佐々木朗希の登板問題に見る「高校野球の古い価値観」 日程緩和は根本的な解決策でない
REAL SPORTS / 2019年7月30日 11時30分
今秋ドラフトの最有力候補の一人、佐々木朗希。高校野球岩手大会決勝戦で、この最速163km右腕の登板を回避したことが、さまざまに議論を巻き起こした。
その中でも多く見られるのが、高校野球の過密日程を問題視するものだ。確かに、もっと余裕のある日程が組まれていれば、佐々木が決勝のマウンドに立つことはできたかもしれない。だが、果たして日程の緩和が、この問題の根本的な解決策といえるだろうか――。
現代の高校野球、そして、それを見るメディアやファンの意識の在り方について、あらためて見つめ直すべきではないだろうか。
(文=花田雪、写真=Getty Images)
「負けた」という結果ありきの批判7月25日に行われた全国高校野球選手権岩手大会決勝が、物議を醸している。
決勝に進出した大船渡・國保陽平監督はこの試合、最速163km右腕のエース・佐々木朗希を最後まで出場させることなく、花巻東に2対12で敗れた。
「佐々木、登板せず」の一報は試合終了後どころか試合中から全国に速報され、結果的に大差で敗れたこともあり、賛否両論を巻き起こす結果となった。
試合後、國保監督は佐々木の登板回避について「故障を防ぐために私が決断した」と断言。佐々木自身の身体の状態はもちろん、前日の準決勝で129球を投げて完封していること、当日の気温の高さなどを理由として挙げた。
この決断を支持する意見、反発する意見の双方が噴出しているのは、個人的には理解できる。すでに多くのメディア、著名人がそれぞれの立場、考え方を発信しているので、本稿でそこに言及するつもりもない。
ただ、かといって筆者が「中立の立場」かというと決してそうではない。最初に自分の立場を明確にしておくのであれば、國保監督の決断を支持したいと考えている。
國保監督も試合後にコメントしていたようにこの試合、佐々木は「投げようと思えば投げられる」状態にあったという。それでも、佐々木という才能あふれる投手の将来を考えた上での決断に、誰が文句を言うことができるだろうか。
事実、決勝戦直前までは國保監督への逆風は決して強くなかった。「登板回避」という意味では7月22日に行われた準々決勝・久慈戦でも同様だったが、この試合で大船渡は「佐々木抜き」で延長11回を戦い、6対4で勝利を収めている。佐々木を温存して、なおかつ勝利する。選手の将来を守ることとチームを勝利に導くこと、それを両立させたのだ。
批判が噴出したのはやはり、「負けたから」だろう。甲子園出場がかかる一戦で絶対的な力を持つエースを投げさせずに結果として大敗。これには「敗退行為だ」「佐々木ひとりの人生のために他の選手の夢をつぶした」などといった心無いバッシングも飛び交った。
しかし、敗戦という結果を踏まえてのバッシングはやはり結果論でしかない。恐らく、決勝戦に勝利していれば世間の風向きは大きく変わっていたはずだ。「佐々木朗希という逸材の将来を守り、なおかつチームを甲子園と導いた」として、國保監督の采配は絶賛されたに違いない。
だから「負けたから」という現象ありきで大船渡を批判する意見には、「そういうふうに考える人もいるだろうな」とは思っても、賛同はできないのだ。
10日間で6試合の過密日程は大きな問題の一つ一方、支持派の意見で目立ったのが「日程問題」である。大船渡はこの夏、初戦となった2回戦・遠野緑峰戦から決勝戦まで、10日間で6試合を戦った。雨天順延で2回戦の日程が1日後ろにずれてはいたが、順延がなかったとしても11日間で6試合はあまりにも過密すぎる。特に4回戦以降は5日間で4試合を戦い、これが結果として決勝戦での采配につながったのは間違いない。
メディアはもちろん、カブスのダルビッシュ有投手もTwitterで「春の地方大会やめて、夏の県大会予選5月からやればいいやん」(原文ママ)とつぶやき、多くの賛同を集めている。
筆者もこの意見には大いに賛成だ。夏の大会の日程緩和はすでに多方から叫ばれ続けており、大会中の休養日(予備日)を増やすなどここ数年で多少の改善は見られるが、やるならばダルビッシュ投手が提案するように「5月から開催」といった大胆な変革が必要になるはずだ。
もちろん、これを実現するためには多くの障害がある。球場の確保、テスト期間の考慮、審判の手配など、越えなければいけないハードルは多い。当然、それらを鑑みて「現実的に考えて不可能」という意見もあるだろう。ただ、それでもせめて議論くらいはすべきだし、選手、特に投手の負担を考えるのであれば余裕を持った日程を組むこと自体に反対する者はいないはずだ。
筆者も実際、岩手大会決勝戦直後には夏の大会の「過密日程」について原稿を執筆しようと考えていた。
しかし、同様の意見が試合直後から多く見られたこともあり、あらためて「日程問題」のさらに先まで考えが及ぶようになった。
昭和の野球を令和でも続け、美徳とするのか?それは、「なぜ、アマチュア野球の世界だけ、いまだにひとりの投手に依存したチームづくりをしているのだろう」ということだ。
プロ野球の世界でも、過去には「エース依存」の時代があった。金田正一、稲尾和久といった「昭和の大投手」は、連投も辞さず、連日投げまくり、勝ち星を量産した。しかし、現在は違う。各球団がローテーションを形成し、先発投手は中5~6日程度の間隔を空けて登板することが当たり前の時代になった。
なぜなら、そのやり方で多くの投手が故障に苦しみ、才能ある投手が次々とつぶれていった過去があるからだ。もちろん、20年間投げ続けてもつぶれず、通算400勝という不滅の記録をつくった金田のような投手もいる。しかし、野球界はそんな成功例ではなく、それ以外の壊れてしまった投手たちの失敗例を反省材料に、現在のような形へと進化したのだ。
高校球児よりも技術的、身体的に優れたプロ野球選手たちが進化を遂げ、今の形へとたどり着いたのに、なぜ高校野球は令和となった今も昭和の野球を続け、それを「美徳」とするのか――。
もちろん、才能ある投手たちが多く集まり、1年間で143試合を戦うプロの世界と、場合によっては試合ができる9人ギリギリで、負けたら終わりのトーナメントを戦う高校野球の世界を並列に語ることはできない。「投手」を育てるのがいかに大変かも理解しているつもりだ。
ただ、野球というスポーツがそもそも「ひとりの投手では戦えない」競技だと考えたらどうだろうか。ルール上、野球の試合を行うには投手はもちろん、それ以外の8ポジションを守れる選手がいなければ成立しない。大会に参加する高校はほぼすべて、その「最低限のレベル」はクリアしているはずだ。その「最低限のレベル」を1段階上げて「そもそも投手が複数いなければ試合ができない」と考えれば、必然的にどの学校も投手育成に力を入れるはずだし、そうせざるを得ない。
人数の少ない公立校などでは時折、「今年は捕手がいなくて、内野の選手をコンバートさせてなんとか育て上げました」というような話を聞くことがある。なぜなら、「捕手がひとりもいなければ試合にならない」からだ。それと同様に「投手がひとりだけでは試合にならない」のが現代の野球界における本来の姿のはずだ。
そう考えると日程の緩和という改善策もまだ、「ひとりの投手への依存=優秀なひとりの投手をできるだけ多く投げさせること」を前提とした案に思えてくる。
ルールの変更で高校野球の魅力は損なわれないすでに全国の強豪校の中には「複数の投手」を擁して継投で勝ち上がる高校も多く、エース依存の傾向は薄れつつある。これは喜ばしいことだろう。ただ、「継投」をしながらもやはり「大事な局面は多少無理をさせてでも一番能力の高い投手=エースに投げさせる」といった高校は今も多い。
本来であればこれまで同様に学校単位、指導者レベルで「連投規制、球数制限」の意識が浸透していくのを待つのが望ましい。ただ、はっきり言って猶予はあまりない。今回の大船渡のケースでいっても、もし佐々木が決勝戦で投げたとすれば4回戦で194球を投げ、中2日で129球を投げ、その翌日に先発していたことになる。
普通に考えればありえない投球数と登板間隔だ。しかしこれに、「高校野球」「甲子園出場をかけた戦い」というフィルターをかけるだけで、なぜか「ありえる」「やるべき」と考えてしまう人間が多く出てきてしまう。
それを防ぐためにはやはり「球数制限」「連投制限」両方について早急な実施が必要になってくるのではないだろうか。もちろん、日程緩和も重要だ。
幸いにして日本人はルールを変える、つくることこそ苦手だが「守る」ことは得意な人種だ。
実施前はあれだけ反対意見が出ていたタイブレーク制度についても、実施以降は目立った拒否反応は出ていない。
「決勝戦で佐々木を投げさせない」という、冷静に考えれば当たり前の決断にこれほどの批判が出たのは、「ルール上、投げることができた」にもかかわらず國保監督がそれをしなかったからに他ならない。
國保監督の采配を否定する意見の中で、唯一「確かにそういう考え方もあるな……」と心が揺らいだのが「選手たちは納得していたのか」という論調だ。
佐々木自身も試合後に「投げたいという気持ちはあった」と漏らしたように、大船渡の選手たちがあの敗戦を100%納得できていたとは思わない。佐々木の将来を考えたという監督の決断を頭では理解していたとしても、「でもやはり、佐々木が投げていたら……」と思ってしまうのは当然だろう。ただそれは恐らく、國保監督自身にもいえるはずだ。
連投回避は正しい――。
あくまでもこれを大前提として言わせてもらえば、その決断、その責任を監督という一個人に押し付けてしまったとも考えられる。
ルールでしっかりと定められていれば、「苦渋の決断」をする必要はなかった。もちろん、ルールで連投を禁止しても負けてしまえば多かれ少なかれ後悔の気持ちは生まれるだろう。ただ、その後悔の中身は「佐々木が投げていれば……」ではなく、シンプルに「力が足りなかった」というものになっていたはずだ。
球数制限や連投制限の導入により、高校野球の魅力が失われるという意見もあるが、これだけは自信を持って言える。
「そんなことでは、高校野球の魅力は損なわれない」
今回の件、一番残念だったのは決勝戦で敗れた大船渡の扱いの方が、勝って甲子園出場を決めた花巻東よりもはるかに大きかったことだ。本稿自体が大船渡の件を取り上げているのでいえたものではないが、花巻東も決勝戦ではエースの西舘勇陽を先発させず、途中からリリーフで起用している。「エースの先発回避」という意味では両校同じ状況だったのだ。
両校の勝敗を分けたのは、単純な総合力の差に他ならない。
近い将来、ルールはもちろんのこと、高校野球界における投手起用の在り方、指導者や選手、それを見るメディアや観客の意識も「正常化」し、「花巻東はさすがの選手層だった」「大船渡も健闘したけれど、最後はチーム力の差が出たな」というような、当たり前の感想が試合後に報じられるようになることを、切に願っている。
<了>
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