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口どけのいい豆腐専門の職人に「堅い豆腐を作って」…豆腐バーをヒットさせた女社長の職人魂を揺さぶる言葉

プレジデントオンライン / 2025年2月11日 8時16分

アサヒコ社長の池田未央さんは「お豆腐業界に関してはまったくの門外漢でした」 - 撮影=市来朋久

アサヒコの人気商品「豆腐バー」を生み出した社長の池田未央さん。マーケターとして同社に転職した当時を「お豆腐業界に関してはまったくの門外漢でしたが、なんだか面白そうだゾ……という直感で即決しました」という――。

(前編からつづく)

■「えっ、お豆腐屋さんですか?」

遡ること30年前。アサヒコ社長・池田未央さんが新卒で製菓会社に就職したのは1997年の春だった。在職した約15年間のうちに2度にわたって外資系企業に買収されている。結果、池田さんは「突然、上司が外国人になる」事態にも遭遇しているのだが、同時に、チームビルドや課題解決について貴重な経験を積むことにもなったという。

それについては後述するが、製菓会社を退職した池田さんはその後4年あまり、いくつかの洋菓子メーカーを渡り歩く中で、新商品開発のプロフェッショナルとしてのキャリアを積み重ねていった。

そんな池田さんに旧知のエージェントから連絡が入ったのは、2017年9月のことだった。

「豆腐メーカーがマーケティングのできる人を探しているんだけど、池田さんどう?」
「えっ、お豆腐屋さんですか?」

製菓業界と豆腐業界ではさすがにギャップがあり過ぎるとも思ったが、流通菓子、お土産菓子、百貨店菓子と、製菓の仕事はやり尽くした感もあった。試食で、毎日のように菓子やケーキを完食しなければならないのも、正直なところ辛かった。

「お豆腐に関してはまったくの門外漢でしたが、なんだか面白そうだゾ……という直感で即決しました」。入社は2018年4月。待遇はマーケティング部長職である。

■豆腐業界の市場規模縮小の実態

だが、入社直後からの1カ月間、豆腐業界についてリサーチを重ねた池田さんは愕然とする。豆腐は昔からある伝統食だから、それなりの市場を維持しているものと思い込んでいたが、近年は年率4~5%という勢いで市場規模が縮小していたのである。しかも、流通菓子に比べて原価率が異様に高い。水分を含んでいる豆腐は重いため、流通コストも高く日保(ひも)ちもしない。そもそも利益の薄い商売を大量生産による徹底したコストダウンによってなんとか繋いでいるのが、豆腐業界の赤裸々な実態であった。

「エライところに来てしまった!」

これが偽らざる心の叫びだったというが、そこが池田さんらしさでもある。なにしろ普通、転職というものは業界動向を精査してから決めるものだから。

市場分析を終えて、もっとたくさん豆腐を食べてもらうための提案書を作成してみたものの、正直なところ決め手に欠ける提案しかできない。他業界から部長待遇で入ってきた池田さんに対して、「何かしらやってくれるんだろうな」という社内の視線も感じていた分、プレッシャーも大きかった。

■アメリカで堅い豆腐にめぐりあう

「困ったなあ……」

思い悩む日々のなか、着任の挨拶に行ったアサヒコの親会社であるプルムウォン(韓国の健康食品会社)の統括CEOからこんな提案を受けた。

「日本市場の分析もいいけれど、違う国の市場を見るのも大切ですよ。ちょうど7月にアメリカに行くから一緒にアメリカに行ってみませんか、池田さん」

4月に入社してわずか4カ月後、池田さんは“韓国の大ボス”とともにアメリカ視察に出かけることになったのである。

いざアメリカに着いてみると、CEOは「後はご自由に」と池田さんを置いて、重要な商談に出かけてしまった。右も左も分からない状態で、仕方なくプルムウォンの米国スタッフを訪ねてみると、ロサンゼルスのスーパーマーケットを案内してくれることになった。そこで池田さんは、驚きの光景を目にする。

冷凍庫と棚を備えた大規模でモダンなスーパーマーケット
写真=iStock.com/TommL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TommL

「売り場に行ってみたら、品名が『TOFU』なんですよ。えーっ、アメリカでお豆腐売ってるんだって驚いたうえに、なんと『FIRM(堅い)』と表示されたお豆腐があったんです」

いったいこれは何ぞやと米国スタッフに尋ねてみると……。

「堅い豆腐は焼いたり、揚げたりして、BBQソースなんかをかけて食べるんだよ」

さっそく、堅い豆腐を購入してテストキッチンで調理させてもらった。

「ぎゅっと堅いお豆腐が、それはそれは美味しかった。もう、驚きの連続でした」

■「植物性たんぱく源」と豆腐を再定義

実はアサヒコは、「アルプス製法」を2000年に開発している。これは豆乳を牛乳と同じようにホモジェナイズ(分子を均一化する)することで、豆腐の口当たりを滑らかにする技術である。日本の豆腐業界は豆腐の口当たりをいかに滑らかにするかを競い合ってきたのであり、アサヒコはそのフロントランナーだった。

「ところがアメリカでは、植物由来の原料で作られた代替肉がブームになっていました。『Beyond Meat』や『Impossible Foods』といった、プラントベースミートのブランドです。堅いお豆腐も同じように、肉や魚の代わりに食べられていたんです」

堅い豆腐がアメリカでブームになっているという見聞を日本に持ち帰っただけなら、池田さんは凡百のマーケターと変わらなかっただろう。しかし、菓子業界で新商品開発を積み重ねてきた経験は、日米市場の本質的な違いを言語で明確にできる能力に実っていた。

「日本人にとってお豆腐は『伝統食』のひとつですが、アメリカ人にとっては『植物性たんぱく源』だったんです」

「伝統食」を「植物性たんぱく源」と定義変更することによって、豆腐市場はまったく違う相貌を現すことになった。

「帰国して日本のたんぱく食品市場を調査してみると、直近の10年で3倍に拡大していました。豆腐市場はどんどんシュリンクしているというのに」

入社後わずか4カ月にして、豆腐が持っているポテンシャルの核心を捉えることができたのだった。

■豆腐バーを誕生させた脳内の等式

植物性たんぱく源としての豆腐に可能性を見出した池田さんは、しかし、単に堅い豆腐を作れば売れると考えたわけではなかった。

日本のたんぱく食ブームの火付け役となったコンビニエンスストアのサラダチキンの状況を見てみると、より手軽に片手で食べることのできるスティック状の「チキンバー」へと進化を遂げていた。

「チキンバーを見て、お豆腐も四角いスティック状に加工できるんじゃないかというアイデアがひらめいたんです」

植物性たんぱく源×四角いバー=豆腐バー。頭の中に、この等式が浮かび上がった。

「日本の豆腐業界は柔らかく口どけのいいお豆腐を追究してきたわけですから、堅いお豆腐を作ろうなんて誰も考えませんでした。でも、伝統食の周りには余白があって、その余白にいろんな可能性が眠っているわけです」

味覚重視ののど飴の実績と同じパターンではあるが、明らかに違ったのは、池田さんが新商品開発の経験を積み重ねたプロフェッショナルに成長していたことだ。

■ブラマネとプロマネの経験から得たこと

豆腐バーの試作品を作るために社内の説得を始めたが、当初、堅い豆腐に理解を示す社員はわずかしかいなかった。そこで説得の核に据えたのは、自分のアイデアを背景から丁寧に説明することだった。その重要性を、外資で働いた時代の経験から学んだという。

「説得の核はアイデアを丁寧に説明すること」と言う池田未央さん
撮影=市来朋久
「説得の核はアイデアを丁寧に説明すること」と言う池田未央さん - 撮影=市来朋久

「最初に入った会社が2度も外資に買収されたことで、私はブランドマネジャーとプロダクトマネジャーというふたつのポジションを経験することができました。最初はブラマネになってブランドの成長戦略やコミュニケーション開発を担当し、のちにプロマネになって複数のブランドの製品開発を一手にコントロールする仕事を担当したのですが、プロマネになってみて初めて、ブラマネの“横暴さ”に気づくことができたんです」

ブランドマネジャーは自身が担当するブランドを第一に考えて、プロダクトマネジャーにリードタイムの短縮やコストの圧縮を要求してくるわけだが、ある種の無理強いに気づいていないケースがほとんどだという。

一方のプロダクトマネジャーは、なんとかしてその無理難題をクリアしなければならないわけだが、それには、実際に手を動かしてくれる人たちをうまく巻き込んで、チームで問題解決に取り組んでいくことが重要になる。「彼ら、彼女らがいなければ、プロマネひとりでは何もできないんです」。

だからこそ豆腐業界の置かれた状況、このままでは豆腐を作れなくなってしまうリスクがあること、そして堅い豆腐が業界の救世主となる可能性を秘めていることを縷々(るる)説明しながら、社内を説得していった。

前例のない製品を開発するには、トップダウンで個人や組織に圧力をかけるよりも、「実際に手を動かしてくれる人たち」の理解と協力を得て、チームとして取り組んだほうがいい結果を生む。池田さんはそのことを、外資での経験で身に染みて学んでいたのである。

■職人魂に訴え続けた末の勝利

丁寧な社内説明を心がけた結果、研究部門でビーカースケールの堅い豆腐を作ることはできるようになったが、試作品の製造は工場でなければできない。しかし、アサヒコ発祥の地である行田(ぎょうだ)工場の工場長は、文字通りの“頑固職人”気質(かたぎ)でプロトタイプの製造をなかなか受け入れてくれない。

40年の長きにわたって口どけのいい豆腐の製造に専念し、薄利の豆腐を単位時間当たりに何丁作れるかに命をかけてきた熟練の技術者にとって、生産性を落とす危険性のある、しかもよりによって「堅い豆腐」など異次元のものでしかなかった。

池田さんは何度も行田工場に足を運んだが、工場長から見れば「豆腐のことなど何も知らないただのおばさん」である。しばらくの間、けんもほろろの塩対応が続いた。

しかし、池田さんにはある信念があった。

「おかしな新商品なんて作りたくないと口では言いながら、でも、現場の人たちって、本来は物づくりが好きなはずなんです。新しいものに挑戦してみたくありませんか、と彼らの職人魂に訴え続ければ、必ず聞き届けてもらえると信じていました」

試作品の提案を始めてから6カ月が過ぎた頃、池田さんは勝負に出た。工場長の長年にわたる功績にじっくりと耳を傾け、心の底からリスペクトを捧げた。

「でも、なんとしても堅いお豆腐を作ってみたいんです。それには、工場長のお力がどうしても必要なんです、どうしても!」

最後の最後に、工場長はゆっくりと頷いてくれた。よーしわかった、作ってみようじゃないか。

■2.2倍のたんぱく質を含む豆腐バー

工場長の職人魂に火がつくと、プロトタイプの製造は一挙に進展することになった。池田さんが睨んだ通り、彼らは物づくりが心底好きなプロ中のプロだったのである。

かくて2019年9月、通常の豆腐の2.2倍のたんぱく質を含む豆腐バーのプロトタイプが完成する。

そのプロトタイプに改良を加えた「豆腐バー」がコンビニの棚に並んだのが、2020年の11月。池田さんは目を皿のようにして豆腐バーに関するSNSのコメントを検索し、発見するやいなや「いいね!」を押しまくった。

それでも社内は、半信半疑の空気だったという。そこへ販売先から日に日に朗報が入り始めた。「売れてます、動いていますよ、池田さん!」

豆腐バーは発売から1年で745万本を売り上げ、2021年の末に日経トレンディ・ヒット予測の「コンビニ大賞」を受賞。日経POSセレクション「大豆たんぱく食品カテゴリ」で2年連続1位獲得(2022、23年)という快挙を成し遂げることになった。

アサヒコの大ヒット商品「豆腐バー」はおかずからおやつまで網羅
撮影=市来朋久
アサヒコの大ヒット商品「豆腐バー」はおかずからおやつまで網羅 - 撮影=市来朋久

■限界をつくらない生き方の源泉

その後、プルムウォンの要請でアサヒコの社長に就任した池田さんは、前菜からデザートまでのフルコースをすべて豆腐で作る「ぜんぶとうふ化作戦」を立ち上げこれを実現。

上品な甘さの豆腐のおやつ「プリン チョコ味」(左)とカスタード風味の「プリン」(右/ソースは別売)
撮影=市来朋久
上品な甘さの豆腐のおやつ「プリン チョコ味」(左)とカスタード風味の「プリン」(右/ソースは別売) - 撮影=市来朋久

2024年4月にはシンガポール進出を果たして「豆腐で世界征服作戦」を実行に移し、現在は宇宙食への進出を目論む「宇宙征服計画」に挑戦中だという。豆腐で制覇の野望は、尽きることがないのである。

現代は野心を持たない若者が多いと聞くが、池田さんのこの野望、いったいどこから生まれてくるのだろう?

「波風のない人生を送るより、火消し役じゃありませんけれど、課題のある場所に入っていって、課題を解決したときの達成感をみんなで分かち合うほうが楽しいじゃありませんか。野望は大きければ大きいほど大きな課題が生じるわけで、課題が大きくて面倒なほど人生は面白い。だから私、『お豆腐を持って宇宙に行きたい』ってずっと言い続けているんです」

最後にもう一度、訊いた。限界をつくらない生き方を、いったいどこで身につけたのですか。

「うーん、天然ですかねえ」

池田社長はこう言って、あっけらかんと笑うのだった。

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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。

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(ノンフィクションライター 山田 清機)

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