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ドレクスラーはソニックス加入目前だった? 関係者が当時を回顧「獲得していたら優勝していた」

NBA Rakuten / 2020年6月13日 9時1分



当時ソニックスを率いた名将ジョージ・カールが、ドレクスラー獲得寸前だったことを認める


NBA通算1175勝を誇る名将ジョージ・カール元ヘッドコーチが、ポッドキャスト番組『On the Truth +Basketball』で、1994-95シーズン途中に実現寸前まで進んでいたという大型トレードについて振り返った。『NBAC Sports Northwest』が詳細を報じている。

同記事によると、カールは、自身が率いるシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)が当時ポートランド・トレイルブレイザーズのエースだったクライド・ドレクスラーをケンドール・ギルとの交換トレードで獲得する寸前までいっていたことを認めたという。

だが、結局それは実現せず、ドレクスラーは、1994-95シーズン途中にブレイザーズからヒューストン・ロケッツにトレードで移籍し、アキーム・オラジュワンとのコンビでロケッツのリーグ連覇に貢献した。

同番組にカールとともに出演したボブ・ウィットシット元GMは、当時ブレイザーズのオーナーだった故ポール・アレンとのやりとりを次のように振り返っている。ウィットシットはソニックスのGMを長らく務めた後、1994-95シーズン開幕前にブレイザーズのGMに転籍し、このトレードに大きく関与していた人物だ。

「私がポートランドについた時、ポールはチームを解体する必要があると言った。彼らは人気があるチームなので、1年早くそれをやるべきだった。彼はジェフ・ペトリー(GM)、リック・アデルマン(ヘッドコーチ)を解雇し、すでにPJ・カーリシモを(ヘッドコーチとして)雇っていた。そして、クライド・ドレクスラーとは12年目の新しい契約を結ぶと約束していたが、それを実行しようとしなかった。だから、私は彼をトレードしないといけなかった。それは仕方のないことだった。彼と一緒にいる時間は終わったということだった」

ただ、ウィットシットによると、当時ソニックスのGMだったウォリー・ウォーカーがドレクスラーの獲得に乗り気ではなかったという。そのため、ウィットシットはドレクスラーをロケッツに送るトレードを実行した。

「(1995年に)ドレクスラーが加入していたら、シアトルはNBAチャンピオンになっていたと今でも信じている」と、ウィットシットは同番組で語っている。また、カールは自身のツイッターで、「クライドがいたら95年に私たちは優勝できていただろうか?」と投稿している。

カールが率いたソニックスは、1994-95レギュラーシーズンで57勝25敗と好成績を残したものの、プレイオフのファーストラウンドでロサンゼルス・レイカーズに1勝3敗で敗退。翌1995-96シーズンには64勝18敗の好成績を残してNBAファイナルへと進出したが、同年72勝10敗という当時のNBA記録を樹立したマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに敗れた。ソニックスはカールの下、1992-93~1997-98シーズンの6年間で一度もシーズン55勝を下回ったことがない強豪だったものの、ついに優勝には手が届かなかった。

もし1995年に、ドレクスラーがロケッツではなくソニックスにトレードされていたらどうなっていただろうか? 25年前の歴史は大きく変わっていたかもしれない。



(C)2020 NBA Entertainment/Getty Images. All Rights Reserved.



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