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幸せに老いたいなら知るべき…92歳の評論家が「年金も貯蓄もない」80代女性に諭した「人生3つの滑り台」の怖さ

プレジデントオンライン / 2025年2月12日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/itasun

幸せに老いる秘訣はなにか。評論家の樋口恵子さんは「まわりに何と言われようと、手放してはいけないものがある。尊厳を守るために、絶対必要なものだ」という。樋口さんが老いの悩みに答えた『そうだ!ヒグチさんに聞いてみよう 92歳に学ぶ老いを楽しく生きるコツ』(宝島社)から一部を紹介する――。

■長生きは喜ばしいが

Q1)60代半ばですが、老後のお金が心配になるときがあります。

物みな値上がりし、税金の負担も増えていきます。年金で生活する多くの高齢者には、うれしくない方向に世の中は向かっているようです。

先行き不透明なうえに、80代半ばまでの老後の資金計画を立ててはみたものの、人生100年時代が現実のものになりつつあり、「あと10年以上ある。どうしよう」と思っている方も多いのではないでしょうか。

私は、子どもは一人しかいないので、あまりお金がかかりませんでした。ずっと働いていたので、経済的には恵まれていたほうだと思っています。

ところが、84歳で家を建て替えた時には、虎の子の蓄えが少なくなり、落ち込んで暗い気持ちになりました。ですから心配のお気持ちは痛いほどわかります。でも、おかげ様で娘との快適な暮らしを手に入れました、財産の使い時というのはあるのだと、前向きに考えることにしました。

■年金だけで暮らせる人は多くない

昔、「私は体が弱いからそう長生きはできない」と言っていた友人でも、70代を迎えています。70代になった人は、90%くらい90歳には達するという話です。ですから覚悟を固めましょう。

とはいえ、60代の相談者さんでもあと30年以上、気の遠くなるような未来です。それなりの年金があるとしても、それだけで暮らせる人はそう多くはないでしょう。

今の日本は空前の人手不足です。60代、70代でも現役で仕事をしている方は、いっぱいいらっしゃいます。仕事を探す、あるいは続けることで収入を確保しましょう。仕事をすることで、社会参加にもつながります。うまくご自分に合う仕事にめぐり合うことができれば、気持ちも前向きになります。

■老後に大金がかかる2つのこと

収入を増やすことの裏返しで、節約にも励みましょう。

雨風を防ぐ家があれば、暮らしは何とかなると思う方も多いかもしれませんが、家も年をとります。家持ちの方も、家の修繕にはお金がかかりますし、大病をするかもしれません。私も89歳でがんの手術をしました。大金が出るのは、この2つぐらいかしら。

食費の節約は、テレビの料理番組や雑誌などで安い節約レシピをたくさん紹介しています。栄養バランスも考えているようですよ。今から節約レシピをメモしておいたらいかが?

私は若い頃、食費の節約のため缶詰を大いに活用しました。備えあれば憂いなしです。

ヨタヘロ期のために、助成制度はじめ、たくさんの情報を集めておいてください。

■〈人生100年時代〉の提唱

余談になりますが、「人生100年時代」を最初に提唱したのは、私のようなのです。

『現代用語の基礎知識』(自由国民社)は、現在でも年度版として毎年刊行されていますが、その2016年版に「人生100年時代」と書きました。時代にあっていたのでしょう。それからあれよあれよと広がっていき、私も「人生100年時代」の旗を高く掲げるようにしました。

あまりに早く寿命が延びたため、社会制度がそれに追いついていない感がありますが、徐々に社会制度も整ってくると思いますので、準備をしておけば思い悩むほどのことはないと思います。

■80代までよくぞ頑張られました

Q2)80代ですが、無年金で蓄えが尽きてしまいました。もし、認知症になったら息子、娘に迷惑をかけるのではないかと心配です。

現在80代ということは、1980年代半ばの、あのバブルの時代に働き盛りだった世代ですね。

あの頃は女性運動も盛んで、私の周りにはフリーランスのライター、デザイナーなど、メディアで活躍されている方も多くいらっしゃいました。そういう方々は年金を信じておらず、加入していない方がほとんどでした。世の中の好景気で収入も高く、海外旅行などにもしょっちゅう行っていました。

私はそういう仲間に、「派手に暮らさず、年金のない老後に備えて貯金をしましょう」と言ったものです。相談者さんも、そう思ってきちっと蓄えをされていたのだと思います。

ただ、当時は人生80年時代でした。人生100年時代と、20年も寿命が延びて計画が狂ってしまわれたのですね。

暗い部屋で泣くシニア女性
写真=iStock.com/Hartmut Kosig
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hartmut Kosig

■女の人生3つの滑り台

生まれた時は、ほぼ男女同数です。でも時を経るにつけ、このバランスは徐々に崩れていきます。

2024年度の高齢社会白書によりますと、65歳~74歳人口の男女比は、女性を100とすると男性は92です。男性も長生きになったのですね。85歳から94歳人口での男女比は、50対100と大きく差が開きます。やはり女性のほうが圧倒的に長生きなのです。

高齢者世帯の9割以上が何らかの年金を受給されています。高齢者の生活は年金で支えられていると言っても間違いないと思います。

ところが、女性には年金と縁が切れる3つの滑り台が待ち受けているのです。

相談者さんが、もし会社に勤めていて、年金に加入していたとしても、当時は加入期間が25年以上でないと年金を受給できませんでした。

■国が想定していた“女性像”

待ち受ける第1の滑り台は妊娠、出産です。結婚で退職する方は徐々に減っていきましたが、子どもができると会社を辞めるのが当たり前の風景でした。

第2の滑り台は、第1の滑り台をかわして、働き続けたとしても2番目を産むかどうか、子どもが小学校に上がった、夫が転勤になったなどで働き続けるのが難しくなる。

第3の滑り台は、40代~50代の介護離職です。

これらの滑り台で女性が年金制度から滑り落ちるのです。こうして女性は家庭に引き戻され、年金を積み立てて老後に備える機会を奪われたといっても過言ではありません。女性は結婚して夫の収入で安定した暮らしをし、夫に先立たれた場合は、遺族年金で安定した暮らしを、と国は考えているようですが、そこから滑り落ちた女性たちがたくさんいらっしゃるのです。夫婦は離婚することもあるということさえ忘れているのかもしれません。

■約40万人の滑り落ちた女性たち

私は、かつてこの状況を「貧乏ばあさん=BB大発生」と警鐘を鳴らしたことがありました。

このBB問題は過去の負の遺産であり、未来に続く大問題です。現在では、女性も定年まで働くことが多くなっています。滑り台は取り除かれて、ある世代以降はよいのですが、まだまだ、制度の隙間に滑り落ちた方々が40万人くらいいるのに可視化されていないという状況が続いています。

相談者さんも、お体が健康なら働きませんか? 私は「働くばあさん=HB」と言っています。HBはハッピーばあさんでもあります。シルバー人材センターなどで、高齢者の働く機会は創出されつつあります。心配されている認知症状が出たら介護保険を活用してください。

■夏目漱石も家計簿を付けていた

ところで、家計簿、付けていますか?

お金を数える年配の女性
写真=iStock.com/kasto80
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kasto80

私が子どもの頃は、付け払いというのがありました。

たとえば、本の御用聞きが勝手口に来たものでした。私の「少女倶楽部」、兄の「少年倶楽部」を届けてくれたり、母には「婦人公論」と「主婦の友」のどちらにされますかと勧めたりしてくれました。

届けてくれる本の代金は、その場で現金を渡すのではなく、付け払いです。毎月の末に締め、まとめてお金を払うシステムでした。通い帳というものを御用聞きさんが付けているのです。

主婦である女性は現金をほとんど持たず、支払いは夫の役目でした。この頃は、まだお財布を握っているのは男性でした。

あの大文豪夏目漱石の日記に家計簿のような記載が見えます。子どもが病気になって、部屋を暖かくする必要があり、炭代がかさむと嘆いたりしています。お金の管理は彼自身がしていたのです。

■家計管理を任されたサラリーマン妻たち

戦後になると御用聞きという形態は衰退します。

魚でも野菜でも、御用を聞いて届けてくれていたのですが、だんだんそういう商売の形がなくなり、主婦たちは買い物に出かけるようになりました。高度経済成長期に夫はサラリーマンになることが多く、日中は家にいなくなりました。女性がお財布を握る家庭が多くなったのです。

現在の費目ごとに管理する家計簿を最初に提案したのは「婦人之友」の創立者の羽仁もと子さんといわれています。

樋口恵子『そうだ!ヒグチさんに聞いてみよう 92歳に学ぶ老いを楽しく生きるコツ』(宝島社)
樋口恵子『そうだ!ヒグチさんに聞いてみよう 92歳に学ぶ老いを楽しく生きるコツ』(宝島社)

明治期に産業化が進む中で、会社員という働き方が出現し、その妻として「主婦」が生まれました。家の管理や記録を主婦の役割にすることを推奨するようになり、その考えを家計簿という形にしたのです。将来的な生活向上を目指し、貯蓄することが奨励さました。

戦中、戦後間もない頃は、国民の生活が苦しく、家計簿を付ける余裕のない人が多かったのですが、戦後もしばらくすると、日本の資本蓄積を増やすために「貯蓄推進運動」が展開されるようになりました。その具体的な施策の一つとして家計簿が利用され、1953年には『明るい生活の家計簿(現:明るい暮らしの家計簿)』が刊行されました。また、「婦人之友」をはじめとする婦人雑誌の付録に家計簿が付けられるようになり、高度経済成長期のサラリーマンの妻たちが、自分に合った形で家計簿を付けるようになったのです。

■“尊厳のある人生”に欠かせないこと

現在も女性向けの家庭雑誌で年末号の付録には家計簿が付いています。そして紙の家計簿だけでなく、パソコンやスマホで管理できるソフトやアプリもたくさん出ており、家計簿のデジタル化も進んでいるとのことです。共働き家庭も増え、家族のあり様も多様化している中、それぞれのライフスタイルに合わせて、長期的な家計の計画も提案してくれるようです。

これからは、キャッシュレス決済が主流になっていくといわれています。現金を目にすることが少なくなる中で、お金の流れを別の形で「見える化」していくことが必要となってくるでしょう。

家計簿の果たす役割はかくのごとく変化しながらも、より重要になってくると思います。私は、人の尊厳の中でも、自分のお財布の管理をすることは大切なことだと考えています。できるだけいつまでも自分で管理することを死守したいと願っています。

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樋口 恵子(ひぐち・けいこ)
東京家政大学名誉教授
1932年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、時事通信社、学研、キヤノンを経て、評論活動に入る。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」名誉理事長。

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(東京家政大学名誉教授 樋口 恵子)

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