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あの恐竜博士が坂井市にやってきた 日本初の巨大全身骨格 カムイサウルス発掘の小林快次教授

PR TIMES / 2024年11月19日 16時45分

福井出身、春江町の恩師の言葉が化石ハンターの原点



恐竜研究の第一人者で、日本で初めて大型恐竜の全身骨格を発掘したことで知られる北海道大学総合博物館の小林快次教授(52)=福井市出身、札幌市在住=が11月4日、福井県坂井市の市龍翔博物館で「恐竜発掘最前線 +龍にまつわる話」と題した特別講演を行った。小林さんは、「恐竜絶滅の後、恐竜と最も近い脊椎動物は爬虫類のワニである」として、「昔の中国人が恐竜の面影を残すワニの姿から、架空の動物の龍を生み出したのかもしれない」と、集まった小中学生ら恐竜ファン約70人をロマンの世界に引き込んだ。また、講演後に地元マスコミらのインタビューにも特別に応じた。小林さんは恐竜研究の意義について、「恐竜の大量絶滅を知ることが人類の将来の役に立つ」とした上で、さらに「恐竜は生命の進化を探る大事な実験台との考えもある」とし、「恐竜は巨大化したり、空を飛んだり、地球上で最大限に空間を支配した生物。それだけに生物はどこまで進化できるのか、生命の進化の可能性を探ることができる」などと述べ、恐竜研究の魅力や奥深さを語った。
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 「恐竜の生態や絶滅を調べることが、人類の未来を考える上でおおいに役に立つ」と語る小林快次・北海道大学教授=11月4日、福井県坂井市龍翔博物館


恐竜ファンの小中学生ら70人を集め、「龍と恐竜」語る      
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小林さんのワニと恐竜の関係の話に耳を傾ける聴衆たち
特別講演会は、市龍翔博物館の笠松雅弘館長が小林さんと昔から知己がある縁で実現。今年が“龍年”であることや同博物館が「龍翔」と名がつくことから、小林さんのこれまでの恐竜研究だけでなく、「龍にまつわる話」を盛り込んだ。集まった恐竜ファンたちからは、小林さんが恐竜の写真スライドを出すたびに、「あー、カムイサウルス、大好き」、「トリケラトプスや、かっこいい」の声が会場に飛び交い、学校のひと場面ように子どもたちが「恐竜の知識を披露する」場面もあるなど、にぎやかな講演会となった。
また講演の最後には、恐竜が白亜紀にたどった大量絶滅を取り上げ、「地球には過去5回、大きな大量絶滅があったが、現代のいまは『第6の絶滅』の真っただ中だ」と強調。「私たち人類もいずれ絶滅する」とし、「それは種にも寿命があるからで、やむを得ない」ももの、人類の場合はそれに加えて「人口が増え過ぎて、自ら環境破壊を起こしている」と危惧、「約80億人は繫栄ではなくもはや繁殖で、地球が3つ分必要」「ここ50年間で三分の二の脊椎動物の個体がいなくなった」などと「人類の存在そのものが、地球の環境破壊を引き落としている」と強く警告。一方で、人類は恐竜と違って「考える力、伝える力がある」と諭し、全世界の人間ひとりひとりが手を取り合って環境破壊を少しでも食い止める暮らしをすれば、絶滅を数百年後、数万年後に延ばすここともできる」と語りかけた。




「吉澤先生らとの出会いで僕は恐竜研究者になれた」  
小林教授とのインタビュー(一問一答)は次の通り。
― もともと恐竜研究に携わるきっかけは福井での化石採集が始まり?
小林 中学校(福井大附属中学校)の時、3年間の担任の吉澤康暢さん(元福井市自然史博物館特別館長)さんから「部活動で、理科部を新しくつくらないか」と誘われて、初代の理科部長を務めました。吉澤先生は自身も興味、好奇心の塊りみたいな人で「理科部では化石、天文、コンピューター、気象…この4つができるよ」って誘ってくれた。鮎川の海岸(福井市の越前海岸)に化石採集したのが一番最初だったと思う。実はそこで、吉澤先生に大事なことを言われた。重いハンマーを振って、フラフラだった僕に、「小林くん、(ハンマーを)叩かないと化石は出ないよ」って、当たり前のことなんですけど、「はっ」と思った。先生は要は「とにかく叩き続けたら、いいものが出る。やる前から最初からあきめたらダメだと。やってから、あきめるのなら仕方ないが、やらないと成功はないよ」ということを言ってくれた。 
最初の化石採集で、とても大切な考え方を教えてくれた。僕が恐竜研究者になれたのは“人とのつながり”に恵まれたから、だと思っているが、僕に(恐竜の世界への)最初の門を開いてくれたのが、吉澤先生でした。吉澤先生からは本当に大きな影響を受けています。


※吉澤康暢(よしざわ・やすのぶ) 旧春江町(現坂井市)出身。長年、理科教諭として福井市内の小中学校の教諭、校長などを務め、朝の朝礼で、全校児童を前に突然実験を始めるユニークな校長先生として知られ、理科好きの子どもを育てた。白山の写真家としても有名。福井市自然史博物館館長や特別館長も務め岩石、化石、天文など幅広い自然科学の分野の面白さ、素晴らしさを子どもたちに伝えた。2024年1月に78歳で亡くなった。 


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小林さんらの北海道大グループが発掘した全長約8メートルにもなるカムイサウルスの全身骨格化石
― その後、大学、米国留学、帰国して福井県立恐竜博物館の立ち上げ…そして北海道大学での恐竜研究者としての華々しい活躍と、今や日本でも恐竜研究の第一人者です。
小林 僕が横浜国立大学から渡米して、テキサス州などで恐竜発掘を学んだ1990年ごろは、実は恐竜研究者って、世界でも5~10人ぐらいしかいなかった。それほど研究者がいない時代でした。その後、映画『ジュラシック・パーク』の世界的ヒットで研究者も爆発的に増えたんです。



― 小林さんは2005年に北海道大学総合博物館の助手となってから、恐竜発掘で目覚ましい発見や研究成果を出している。カムイサウルスのほか、モンゴルのゴビ砂漠で発見したデイノケイルスなどの大成果が知られるが、その中でも思い出深いものは?
小林 やはり、大きかったのはカムイサウルス(むかわ竜)ですね。日本初の大型の全身骨格の発掘だったので、今の講演でもいろいろエピソードを披露したけれど、もともとむかわ町穂別地区(旧穂別町)は、カナダの恐竜化石研究で有名なドラムヘラーと昔から交流があり、地元に「絶対、わが町から恐竜化石を見つけるんだ」という熱心な人たちが多く、その人たちが「先生、これは恐竜の骨じゃないか」としばしば化石を見せに来た。その中に、2003年に見つけていたけれど、長年、首長竜の骨だとして収蔵庫に眠っていた化石があって、それをよく調べたら、恐竜の尻尾の骨と分かった。 町は、さぁ、発掘だと崖を崩したり、道路を整備したり1億円以上をかけて調査を始めてくれた。ただ発掘側の僕らにとっては、結構な大きな賭けだった。結果、新種のハドロサウルス科の全身骨格という日本で初めての大発見だったけれど、もし尻尾ぐらいしか見つからなかったらどうしようかと発掘中ドキドキだった。


 ※カムイサウルス・ジャポニクス 北海道むかわ町穂別地区の後記白亜紀のかつては海だった地層から発見されたハドロサウルス科の恐竜。もともと2003年に小さな化石は見つかっていたが、その後の調査研究で恐竜の骨と確認され、小林准教授らの進言を受け、町が2013年から本格発掘を開始。2019年には出土した化石群が全長約8メートルにもなる日本国内では最大級の全身骨格で、新属新種の恐竜であると発表された。学名はアイヌ語で神を意味する「カムイ」を冠し、「日本の竜の神」を意味している。

「今日出なくても、明日は必ず出る」とあきらめない       
―小林さんの化石ハンターぶりは、しばしば「ファルコン・アイ(ハヤブサの目)」とも称される。次々と恐竜化石を見つける秘訣はどこに?
小林 とにかく(化石は)あるということを前提に探す。この場所に絶対恐竜化石があると、決めると、今日は見つからなくても明日は必ず出る、と考える。少しずつ探して、「あー、見つからない」ではなく、ここは見つからなかったけれど次の場所にはあるはずだ、と。どんどん見つかる可能性が高くなったと考える。見つからなければ、見つからないほど、次の瞬間に見つかる、あと一歩で見つかるという興奮の方が先に出る。その日の失敗が失敗ではなく、次への成功の確率が上がっていく、そう考える。これは先ほどの吉澤先生に教えてもらった「(ハンマーを)叩き続けないと、成功しないよ」との教えがベースにある。だから、常に「必ず成功する」を前提に発掘をやっているから、必ず成功するし、これまでも成功してきた。
― 福井県立大学でいよいよ恐竜学部がスタートする。何を期待するか?
小林 北大でもそうだけど、恐竜研究にあこがれて若い学生たちが多数入ってくる。そうすると学問の楽しさが分かって、恐竜だけではなく、環境問題であったり、バイオ技術であったり、火山や地震研究であったり、学生に別な興味がわいて次のステップが見えてくる。恐竜学部に入ったすべての学生が恐竜学者にならなくてもよいと思う。恐竜の研究を起点にして、自分でも「学ぶことは楽しい」という視点で研究を広げ、いろんな方面で世の中の役に立ってほしい。
ただ、今のところ福井県出身の恐竜研究者は僕1人しかいないので、できればもう一人というか、それ以上生まれてほしいですね。

恐竜とは「地球上で空間を最大限支配した生き物」
― さきほどの講演でも恐竜の大量絶滅から、人類の未来や課題を考える、という大事な指摘をされた。小林さんがいま取り組む新しい恐竜研究の中で、そのほかに意義があったら教えてほしい。
小林 僕はよく人から「先生、恐竜どんな動物ですか」と尋ねられたら、「恐竜というのは、地球上で空間を支配することに成功した動物だ」と答えることにしている。それは、ひとつは巨大化、あそこまで大きくなって空間を支配した。二つ目は空を飛んで空間を支配した。これも革命的な進化。もう一つはトリケラトプスやステゴサウルスなどのように身体を多彩に変化させた多様性、カラダを変化させていくことで空間を支配した。つまり、この三つで空間を支配した動物である。自然の中で実験台となって、生物が持つ極限まで進化した生き物といえる。そのことは生物が成し得た、限界を追求したわけで、そこに生物の持つ可能性、どれだけ生き物は進化できるのか、生命の可能性を知る上で大変興味深いし、その研究がきっと人類のためにもなると思っています。
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「今日の子どもたちはノリがよかった」と講演後話す小林さん
恐竜を研究していくと、単に恐竜だけじゃなくて、結構、人間が考える日常のことを教えてくれる。絶滅してしまったが実験台になった動物だから、そこから学ぶことは多い。今、恐竜を復活する最新研究にも取り組んでいるが、恐竜がどんな生活をしていたのか、見えなかった行動、筋肉はどうだったのか、声はどうだったのか、その繁殖方法は、など、いまを生きている動物から僕らはどんどん追究しています。そういう研究の先に、いずれ恐竜の復活という成果もあるかも知れないですよ。




小林快次(こばやし・よしつぐ)氏の略歴
1971年福井市生まれ。北海道大学総合博物館教授、同館副館長。1995年、ワイオミング大学地質学地球物理学科を首席で卒業し、2004年、サザンメソジスト大学地球科学科で博士号を取得。ゴビ砂漠やアラスカ、カナダなどで発掘調査を行いつつ、恐竜の分類や生理・生態の研究を行う。2004~05年には、福井県立恐竜博物館開館準備やオープン時に学芸員として恐竜展示部分を担当した。これまでフクイサウルス、カムイサウルス、ヤマトサウルス、パラリテリジノサウルスなど日本の恐竜を命名。恐竜化石の新発見を次々と成し遂げることから「化石ハンター」「ファルコン・アイ(ハヤブサの目」)」などの異名を持つ。『恐竜まみれ』『ぼくは恐竜探険家!』『ティラノサウルス解体新書』など恐竜関係の著書は多数。

参考情報
坂井市には、他にも福井県が誇る観光地や食が多数あります。その一部を下記にてご紹介いたします。

<自然>
越前加賀海岸国定公園に含まれる越前松島などの美しい海岸線、九頭竜川や竹田川、市東部の森林地域、福井県一の米どころを支える広大な田園など、豊かで美しい「海・山・川」の自然に恵まれています。
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東尋坊断崖に日本海の荒波が打ち寄せる景色で知られる国の天然記念物・名勝東尋坊。約1キロメートルにわたり豪快な岩壁が広がっています。このような輝石安山岩の柱状節理が広範囲にあるのは、世界に3ヵ所ともいわれ、地質学的にも大変貴重な場所です。初夏のまばゆいばかりに広がる青い空と日本海、秋の頃の日本海に太陽が沈み行く夕景、雪が舞う頃の荒々しい波と吹きつける寒風。どれも東尋坊と日本海の大自然が見せてくれる、四季折々の素晴らしい風景です。



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越前松島東尋坊と同じ柱状節理の岩が織り成す景観の中、一風変わった岩が点在するほか、散策路を辿ると小島に渡ることができたり洞穴を覗くこともできます。越前松島水族館や宿泊施設が隣接し、家族連れや遠足でにぎわう観光地となっています。



<観光地>
日本屈指の景勝地である東尋坊、三国サンセットビーチを中心とする海岸、北前船交易で栄えた三国湊、現存12天守の丸岡城をはじめとする歴史資源があります。
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三國湊三國湊は、福井県一の大河「九頭竜川」の河口に位置します。千年以上昔の文献にも「三国」という地名の記述があるほど昔から栄え、歴史がある町です。北前船が残していった歴史・文化はもちろんのこと、格子戸が連なる町家、豪商の面影が残る歴史的建造物など、情緒ある町並みが残ります。



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丸岡城丸岡城は別名霞ヶ城とも呼ばれ、平野の独立丘陵を利用してつくられた平山城です。春の満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的で、ひときわ美しいものとなっています。戦国時代の天正4年(1576年)一向一揆の備えとして、織田信長の命を受けて柴田勝家の甥・勝豊が築きました。標高27mの独立丘陵を本丸として天守を築き、その周囲に二の丸と内堀、その外側に三の丸と外堀を巡らせていました。
丸岡城天守は、江戸時代以前に建てられ当時の姿で現在まで残っている現存12天守の1つです。昭和23年の福井地震により石垣もろとも完全に倒壊しましたが、天守の材料や石垣などの主要部材の多くを再利用して昭和30年に修復修理されました。
現存12天守の中で、完全に倒壊した状況から修復された天守は唯一丸岡城天守のみです。現在立ち続けている古式の風格のある姿は、消滅の危機という困難な道のりを経ても立ち上がり復興してきた証であり、その歴史は他にはない波乱の運命を歩んだものです。



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雄島その自然は未だかつて人の手が加えられていない神の島。
伝説のある島全体は自然豊かな散策路としても親しまれています。島の奥には大湊神社がたたずみ、毎年4月20日は地区住民による大湊神社の例祭が行われます。



<食>
福井県における冬の味覚の代表である「越前がに」をはじめとする水産物、そば、らっきょうなどの農産物、山菜、油揚げ、若狭牛など、食を活かした観光が魅力です。
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越前がに毎年皇室へ献上される事でも有名な三国町の「越前がに」は、身は殻の中によく詰まっていて、甘く繊維が締まっており、数に限りがあるため、特に珍重されています。



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甘えび甘えびは、越前がにと並んで人気の高い日本海の珍味。三国漁港にも透き通るような紅色をした、たくさんの新鮮な甘えびが並んでいます。



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丸岡産おろしそば 坂井市は県内1・2を誇るそばの産地で、特に丸岡産のそば粉で作ったおろしそばは香り高く、風味が強い飽きない仕上がりとなっています。



<文化・伝統>
ファッションなどのブランドネームや品質表示などの織ネーム、国内第1位のシェアを占めるマジックテープなど伝統的な技術産業が盛んです。
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越前織:ネームタグ丸岡は織物の一大産地で、ワッペンやスポーツ用ネームとして用いられる「織ネーム」は需要が高まっており、また、コンピュータで図柄処理し織物として描画する「越前織」も観光の土産等向けに作っています。主要製品は洋服に施すネームタグで、国内シェア7割を誇ります。



[画像14: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/81038/98/81038-98-567823382c934f1a6377eef18b7e6d86-308x231.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]

一筆啓上 日本一短い手紙の館丸岡町ゆかりの徳川家康の忠臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」(「お仙」とは後の越前丸岡城主 本多成重(幼名 仙千代))の碑が丸岡城にあります。この碑をヒントに日本で一番短い手紙文を再現し、手紙文化の復権を目指そうということで、平成5年から毎年テーマを定めて「一筆啓上賞」として作品を募集し、平成15年から「新一筆啓上賞」として、日本全国、海外から応募が寄せられています。



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