、経済の本を何冊出しても売れるのは最初の数カ月だけだと虚しさを覚えたからだ。

もっとも経済の話は旬のネタを求められるので腐りやすいという性質がある。

しかし童話なら経済の話であっても普遍的なテーマを取り上げることができるということで、打倒イソップを掲げて、新しい寓話を創作することにした。

ところが経済の本はいくらでも企画が通るのに、童話を書きたいと伝えると編集者の顔が曇る。

いいところまで進んでも出版にこぎつけずに頓挫するといったことを繰り返していた。そこで、当時連載していた神戸新聞の記事を強引に童話化してみたのだが、一回で連載は打ち切りになってしまった。次に自分の経済に関する本のあとがきを童話にしたのだが、一向に話題にならない。

しかし私は次なる手を思いついた。

『がん闘病日記』(発行・三五館シンシャ、発売・フォレスト出版)に渾身の自信作『星の砂』を含めた6作を載せてほしいと頼んだのだ。

そして再び閃いた。本書でも新作寓話を紹介しようと。

『クラゲとペンギン』
出所=『身辺整理 死ぬまでにやること』

自画自賛だが、『クラゲとペンギン』は実にいい話だと思っている。

こうした努力が実を結び、いま私の絵本は出版に向けて着々と準備が進んでいる。67歳にして絵本作家デビューは近いのだ。

(初公開日:2024年11月30日)

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森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。

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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)

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