1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

吐き気乗り越え「やっと任務遂行できた」パリ五輪。一日16時間の練習経て近代五種・佐藤大宗が磨いた万能性

REAL SPORTS / 2024年10月21日 2時50分

パリ五輪の近代五種競技で、112年の歴史の壁を破り、日本勢初となるメダルを獲得した佐藤大宗。特徴の異なる5種目をハイレベルにこなす万能性は、どのような環境で磨かれたのだろうか。過酷なトレーニングをこなした原動力やメンタルの変化とともに、4年後への展望を語ってもらった。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=YUTAKA/アフロスポーツ)

「勝つまで続ける」。“負けず嫌い”が急成長の原動力に

――小さい頃からいろいろなスポーツに触れる機会は多かったのですか?

佐藤:小さい頃は駆けっこや、友達と鬼ごっこをするぐらいでした。あとは小林寺拳法を小学校1年生から中学校2年生までやっていたのと、中学校から高校まで6年間、水泳部に所属していたぐらいで、本格的にさまざまなスポーツをしていたわけではないんです。

――高校卒業後から五種競技を始めて、銀メダルまで駆け上がったのはすごいですね。他の人よりもここは負けていなかった、というのはどんな部分ですか?

佐藤:相当な負けず嫌いだったのはありますね。ケガをしても、ランニングで足が痛い状況でも、「競っている相手には絶対に勝ちたい」という思いが常にありました。水泳では体が疲労で痺れていても絶対に体を動かし続けるし、フェンシングは「負けたら勝つまでやる」とか……。その相手に勝つか、相手の心が折れるまでやり続けるので、相手にすると面倒くさいタイプかもしれません(笑)。でも、本格的に競技をやり始めたのが遅かったからこそ、スポーツをやったことがない人でも努力すればオリンピックで活躍できるよ、というメッセージは皆さんにお伝えしたいと思っています。

――これから競技を始める子どもたちにとって、近代五種競技を始めるきっかけはどんなところにあると思いますか?

佐藤:近代五種と聞くと「始めるのが難しそう」と思う人もいるかもしれないですけど、まず水泳やランニングを始めてみるとか、始まりはどこからでもいいんですよ。「フェンシングをやったことがある」とか「お祭りで射的をやったら得意だった」という人でも始められる競技です。2028年から馬術に代わって新種目になる「オブスタクル」は「SASUKE」のようなルールなので、運動神経がいい人は、その力を他の競技にもつなげられるか、チャレンジしてみてほしいですね。自分は高校卒業後に海上自衛隊に入ってから本格的に近代五種を始めましたが、やっていくうちに「すべてをマスターしたい」という気持ちに変わってどんどん上達していったので、ぜひ、皆さんにもそのきっかけを見つけてほしいです。

一日の練習時間は16時間。任務は「メダルを取ること」

――普段の練習や、大会前の調整はどのようなスケジュールで取り組んでいたのですか?

佐藤:一番ハードだった時は、朝の5時から10キロ走って、夜の9時ぐらいまでの間に3、4種目をトレーニングするスケジュールで、それを週3回ぐらいのペースでやっていました。大会前は、本番でベストパフォーマンスを出すためにランニングと水泳の距離を減らしながら、スピードを上げていきました。練習量は減るんですが、質が上がるので、特にランニングはきつかったですね。

 大会前の3カ月間は、馬術は落馬をするとケガしてしまうので、それを回避するために馬術の練習だけは少なめにして、他の4種目を鍛えていました。その間に、水泳とランニングを強化する合宿を10日間ぐらいやったのですが、その時は1日で約30キロぐらいを走る感じでした。さすがにしんどかったですね(苦笑)。

――頭の切り替えも含めて、過酷なトレーニングですね……。自衛隊体育学校での活動は、競技とどのように両立されているのですか?

佐藤:普段、自衛隊の仕事をしているわけではないんです。「自衛官アスリート」として活動していて、任務が「オリンピックでメダルを獲得すること」です。そのことは知らない人が多いと思うのですが、自衛隊体育学校って、結構面白いんですよ。

――ユニークな存在ですね! では、パリでは任務をしっかり遂行されたということですね。

佐藤:はい、やっと遂行できました。ホッとしています。

「自分を変えたい」メンタルトレーニングが転機に

――競技を始めた頃はメンタルが弱かったそうですが、どのようにして克服してきたのですか?

佐藤:私の場合、うまくいかないとすぐイライラしてしまうところがあったんです。負けず嫌いな性格もあるのですが、たとえばフェンシングで負けると、悔しくてケンカ腰にフェンシングをやったり、最低なメンタリティだったんです(苦笑)。それを、負けても前向きに捉えられるようにメンタルトレーニングで変えました。自分がイラッとして態度に出てしまいそうな時は、その瞬間に4、5秒黙って、我慢するんです。そうすると、私の場合はその衝動が3割ぐらいまで下がるんです。それができるようになってからは、「なぜ自分がイライラしたのか」とか、「なぜ勝てなかったのか」を冷静に考えられるようになりました。その結果、イライラすること自体が減って、負けや失敗を恐れなくなり、チャレンジ精神が出てくるようになったんです。それまではただ「勝ちたい」という気持ちしかなかったので、チャレンジ精神もなく、根性論で「とりあえずやれば勝てる」と、適当にやっていたこともありましたから。

――大きな変化ですね。メンタルトレーニングをしようと思われた転機はどんなことだったのですか?

佐藤:競技を始めて5年目ぐらいの時に両脚のアキレス腱をケガして練習もまともにできなかった時に、コーチがメンタルトレーナーの方に「佐藤大宗のメンタルを強化してもらえますか?」と頼んでくれて。もともと、「メンタルは自分で鍛えれられる」と甘く考えていたので、最初は「ちょっと胡散臭いな」と思っていたんですけど、「やるからには全力でやろう」と。自分を変えようと思ったので、そこがいい転機でしたね。実際にやってみて、こんなに変わるのかと自分でも驚きました。

――過去には全日本選手権大会優勝(2021年、23年)、世界選手権9位(24年)、アジア競技大会6位(22年)などの結果を残していますが、競技の中で、転機になった年や大会はいつだったのですか?

佐藤:自分自身に自信がついたという意味で、転機の年になったのは2023年だと思います。ワールドカップ第4戦で銀メダルを獲得したんですが、その時は本調子じゃなかったんですよ。ワールドカップは第1戦から第4戦目まであって、連戦の中で最後の4戦目は筋力と体重が落ちて、風邪もひいていました。その中で銀メダルを取ったので、これが「万全だったらオリンピック行けるんじゃないか」という自信につながった大会でした。

調子のバロメーターは「吐き気」

――佐藤選手は試合直前の緊張具合が、調子のバロメーターになるそうですね。

佐藤:そうなんですよ。恥ずかしい話なんですが、緊張しいなので、緊張したらすぐに吐き気を催しちゃうんです。しかも、その吐き気が出てくれば出てくるほど調子がいいんですよ。パリ五輪では、最終種目のレーザーラン(射撃+ランニング)のスタート1分半前に本当に吐いてしまって(苦笑)。でも、「お、これは今日調子いいな」と思いました。

――不安で緊張から固くなって実力が出せないケースもありますが、佐藤選手の場合は逆転の発想なんですね。

佐藤:すべてを逆転の発想で考えるタイプで、本当に嫌なことがあった時こそ、ポジティブに考える習慣ができています。

――インタビューやバラエティ番組の出演を拝見すると、競技中の厳しい表情や熱い雄たけびシーンとは異なる、ユーモアあふれる語り口も印象的です。

佐藤:もともと楽しいことが好きなので、競技の話をする時でも、楽しく話をしたいと思っています。嫌なことが続いて気持ちが沈んでいると、自分だけじゃなく家族や周りの方にも影響を与えてしまうと思うので。日々、後悔を残さず一日を終えられるように、いつも楽しいことを考えるようにしています。

――近代五種は個人競技ですが、いろいろな人と交わる競技だからこそ、そうやって周囲の人と影響を及ぼし合う部分もありますよね。

佐藤:そうですね。最終的に戦うのは自分ですけど、支えてくれる方々がいるので、その人たちのために頑張ることができます。自分がつらい時でも、そういうチームワークや応援の力が自分を突き動かしてくれますから。それに、きつい時こそ逆転の発想で、「終わればおいしいお酒と奥さんの手料理のだし巻き卵が食べられる」と考えて頑張れるので……けっこう単純なんですよね(笑)。

ロサンゼルス五輪への思い

――選手村ではクライミングの安楽宙斗選手と楢崎智亜選手と相部屋になったそうですが、違う競技の選手から刺激を受けることも、オリンピックならではだったんじゃないですか?

佐藤:それは間違いないですね。毎朝部屋で「おはようございます」と2人と顔を合わせるときに「安楽選手も楢崎選手もイケメンだなー」と思って(笑)。クライミングの中でも日本を引っ張って世界で活躍されている2人なので、一緒の部屋でいいのかな?と恐縮しながら、毎日勇気をもらってましたね。2人と一緒の部屋だったからこそ取れたメダルだと思ってますので、ありがたいご縁だったと思います。

――次の目標に向けて、すでにハードなトレーニングは始まっているんですか?

佐藤:それが、オリンピックが終わってからは競技のPR活動などがメインで、トレーニングというトレーニングはまだ始めていないんです。オリンピックの時はケガをしながら戦っていたので、まずはそのケガを治して、PR活動を頑張って、10月の後半から11月にかけて練習を再開できたらいいなと思っています。

――少し休んで、英気を養ってください。最後に、4年後のロサンゼルス五輪への展望を聞かせていただけますか?

佐藤:1年ごとに先を見据えて頑張ろうと考えているので、次のロス五輪を狙うかどうかはまだわからないです。ただ、目標が定まったときには、パリで見えた課題を修正して、もっといい色のメダルが取れるよう、全力で挑むつもりです。

【連載前編】112年の歴史を塗り替えた近代五種・佐藤大宗。競技人口50人の逆境から挑んだ初五輪「どの種目より達成感ある」

<了>

92年ぶりメダル獲得の“初老ジャパン”が巻き起こした愛称論争。平均年齢41.5歳の4人と愛馬が紡いだ物語

「ホッケー界が一歩前進できた」さくらジャパンがつかんだ12年ぶりの勝利。守備の要・及川栞がパリに刻んだ足跡

男子バレー、パリ五輪・イタリア戦の真相。日本代表コーチ伊藤健士が語る激闘「もしも最後、石川が後衛にいれば」

早田ひなが満身創痍で手にした「世界最高の銅メダル」。大舞台で見せた一点突破の戦術選択

[PROFILE]
佐藤大宗(さとう・たいしゅう)
1993年10月20生まれ、青森出身。少年時代、少林寺拳法で県大会優勝の経験を持ち、青森山田中高では水泳部に所属。卒業後、2012年に海上自衛隊に入隊し、2013年にオリンピアンを育成する自衛隊体育学校で近代五種の選手候補になる。2019年の全日本選手権大会男子個人は4位で、東京五輪代表の座を逃したが、21年の同大会男子個人で初優勝。22年W杯ファイナル・ハンガリー大会の男女混合リレーで銀メダル。国内ランキング(男子)で2位につけ、23年、W杯第3戦のソフィア大会で日本勢個人初の銀メダルを獲得。アジア競技大会や全日本選手権でも結果を残し、2024年パリ五輪では日本史上初のメダルとなる銀メダルを獲得した。競技歴11年目。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください