慢性炎症におけるマイクロRNA動態と大腸癌ニッチ形成機構の解明
PR TIMES / 2024年11月2日 15時40分
―潰瘍性大腸炎が大腸癌のプロテオリティックニッチを誘導する―
順天堂大学大学院医学研究科 下部消化管外科学講座 宗像慎也 助教、順天堂バイオメディカル研究基幹施設 ハイジッヒ・ベアーテ 特任准教授、ゲノム・再生医療センター 服部 浩一 特任先任准教授、順天堂大学医学部附属浦安病院消化器内科 長田太郎教授らは、潰瘍性大腸炎関連大腸癌・大腸癌モデル(*1)の解析から、大腸癌組織における血管内皮細胞に特異的なマイクロRNAであるmiR-126(*2)の発現低下はヘパリン結合性上皮成長因子(HB-EGF)(*3)とその受容体(EGFR)シグナル伝達を促進し、組織中の癌細胞動態を制御するマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP) (*4)を活性化、miR-221(*5)の発現を増強することによって大腸癌増殖に至適な微小環境(プロテオリティックニッチ(*6))のコンディショニングを通じ、大腸癌の形成と増殖を促進することを明らかにしました。
実験上、人為的に大腸癌組織中のmiR-126の発現上昇、あるいはmiR-221の発現低下を誘導することによって、大腸癌の形成と増殖を抑制することに成功しており、このことはこれらのマイクロRNAを新しい分子標的とした核酸製剤などによる新しい大腸癌治療の可能性を示唆するものです。本研究成果は、2024年10月18日「Cell Death and Disease」のオンライン版に公開されました。
■ 本研究成果のポイント
潰瘍性大腸炎関連大腸癌の形成と増殖をマイクロRNAであるmiR126の発現が制御する。
miR126の発現は大腸炎増殖のプロテオリティックニッチをコンディショニングする。
miR126とmiR-221の発現制御は難治性大腸癌治療の新しい分子標的となる可能性がある。
■ 背景
マイクロRNAは、細胞内で遺伝子の発現を制御する小さなRNA分子です。2024年のノーベル生理学・医学賞は、マイクロRNAが遺伝子の発現とその機能を制御することを初めて示した、アメリカ・マサチューセッツ大学のビクター・アンブロス教授とハーバード大学のゲイリー・ラブカン教授が受賞しました。彼らの業績は、DNAにコードされた遺伝子情報に加えて、壊れやすい小さなRNAが生体臓器の発生や修復、そして癌の発生や増殖といった膨大な生命現象を制御しているという衝撃的なものでした。
本邦における炎症性腸疾患(IBD)の1つである、指定難病の潰瘍性大腸炎の患者数は増加の一途を辿っております。その予後にも直結する深刻な合併症の一つが大腸癌です。癌の増殖には、癌細胞が生体組織内を動きやすい環境が必要です。この環境を形成する上で、細胞周囲の構造物である細胞外マトリックスを基質とするタンパク分解酵素(プロテアーゼ)が重要であり、癌細胞から産生されるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)はこれらの酵素の一群であり、癌の転移や組織内浸潤などの多彩な病態に関与していることがわかってきています。
MMPはIBDの活動性の指標としても報告されていますが、IBDの病態、そして慢性炎症を基礎とした発癌機構についてもまだ不明な点が多く、大腸全摘などの侵襲性の高い対応が取られることも少なくありません。本研究は、miR-126とmiR-221という二つのマイクロRNAに注目し、慢性炎症に関連した大腸癌の形成と増殖の制御機構を精査する世界的にも新しい試みです。
■ 内容
miR-126は、一般的に癌増殖に抑制的に機能するマイクロRNAとされており、大腸癌そして大腸炎関連癌(Colitis-Associated Cancer:CAC)における重要性が注目されています。大腸癌組織におけるmiR-126の発現の低下は癌増殖を促進するとされています。miR-126は、HB-EGF(ヘパリン結合型上皮成長因子)に代表されるサイトカインやケモカインの発現や産生を制御します。HB-EGFは上皮成長因子受容体(EGFR)に結合し、細胞増殖シグナルを活性化しますが、miR-126はこのHB-EGF-EGFRシグナルを抑制する作用を有しています。
本研究では、HB-EGF-EGFR経路が活性化されると、miR-126の発現が低下し、大腸腫瘍の増殖が促進されることが示されました。またアデノウィルスベクターを使用し、miR-126を過剰発現させると、この経路が抑制され、大腸腫瘍の発生と増殖が有意に抑制されることが確認されました。
一方、miR-221は、miR-126と対照的に癌形成、そして癌増殖の促進因子として機能することが知られています。大腸癌組織におけるmiR-221の発現増強は、癌増殖を加速し、悪性度を高める傾向があり、予後不良を示唆しています。また、miR-221もHB-EGF-EGFR経路と関連しており、この経路が活性化されると、miR-221の発現は、さらに増強されます。
本研究では、miR-126とmiR-221のバランスが大腸癌の病態に与える影響が詳しく精査されました。miR-126の発現が減少し、miR-221の発現が増加すると、腫瘍形成と増殖が加速されますが、miR-126を強制発現させることでこのバランスを修正し、腫瘍形成と増殖が有意に抑制されることが示されました。さらに、miR-126の発現の減少は、大腸癌やCACの形成と増殖に至適な微小環境―プロテオリティックニッチの形成を誘導し、病態形成に寄与することも判明しました。実験結果から、潰瘍性大腸炎はこれらのマイクロRNAバランスの変化を通じて大腸癌を形成していることが示唆されました。
[画像: https://prtimes.jp/i/21495/697/resize/d21495-697-b932e5294b90b10bc846-0.jpg ]
図1. 実験開始80日の時点で大腸炎関連大腸癌モデルにおけるMMP阻害剤とmiR126発現の影響。大腸炎関連大腸癌モデルにおいてMMP阻害剤の投与とmiR126発現誘導はそれぞれ有意な有効性を示したが、両者の併用は単剤投与と比較して有意に有効性が高かった。図2.:正常細胞と比較して大腸癌細胞の細胞ではmiR-126の発現が減少するのに対し、miR-221の発現が増加し、MMP群など細胞外プロテアーゼの産生が増加しHB-EGF-EGFR経路が活性化、プロテオリティックニッチの形成が進む。 (*p < 0.05)。
■ 今後の展開
本研究の結果、miR-126やmiR-221などのマイクロRNAの発現を制御することで、MMP群、HB-EGF-EGFR経路の活性を通じた大腸癌、そしてCACの進行を抑制する新しい治療法の可能性が示唆されました。今後は、本研究で提示されたmiR-126とmiR-221との発現バランスの調整機構など、発癌や癌増殖のみならず免疫・炎症性疾患に対しても、マイクロRNAという新しい視点からの病態の制御機構の解明が飛躍的に進むことが期待されます。癌や炎症性疾患に対するMMP阻害剤の開発は、欧米での治験で明らかとなった副作用などの理由で、数十年前より暗礁に乗り上げていますが、これらの研究を基礎として、マイクロRNAを標的とした新しいドラッグデリバリーシステムによる遺伝子治療や、核酸製剤の開発に並々ならぬ期待が寄せられています。
■ 用語解説
*1潰瘍性大腸炎関連大腸癌・大腸癌モデル:
本研究に関わる実験プロトコールは、全て本学そして共同研究機関の動物福祉に配慮された動物実験審査委員会の承認を得たものである。アゾキシメタンとデキストラン硫酸ナトリウムを使用した大腸炎関連大腸癌、及び大腸癌細胞株の皮下投与により各種大腸癌も疾患モデル生物を作製した。
*2 miR126:
上皮成長因子様ドメイン7(Egfl7)遺伝子のイントロン7に存在し、血管新生を通じて癌の増殖に寄与していることが示唆されているマイクロRNA。大腸癌組織のmiR-126発現の低下は、大腸癌患者の生存率の低下、転移発生との有意な相関性が報告されている。
*3ヘパリン結合性上皮成長因子(HB-EGF):
炎症性細胞や癌細胞から産生、膜結合型から細胞外ドメイン分泌によって、可溶型として供給される。細胞分裂や走化性の促進を通じて生体器官の発生、創傷治癒に寄与しており、動脈硬化や心肥大、癌増殖など疾患との関連性も多く示唆されている。
*4マトリックスメタロプロテアーゼ(MMP):
共通のアミノ酸配列を有し、細胞外マトリックスを基質とする金属要求性蛋白分解酵素の一群で、癌細胞の組織内浸潤や転移などの動態に必須の因子と考えられている。生体中の免疫・炎症性細胞の動態にも寄与しており、サイトカインやケモカインなどの細胞外ドメイン分泌を制御していることが判明している。
*5 miR-221:
癌幹細胞制御因子として知られているマイクロRNA。近年、乳癌や大腸癌の血液中や組織中で発現が亢進していること、またmiR-126とは対照的に、その発現レベルが高いことが、癌の悪性度や予後との相関性が高いことが報告されている。
*6 プロテオリティックニッチ:
MMPやADAMそしてADAMTSなどのプロテーゼ群の他にも、MMPの相互活性化機構の上方には凝固・線維素溶解系因子などを含むセリンプロテアーゼ群があり、生体臓器の各所で、癌や感染あるいは様々な生理学的ストレスに対する損傷修復やリモデリング、炎症・免疫機構が、これらのプロテアーゼの活性によって機能制御されていることが判明してきており、癌の形成、増殖にはこれに至適な微小環境(ニッチ)があることが常に存在する。こうしたプロテアーゼに特化した微小環境の捉え方をプロテオリティックニッチと呼ぶ。近年、この構成因子を標的とした癌や炎症性疾患に対する新しい治療法が報告されつつある。
■ 研究者のコメント
マイクロRNAについては、その種類、これら個別の機能や生命現象、疾患との関わりについてもまだまだ不明な点が多く、新しい研究分野・領域に属しています。今後も、疾患の診断や活動性の新しい指標、また新しい治療の分子標的としての役割が期待されています。マイクロRNAが遺伝子発現調節を通じて疾患病態に与える影響は、当初予想されていたよりも遥かに膨大なものであることがわかってきており、多くのphysician scientistがこうした研究に参集することを期待しています。
■ 原著論文
本研究はCell Death and Disease誌のオンライン版に2024年10月18日付で公開されました。
タイトル: Heparin-binding EGF-like growth factor via miR-126 controls tumor formation/growth and the proteolytic niche in murine models of colorectal and colitis-associated cancers
タイトル(日本語訳):miR-126を介したヘパリン結合性EGF様成長因子は、大腸癌および大腸炎関連癌の疾患モデルにおいて、腫瘍形成/増殖とプロテオリティックニッチ形成を制御する。
著者: Yousef Salama 1), Shinya Munakata 2), Taro Osada 3), Satoshi Takahashi 4), Koichi Hattori 1)4),and Beate Heissig 2)
著者(日本語): サラマ・ユセフ 1)、宗像慎也2)、長田太郎 3)、高橋聡 4)、服部浩一2) 4)、ハイジッヒ・ベアーテ2)
著者所属: 1) An-Najah National University 2) Juntendo University, School of Medicine, 3) Juntendo University, Urayasu Hospital, 4) The Institute of Medical Science, The University of Tokyo,
著者所属(日本語): 1) アン-ナジャー国立大学、2) 順天堂大学大学院医学研究科、3) 順天堂大学附属順天堂浦安病院、4) 東京大学医科学研究所
DOI: https://doi.org/10.1038/s41419-024-07126-2
技術協力を頂いた順天堂大学大学院医学研究科研究基盤センター、細胞機能研究室、共同研究・研修室、疾患モデル研究センターの方々のご協力に改めて感謝の意を表します。本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費 (JP24K10435, JP22F21773, JP24K11549, JP21K08404, JP22K07206, JP18K08657, JP21K08692)、ヨウ素学会ヨウ素研究助成、公益財団法人放射線影響協会研究奨励助成、公益財団法人大樹生命厚生財団医学研究助成、順天堂大学環境医学研究所プロジェクト研究助成、東京大学医科学研究所国際共同利用・共同研究拠点事業から助成を受けたものです。
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