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「いつも『死ぬんじゃないか』と思うくらい落としていた」限界迎えていたレスリング・樋口黎の体、手にした糸口

REAL SPORTS / 2024年8月7日 2時42分

どんな失敗や挫折にも意味がある。計量のルール変更によって、浮き沈みが激しい選手人生を送ることになったレスリング・樋口黎。2016年のリオデジャネイロ五輪、男子フリースタイル57kg級で銀メダルを獲得するも東京五輪には出場ならず。今年、再びパリ五輪で金メダルを目指す挑戦権を手に入れた。試行錯誤を繰り返し、たどり着いた現在地。本人が渡仏前にその胸中を語った。

(文=布施鋼治、写真=United World Wrestling/アフロ)

限界を迎えていた樋口黎の体

ルール変更によって、アスリートの人生は大きく左右される。2016年のリオデジャネイロ五輪・男子フリースタイル57kg級で銀メダルを獲得した樋口黎の場合、2018年から施行された計量日時の変更で何度も地獄に突き落とされた。

「子どものときからずっと前日計量だったので、当日計量になったら、ちょっと手さぐりの状態になってしまった」

前日計量ならば、計量をクリアして食事をしてからマットに上がるまで少なくとも半日以上のリカバリーの時間がある。年を重ねるごとに減量がきつくなってきた樋口は前日計量を目安に調整し、当日リカバリーして素晴らしいパフォーマンスを披露してきた。

しかし、当日計量になると、事情は大きく変わってくる。計量をクリアしたとしても、試合までほんの数時間しか猶予はなくなる。減量に苦しむ選手であればあるほど、当日計量は“もう一つの敵”になるのだ。

案の定、ルールが変更されると、樋口の成績は浮き沈みが激しくなる。2017年からは57kg級より一つ上の五輪階級である65kg級に挑戦。2019年には東京五輪で金メダルを獲得する乙黒拓斗を破るという殊勲の星をあげた。

「彼は強いですね。いまでも参考にしている選手で、すべてが完成している。フィジカルも技術も超一流だと思う。いまでも、彼の(対戦相手の体勢の)落とし方であったり、差しの部分を参考にしたりしています」

結局、東京五輪はリオデジャネイロ五輪と同じ57kg級での出場を目指したが、決勝まで進めば自分の出場枠を確保できた2021年春のアジア予選でまさかの失態を演じてしまう。当日計量で失格になってしまったのだ。オーバーした体重はわずか50gだったので、髪の毛を切ったりしてなんとかクリアしようとしたが、すでに樋口の体は限界を迎えていた。

「いつも『死ぬんじゃないか』と思うくらい落としていた」

そのとき筆者は現場に唯一居合わせた日本からのメディアであったので、樋口のコメントをとったが、その口調は意外とサバサバしていた。

「食生活、運動量、カロリーなど全部気をつけてやってきた。全力で一切の妥協なくやってきたが、(最後の50 gは)極限の状態で落ち切らなかった。もう仕方ない。現実を受け止めるしかない。これが結果なので、覆すことはできない。心に刻みたい」

そんな樋口に対する世間の目は冷やかだった。「50 gくらいどうにかなったのではないか」という意見も耳にした。しかし、最後の十数グラムが落ちないのも、また事実。無理をすれば意識を失うだけではなく、最悪の事態を招きかねない。樋口は「取材のたびに『悔しかったですか?』と訊かれるんですよ」とため息をつき、当時の心境を吐露した。

「もうこっちとしては全力でやり切っているんです。やり切ったうえでのオーバー? そうです。そうでなければ、50gくらい落とせるので。いつも『死ぬんじゃないか』と思うくらい落としていたので。申し訳ないとも思うけど、もう仕方ないという気持ちでした」

この計量失格によって、樋口は世界予選で日本の出場枠をとってきた高橋侑希とのプレーオフに臨んだ。勝ったほうが東京五輪への出場切符を手にすることができるという流れだったが、高橋に2-4で敗れ、「オリンピックで今度こそ金メダルを」という野望を断たれた。

「普段の実力の20~30%」しか出せなかった理由

敗因を探っていくと、アジア予選の計量失敗から樋口の体は元に戻っていなかったことに尽きる。落とすことが精一杯で、ベストパフォーマンスを求めるなど夢のまた夢だった。あれから3年、樋口は髙橋戦のときのコンディションを打ち明けた。

「ムチャに落としたせいで、足がつり、計量後にはご飯も水分もとれない状況だった。無理やりご飯を食べたら全部吐いてしまった。だからプレーオフは普段の実力の20~30%も出ていないくらいの感じでしたね」

失敗したままでは終われない。樋口は減量に対する考え方を改めようと決意した。

「あの頃は落とし方がそもそも下手だったというか、知識もなかったので。もっとうまく減量するにはどうしたらいいかと勉強するようになりました」

試行錯誤の繰り返しだった。2021年から2022年にかけては57kg級と65kg級の中間の61kg級でも試合をし、2022年の世界選手権では世界一になった。樋口は「感触としては61kg級が一番良かった」と回顧する。

「でも、五輪階級は57kg級か65kg級しかないじゃないですか。後者だと国内で勝てたとしても、オリンピックや世界選手権で100%勝てるかと問われたら、そうではないなと感じたので、やっぱりオリンピックのチャンピオンになるなら57かなと考えたんですよ」

参考にしたのはボディビルダーやフィジークの競技者

新たな減量方法は、ほぼ独学で学んだ。

「栄養士の方に話を聞くと、『バランスよく食べなさい』といったアドバイスはいただける。でも、バランスのいい食事をしたからといって、痩せるわけではない」

樋口はボディビルダーやフィジーク(サーフパンツを履き、程よい筋肉量とカッコよさを争う)の競技者の減量方法を参考にした。「それらの競技は大会までの過程がものすごく大事。減量にフォーカスすると、彼らは筋肉量を落とさずに脂肪だけを落としていくのがものすごく上手だったんですよ。それは、つまり減量しても脂肪だけを減らして体重を落とせるということなので、レスリングと重ね合わせても、いいパフォーマンスができることにつながる。やり方? もうだいたいはユーチューブとかに出ていますよ」

それ以来、減量で失敗したことはない。いまでは減量についてのコツもサラリと解説できるようになったほどだ。

「減量は短距離走ではなく、すごくダラダラと走り続けるような超長距離走のほうが大事。ガーッと(ピッチを)上げるだけでは脂肪は燃えない。心拍数をなるべく上げないようにして、時間をかけカロリーを使うことが大事ですね」

「一つずつ返していこうと」前哨戦での圧巻の優勝

今年6月にはオリンピック前哨戦と位置づけるハンガリーで開催された世界レスリング連盟のランキング大会に出場した。エントリーした階級は57kg級だったが、+2kgまで許容されるルールの中、樋口は3試合連続テクニカルスペリオリティ(10点差以上の差がつくと、コールド勝ちとなるルール)で優勝した。

勝負のクライマックスは欧州王者であるアリアッバス・ルザザデ(アゼルバイジャン)との準決勝。第1ピリオド開始早々、樋口はルザザデの片足タックルからの再三にわたるローリングによって、いきなり8点も奪われてしまったのだ。あと2点とられたら10点差がつくので、いきなり徳俵まで追い込まれた格好だった。

しかし、その後樋口はまったく慌てることなく反撃を開始。やられたら同じ技でやり返せとばかりにローリングで相手をクルリクルリと回し続け、終わってみれば19-8とスコアを大きく引っくり返した上で逆転勝利を収めた。

「(大差をつけられても)一つずつ返していこうと思いました」

「次の試合のことしか僕は気にしない」

過去は振り返らない。リオで獲った銀メダルは自宅のどこかにしまってあることはわかっているが、そのどこかがわからない。

「そもそも、過去に獲ったメダルを眺めることもないので。次の試合のことしか僕は気にしない」

リオから8年、樋口にとってパリは紆余曲折を経て迎える2度目のオリンピックとなる。「『どうやって挫折から立ち直ったんですか?』とよく訊かれるけど、人が思うほど落ち込んだりはしていない。言ってしまえば、レスリングは自分が好きでやっていることなので。感覚としてはゲーマーがやっているゲームと変わらない。好きなことを好きなだけやっているという感じです」

過去には全日本を争った中村倫也(現UFCファイター)、前述した乙黒、高橋らが樋口とライバルといわれていた。

だったら、現在のライバルは?

「そうですね。一番のライバルは文田健一郎だと思っています」

意外な答えだった。フリーとグレコとスタイルは異なるが、実は日本体育大学の同期で、中高時代は全国大会で顔を合わせていた仲だという。

「全日本中学生選手権のときには僕の階級で文田が優勝した。インターハイのときには僕がたまたま勝ちましたけど、フリーとグレコではルールが全然違いますからね。いまでもグラウンドで自分のローリングを受けてもらったりしています。昨日はローリングでは僕が2回返して勝ちました。これは書いておいてください(笑)。パリで2人とも金メダルであればベストだけど、彼よりいい試合内容で圧倒して勝ちたい」

リオでの銀メダルは、その後の人生を大きく変えなかった。樋口にとってはメダルよりルール変更のほうが重要だった。しかし、永久のライバルと切磋琢磨しながら金メダルを欲し続けた高いモチベーションは,樋口をさらに成長させたといえるのではないか。

どんな失敗や挫折にも意味がある。

<了>

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