ワカタケル大王の正体② (全3回)                            小林 耕

クオリティ埼玉 / 2014年5月2日 0時52分

 日高見国の住民が高句麗からの渡来人であるとするならば、アイヌ人が彼らをカイ(蝦夷)と呼んだのも納得がいく。
 江戸時代の1783年に工藤平助が書いた「赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)」によると、アイヌ人達は、ロシアのカムチャッカ半島地方を赤蝦夷、千島列島からサハリン[カラフト]地方を奥蝦夷といっていたとある。実際には赤蝦夷は、アイヌ語でフレ・カイ、奥蝦夷はアサム・カイと呼ばれていたのであろう。
 アイヌ人は、赤蝦夷をアイヌ語の意味で、赤ら顔の異人、としていた、と工藤平助は書いている。つまりロシア系の白人のことであろう。
 そうなると単なる異人、蝦夷(かい)とは、和人(シャモ)でない渡来人のこととなる。
 その蝦夷の住民の国、日高見国が高句麗系渡来人の国と見るのは妥当であろう。
 そして蘇我氏の系譜を見ると、韓子・高麗蝦夷という名があり、蘇我氏が高句麗からの渡来人の子孫であったことを物語っている。
『日本書紀』では、武内宿禰(たけうちのすくね)は日高見国を征服するように景行天皇に進言している。日高見国の住民蝦夷にとって武内宿禰は、彼らの敵であった。
 ところが、宮城県石巻市の北上川の水神を祭る日高見(ひだかみ)神社には、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)・武内宿禰日本武尊(たけうちのすくねやまとたけるのみこと)が祭神として祀られているのである。
 これは明らかに矛盾している。矛盾しているということはそこに本当のことが隠されているということでもある。つまり日高見国と武内宿禰の間には隠された関係が存在するということである。
 その事実は『古事記』にあった。『古事記』において、武内宿禰[『古事記』では建内宿禰表記であるが上記を使用]の子に、蘇賀石河宿禰は、蘇我臣や高向臣(たかむこうおみ)の祖先である、と書かれている。
 『古事記』から見れば、日高見神社の祭神の武内宿禰は、蘇我氏の祖先として祀られていたということも出来るのである。
 また高向臣については、『常陸国風土記』の信太の郡の設置を許可したのが関東諸国の政務を監督する役職の惣領である高向大夫であったが、おそらく同族であろう。当然蘇我氏とも同族となり、日高見国は高句麗系蘇我氏の統治する国であったという結論に達するのである。
 そうなると、日高見神社に武内宿禰と共に祀られている日本武尊もまた蘇我氏の出自ということになってしまう。その可能性の高いのは、日高見国内に日本武尊の根跡が非常に多いからである。
 宮城県角田市の熱日高彦(あつひたかひこ)神社の祭神が日本武尊であり、同県の柴田郡大高山神社の祭神も、さらに柴田郡の白鳥神社の祭神も日本武尊である。茨城県では水戸市の吉田神社の祭神も日本武尊である。
 また日本武尊伝説は、千葉県で55カ所、山梨県では7カ所に残されており、関東以北における日本武尊人気は非常に根強いものがある。
 これに対して関西方面では、滋賀県大津市の建部(たけべ)大社の主祭神が日本武尊である。他に愛知県名古屋市の熱田神宮、福井県敦賀市の気比神宮においては、主祭神としてではなく日本武尊は祀られてはいるが、関東以北に比べて圧倒的にその存在感は薄い。
 結局日本武尊の活躍の場は、本当は日高見国であったということであろう。そしてその立場は、日高見国の王であったということになる。
 これを裏付けるのが『常陸国風土記』である。その行方(なめかた)の郡の記述の中に、相鹿(あらか)という里があり、その地名の由来が根拠である。
 
 
 
 
 

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