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バスケ×サッカー“93年組”女子代表2人が明かす五輪の舞台裏。「気持ち悪くなるほどのプレッシャーがあった」

REAL SPORTS / 2024年7月2日 2時30分

バスケットボール日本女子代表の町田瑠唯と、元サッカー日本女子代表の岩渕真奈。東京五輪開催時に「そっくり!」とSNSで話題になった2人が、パリ五輪を前に初対面を果たした。アシストを真骨頂とする町田は「バスケット選手じゃなかったらサッカー選手になっていた」と明かし、ストライカーだった岩渕はバスケ経験があると明かすなど、シンクロする部分も多い2人。東京五輪とロンドン五輪でそれぞれ銀メダルを獲得し、オリンピック2大会を経験した2人に、同大会への思いや代表での立場の変化、キャリアにおいてどんな逆境を乗り越えてきたのか、対談形式で語ってもらった。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、撮影=大木雄介)

東京五輪は銀メダル獲得も、悔しさが残る大会に

――オリンピックについてお聞きします。岩渕さんはロンドン五輪(準優勝)と東京五輪(ベスト8)を経験していますが、オリンピックにはどのような印象や思い出がありますか?

岩渕:サッカーって、その国のいろいろな地域で試合をするし、最初のほうは地方が会場になることも多くて、しかもスケジュールが他の競技よりも早いので、あまり盛り上がっているイメージがないんです。東京五輪は無観客で、結果も出せなかったし……。日程が進んで選手村に入れることになってから、やっとオリンピックを実感できるぐらいの感じで。ロンドン五輪で銀メダルを取ったことはすごく良かったのですが、オリンピックという大会を楽しんだかと言われたら、当時は若すぎて楽しむ余裕がなかったですね。

――町田選手はリオデジャネイロ五輪(ベスト8)、東京五輪(準優勝)を経験されています。思い出深いエピソードや、ご自身にとってのオリンピックについて教えてください。

町田:オリンピックに出るのが夢だったので、最初のリオの時は、すごくワクワクした気持ちで臨んでいました。他の大会と雰囲気が全然違うと感じましたし、大会中にチームが一つになった感じもあったので、「オリンピックってすごい舞台だな」っていうのもその時に感じました。当時は年齢が下のほうだったのでついていくという感じだったんですけど、東京五輪の時は28歳で、上から2番目ぐらいの年で。リオの時とは立場が全然違ったので、責任はすごく感じながらプレーしていました。

――特に印象に残っている試合や瞬間をそれぞれ一つ挙げるとすれば、いかがですか?

町田:初めてベスト4に進んだ(東京五輪の)準々決勝のベルギー戦は印象深いですね。終了間際に林咲希選手の3ポイントシュートで(86-85で)逆転した最後の場面は忘れられないです。銀メダルは初めてのメダルだったので嬉しかったですけど、やっぱり目標は金メダルだったので、そこに届かなかった悔しさだったり、決勝でうまく戦えなかった悔しさっていうのはずっと残っています。個人的にも、「足りないところが多すぎる」と感じた大会でもありました。

岩渕:なでしこジャパンはロンドン五輪の決勝でアメリカと対戦したんですが、1-2で負けていて、最後の場面でGKと1対1になったシーンでシュートを決められなかったことが、個人的には銀メダルを取ったことよりも印象に残っています。その最後のシュートを決めていたら金メダルを取れた可能性もあったので。だから、ベスト8で終わった東京五輪も含めて、オリンピックは「悔しい大会」というイメージのほうが強いです。

代表での立場の変化を感じた2度目のオリンピック

――お二人にとってキャリア2度目のオリンピックとなった東京五輪では、チーム内での立場や責任はどのように変化しましたか?

岩渕:年下だった時はある程度自分のことをしっかりやって先輩についていけばいいのですが、年上になると、いい意味でも悪い意味でもいろんな経験をしてきた中で難しさを感じるようになりました。「代表はこういう場所」ということを若い選手たちに示して引っ張らなきゃいけない、と思いながらも、2016年以降は監督が代わって世代交代が一気に進んで、上の年代の選手がかなり少なくなってしまって。そこはものすごく苦労したところです。結局、東京五輪でも結果が出てないから「うまくいった」とは言えないですけどね。自分は若い時のほうがラクだったなと思うし、そういう経験をしたからこそ「若い選手は何も考えなくていい」と思っていたので、若い選手に対するうらやましさもありました。

町田:私も東京五輪の時はリオの時とは立場が全然違って責任を感じながらプレーするようになりましたね。でも、高田真希キャプテンがしっかり引っ張ってくれていたので、みんなでついていった感じでした。サッカーは人数が多い分、若い選手が一気に入ってくると難しさもあると思いますけど、バスケットはベンチに入れるのは12人で、若い選手が入っても1人、2人くらいでガラッと変わることはあまりないので、そのまとまりやすさはあったのかなと思います。

岩渕:ちょっとうらやましく聞こえます(笑)。

銀メダルで観客が一気に増加。「選手が責任を背負う必要はない」

――なでしこジャパンはロンドン五輪後、アカツキジャパンは東京五輪後に、メダルを獲得した影響もあって人気の高まりを感じました。代表の活躍が人気に直結することは、リーグでどのように実感していましたか?

町田:東京五輪の後は一気に観客が増えましたが、そこから徐々に減ってきています。バスケットよりも前に、サッカーやソフトボールがオリンピックでメダルを獲得していたけど、やっぱり「観客数が一気に上がって、その後は下がってしまう」という話を聞いていたので、バスケットもそうなるんだろうなと予想はしていました。そうならないようにみんないろいろと考えて実践していますけど、それでも人気が継続していかないっていうのは、どうしたらいいのかなと。

岩渕:私も、2011年のワールドカップ優勝を経験して、その後バーっと観客数が増えて、そこからは減っていくことしかなかったし、(2021年に開幕した)WEリーグも思うようにお客さんが入らない現状を見て、代表の結果が人気に直結しているなと感じます。ただ、そもそも日本で女子スポーツが盛り上がっているかと言われたら、難しい部分があると思います。バレーボールはテレビでやっていて盛り上がっているなと思うんですけど、どうしたら継続して盛り上げていけるのかはいつも考えます。だけどまだ正解は見つからないですね。

――集客の起爆剤という意味では現状、オリンピックの代表チームにかかる部分が大きくなりますね。選手たちのコメントからも、その責任感が感じられます。

岩渕:引退して改めて思うのですが、現役時代は「日本の女子サッカーのために」「競技を盛り上げるために頑張らなきゃ」って思って、メディアにもそう言っていたし、ものすごく自分自身にプレッシャーをかけていたなと。ただ、引退した今、外から代表を見る立場になって、二十歳ぐらいの選手が「女子サッカーのために結果を残せるように頑張ります」って言っているのを見るのは、少し胸が苦しくなります。結果を出すためだけにやっているわけではなくて、きっと自分が好きで楽しいからサッカーをやって、その結果代表選手になれたのに、それ以上に責任を背負う必要はないんじゃないかな?と。やっている時は自分も苦しかったなって、やめてから感じましたから。だからこそ、選手たちには結果ばかりを意識しすぎることなく、オリンピックでプレーできることを思いっきり楽しんでほしいです。

――町田選手は現役選手として、そういうプレッシャーや責任感を感じる場面も多そうですね。

町田:東京五輪の後はいきなり注目を浴びる機会が増えて、なぜか私だけ取り上げられることも多かったので、大会後はそのプレッシャーに苦しみましたね。オリンピックを見てからリーグの試合を見に来てくれる人も多く、代表で見せたプレーを見せなきゃいけないというプレッシャーもありました。チームが違うから役割も違うんですが、見に来てくれる人は代表の私しか知らないから、それ以下のことはできないし、「結果を残さなきゃいけない」っていうプレッシャーを自分で自分にかけていました。

キャリアで一番の逆境は?

――キャリアの中でいい時もあれば大変な時期もあったと思いますが、一番の「逆境」を挙げるとすれば、どんな局面でしたか?

町田:あまり「つらい」と思うことがないんです。昨シーズンは骨折と捻挫が連続してしまった時期があったのですが、その時も割と前向きに「これまでずっと休みなくバスケットをやり続けていたから1回休めってことかな」という感じで受け入れられましたし、復帰した時には、ケガをする前よりもレベルアップできるように頑張ろう、という感じでリハビリしていたので。そう考えると、そこまでつらかった経験はないかもしれないですね。

岩渕:ケガは多すぎたので、何が一番とは言えないのですが……。今までで一番プレッシャーを感じたのは、東京五輪のグループステージ第3戦のチリ戦でした。初戦と2戦目の結果から、3戦目は引き分けでも敗退の可能性があって、勝たなければいけないという状況だったのですが、チリは世の中的には格下と見られていて。しかも、その試合は唯一の有観客試合になったんです。オリンピックはいろいろな競技がある中で埋もれてしまわないためにも結果が必要だと思っていましたし、2016年のリオ五輪の予選を逃していて、女子サッカーの未来のためにも「結果が絶対に必要」だと感じていたので。その時のプレッシャーは、本当に気持ち悪くなるぐらいでした。

――岩渕さんはワールドカップやオリンピックの決勝も戦っていますが、その時よりも強いプレッシャーだったんですか?

岩渕:そうですね。攻めているのに全然点が入らなくて、「負けたらどうしよう」ってだんだん追い詰められる感じで……。だからこそ、勝った後はワールドカップ優勝の時よりも「ほっとした」という気持ちが強すぎて、すごくイメージに残っています。

――自国開催のそういうプレッシャーは、町田選手も感じましたか?

町田:ありましたね。それまで代表ではメインガードじゃなくて、ずっと2番手、3番手で、途中で流れを変える選手という感じで出ていたんですけど、東京五輪の時はスターターで出る感じになったので、その責任感やプレッシャーが、それまでよりも大きかったです。

――大きな大会で主力に定着して、活躍してヒロインになるのはすごいですよね。

岩渕:きっと、“持ってる”んだと思います。例えばサッカーなら、澤穂希さんが2011年のワールドカップで得点王になりました。継続してやってきたことが一番輝いたのがあの大会だったと思います。町田選手も“持ってる”選手なんじゃないですか?

町田:いやいや、自分ではあまり思わないんですけどね(笑)。

岩渕:継続してやってきたことの努力の過程はもちろんですけど、それもすごく大事な要素だと思うんです。絶対に“持ってる”選手だと思うので、パリではそこも注目して見てみたいです!

【連載前編】「そっくり!」と話題になった2人が初対面。アカツキジャパン町田瑠唯と元なでしこジャパン岩渕真奈、納得の共通点とは?

【連載後編】岩渕真奈と町田瑠唯。女子サッカーと女子バスケのメダリストが語る、競技発展とパリ五輪への思い

<了>

試合終了後、メンバー全員と交わした抱擁。BTテーブスHCがレッドウェーブに植え付けたファミリーの愛情

Wリーグ決勝残り5分44秒、内尾聡菜が見せた優勝へのスティール。スタメン辞退の過去も町田瑠唯から「必要なんだよ」

2度の引退を経て再び代表へ。Wリーグ・吉田亜沙美が伝えたい「続けること」の意味「体が壊れるまで現役で競技を」

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[PROFILE]
岩渕真奈(いわぶち・まな)
1993年3月18日生まれ、東京都出身。元サッカー日本女子代表。小学2年生の時に関前SCでサッカーを始め、クラブ初の女子選手となる。中学進学時に日テレ・メニーナ入団、14歳でトップチームの日テレ・ベレーザに2種登録され、2008年に昇格。2012年よりドイツ・女子ブンデスリーガのホッフェンハイムへ移籍し、2014年に加入したバイエルンではリーグ2連覇を達成。2017年に帰国し、INAC神戸レオネッサに入団。2021年1月よりイングランド ・FA女子スーパーリーグのアストン・ヴィラへ移籍、2021-22シーズンからアーセナルでプレーし、2023年1月からトッテナムへ期限付き移籍。昨年9月に引退を表明した。日本代表では2011年女子ワールドカップ優勝、2012年ロンドン五輪準優勝を経験。2021年東京五輪では背番号10を背負うなど、なでしこジャパンを長く牽引した。国際Aマッチ通算90試合37得点。

[PROFILE]
町田瑠唯(まちだ・るい)
1993年3月8日生まれ、北海道出身。女子バスケットボール・Wリーグの富士通レッドウェーブ所属。ポジションはポイントガード。チームの司令塔として、多彩なパスで得点を生み出す。高校3年時に全国高校総体と国体、全国高校選抜の三冠を達成し、高校卒業後はWリーグの富士通でプレー。リオデジャネイロ五輪ベスト8、東京五輪銀メダル。同大会の準決勝フランス戦では、大会新記録となる1試合18アシストを記録した。Wリーグの21-22シーズン終了後に渡米し、ワシントン・ミスティクスと契約、4人目の日本人WNBAプレーヤーに。1シーズンプレーした後、富士通に復帰。2023年9月に株式会社RUIを設立し、オリジナルファッションブランドを展開している。

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