釈迦とイエスの平易な言葉につながるエコロジー信仰   外交評論家 加瀬英明

クオリティ埼玉 / 2014年11月19日 12時54分

    既存宗教の教えは、多くの人々にとって、日常生活から遠いものになっている。これらの宗教は、長い時間をへるうちに、難解な言葉によって教義が語られるようになった。
 釈尊や、イエスは、今から二千年か、それ以上も前に、当時の人々にとって、誰にでもわかる身のまわりの話を使って、教えを説いた。平易な話をすることによって、多くの信徒を獲得した。エコロジーは、誰にでも分かり易い、釈尊やイエスの説話に似ている。人と自然のかかわりについても、答をだしてくれる。
 人は誰でも自分よりも、はるかに大きなものの一部となりたがっている。だから、神や、仏についての教えが、人々を引きつけた。
 エコロジーはそのような欲求も、満たしてくれる。自然のシステムを理解し尊重していけば、かつての時代の神や、仏のように人の暮らしを守ってくれる。
 また、エコロジーは、共同体の精神を甦らせる。信仰はもともと、個人から発するものでなかった。共同体が、分かち合うものだった。一神教でさえ、はじめは部族のものとして、発生している。
 日本には明治に入るまで、「宗教」という言葉が存在しなかった。宗派、宗門という表現しなかった。宗教は西洋における個人の信仰である「レリジョン」の訳語として、新しく造られたものだったが、それまでの日本には、共同体の信仰しかなかった。ところが、今日では宗教は嗜好品のように、一人ひとりが選ぶものとなっている。
 エコロジーという新しい信仰は、地球規模の発想だから、国籍や人種をこえて、すべての人々を統べる。おのずと失われた共同体意識が取り戻され、疎外感を癒される。
 エコロジーは過去と未来を、繋いでくれる。自然は循環することによって、生命をつないでゆく。ソノナカデ人がいかに生きるべきか、指針を示すとともに、人に永遠の命をも与えてくれる。私たちは自然の連鎖のなかで、自然と一体となって甦ることができるからだ。
 エコロジーは、新しい時代にふさわしい倫理をもたらしている。今日の子供たちに、親を大切にしようといってもきかない。
 しかし、「ペンギンさんの家族は、仲がとても良いんだよ」というと、目を輝かして聞く。子供たちまでが人間不信に陥っており、動物のほうが信頼できると、直感的に思っている。
 「タロちゃんね、遺体という言葉は、もともとは死体のことではなくて、お父さんとお母さんが君に遺してくれた身体という意味なんだ。生命には四十億年もの歴史があって、お父さんやお母さんの体と、君の体はつながっているんだよ」と教えると、自分が生命の連鎖と循環のなかで、生かされていることをさとる。
 人と森も、仲間だ。互に呼吸することによって、結ばれている神聖な関係だ。森は多くの生物の棲み家である。この世界は生態系という生命の多様性によって、生かされている。
 エコロジーは、抽象的な超越者を思い描く既存宗教と違って、理性を用いて教えを理解しなくても、生まれつきの感性で、自然の尊さを人に直観させることができる。人にとっては、頭で理解するよりも、感じるほうが心にひびく。
(8章 神道は新しい世界宗教であるエコロジー教だ)

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