築地市場跡地の再開発、専門家はどう見た? 総事業費9000億円。「マルチスタジアム」で問われるスポーツの価値
REAL SPORTS / 2024年5月8日 0時42分
総事業費約9000億円――。大きな話題となっている築地市場跡地の再開発事業。5万人収容の8つのモードを持つ「マルチスタジアム」の整備を中心に再開発が進められるという。Mazda Zoom-Zoomスタジアム広島の設計を手掛けたスタジアム・アリーナの専門家であり、スポーツ環境の研究者でもある上林功氏は、この壮大な計画をどのように見ているのか。
(文・写真=上林功)
総事業費約9000億円にものぼる国内最大級の開発事業
東京都の公募による築地市場跡地の再開発事業が話題となっています。豊洲新市場への移転にあわせ解体後、空白地となっていた築地市場跡地。銀座・新橋からも徒歩圏の好立地、都内最後の一等地としてどのような再開発がおこなわれるか注目を集めていましたが、三井不動産、読売新聞グループ、トヨタ不動産など11社による企業連合の提案が採択されました。
多目的なスポーツ利用が可能な「マルチスタジアム」を中心にした総事業費約9000億円にものぼる国内最大級の開発事業となることが公表され、メディア各社からも大々的に取り上げられました。特に開発の中心に置かれる「マルチスタジアム」についてはホームチームも合わせてさまざまな予測も出るなど久しぶりにスタジアム関連ニュースとしてにわかに盛り上がっています。
ところがよくよく再開発事業の提案概要書を見てみると、印象はガラッと変わります。単なるスポーツを核とした再開発に留まらず、「東京」という都市の構造そのものを大きく刷新する壮大なプロジェクトの全容が垣間見えます。築地だけではない首都圏全体を巻き込む「台風の目」をつくり出そうとしている、そんな印象さえ抱きます。
今回は令和初の大開発、築地市場跡地再開発事業に注目して都市におけるスポーツの役割について改めて考えていきたいと思います。
マルチスタジアムは新しいコンセプトではない?
5月1日、築地市場跡地の再開発事業の提案内容について事業者による記者会見がおこなわれました。そのなかでも約5万人を収容できる野球、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイススケートリンク、コンサート、コンベンションの8つのモードを持つ「マルチスタジアム」について注目が集まりました。観客席やフロアを可動機構によって組み替えて8つのカタチに変えることができるとの提案でした。
こうした可動機構を持つスタジアムに注目が集まるものの、実のところこうした多目的スタジアムについては必ずしも新しいコンセプトではありません。1930年代に提唱された兼用競技場を端緒として、複数の競技ができるスタジアムはこれまでにも多くつくられてきました。
日本において初めて可動機構が組み込まれたスタジアムは1978年に完成した横浜スタジアムです。ファールエリアに面した1、3塁側内野席が壁に沿ってスライド、ピッチャーマウンドを地下に格納する昇降装置によって扇型の野球場が長方形のアメフトのフィールドに変形できるようになっていました。
可動機構を取り入れたスタジアムの多目的利用に関する進化は著しく、1981年の「大阪南港ドーム構想」では大規模コンサート、展示場、野球、アメフト、サッカー、陸上トラック、少年野球、バスケット、アイススケートリンク、テニス、ボクシング、相撲にいたる9つのモードと12の利用シーンを想定した超マルチスタジアムが提案されています。1984年の完成を目指し当時在阪4球団すべてが使用する多球団プランも出されていましたがこの構想はその後頓挫してしまいます。
[可動機構を組み込んだ多目的スタジアム、さいたまスーパーアリーナ(左)と札幌ドーム(右)]
現時点では甘さが目立つ「スタジアムとしての完成度」
その後も可動席をはじめとした可動機構を組み込んだ多目的スタジアムは東京ドーム(1988年)、みずほPayPayドーム福岡(1993年)、バンテリンドームナゴヤ(1997年)、京セラドーム大阪(1997年)、さいたまスーパーアリーナ(2000年)、札幌ドーム(2001年)など、ある意味日本の20世紀の大規模スタジアム史を語るうえでスタンダードモデルであったと言っても過言ではありません。
個人的な感想に留めますが、改めて築地市場跡地再開発の「マルチスタジアム」を見たときにどれほどの先進性があるのかは疑問が残るところです。記者会見のなかで読売ジャイアンツの本拠地移転について問われた際に明言を避ける一幕がありましたが、まだ詳細な計画が詰められているわけではないようにも思えます。
スタジアムとしての完成度についても現在の完成予想図から見る限り、各競技に望ましいフィールドの形状、観客席のレイアウトや勾配など、基本的なスタジアム設計における課題が多目的利用のためか甘さが目立つようにも見えてしまいます。
もちろん、公開されている完成予想図は提案段階のものであり、今後の設計作業を経てリバイスされるものと考えられますが、少なくとも現段階において競技団体やスポーツチームと詳細な検討を重ねたものとは言えなさそうです。
[築地再開発施設の展示会利用との連携が考えられている東京ビッグサイト(左)と東京国際フォーラム(右)]
そもそもスポーツスタジアムはメイン施設? 築地再開発の全容とは
そもそも再開発のど真ん中にスタジアムがある再開発にしては、総工費のバランスがおかしいようにも思います。ここに来れば世界すべての可動観客席機構のパターンが見れる“可動観客席のショールーム”と称された、さいたまスーパーアリーナが最大3万7000席で当時総工費680億円、総開発費で1250億円。より現在に近い例を挙げるなら野球とアメフトの兼用スタジアムであるミネソタのUSバンクスタジアム(2016年)が6万5000席規模で10億6100万米ドル、当時のレートで約1200億円となります。
もっと複雑な機構や特殊な設備を入れる可能性もありますが、一般的に5万人規模の多目的スタジアムの相場観としては1200~1500億円程度に留まります。それに対し全体の総事業費は約9000億円と言われる築地市場跡地の再開発。どうしても目立つ「マルチスタジアム」に目が行ってしまいますが、むしろスタジアムの周囲への建設投資のほうがメインなのではとも思ってしまいます。
そのように考えながら改めて東京都が公表しているHP「築地まちづくり」を見てみると、単なる新スタジアム構想に留まらない、極めて大規模な構想であることがわかります。HPでは提案の概要書を見ることができますが、冒頭の「提案の主なポイント」に「スポーツ」も「スタジアム」も出てこないことがわかります。ポイントとして書かれているのは5つ。
(1)人々が憩う広場や水辺空間の創出
(2)陸・海・空の広域交通結節点の形成
(3)世界水準の大規模集客・交流施設の整備
(4)築地場外市場の活気を引き込むにぎわい空間から築地ブランドを発信
(5)CO2排出実質ゼロや持続的まちづくり
このなかで(3)が「マルチスタジアム」に相当しますが、特定のホームチームを持つスタジアムというより「世界選手権をはじめとした各種スポーツ大会」と、ターゲットとする大会規模を世界レベルに定めていることがわかります。
年がら年中、世界大会を開催できるわけではないので、「コンサート」「大規模展示会」と続くのですが、特に展示会については詳しく書かれており、MICE(※1)施設として「国際学会から数万人規模のイベントまで対応可能」としているほか、近圏の東京ビッグサイトや東京国際フォーラムなどの施設との関係にも触れながら「大規模な国際総合コンベンションの誘致」について言及しています。
(※1)MICEとは、Meeting(会議・研修)、Incentive Travel(報奨・研修旅行)、Convention(国際会議)、Exhibition/Event(展示会・見本市・イベント)の4つの頭文字を用いた、多くの集客・交流が見込まれるビジネスイベントの総称
[築地再開発において、国立がん研究センターと連携したライフサイエンス分野のイノベーション施設を建設予定]
まち全体で実証実験できるようなイノベーション
こうした都市レベルの国際総合コンベンションと言うとアメリカのラスベガスや中国の深圳を思い浮かべます。
ラスベガスは今でもカジノの街であることは確かですが、その大規模集客能力をうまく利用し、国際的なコンベンションシティとして複数の施設を横断するような都市規模の国際学会や国際展示会を誘致しています。
また中国の深圳のように、国際的な展示会の招致をきっかけにナレッジの集積を都市に還元させ、多くのベンチャーを抱えるイノベーションなまちづくりにつなげることで、これまで日本が遅れを取っていた都市レベルの競争力強化を期待することができそうです。
築地再開発のなかには近隣の国立がん研究センターと連携したライフサイエンス分野のイノベーション施設を建設予定で、小児がん患者とその家族が治療を受けながらも一緒に日常生活を送ることのできる滞在施設などが計画されています。
まち全体で実証実験できるようなイノベーションを生み出すエリアには多くの人が集まり日常的なにぎわいが必要です。そうした意味では特定の企業やチームのカラーが目立つスタジアムというより、東京国際フォーラムとも東京ビッグサイトとも違う我が国を代表する多目的屋内スポーツ施設としてのポジショニングが見えてきます。
「マルチスタジアム」はエリアにおける台風の目として、スタジアム施設単体よりもそれらが生み出す人流や物流によって周囲の複合施設により大きな波及効果を生み出すものと考えます。
[築地再開発敷地の直下を通る「高速晴海線」構想も含め、東京の交通アクセスを根底から刷新する大規模な計画]
東京の骨格が変わる? 東京中心エリア交通網の新たな姿とは
いくら近い位置にあるとはいえ、東京ビッグサイトや東京国際フォーラムとの連携と聞いてもいまいちピンとこないかもしれません。これら2拠点と築地再開発敷地を結ぶ交通は現在はバス路線しかなく、相互連携しにくい位置にあります。ところが都の「築地まちづくり」HPには再開発だけでなく付随する交通計画についても触れられており、これが(2)の「広域交通結節点の形成」につながります。
まずは地下鉄新線。東京駅から有楽町を経て東京ビッグサイトまでつなぐ「臨海地域地下鉄」の計画が進められており、築地市場跡地の直下を通過する予定とあります。もし新駅ができれば、東京国際フォーラムと築地再開発敷地、東京ビッグサイトが地下鉄で直結することになります。また、この新地下鉄、将来的には羽田空港への延伸、またつくばエクスプレスの乗り入れまで視野にいれており、空路から直接東京都心にアクセスする主動線となる可能性を秘めています。
さらに首都高。東銀座の首都高築地川エリアについて「高速晴海線」と呼ばれる支線の構想があり、これもやはり築地再開発敷地の直下を通ります。この支線は日本橋の首都高の地下化工事に伴う首都高ルートの刷新のなかで触れられているもので、単に築地再開発に首都高ルートが開通するというだけでなく、同時に日本橋上空にかかっていた高架が取り払われ、切掘りのようになっている築地川エリアにはフタがされオープンスペース化するなど、大きな変化が見込まれる一石二鳥ならぬ、一石数鳥となるような計画となっています。
地下鉄に首都高、これまでの東京の骨格となる交通アクセスの基盤を根底から刷新する可能性を秘めた大規模計画の重要なピースとして築地市場跡地の再開発事業が位置づけられていることがわかります。
[晴海フラッグ(左)や国内有数の料亭が立ち並ぶ東銀座(右)とどのような交わりを見せるのか?]
「東京のリビング」へ。地域と共につくる先行エリア
東京オリンピック・パラリンピックにおいて都心側のヘリテッジゾーンとお台場などの東京ベイゾーンの2つのゾーンのシナジーが構想されましたが、築地市場や勝どき、晴海ふ頭はちょうどこれら2つのゾーンの重なる位置にあり、東京全体の中心的な位置づけが成されていました。
晴海の選手村はその代表的な施設であり、現在は高層レジデンスが立ち並ぶ新たな街「晴海フラッグ」として整備が進んでいます。実際のところBRT(Bus Rapid Transit/バス高速輸送システム)などのバス交通は整備されたものの、公共交通がしっかりしているとは言い難い状態です。
築地市場や晴海ふ頭といった今でこそ注目を浴びているエリアが長年のあいだ東京の経済活動を支える市場や倉庫など物流ハブ等の裏方を担っていたこともあり、まちの構造そのものに課題があります。再開発によってかつて「東京の台所」と呼ばれた築地市場跡地が都市インフラを含めて「東京のリビング」や「東京の客間」になることで旧来からの東京の中心部とベイエリアがはじめて面的な一体性を持つものと考えています。
[再開発後も保存される計画の波除神社(左)と、にぎわいを生む現在の築地場外市場(右)]
築地・晴海エリアの未来はどうなる?
一方、気になるのは地域との関係かもしれません。
独自のにぎわいをつくってきた築地場外市場や落ち着いた東銀座の雰囲気、月島や勝どきといったヒューマンスケールなまちづくりなど、都内でも個性的な特徴を持つエリアです。大規模再開発が近接することによる人流の変化など、地域への影響はどうなるでしょうか。
築地再開発では2032年にはおおよその施設ができあがると言いますが、先行エリアとしてまずは築地場外市場と近接した波除神社の隣接地に「波除広場」をつくって築地場外市場との連携を図ると提案され、現在の波除神社がそのまま残されるイメージが出されています。
正直なところ波除神社のある場外市場東端からどうにぎわいを連携させるかは今後の検討なのかと思いますが、まずは最初に地域共創による連続したまちづくりが示されていることに期待を持っています。
今回は築地市場跡地の再開発事業について読み解いてみました。これらはあくまで提案段階のものであり、今後も検討は進むと思われます。スポーツ環境の研究者としてはスポーツを核としたまちづくりが都内の、しかも今後の都市構造を左右するような開発に採用されたことがうれしくてたまりません。ある意味、スポーツの価値が問われていると言い換えてもいいかもしれません。
かつて国内を席巻し、その後、専用スタジアムの台頭によって下火となってしまった「マルチスタジアム」の新たな可能性を示してもらいたいと祈るばかりです。
<了>
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[PROFILE]
上林功(うえばやし・いさお)
1978年11月生まれ、兵庫県神戸市出身。追手門学院大学社会学部スポーツ文化コース 准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所 代表。11年務めた建築設計事務所にて主にスポーツ施設の設計・監理を担当。主な担当作品として「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)」など。2014年に株式会社スポーツファシリティ研究所設立。主な実績として西武プリンスドーム(当時)観客席改修計画基本構想(2016)、横浜DeNAベイスターズファーム施設基本構想(2017)、ZOZOマリンスタジアム観客席改修計画基本設計など。「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」など実践に活用できる研究と建築設計の両輪によるアプローチを行う。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、日本政策投資銀行スマートベニュー研究会委員、日本財団パラスポーツサポートセンターアドバイザー、スポーツ庁 スタジアム・アリーナ改革推進のための施設ガイドライン作成ワーキンググループメンバー、一般社団法人運動会協会理事など。
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