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バスケ実業団選手からラグビーに転向、3年で代表入り。村上愛梨が「好きだからでしかない」競技を続けられた原動力とは?

REAL SPORTS / 2024年7月2日 2時25分

女子スポーツの競技登録者数が大学卒業を機に減ってしまう問題について、スポーツ用品を手掛ける株式会社モルテンは「KeepPlaying プロジェクト」を通じてサポートの輪を広げ、さまざまなアスリートのストーリーを共有してきた。15人制ラグビー選手の村上愛梨選手は、バスケットボールの実業団でプレーしていた26歳の時にラグビーに転向。恵まれたフィジカルを活かし、3年目で日本代表キャップを刻むなど、非凡なキャリアを歩んできた。転向の背景にあったストーリーとは? LGBTQ+の当事者としても発信を続ける村上さんの活動やメッセージにも耳を傾けてみたい。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=村上愛梨)

強みはフィジカルを生かしたコンタクトプレー

――村上選手は現在、15人制ラグビーの横河武蔵野アルテミ・スターズでプレーされていますが、どんなところにラグビーの魅力を感じていますか? 

村上:ラグビーは一人一人に異なる役割を与えてくれる、多様性に満ちたスポーツです。球技の中でも格闘技に例えられるほどパワフルな競技ですが、華麗なステップやスピードで魅了できるところも特徴だと思います。

――ご自身のプレーの一番の強みはどんなところですか?

村上:もともとバスケットボールの選手だったこともあり、体の大きさは強みで、強く当たりにいくプレーは自分の武器だと思っています。アルテミ・スターズでは最年長なので、精神的に後輩たちを支えたいという思いもあります。

――練習とお仕事は、どのように両立されているのでしょうか。

村上:今は生命保険会社に勤めていて、仕事の後に練習をしています。グラウンド練習は月曜日と木曜日と土曜日の3回ですが、「文武両道」がチーム方針なので、他のメンバーも大学や仕事などをすべて終わらせてから、月曜日は夜7時45分、木曜日は6時半ぐらいから練習しています。ウエイトトレーニングや個人トレーニングは、その前にしている感じです。

バスケ部時代の夢は「実業団でプレーすること」。母への思いも原動力に

――村上さんは小学生の頃にリトルリーグで野球の日本代表メンバーにも選ばれたそうですが、なぜ中学生の時にバスケットボールに転向したのですか?

村上:小学校の時の卒業文集では「野球の日本代表になりたい」と書きました。中学の時は男子のなかで女子一人でプレーしていたんですが、男女の力の差を感じるようになって、違うなと。それで監督に相談したら「身長も高いし、バスケットボールがいいんじゃないか?」と勧められたんです。その時にたまたまスラムダンクの漫画を読んでいたこともあって、中学ではバスケ部に入り、「やるからには実業団に入りたい」と目標を決めて始めました。

――その後、高校や大学卒業の節目でバスケを続けることへの迷いはなかったですか?

村上:私はLGBTQ+の当事者で、それが理由で高校時代は周囲の人間関係に苦しむこともありましたが、「ここに何をしにきたのか?バスケをしにきた」と考えて、続けることができました。プロのWリーグに行けるような実力はなかったんですが、その下の実業団のレベルではやってみたいなと思っていたんです。それで、大学生の時にWリーグのチームと対戦した際、相手の監督だった方が自分を評価してくださって、後に実業団の秋田銀行レッドアローズの監督になった時に誘っていただいたんです。実業団の誘いを蹴ってまで他の職につく考えはなかったので、バスケを続けることに迷いはありませんでした。ただ、それがなかったら進路に悩んでいたかもしれません。

――家族のサポートや仲間の支え、先輩のアドバイスなど、競技を続けていく上で壁を乗り越える原動力になったことはありますか?

村上:人間関係に苦しんだ時は、母にまでその嫌な思いをさせてしまいました。ただ、母はどんな時でも絶対に私を守ってくれて、私の応援をすることが大好きだったので、そんな母に私が競技する姿を長く見せてあげたいと思い、それがバスケを続けていく上でのモチベーションになりました。自分が自分らしくいられる居場所で、目標に向かって試練を乗り越えていく。その思いが自分の原動力でした。

バスケからラグビーに転向「生で試合を見て、心が動いた」

――秋田銀行レッドアローズでは銀行員として働きながら、3年間で2度の全国制覇も経験されたそうですね。ラグビーに転向したきっかけは何だったのですか?

村上:仕事のお客様からもらったラグビーのチケットで試合を見にいった時に、激しくぶつかり合う音を聞いて、その面白さに心が動いたことがきっかけです。迷った時はやらないと気が済まない性格ですし、バスケでは「実業団でプレーする」という目標を果たしたので、チャレンジしようと思いました。

――中学生から社会人まで約13年間バスケを続けてきた中で、転向することに迷いはなかったのですか?

村上:その前にラグビー転向を考えたことが一度あって、その時は2度目だったので迷いはなかったんです。一回目は大学の時で、当時の監督に「オリンピック選手を目指すならラグビーかカヌーをやったほうがいい」と言われたことがあって。でも、当時は実業団でバスケをすることが目標だったので、その2つは最終的に蹴りました。ただ、社会人になってから生でラグビーを観戦した時には、すぐに決断しました。

――長年バスケをやっていた経験から、ラグビーに生きたことや、逆に慣れるのに難しかったことなどありますか?

村上:ステップやスタートダッシュの速さは、バスケに通じる部分だと思います。私はフォワードですが、ラインアウトした際には、背丈があるので空中戦でボールを争奪するジャンパーを担当します。バスケットのジャンプシュートと、そのジャンパーの飛ぶ動作は同じで、真上に高く飛べるので、そこは経験が生きたところですね。

 ただ難しいところも多くて、バスケは選手同士の接触はファウルになりますけど、ラグビーはどれだけタックルできるかが勝負になるので、最初は怖かったです。パスも、バスケだとパスをしてそのまま前に走ってもOKですが、ラグビーは前にパスをしてはいけないルールがあるので、後ろにパスをしたら自分も下がらないとパスをもらえないんですよね。最初はその動きに慣れるのに苦労しました。

――当初はセブンス(7人制)から入り、2017年に15人制ラグビーに転向した翌年には代表に選ばれました。代表戦は、やはりそれまでの経験とは違いましたか?

村上:あまりにも違いすぎて、体調が悪くなりました(苦笑)。転向してたった3年で代表の合宿に参加して、それまで代表にいた誰かがジャージを着られなくなるわけじゃないですか。そういう競争のシビアさや、日本を背負って戦うことに対して、ものすごく気負ってプレッシャーを感じましたし、「代表で戦い続ける人たちはすごいな」と重みを感じました。

仕事との両立、多様性を尊重できる環境づくりも継続への第一歩

――村上さんは2019年にご自身のセクシャリティをTwitter(当時)上で公にされ、その後同性のパートナーがいることも公表されました。どんなことが決断を後押ししたのですか?

村上:2017年に加入した当時の監督がスティーブン・タイナマンというオーストラリア人で、その方がどんな生き方も否定することなく、すべてを受け入れてくれるような環境づくりをしてくれたんです。だからこそ、チームメートも自然な形で受け入れてくれたと思います。ただ、当時は「それをシェアしたら、自分もそう見られてしまう」という風潮はまだある時代でした。それから5年が経って、今は世の中がさらにオープンな形になっていると思います。

――スポーツは多様性の発信拠点にもなっていると思いますが、現在はどのような形で発信を続けているのですか?

村上:「プライドハウス東京」という団体を通じて発信をしています。今は、アライ(LGBTQ+当事者の理解者や支援者)を増やそうという活動に力を入れていて、まずはアライアスリートを増やせれば、ということで、オリンピックを経験している選手に声をかけたり、競技の協会の代表の方などに研修をさせていただいています。そこで「いない」のではなく「見えていない」だけであること、知識をアップデートしていただけるように、当事者のライフストーリーや経験を知っていただけるように活動を続けています。

――そのように、個人を尊重できる環境づくりも含めて、女子選手がスポーツを長く続けるためには他にどのようなことが課題だと思いますか?

村上:私がここまでスポーツを続けてこられたのは「好きだから」でしかないです。目標を達成できてもできなくても、それがすべてではないと思いますし、すべての過程を楽しめるようになればいいと思います。今の一番の課題は仕事との両立だと思います。ラグビーの場合、代表に選出されると長期の合宿や遠征があるので、職場の理解が必要です。働き方や契約内容も競技と両立しやすい内容だとありがたいのですが、現状はその働き方ができる選手が限られています。接触が多い競技なので、ケガのリスクを考えると40代以降は続けるのが簡単ではないと思いますが、個人のライフステージに合ったスポーツのクラブチームが増えれば女性も長くスポーツが続けられると思いますし、私もそういう場所や情報を提供できたらいいですね。

――高校卒業後に女子競技の登録者数が減ってしまうという課題について、「KeepPlayingプロジェクト」への個人的な思いはありますか?

村上:スポーツを長く続けることは難しいことだと思います。だからこそ、「なぜ続けてこられたか」「なぜ続けていきたいか」などの例をこのプロジェクトを通じて共有することは、部活でスポーツをしている学生たちのモチベーションや目標にもなると思います。

――最後に、ご自身のキャリアの展望を教えてください。

村上:3年前にラグビーのケガで検査をした時に、7cmの腫瘍が見つかりました。悪性の可能性が8割と言われましたが、摘出して検査した結果、良性でした。そういうこともあるので競技ができるのは40歳までかな、とふと考えることもありますが、もう10年ラグビーを続けられたら、とも考えます。身体が動く限り頑張りたいですね。

<了>

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[PROFILE]
村上愛梨(むらかみ・あいり)
1989年生まれ、東京都出身。15人制ラグビー選手で、東京を拠点とする横河武蔵野アルテミ・スターズ所属。ポジションはフォワードで、175cm、87kgの恵まれた体格を生かしたプレーが魅力。小学生時代は野球でリトルリーグの日本代表に選出されたこともあるが、中学生の時に始めたバスケットボールで頭角を現して高校・大学でも活躍。卒業後は実業団の秋田銀行レッドアローズにスカウトされて入団。その後、初観戦したラグビーの試合で、選手同士がぶつかり合う音に感銘を受け、2015年に日本ラグビー協会の女子7人制種目転向者向けトライアウトに合格し、ラグビーに転向。2017年に女子ラグビーのワールドカップを見て15人制に憧れ、現チームへの移籍を決断。2019年には、ラグビー15人制日本代表で初キャップを刻んだ。同年にLGBTQ+の当事者であることを公表している。

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