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1860年創業のスイス時計ブランド、タグ・ホイヤーが「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME 2012」の表彰式を開催

PR TIMES / 2012年10月4日 17時30分



2012年10月3日(水) 東京 港区 - LVMH ウォッチ・ジュエリー ジャパン株式会社 タグ・ホイヤー ディヴィジョンは、「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME(ジャパン・モーターレーシング・ホール・オブ・フェイム)」の表彰式を開催いたしました。昨年初めて開設された「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME」は、日本のモータースポーツをはじめ、自動車産業や自動車文化などの分野で多大なる貢献を果たしてきた功労者を表彰するもので、今年で2回目を迎えることとなりました。

http://www.tagheuer.co.jp/brand/campaign/entry-894.html

タグ・ホイヤーは、1911年に自動車・航空機用のダッシュボードクロノグラフ“タイム・オブ・トリップ”の特許を取得して以来、1933年には世界初となる車載用12時間タイマー付クロノグラフ“オウタヴィア”を発表。第二次大戦後もオウタヴィアの腕時計型を1962年に発売したのち、1964年の“カレラ”、1969年の“モナコ”、1974年の“シルバーストーン”、1975年の“モンツァ”、そして1986年の“フォーミュラ1”など、モータースポーツの息吹と伝統を体現したコレクションを世に送り出してきました。1970年代には伊・スクーデリア・フェラーリのオフィシャルサプライヤーとして、同チームのF1公式計時を担当しました。1985年以降には、英・マクラーレン社とF1GP史上最長のパートナーシップを構築しています。マクラーレン社との長きにわたる技術提携や、フォーミュラ1に参戦する ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス チームの両雄、ジェンソン・バトン選手とルイス・ハミルトン選手をアンバサダーに迎えるなど、常に自動車およびモータースポーツの歴史とともに歩んできているのです。

この約一世紀以上にわたるタグ・ホイヤーのモータースポーツと築いてきた歴史の新たな一ページとして誕生したのが、「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME」です。
今年度の「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME」は、自動車デザイナーの中村史郎氏、ル・マン24時間レースで日本人初の総合優勝を果たした関谷正徳氏、日本の自動車文化の普及に貢献した堺正章氏に加え、半世紀以上にわたって世界のモータースポーツ現場にスパークプラグを供給してきた日本特殊陶業株式会社を表彰させていただきました。また、今年より新たに日本、ひいては世界のモータースポーツ界の未来を担う若きレーサーとして、ベストヤングアワードを新設し、全日本F3選手権、フォーミュラチャレンジ・ジャパン、ポルシェ カレラカップ ジャパンの3つのカテゴリーで活躍される平川亮さんが受賞されました。

授賞式には昨年の受賞者であるGQ編集長鈴木正文氏、カーデザイナー奥山清行氏、歌手でありレーサーとしても活躍する近藤真彦氏、そして2012年のルマン24時間耐久レースで優勝を果たしたドイツ人レーシングドライバー、アンドレ・ロッテラー氏がプレゼンターとして登場しました。また特別ゲストとして、F1 ボーダフォン・マクラーレン・メルセデスのドライバーであり、タグ・ホイヤーのアンバサダー、ルイス・ハミルトン氏が会場に姿を現し、受賞者を祝いました。受賞者の方々にはプレゼンターより、楯とタグ・ホイヤーのタイムピースが手渡され、会場は拍手に包まれました。

当日受賞者の方々へは、スワロフスキーで名前の入ったモエ・エ・シャンドンのBeSpokeボトルがプレゼントされました。モエ・エ・シャンドンは、モーターレーシングでも勝利のシーンに立会い、伝統をつくってきました。 1936年、有名なイタリアのカー・レーサーであるタッツォ・ヌヴォラーリがヴァンダービルト・カップで優勝した際に贈られたモエ・エ・シャンドンのジェロボアム(3L)を直接口にし、自身の偉業を祝して以来、モーターレーシングでの祝福のパフォーマンスは全ての勝者により踏襲されることになりました。またF1の表彰台で行われているシャンパンファイトもモエ・エ・シャンドンから伝統が始まりました。1966年、スイス人ドライバーのジョー・シフェールがコルク栓の付いている針金が取れていることに気がつかず、表彰で贈られたモエ・エ・シャンドンのサルマナザール(9L)ボトルを喜びにより振ったことからこの伝統が始まりました。 

タグ・ホイヤー ジャパン社長のアントワーヌ・パンは次のように語りました。

「タグ・ホイヤーは1860年の創業以来、クルマやレースのシーンで活躍する計測機器を世に送り出してきました。また、素晴らしいドライバーたちと協力関係を築いてきたブランドです。10月を迎え日本では、F1グランプリやFIA世界耐久選手権が開催され、モーターレーシングの世界の中心となります。この時期に、世界を代表するドライバーとともに歩んできたブランドとして、そして人類の偉業を祝し、このような賞を設けさせていただきました。」

ルイス・ハミルトン氏は次のようにコメントを寄せました。

「本日はこのような場にお招きいただき、ありがとうございました。今回で7度目の来日となりますが、初来日では優勝を飾ることができ、日本は思い出の地です。鈴鹿でのレースを控えていますが、僕の目標は常に『勝つこと』です。チームとしても、今回のレースに勝ち、ポイントを獲得したいです。」

近藤真彦氏は次のように語りました。

「受賞者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。今、若い方々や子供たちのクルマ離れが続いている中、僕もクルマの素晴らしさをテレビや歌を通じて伝えていきたいと思います。」

-「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME 2012」受賞者プロフィール(50音順)

堺正章 : Masaaki Sakai

タレント。1962年グループサウンズ“ザ・スパイダース”のボーカルとしてデビュー。ザ・スパイダース解散・独立後はソロ歌手に転向、数多くのヒット曲をリリースしたほか、ドラマやバラエティ番組でも大活躍。国民的スターとなった。現在でも歌手、俳優、TV司会者などオールマイティにこなし、日本を代表するエンターテイナーの一人として圧倒的な支持を得ている。
芸能活動の傍らで、プライベートでは世界的な自動車愛好家としても知られ、日本のクラシックカー・タイムラリーの代表格“La Festa MilleMiglia(現在はLa Festa Autunnoに改称)”には、1997年の第一回から参戦。常に優勝候補の一人に目される、トップコンテンダーとなっている。さらに、クラシックカー・タイムラリーの世界最高峰とされる本国イタリアの“MilleMiglia”にもほぼ毎年のペースに参加し、わが国におけるこの種のイベントの象徴的リーダーとして尊敬されている。またタイムラリー競技には真剣に取り組む一方で、沿道に詰めかけた一般観衆との触れ合いを、ほかのどのエントラントよりも重要視。結果として、わが国における自動車文化を大衆に広めることに絶大な貢献を果たしてきた。

当日のコメント : 「本日は素敵な賞をいただき、ありがとうございます。1979年にイタリア ミッレミリアのクラシックカーレースを知り、クラシックカーの勉強を始めました。クラシックカーにある美的感覚、クルマから感じ取ることができる作った方の情熱、そしてユーザーの目の輝きを見て喜びを感じました。『大人の遊び心』をもち、それを伝えて、若い方々に夢を持っていただきたいと思います。」

関谷正徳 : Masanori Sekiya

トヨタティームトムス監督/フォーミュラ・トヨタ・レーシングスクール校長。1971年、富士500kmレースでデビュー。当初は数々の耐久レースやツーリングカーレースで活躍した。
1982年に渡英。イギリスのフォーミュラ・アトランティック選手権で6戦中5戦入賞したのち、1983年にトムス・チームと契約。1984年には全日本耐久選手権に参戦した。以後は全日本F3000選手権(現フォーミュラ・ニッポン)や全日本ツーリングカー選手権、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などで活躍する。その戦果は海外の一流レースでも目覚ましいもので、1992年にはル・マン24時間レースでトヨタTS010をドライブして総合2位入賞を果たす。さらに1995年には、マクラーレンF1GTRとともに出場。日本人初の総合優勝ドライバーとなった。
現在はスーパーGT選手権および全日本F3選手権に参戦するトムス・チームの監督を務める傍ら、フォーミュラ・トヨタ・レーシングスクールの校長としても活躍。また、トヨタのドライバー育成プロジェクトのスーパーバイザーも務め、これまでに中嶋一貴選手や小林可夢偉選手などの日本人F1ドライバーを輩出してきた。

当日のコメント : 「本日は素敵な賞をいただき、ありがとうございました。現役で30年、モーターレーシングに携わり42年となります。ルマン24時間耐久レースで2位、マクラーレンでは優勝を経験しました。現役を退いてからは校長や監督として、今後はモーターレーシング業界に役立つことに取り組みたいと思っております。そのなかでこれまで自分のやってきたことが表彰され、最高の喜びです。」

中村史郎 : Shiro Nakamura

日産自動車常務執行役員 チーフクリエイティブオフィサー(CCO)。
1974年武蔵野美術大学工業デザイン専攻卒業後、いすゞ自動車(株)に入社。1981年に米国アートセンター・カレッジ・オブ・デザインのトランスポーテーションデザイン科を首席修了。その後、GMデザインに勤務後、いすゞ自動車欧州デザインマネージャー、米国副社長、デザインセンター部長を歴任した。
1999年に日産自動車に就任したカルロス・ゴーン社長(当時COO)にヘッドハントされ同社に入社。2000年にデザイン本部長に就任以来、日産リバイバルプランの中心的存在として活躍し、日産の復活の原動力となった。さらに2001年より常務執行役員、2006年にはブランドマネージメントを兼任するチーフクリエイティブオフィサー(Chief Creative Officer =CCO)に就任。その間、フェアレディZ、キューブ、GT-R、ジューク、リーフ などの「日産」ブランド車種と、M、FX、Essence(コンセプトカー) などの「インフィニティ」ブランド車種のすべてのデザインを統括・指揮し、日本独自の美意識と日産自動車の伝統をベースとした、独創的かつ革新的なデザインを生み出している。また、日本の自動車デザイン環境を欧米並みのレベルに高めた功労者として知られる一方で、プライベートではクラシックカーにも深い造詣を持つ自動車愛好家でもあり、世界各国で開催される名門コンクール・デレガンスで審査委員を務めるなど、自動車文化の高進にも大いに貢献してきた。
2010年には国際的なデザイナー賞である米国「Eyes On Design Lifetime Achievement Award」や、その年クリエイティブな業績を上げた人物に贈られる米国 FAST COMPANY誌「100 Most Creative Person Best 4」(ちなみにベスト 1はLADY GAGA氏)に選考された。

当日のコメント : 「名誉ある賞を素晴らしい方々といただけ、そして受賞者の枠を広げデザイナーをお選びいただき、嬉しいです。このようなモーターレーシングに携わる賞はあまりないので、今後もぜひ広めていただきたいです。クルマに携わってから38年間のライフタイム・アチーブメント(人生を通して成し遂げてきた功績)で頂いたこの賞を糧にますます今後も頑張ってまいります。」

日本特殊陶業株式会社(NGKスパークプラグ)尾堂真一 : Shinichi Odoh

日本特殊陶業株式会社 代表取締役社長。日本特殊陶業株式会社は、1936年に創業。自動車エンジン用スパークプラグでは、今や世界最大手のメーカーとして知られる。
1964年には、第一期ホンダF1チームとともにF1GPにチャレンジを開始したのち、1970年代にはロータス、そして1980-90年代には第二期ホンダF1をはじめとする各チームにスパークプラグを供給。近年ではマクラーレン/メルセデスAMGやフェラーリなどの最有力チームとも独占的なテクニカルサポート関係を締結し、F1通算で280勝以上の優勝に貢献。日本発の世界トップブランドとして尊敬を集めてきた。また2輪レースの分野でも、世界の最高峰カテゴリーであるロードレース世界選手権(現Moto GP)でトップチームとテクニカルサポート契約を結ぶ一方、アマチュア向けレースを後援するなど、広い視野とともにバックアップ体制を用意してきた。
今季2012年シーズンは、4輪のF1GPではフェラーリ(スクーデリア・フェラーリ)とメルセデス(メルセデスAMGおよびマクラーレン・メルセデス)。世界ラリー選手権(WRC)ではシトロエンWRCとフォードWRCと、それぞれテクニカルサポート契約を締結。また2輪のMoto GPでは日本のホンダとヤマハ、イタリアのドゥカティなどの最有力ワークスチームとテクニカルサポート契約を締結している。
一方国内においては、ス-パーGT選手権GT500カテゴリーに参戦するホンダ、日産(ニスモ)へのテクニカルサポートを実施。2輪でのロードレースおよびモトクロスに対しても、国内4メーカーへのテクニカルサポートを実施している。そして来シーズン以降も各カテゴリーに対して、継続してテクニカルサポートを実施してゆくことが既に決定している。

当日のコメント : 「このような賞をいただき御礼申し上げます。弊社はスパークプラグの世界No.1を誇り、レース活動は1955年に二輪からスタートし、1964年にはF1に参戦いたしました。現在292勝をあげております。今後もF1発展のため総力尽くして、モーターレーシング業界に尽くしてまいります。」

-「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME 2012」 - ベストヤングアワード

平川亮 : Ryo Hirakawa

1994年3月7日に広島に生まれ、13歳でレーシングカートを始める。その後、1年10カ月で全日本ジュニアカート選手権にてデビューウィンシリーズチャンピオンを獲得し、カートを初めてから史上最短記録でのチャンピオン誕生となる。2009年にトヨタが支援する育成ドライバーに認定され、2010年には16歳でスーパーFJ日本一決定戦にて優勝を果たす。2011年、フォーミュラチャレンジ・ジャパンで2位となり、F4西日本チャンピオン・グランドチャンピオン・年間MVP、エンドレス賞、年代賞を受賞。今年は、全日本F3選手権、フォーミュラチャレンジ・ジャパン、ポルシェ カレラカップ ジャパンの3つのカテゴリーで活躍。今期F3に初参戦した平川選手は、史上3人目のデビューウィンと最年少記録を更新し、9/12に開催された第12戦では最年少でシリーズチャンピオンを獲得。

当日のコメント : 「このような光栄な賞を頂き、ありがとうございました。このような賞を頂けたのは自分の力だけでなくTOYOTAをはじめ、サポートしてくださっている皆様のおかげです。今後もより一層頑張ってまいります。」



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