我が道を歩んだ22年。自分を貫き通したビンス・カーター【宮地陽子コラム vol.5】
NBA Rakuten / 2020年7月7日 12時0分
22年にわたってNBAで活躍してきたビンス・カーターならではのキャリアの歩み方とは
シドニー五輪のビンス・カーターというと、フランス代表のセンター、フレデリック・ワイスを跳び越えて決めたダンクが有名だが、このオリンピックでもらった金メダルをすぐに母親に渡しに行き、涙を流したことを覚えている人はどれだけいるだろうか?
オリンピック直後の2000年11月、当時、カーターが所属していたトロント・ラプターズの試合前に、何人かの記者で囲み取材をしたときに、その涙の理由について聞いたことがあった。1998年、ブルズを引退したマイケル・ジョーダンと入れ替わるようにルーキーとしてNBAに入ってきたカーターのことは、先月正式に引退を発表するまでの22年間で何度か取材する機会があったが、中でもこのときの取材は印象的で、記憶に残っている。
なぜ印象的だったかというと、NBA選手としてのキャリアが順調だった時期なのに、受け答えがどこか憂いを帯びていたからだった。
人気絶頂期にあった否定的な声
この頃のカーターは、とにかく人気絶頂期にあった。前のシーズンのオールスターに行われたダンクコンテストでは、それまで見たことがないダンクを連発し、その場を支配して優勝。シドニー五輪でもアメリカ代表の一員として活躍し、金メダルを勝ち取った。それだけの実績をあげ、ラプターズのエースと成長してプロ3シーズン目を迎えていたのだから、自信たっぷり、意気揚々でもおかしくなかった。
実際、言葉では前向きなことも多く語っていたのだが、話を聞き終わって、彼はこの状態をあまり楽しめていないのではないかと感じた。
金メダルを母親に渡しに行って涙を流したときのことについて、当時のカーターはこう語っていた。
カーターに感じた物足りなさ
ここで語っている「否定的なこと」は、確かに当時、いくつも重なっていた。シドニー五輪の最中には、大会前の練習試合でオーストラリア代表のアンドリュー・ゲイズともめたことが原因で、地元ファンからブーイングを浴びせられた。また、遠い親戚でもあるトレイシー・マグレディが、この夏にラプターズを離れ、彼の母が、ラプターズでカーターばかりがもてはやされていたことへの不満をメディアにぶちまけたのも、この頃だった。同じ頃、当時のエージェントがマネーロンダリングで逮捕された問題に巻き込まれ、後に裁判でお互いを訴えたこともあった。
カーターの母は、息子に対するそういった批判に胸を痛めていた。カーターは、そんな母を思いやりながらも、彼自身はというと、あまり気にしている様子はなかった。根にもったり、それをモチベーションに変えることは滅多になかった。
たとえば、ゲイズとの諍いでオーストラリアの観客からブーイングされたことについても、こう言っていた。
「彼はあの国のヒーロー。みんなヒーローを守りたいのはわかる。みんな言いたいことがあるかもしれないけれど、ぼくは金メダルを勝ち取るために行っていたわけだから。新聞で誰が何と言おうと、ぼくがほかの誰かではないと言われようと、自分で自分が誰だかわかっているし、コートの上で何がすればいいのかわかっている。まわりから言われるように悪意を持ったプレイをしていなかったことは自分でわかっている。だから、そう言われても笑っていられるんだ」
正直言って、当時、そんなカーターに少し物足りなさを感じなかったと言ったら嘘になる。高い身体能力を持っていただけに、もっと闘争心むき出しでガツガツいけば、ジョーダンとまではいかなくても、もう一段レベルアップできるのではないかとすら思っていた。おそらく、同じように感じていた人は多かったのではないだろうか。
晩年を弱小チームで過ごした理由
しかし、カーター自身はぶれることなく、自分らしさを貫いた。2001年5月、イースタン・カンファレンス準決勝第7戦とノースカロライナ大の卒業式が同じ日に重なったときも、そうだった。まわりからプレイオフに集中すべきだと散々言われながら、卒業式と試合を掛け持ちした。朝にノースカロライナのチャペルヒルで卒業式に出席し、650kmを移動して、夜はフィラデルフィアで試合に出た。48分フル出場し、最後に勝敗がかかったシュートを打ったが、外れて敗退。それでも、卒業式に出た判断には胸を張り、後悔することもなかった。
ベテランになってからも、カーターは自分の基準で道を選び続けた。
多くの実力あるベテラン選手たちが、引退前に優勝するために、優勝候補と言われるチームを移籍先に選んだのに対して、カーターは最後の3シーズンを、サクラメント・キングス、アトランタ・ホークスという弱小チームで過ごした。そのため、引退前の3シーズンはプレイオフにすら出られなかった。
コラムバックナンバー
宮地陽子:ロサンゼルス近郊在住のスポーツライター。『Number』、『NBA JAPAN』、『DUNK SHOOT』、『AKATSUKI FIVE plus+』など、日本の各メディアにNBAやバスケットボールの記事を寄稿している。NBAオールスターやアウォードのメディア投票に参加実績も。
「母にとって、金メダルがそれだけの意味を持っていたんだ。だからぼくも嬉しかった。まわり中の人たちが否定的なことを広めようとしても、それだけの価値はあった。まだ若いのに最初の金メダルをとることができて、それを母といっしょに経験できたのだからね」
「(まわりから批判されることを聞くのは)母にとってはつらい経験だったと思う。もちろん、母にとって息子は天使なわけで、贔屓目で見ているからね。母にとってつらい経験で、ときにはそのことを顔に出して、まわりにわからせていた。でもぼくはいつも母に『怒ることもないし、気にすることもない』と言っていた。ぼくが気にしていないのだから、気にしなくていいよってね」
それにもカーターなりの理由があった。2年前、ホークスの試合後に、ロッカールームでの囲み取材でカーターにその理由を聞くと、丁寧に説明してくれた。
「どこでやっても、バスケットボールには変わりないからね。優勝争いしているようなチームを選んだら、ベンチの端で座っているだけで、プレイする機会は与えられない。そんなのは楽しくない。ホークスは、僕自身がコートに立ってプレイして競い、さらに若手選手の手本になるような機会も与えてくれた。(中略)このチームでは自分で試合に出て、見せることができる。まだこれができるのか言われる。それが楽しいんだ」
40歳を超えても試合に出て、チームに貢献し、親子ほど年が離れた若いチームメイトたちに、自分が学んできたことを伝えることもできる。それが楽しくてしかたないといった様子だった。
若いときにジョーダンになることを選ばず、ベテランになってから優勝を狙いに行くことを選ばなかったカーター。それに物足りないと感じる人もいるかもしれない。しかし、正式に引退した今、22年のキャリアを振り返ると、これがカーター流の選手キャリアだったのだと納得できる。こうあるべきだというまわりの勝手な期待を気にすることなく、我が道を歩んだ22年。ジョーダンではなかったし、優勝することもできなかったけれど、間違いなく唯一無二の選手であり、彼らしいキャリアだった。
(C)2020 NBA Entertainment/Getty Images. All Rights Reserved.
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