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パナソニック、浅草寺雷門に大提灯を奉納~1960年以来続く、10年に一度の大改修

PR TIMES / 2013年12月6日 12時13分



2013年11月18日、パナソニック株式会社が奉納している東京浅草の雷門の大提灯の張り替え新調が完成し、奉納懸吊式が行われました。

「パナソニックと雷門の縁」「伝統を今に伝える日本の技」を、雷門再建当時の映像を交えてご紹介します。

▼[動画]活気ある江戸の風情を未来へ ~浅草寺雷門への大提灯奉納~
http://ch.panasonic.net/jp/contents/11812/


雷門は、1865年に火災により焼失しましたが、松下幸之助創業者が、1960年に再建。それと同時に大提灯の奉納を行って以来、10年に一度、大提灯の修復が行われています。


懸吊式が行われた2013年11月18日、雷門仲見世沿道には大勢の人が集まりました。パナソニックからは竹安役員、CSR・社会文化グループから小川グループマネージャーをはじめとする同社の代表が、浅草寺や地元商店街の人たちと仲見世通りを練行列をした後、竹安役員より提灯の奉納目録が、浅草寺 守山執事長に手渡され、高さ3.9メートル重さ700kgの新調された提灯が雷門に懸吊されました。

浅草寺は、多くの参拝者とともに、国内外から多くの観光客が集まる東京屈指の観光名所。東京を訪れた際には、ぜひパナソニックと雷門の縁に思いを馳せていただけると幸いです。

▼フォトアルバム
https://plus.google.com/photos/+Panasonic/albums/5951217895611980673

<コラム>
これぞ昭和の雷門~門の再建と松下幸之助創業者~

「はや目の前に十二階、雷門より下り立てば、ここ浅草の観世音、詣ずる人は肩を擦る」

これは明治に流行った、東京名所を路面電車でめぐる『電車唱歌』の一節だが、実はその頃、繁華の地としての雷門は知られていても、門そのものは慶応元年(1865)の火事で焼け落ち、幻となっていた。それが蘇り、明治、大正と続いた「門なき雷門」に終止符が打たれたのは、昭和35年(1960)のこと。再建に力を添えたのは松下幸之助創業者であった。

再び浅草に雷門を!こうした機運の高まった昭和33年(1958)暮、時の浅草寺貫首、清水谷恭順大僧正は上京中の創業者を訪ね、「雷門を建ててください」と浅草の声を伝えた。創業者はしばし黙考の後、おもむろに口を開き、「寄進させていただきます。が、なるべく名は出さないでください」と返答した。

翌昭和34年(1959)5月、いよいよ再建工事が始まった。一年後、昭和の雷門は完成し、歌川広重らの錦絵に見る往時の荘厳華麗が見事再現された。5月3日の開通式に招かれた創業者は、「こういうものは縁ではないですか。縁がなければいいものはできませんな」と語り、喜びを隠さなかった。

縁が結ばれ半世紀、肩摺りながら雷門をくぐる人の波は今日も絶えない。門と大提灯に刻まれた松下幸之助と松下電器の名を、いったい幾人が眼にしたことだろう。

~社史室・松下幸之助歴史館 編~


<関連情報>
・パナソニック創業者 松下幸之助
http://panasonic.co.jp/founder/
・パナソニックミュージアム 松下幸之助 歴史館
http://panasonic.co.jp/history/museum/
・パナソニック 社史
http://panasonic.co.jp/history/chronicle/

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