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"ひどい企画"ほど売れる…豆腐バーのリケジョ社長・新卒初仕事は"真夏にコートを売るような"のど飴だった

プレジデントオンライン / 2025年2月11日 8時15分

「豆腐バー」を開発した東京「アサヒコ」社長の池田未央さん - 撮影=市来朋久

堅い豆腐が人気を呼んでいる。名づけて「豆腐バー」。開発した東京・西新宿「アサヒコ」の社長・池田未央さんは「自分と同じ思いの消費者は、必ずいると信じている。いつも自分自身がファーストユーザーだという発想で働いてきた」という――。

■老舗が生んだ豆腐業界の大ヒット商品

コンビニの食品コーナーに行くと、片手でそのまま食べられる「豆腐バー」という商品が売られている。日本語の商品名の横にはなぜか「TOFFU PROTEIN」のローマ字。「PROTEIN」とはたんぱく質のこと。ダブルの「F」は造語で、コレステロールや環境負荷を「OFF」するという含意で、1本当たりのたんぱく質量も前面に明記されている。

豆腐バーがコンビニで販売されるようになったのは、2020年の冬のことだ。人気商品の「サラダチキン」と似た形態だったからか、衝撃的なデビューというよりは以前から売られていたような既視感があったが、生産が追いつかないほどの人気ぶりで、発売からの累計販売数は実に累計8000万本(2024年12月末時点)。豆腐業界では希な大ヒット商品となっている。

開発したのは豆腐メーカーのアサヒコ。旧社名は朝日食品工業であり、「大山阿夫利豆腐」や「昔あげ」といった、スーパーの豆腐売り場でお馴染みの商品を製造してきた、豆腐業界の老舗である。

朝日食品工業の創業は1972年。埼玉県の行田(ぎょうだ)市で、業界に先駆けて衛生的な豆腐を大量生産できる工場を建設している(当時の社名は朝日食品)。なぜ、50年以上の歴史を持つ豆腐メーカーが豆腐バーなる“新奇な”豆腐を生み出すに至ったのか。

豆腐バー誕生の背景には、ちょっと風変わりな、ひとりの女性マーケターの奮闘があった。

■リケジョが製菓会社を選んだ動機

東京農大を卒業したひとりの“リケジョ”が、関西に本社を置くある食品メーカーに就職をしたのは1997年のことだった。

大学の林学科で「キノコの生理活性成分」について研究した彼女が選んだのは、なぜか飴をつくっている製菓会社だった。彼女の名前は池田未央(みお)さん、のちにアサヒコの社長になる人物である。

「実はキノコの活性成分って糖が連なった糖鎖(グルカン)という物質で、飴の原料の水飴も糖鎖なんです。キノコと飴は糖鎖という共通項を持っているんです」

だから飴の会社なのか? とちょっと突っ込みを入れたくなるが、そもそも池田さんが林学科を選んだ理由もふるっている。

「高校生のとき、日本製のノートの紙は世界でいちばん白いという話を聞いて、へぇ~すごいなと思ったんです。その一方で、アマゾンの森林が伐採されて環境破壊が進んでいるという話題もあって、日本の文化は包む文化だから過剰包装の問題もあるなと……」

だから林学科に進み、やがて林産物であるキノコに興味を持つようになった。池田さんは興味の赴くままに進路を選択しているように見えるが、不思議なことに、林業が斜陽産業であることについては、まったく無頓着だったようだ。

■春夏の新商品の企画を提出せよ

製菓会社では白衣を着た研究職にたずさわるつもりだった。ところが、どういうわけか開発部門に回されてしまった。思えば「研究・開発」という枠で採用されたのだから、無理もない。

当時は分煙意識などまったくない時代。営業部隊の一角(いっかく)にデスクを与えられた池田さんは、営業マンたちが吹かす紫煙にむせながら、入社間もないマーケティングのマの字も知らない状態で、春夏の新商品の企画書を提出せよと命じられた。

「たばこの煙モクモクの中で、自分ならどんな新商品が欲しいだろうって考えたら、『おいしいのど飴が欲しい……』という言葉が自然に出てきたんです」

当時、のど飴といえば、「効能」が重要だった。有効成分がたっぷりと入ったのど飴は、「良薬口に苦し」の言葉通り、苦くてマズいの当たり前。しかも、のど飴の新商品は需要が高まる秋冬に出すのが定石だった。効能より味覚重視ののど飴を、しかも春夏の新商品として出したいという池田さんの企画書は、常識外れもいいところだった。

■自分こそファーストユーザーである

池田さんは、幹部社員による企画会議の結果を、会議室のドアの外でハラハラしながら待っていた。

ドアを出てきた幹部のひとりが言った。「お前の企画書、ひどいな」。

池田さんは笑いながら、当時を振り返る。

「でも以前、せっかく買ったのど飴を全部舐め切れなかったことがトラウマになっていたし、秋冬だけじゃなくて、エアコンで喉をやられる夏にものど飴を舐めたかった。きっと、私と同じ思いの消費者は必ずいるにちがいないと。たとえ薬効成分が少なくても、飴を舐めていれば唾液の分泌が盛んになるので、喉を潤すことができます。結局、自分自身がファーストユーザーだという感覚です」

「自分こそファーストユーザー」と言う池田未央さん
撮影=市来朋久
「自分こそファーストユーザー」と言う池田未央さん - 撮影=市来朋久

「ひどい企画書」は直属の上司のはからい(あるいは温情?)で、企画承認されることになった。そして、池田さんが思い描いた通りの、味覚重視ののど飴のサンプルが出来上がってきた。パッケージには薬効ではなく、みずみずしいフルーツのイラストが描かれている。

しかし、営業マンたちの反応は散々なものだった。

「真夏にコートを売るようなもんだ」
「これ、効かないんだろう。自分で売ってきなよ」

商品サンプルは、フロアの隅に山積みにされたまま。商談に持ち出してくれる営業マンは、ひとりもいなかった。

■聞き逃さなかった一般の消費者感覚

意気消沈する池田さんを励ましてくれたのは、ひとりの派遣社員の女性だった。励ましてくれたといっても、「がんばって!」と言われたわけではない。

「彼女は庶務的な仕事をしていて、私が企画したのど飴のサンプルが届いたとき、営業マンが商談に持っていきやすいように箱から出して棚に並べてくれていたのです」

そのとき、彼女が口にした言葉を池田さんは聞き逃さなかった。

「『あっ、このパッケージかわいい』と、彼女が呟いたんです。それを聞いて私、これはイケるんじゃないかと直感したんです」

派遣の女性は当時の池田さん同様、製菓業界の素人だった。素人は業界の常識に対して無知とも言えるが、常識に染まっていないとも言える。一般の消費者と同じ感覚を持っていると言ってもいいだろう。そのひと言を直接耳にした瞬間だった。

■異例の売れ行きを示してシリーズ化

そしてある日、見るに見かねた営業マンのひとりが、某コンビニに池田さんのサンプルを持っていってくれた。むろん、ダメ元である。

ところが……。

「売れたんです! もう、やっぱり売れたでしょうって感じですよ」

味覚を重視したのど飴は異例の売れ行きを示し、季節を問わない年間商品として定着。後続の新商品も発売されて、シリーズ化されることになった。当初、年間4000万円程度しかなかったのど飴の売り上げは、3年間で約8億円と実に20倍に拡大し、他社も続々と味覚重視ののど飴を発売するようになった。

池田さんは、入社していきなり新しい市場を開拓したと言ってもいいわけだが、むろん、ビギナーズ・ラックの側面も否定できない。はたして豆腐バーもやはり、“初心者に訪れる幸運”の延長線上で生まれたものなのだろうか……?

昇る太陽に向かって手を伸ばす
写真=iStock.com/artplus
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/artplus

(後編へつづく)

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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。

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(ノンフィクションライター 山田 清機)

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