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陽はまた昇る【大柴壮平コラム vol.5】

NBA Rakuten / 2019年11月8日 16時0分



 


かつては人気チームだったフェニックス・サンズ


開幕から、フェニックス・サンズの快進撃が止まらない。本稿執筆時点で5勝2敗。しかもそのうちの2勝は、優勝候補のロサンゼルス・クリッパーズと、当時無敗だったフィラデルフィア・セブンティシクサーズから挙げたものだ。オフェンス・レーティングは108.8でリーグ9位タイ、ディフェンス・レーティングは100.9で5位、そしてネット・レーティングの7.8はミルウォーキー・バックス、ロサンゼルス・レイカーズに次いで堂々の3位である。かつての名門が、復活の狼煙をあげようとしている。

そもそもここ数年でNBAを観はじめたファンは、サンズが昔は人気チームでプレイオフの常連だったと言われても俄かには信じられないだろう。サンズが人気チームになった理由は、ひとえにタイミングに因る。バルセロナ五輪でNBAが世間の耳目を集めたタイミングで、シクサーズからドリームチームの一員チャールズ・バークレーを獲得した。得点の取れる司令塔としてはリーグでも指折りだったケビン・ジョンソン、シューターながら闘志剥き出しのプレイスタイルが売りのダン・マーリーに、実際の身長はマイケル・ジョーダン(198㎝)より低いと言われながらその跳躍力と幅とテクニックを活かしてインサイドを蹂躙するチャールズ・バークレーが加わったのだ。サンズが人気にならない理由はなかった。その上、この年のサンズは結果を残した。シーズンではジョーダン率いるシカゴ・ブルズを超える62勝を挙げた。惜しくもファイナルではブルズに敗れたが、バークレーはシーズンMVPを獲得し、サンズは世界中のファンに鮮烈な印象を残した。

1996年にバークレーがチームを去り一時代が終わったが、その後もサンズはジェイソン・キッドとアンファニー・ハーダウェイが「バックコート2000」を結成したり、現代NBAのオフェンスの起源と言われるマイク・ダントーニの「ラン&ガン」時代があったりと、個性的なチームとして人気を保ち続けた。田臥勇太選手が日本人初のNBAデビューを飾ったのもダントーニ時代のサンズである。人気だけでなく実力も確かなもので、バークレーが去った1996-97シーズンから14年間でプレイオフを逃したのはわずかに三回と、安定した成績を残していた。ところが、そのサンズが2009-10シーズンを最後にプレイオフの舞台から遠ざかっている。一体、どこで歯車が狂ったのだろうか。


もうこんな処にはいたくない


2012年にスティーブ・ナッシュがロサンゼルス・レイカーズに移籍しているので、2010-11から2シーズンはスティーブ・ナッシュがいたにもかかわらずプレイオフ出場を逃したことになる。二度のMVP受賞を誇るナッシュも30代後半にさしかかり、本人もチームも焦っていたことだろう。ナッシュ在籍時最後の数年は毎年積極的にメンバーを入れ替えたが、功を奏すことはなかった。しかし、スーパースターがいる間に多少無理してでも優勝を目指すという考えは間違っていない。問題はナッシュが去った後の再建が上手くいかなかったことである。

サンズの再建が長引いた理由はいくつもある。人災もあれば不運もあった。特に、最もプレイオフに近づいた2013-14シーズン後にその波を逸したのは痛かった。2014年のオフ、FA市場にはレブロン・ジェームズ、カーメロ・アンソニー、クリス・ボッシュがいた。サンズも獲得を目指したが失敗。大物FAを優先した結果、チャニング・フライがオーランド・マジックに流出した。使いそびれた予算でアイザイア・トーマスを獲得し、エリック・ブレッドソーと契約延長したが、結果的にはこの動きが自らの首を絞めることになった。

トーマス、ブレッドソー、そしてゴラン・ドラギッチと三人のガードを並べる布陣は機能せず、起用法の不満からドラギッチはシーズン途中にマイアミへ去った。その直後にサンズはアイザイア・トーマスもボストンへ放出した。残ったブレッドソーも2015年に前十字靭帯断裂の大怪我、2017年には「もうこんな処にはいたくない」というツイートが発端でミルウォーキーに放出された。


ブッカーを中心に、復活の兆しを見せるサンズ


かくして2010年代はサンズにとって失われた十年となった。しかし、その十年間で手に入れたものもある。それは、2015年のドラフトで指名したデビン・ブッカーである。2010年代にはドラフトの失敗も目立ったサンズだが、2015年に1巡目13位で指名したブッカーは大当たりだった。ブッカーは初年度からオールルーキー・ファーストチームに入る活躍を見せた。サンズのルーキーがこの栄誉に輝いたのは2002年にドラフトしたアマレ・スタウダマイヤー以来のことだった。ブッカーは毎年成長を続け、4年目となる昨シーズンは、平均26.6点6.6アシストという素晴らしい成績を収めた。4シーズンで欠場は56試合と、怪我耐性もまずまずである。そして最も重要なことに、ブッカーはサンズを選んだ。2018年7月、ブッカーはサンズと5年の契約延長を結んだのである。

実際にはブッカーを得てからの4シーズンもサンズは迷走を続けた。今シーズンも、開幕前にサンズのプレイオフ進出を予想する者は皆無だった。再建を頼んだはずのイゴール・ココスコフを1年でクビにしたことは批判を浴びた。アンダーされてもプルアップではスリーポイントを打てないリッキー・ルビオと交わした3年5,100万ドルという高額な契約は失笑された。開幕戦に快勝したあとも、期待のディアンドレ・エイトンが薬物規定に違反したとして25試合の出場停止処分を受け、水をさされた。

しかし蓋を開けてみれば、プレイメイクしつつバランスも取れるルビオはブッカーの良いパートナーとなった。エイトンの代わりにスターターに昇格したアーロン・ベインズは、スクリーンとスリーポイントでフロアを拡げた。スペースを拡げながらブッカーを活かすオフェンスを構築したのは、ココスコフの代わりにヘッドコーチに就任したモンティ・ウィリアムズだった。エースのブッカーはモンティに心酔しているという。モンティ自身も、ニューオリンズ・ペリカンズを率いていた頃、勝てない時期を経験している。2人は共に才能を評価されながらも、薄暗がりであてもなくさ迷うようなキャリアを送ってきた。その2人が力を合わせ、それぞれのキャリア、そしてサンズというフランチャイズを夜明けに導くとしたら、痛快である。


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スポーツチームの運営は困難を極める。サンズがここ十年苦しんだように、ヘッドコーチ、ドラフト、怪我といった様々な要素に翻弄される。今シーズンのサンズとて、無事プレイオフにたどり着くという保証は無い。エイトンが戻ったときにケミストリーが崩れることだって考えられる。しかし、我々ファンとしては、明けない夜はないという金言を信じるより他に仕様もない。陽は昇るだろう。そしてまた沈むだろう。そのサイクルを予測することは不可能だが、2010年代がサンズにとって失われた十年だとしたら、次の十年にその分のツキが回ってきてもおかしくはない。


大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。Twitter:@SOHEIOSHIBA




(C)2019 NBA Entertainment/Getty Images. All Rights Reserved.



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