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上半身裸の「ノーパン喫茶」の人気嬢を徹底取材…「伝説のお色気番組」が地上波で堂々と流していたすごい内容

プレジデントオンライン / 2025年2月6日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/aluxum

ワイドショー番組「トゥナイト」(1980~94年、テレビ朝日系)は、いまでも「伝説の番組」として語り継がれている。どこがすごかったのか。社会学者の太田省一さんは「政治も事件も風俗もぎりぎりのところを攻めた。今のテレビにはない強烈なパワーがあった」という――。

■番組発の流行語「ほとんどビョーキ」の意味

「『トゥナイト』見たーい」。昨年話題を独占したドラマ『不適切にもほどがある!』の阿部サダヲのセリフだ。これに「懐かしい」と思ったひとも多いはず。『トゥナイト』と言えば、往年のお色気深夜番組の代表格。だがそこには下世話な興味だけでなく、実は真面目なジャーナリズム精神もあった。ここで改めて番組の魅力と時代を振り返ってみたい。

「利根川さん、ほとんどビョーキですよ」。サングラスにちょび髭、アポロキャップを被ったリポーターの中年男性がカメラに向かい、言葉とは裏腹に楽しそうな表情で語りかける。

そのリポーターの名は山本晋也。れっきとした映画監督である。代表作として「未亡人下宿」シリーズがあるピンク映画の巨匠。赤塚不二夫やタモリとも親しく、彼らが出演し、所ジョージが主演した『下落合焼とりムービー』(1979年公開)の監督も務めた。『タモリ倶楽部』などにもよく出演していた。

一方、「利根川さん」とは『トゥナイト』の司会者である利根川裕のこと。元編集者で作家に転身した。いつも温厚でにこやか。山本晋也には「ねえ、カントク」などと名前ではなくなぜか職業で呼ぶので、並み居る映画界の巨匠たちを抑えて当時は日本一有名な映画監督になっていた。

■風俗レポートは真面目な社会学だった

『トゥナイト』は、1980年に始まったテレビ朝日の深夜番組。基本は情報番組でお色気だけが売りではなかったが、深夜ということで最新性風俗の情報が目玉になっていた。その代表的コーナーである「中年・晋也の真面目な社会学」のリポーターが、ほかならぬ山本晋也だった。

栄枯盛衰の激しい性風俗業界のなかで、山本は毎回現場に赴きリポートした。そして驚くような斬新なサービスを目の当たりにすると決まって飛び出したのが、「ほとんどビョーキ」というフレーズ。インパクト十分で、流行語にもなった。

性風俗にもいろいろあるが、なかには「よくこんなことを思いついたな」という奇想天外な、ある意味常軌を逸したものも少なくない。だがそこには共通して人間のむき出しの本性があらわになる。そしてその姿を目の前にして、あきれながら妙に感心したりもする。

だから「ほとんどビョーキ」はれっきとした褒め言葉。その根底には山本自身がエロにかかわる人間である自負、そして一流の洞察力に裏づけられた共感があった。

実際、「社会学」を謳ったこの山本のコーナーは、どんな教科書にも載ることのない現代社会の貴重かつ生々しい記録だった。

■権力に対する無言の抵抗

リポートしたなかで最も有名で反響も大きかったのは、ノーパン喫茶だろう。

ノーパン喫茶とは、ウエイトレスが下着をつけずに接客する喫茶店のこと。上半身裸で腰にはエプロンをつけているが、パンツは身につけていない(ストッキングは履いていた)。そして床は鏡張り。ただ喫茶店なので、客はお気に入りの女性を指名はできるが、基本的にはコーヒーを注文して飲むだけ。1杯1000円で30分だけ店内にいられるというようなルールだった。

コーヒー
写真=iStock.com/manbo-photo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/manbo-photo

スターも生まれた。新宿歌舞伎町のノーパン喫茶「USA」で働いていたイヴである。静岡出身のイヴは東京で遊ぶための交通費欲しさで時給の高かったこの仕事を始めた。当時2時間働いて6000円。端正な顔立ちでスタイル抜群だったこともあり、たちまち大評判に(後にポルノ映画やAVにも出演した)。常連客のなかには、2000万円が入った預金通帳を見せてプロポーズした男性もいたらしい(『現代ビジネス』2016年12月17日号)。

山本晋也は、ノーパン喫茶に入るため並んでじっと待っている男性たちを見て、「権力に対する無言の抵抗のようなもの」を感じていた。過激な性風俗には摘発の恐れが常につきまとうが、「『捕まえられるものなら捕まえてみろ』と訴えていたような気がする」とそのときの印象を振り返る(同記事)。

■お色気の裏にあるジャーナリズム

性風俗のなかにもこうした反骨精神を読み取るジャーナリズム精神は、お色気深夜番組のなかに当初からあったものだった。

お色気深夜番組の元祖と言える『11PM』(日本テレビ系、1965年放送開始)はストリップ特集やベッド体操などのお色気企画が良識派から批判され、「エロブンPM」などと揶揄もされた。

だが司会の大橋巨泉は早稲田大学政治経済学部新聞学科の出身で、元々ジャーナリズム志向が強かった。『11PM』でも「巨泉の考えるシリーズ」というコーナーをつくり、日韓問題、性教育、福祉などの硬派なテーマに踏み込んで高く評価された。

1980年代になると、深夜番組は一転して若者向けの色彩を強めていく。その先鞭をつけたのが、フジテレビ『オールナイトフジ』(1983年放送開始)である。素人の女子大生がMCやリポーターを務め、その斬新さがウケてブームを巻き起こした。とんねるずがブレークしたのもこの番組。AVを紹介するコーナーや風俗店のリポートもあり、お色気要素も残っていた。

『トゥナイト』、そしてその後継番組である『トゥナイト2』(1994年放送開始)は、この中間に位置する。大人の男性向けの部分を残しながら、若者文化も意識した内容で、性風俗だけでなく、プレイステーションの発売など当時活況を迎えていたテレビゲームについて最新情報を熱心に伝えていたのはその一例だ。

リポーターの高尾晶子や現在は国会議員の青木愛、あるいはディスコ・ジュリアナ東京のお立ち台ギャルとして有名だった「荒木師匠」こと荒木久美子など、それまでになく女性出演者が目立っていたことも特徴だった。

■「トゥナイト」が「朝生」を生んだ

『トゥナイト』でジャーナリズム精神が発揮されたのは性風俗だけではない。ほかに世を騒がせた「ロス疑惑」などの事件、そして政治の話題もよく取り上げられた。

政局が動くと出演していた政治評論家の伊藤昌哉なども記憶に残るが、もうひとり政治関連の企画にレギュラー出演していたのが田原総一朗だった。当時「政界の暴れん坊」の異名をとったハマコーこと浜田幸一と激論になり、話題を集めたこともある。

田原総一朗
田原総一朗(写真=内閣府/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

その頃田原は東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターを辞めてフリーのジャーナリストになってまだ間もなく、これが初めてのテレビ出演だった。

この番組での田原は政治が専門というわけではなかったが、とりわけ政治に関しては現役の政治家に果敢に論争を挑むスタイルが新鮮で、視聴者を惹きつけた。その評判が、同じテレビ朝日で長寿番組となった深夜討論番組『朝まで生テレビ!』(1987年放送開始)の誕生につながっていく。いわば、『トゥナイト』が『朝生』の生みの親というわけだ。

「政治と性事」などとダジャレ的に並べられたりもするが、『トゥナイト』の魅力は、この硬軟併せ持つことによるところが大きかった。

■根底にある雑誌文化

しかも政治とセックスを同じ高さの目線で扱う。それはいかにも80年代の急速に進む情報化のなかで、すべてが等価な記号として見られるようになった消費社会の反映でもあるだろう。『トゥナイト』という番組には、政治のニュースが高尚で性風俗の情報が下劣といった堅苦しい序列を破壊するパワーがあった。

そこには雑誌文化のもたらした影響もあるだろう。

司会の利根川裕は中央公論社(現・中央公論新社)の元編集者で『婦人公論』などに携わった。番組では司会進行に徹しあまり持論を語ることはなかったが、落ち着いた物腰で時に語るコメントには教養の高さがにじみ出ていた。

『トゥナイト2』の司会である石川次郎は平凡出版(現・マガジンハウス)の元編集者。『平凡パンチ』『POPEYE』など若者向け雑誌の編集に携わった。司会のオファーを受けた石川は、マスを相手にするテレビとかつて100万部以上の売り上げを誇った『平凡パンチ』を重ね合わせ、雑誌感覚で司会に臨んだ(『【昭和・平成】お色気番組グラフィティ』)。

その結果『トゥナイト2』は、同じ元雑誌編集者でも担当した雑誌の性格の違いを反映し、『トゥナイト』に比べてよりカジュアルな情報番組としての色彩を強めることになった。そうした深夜番組のカジュアル化は、もっとお色気に特化していたが飯島愛、イジリー岡田などが出演した『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系、1991年放送開始)にも共通する。時代がそれを求めていたのである。

元タレント飯島愛さんの死亡を伝える2008年12月25日付の台湾各紙
写真=共同通信社
元タレント飯島愛さんの死亡を伝える2008年12月25日付の台湾各紙 - 写真=共同通信社

■テレビが失った「ほとんどビョーキ」の精神

結局、テレビが最もパワフルだった1980年代を象徴していたのが『トゥナイト』をはじめとしたお色気深夜番組だったと言えるのかもしれない。

山本晋也と田原総一朗に共通する「ぎりぎりのところを攻める」スタイルは、テレビジャーナリズムの本領である。

テレビには映像がある。カメラに映ってしまった表情や仕草には言葉を超えた偽らざる真実が露呈する。映画監督でありテレビディレクターだった山本と田原はそのことをよくわかっていたのだろう。山本はどこかシニカル、田原は相手を挑発するというスタイルの違いはあったが、ともにリアルを浮かび上がらせる映像の力を信頼していた。

コンプライアンスの遵守を求める声の高まりなど時代も大きく変わりつつあるなか、テレビはそのパワーをどうすれば取り戻せるのだろうか?

性風俗に限らず、「ほとんどビョーキ」なものはどんな時代にも存在するだろう。まずはそれをいち早く発見する感性を研ぎ澄ますことが必要なのではないか。『トゥナイト』という番組からは、そんなことを考えさせられる。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)

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