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嫌わせてくれてありがとうーードウェイン・ウェイドの背番号3が永久欠番に【大柴壮平コラム vol.22】

NBA Rakuten / 2020年3月1日 10時30分



 


NBA史上最高のヒールだったあの頃のヒート


背番号3のバナーがアメリカン・エアラインズ・アリーナの天井に掲げられると、満員の客席から大歓声が湧き上がった。球団社長パット・ライリーの紹介で立ち上がったドウェイン・ウェイドは、黒を基調にしつつ、サイドポケットの縁と袖のボタンに赤をあしらったヒートカラーのスーツに身を包んでいる。マイクを握ったサウスビーチの英雄が口にしたのは、歴代コーチ、チームメイト、家族、そして亡き友人コービー・ブライアントへの感謝の言葉の数々だった。

2020年2月22日(日本時間23日)、ドウェイン・ウェイドの背番号3が、マイアミ・ヒート史上6つ目の永久欠番となった。

ウェイドのキャリアは3つの時期に分かれている。デビューから2009-10シーズンまでの単独エース時代、レブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュとプレイして4年連続のファイナル進出を達成した時代、そしてレブロンの退団以降である。それぞれの時代にドラマがあり、人によってどの時期のウェイドが好きかは意見が分かれるところだろう。

私のお気に入りは、何と言ってもレブロン、ボッシュの2人と組んでいた時代である。プロレス用語で善玉をベビーフェイス、悪玉をヒールと呼ぶが、あの頃のヒートはNBA史上最高のヒールだったと言っても過言ではないだろう。憎たらしいが強い。強いが憎たらしい。その塩梅の絶妙さたるや、まるでWWEで活躍した往年の名レスラー、トリプルHのようだった。


アンチヒートとして過ごした4年間


ヒートのヒール化が始まったのは、レブロンがテレビ特番“The Decision”でヒートへの移籍を発表した瞬間である。スーパースターが全盛期に移籍するだけでもショッキングだが、レブロンはオハイオ州アクロンの出身であり、同じくオハイオ州にあるクリーブランドを捨てたことは故郷への裏切り行為と見なされた。さらに、特番の視聴率を上げるために契約先を隠すべく、キャバリアーズ側には生放送の直前に移籍を一方的に通達していたことが判明し、火に油を注ぐことになった。

ベビーフェイスからヒールへの転向をヒールターンと言う。なぜ私がプロレス用語を使っているかと言うと、この移籍は当時アメリカでもプロレスに例えられたからである。90年代にWWEのスーパースターだったハルク・ホーガンがライバル団体のWCWに移籍し、それを機にヒールターンするというプロレス界の大事件があった。レブロンの移籍はこれに匹敵すると言われた。この時点で多くのアンチレブロン、アンチヒートが生まれた。私も憤慨していたうちの1人だった。しかし、厄介なことに私はウェイドには良いイメージを持っていた。レブロンは嫌いだが、ウェイドは好きという矛盾を抱えることになったのだ。

その矛盾が解消されたのは、2011年のファイナルだった。第5戦の前に、レブロンとウェイドが第4戦で高熱を押してプレイしたダーク・ノビツキー(ダラス・マーベリックス)を揶揄する映像が流出したのである。咳き込む真似をしながらニヤニヤ笑うウェイドを見て、私はある種の安堵を覚えた。

そうか、ウェイドのことも嫌っていいのか。

この一件以降、アンチヒートとして過ごした4年間のファイナルは楽しかった。1年目は高熱を乗り越えたノビツキー率いるマーベリックスが勝利し、大いに溜飲が下がった。2年目は、ヒートが圧倒的な強さで若きオクラホマシティ・サンダーを打ちのめした。私も一緒になって打ちのめされたような心持ちがした。その後のサンアントニオ・スパーズとのシリーズは格別だった。2013年に壮絶な逆転敗けを喫したスパーズが翌年リベンジを果たした時は、私もスパーズファンと共に快哉を叫んだ。


2014年のオフにレブロンが退団し、ヒールとしてのマイアミ・ヒートは終わった。以来、私は少し寂しい気持ちでいる。贔屓のグリズリーズの試合を除いては、ヒートとスパーズのファイナルほど熱を入れて見た試合はついぞない。今のNBAにはヒールがいないのである。

ヒールがいないのには理由があって、魅力的なヒールになれるチームは限られているのだ。私がNBAを観はじめた1994-95シーズン以降、最も優秀なヒールは件のヒートで、それに次ぐ存在はコービーとシャキール・オニールが組んでいた頃のロサンゼルス・レイカーズだったが、この2チームはとにかく強かった。弱いチームが意気がっていてもそれは所詮チンピラである。憎むに値しない。強いチームだからこそ倒し甲斐があるというものだ。それに加えて、この2チームは共に華があった。特にウェイドとコービーは、個人技を見るだけでも金を払う値打ちのある優雅なスタイルを持っていた。彼らの華やかさに、アンチの私は嫉妬ややっかみに似た感情を覚えた。そしてその感情から、ますますヒート憎し、レイカーズ憎しの念を強くしたのである。

実際、ヒールになりきれなかったチームもある。クリス・ポールとブレイク・グリフィン時代のロサンゼルス・クリッパーズには、名ヒールになる素養があったように思う。グリフィンはまだ若く、生意気だった。ポールはそれを抑えるどころか助長していた。そして、彼らのプレイには華があった。実力が伴えば名ヒールになっていただろうが、残念ながらカンファレンス・セミファイナル止まりで終わってしまった。ケビン・デュラントが移籍した時は、ゴールデンステイト・ウォリアーズがヒールになるかと期待した。しかし、私はそこまで彼らを嫌いになれなかった。おそらくステフィン・カリーとクレイ・トンプソンという生え抜きのスター2人が純然たるベビーフェイスだったことが原因だと思われる。

こうして色々考えていくと、NBAにおけるヒールというのは希少な存在で、いくつもの条件が偶然重なり合わないと生まれないものだということがわかる。


皆さんもお気づきの通り、私はヒールが嫌いであり好きである。レイカーズもヒートも大嫌いだったと言いつつ、当時を語る言葉は弾むのである。我々ファンの心を時に挫き、時に弄び、そして時には憂さばらしの種になってくれる。そんな名ヒールが次に現れるのはいつだろうか。ファンの私には気長に待つことしかできないが、登場した暁には大いにブーイングし、大いに楽しむつもりである。


魅力的なヒールになる条件とは



大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。



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