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あの日(阪神・淡路大震災)があったからこそ、生まれてきたモノを感動的なビジュアルで伝える。『SINCE1995~あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。~』

PR TIMES / 2018年2月11日 11時1分

神戸新聞創刊120周年の2月11日(日) に掲載。

神戸新聞は、1898年2月11日に創刊し、今年で創刊120周年を迎えました。神戸新聞社(本社:兵庫県神戸市)では、創刊記念日の2月11日に合わせ、1995年の阪神・淡路大震災があったからこそ、生まれてきたモノをビジュアルで表現した11のモチーフを別刷特集『SINCE1995~あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。~』(全20ページ)にて掲載いたします。



[画像1: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-481034-0.jpg ]

■企画背景
1995年の阪神・淡路大震災で、私たちは多くのものを失いました。しかし、あの日から、 23年の時をかけてひとつひとつ、私たちの手で生み出してきたものが数多くあります。
例えば、被災者生活再建支援法です。阪神・淡路大震災発生時は公費を被災者の生活支援に充てることができませんでした。神戸から多くの声を国に上げ続けたことで、被災者生活再建支援金として支給できることになり、その後の震災でも活用されるようになりました。
このように震災の経験や教訓を生かし、 先進的に防災に取り組む「神戸の今」を、多くの方々に知っていただければと思い、この神戸新聞創刊120周年企画を実施しました。本特集を通じ、あの日がなければ生まれなかったかもしれない、自分の周りのSINCE1995を探してみていただければ幸いです。

■ビジュアルの構成
画面下の黒い部分は1995年以前の過去、存在が無かった世界にすることで、今と昔を対比で見せる凛とした佇まいのビジュアルになっています。

■各ビジュアルと言葉


[画像2: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-197607-1.jpg ]

ステートメント
23年前の1月17日。 早朝の5時46分52秒。
あの日、あの時に起きた悲しみや苦しみは今でも
ひとりひとりの心の中に沸き起こってくる。
だから…。この紙面では
あの日、あの時、私たちが失ったものではなく
あの日、あの時から、私たちが手にしたものに
思いを馳せてみたいと思ったのです。
1995年まではなかったのに、
23年の時をかけてひとつひとつ、
私たちが私たちの手で生み出してきた数々。
誇らしい気持ちを少しと、
まだまだだぞ、という叱咤を込めて。

神戸新聞創刊百二十周年企画 SINCE1995
[画像3: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-844496-2.jpg ]

災害派遣医療チーム
震災発生時、平時の救急医療が提供されていれば500名の命が助かったと報告されている。その教訓から2005年、災害専門の医療チームが生まれた。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像4: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-596227-3.jpg ]

みんなの家
仲間や親しい人々が共同で生活するコミュニティハウスのこと。阪神・淡路大震災で、 家族や住居を失った高齢者が営んだ「ふれあい住宅」が、日本での最初の事例とされる。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE199

[画像5: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-515638-4.jpg ]

学校の耐震化
全国の公立小中学校の耐震化率は2014年に初めて9割を超えた。子供達を守る鉄骨。今では見慣れた風景だが、この調査が始まった2002年はまだ4割にしか過ぎなかった。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。SINCE1995

[画像6: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-597136-5.jpg ]

被災者生活再建支援法
それまで義援金に頼っていた被災者への生活支援。この大震災を機に都道府県が拠出した基金を活用し、被災者生活再建支援金を支給することに。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像7: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-858283-6.jpg ]

ボランティア元年
138万人のボランティアが訪れた1995年。その後、数多くのボランティアの団体が生まれた。レスキュー犬のNPO団体も、そのひとつ。すべては、ここから始まった。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像8: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-274980-7.jpg ]

トリアージ
大災害の直後は多数の傷病者が発生する。そこで救える命を優先的に救うために緊急な治療を要する患者を瞬時に見つけることが重要。日本では、阪神・淡路大震災以後、定着した。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像9: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-690265-8.jpg ]

耐震性貯水槽
地震時に配水管等の施設に被害が発生したとしても、同時多発火災等の初期消火に対応できる貯水槽のこと。その設置が阪神・淡路大震災後、日本全国に拡大された。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像10: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-115922-9.jpg ]

軽量防災瓦
屋根が重いと、建物の重心位置が高くなり不安定になる。つまり、揺れも大きくなる。そこで、衝撃にも強く軽い、新素材を使った瓦が、大震災後、次々と開発されていった。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像11: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-637215-10.jpg ]

レスキューロボット
人が立ち入れない危険な場でも、要救護者の捜索や瓦礫撤去などの作業を黙々とこなす。そんな頼もしいロボット達が世界中で次々と開発されている。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

[画像12: https://prtimes.jp/i/31739/2/resize/d31739-2-331492-11.jpg ]

橋梁耐震補強
いまだ記憶に残る、635mにわたって横倒しになった神戸市東灘区の橋脚…。安全神話の崩壊を教訓に耐震補強は日本全国で一気に加速した。100%の補強はもうすぐだ。
あの日、あの時、私たちは失ったばかりではない。 SINCE1995

■高解像度の画像ダウンロードはこちら。
http://firestorage.jp/download/2fe8b233f1043f269d16eff39b35ddcae2b92db5

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