「厚底シューズ禁止」は陸上の進化を止める暴挙! 哲学なき規制は選手とファンの信頼失う
REAL SPORTS / 2020年1月19日 13時0分
「技術の革新」か、はたまた道具が勝負を決めてしまう「チート」なのか? 日本でも箱根駅伝で旋風を巻き起こした「NIKEのピンクシューズ」ことヴェイパーフライが議論を呼んでいる。すでに複数の報道機関が報じているように、世界陸連(ワールドアスレティックス)が、このシューズに関する調査、審議を行っており、今月末には何らかの発表があるという。一連の「厚底シューズ禁止」の議論は科学技術とスポーツの関係を見つめ直すきっかけにもなっている。
(文=小林信也)
道具革命とともに発展してきた陸上競技の歴史厚底シューズがマラソンレースを席巻する中、世界陸連が「禁止する」との報道が流れた。
スポーツは、道具や器具の進化とともに発展してきた。科学技術の恩恵なしには成立しない競技さえある。そうしたスポーツ全体の流れを考えたら、カーボンプレートを内蔵した厚底シューズが禁止になる理由が見当たらない。
陸上競技は多くの競技の中で最も人間のシンプルな能力を競うスポーツといっていいだろう。それだけに、人の能力以外の助力を受けることへの抵抗感があるのかもしれない。だが、その陸上も道具の進化を歓迎し、道具革命とともに発展してきた競技だ。
例えば棒高跳。元来は木の棒で飛んでいた。当時は、最近のCMでも見られるような、木を真っすぐ立てた状態でよじ登る動作を加え、棒が倒れるタイミングでバーを越えるスタイルだったらしい。やがて日本選手は国内で入手しやすい竹を愛用した。しなりのよい竹を手に、日本選手は世界的にも活躍した。
『友情のメダル』で知られる1936年のベルリン五輪、銀メダルの西田修平、銅メダルの大江季雄が使っていたのも竹のポール。記録はいずれも4m25だった。
1952年ヘルシンキ五輪で6位入賞した沢田文吉の記録は4m20。4m台で優勝が争われ、「16フィート(4m87)の壁」は超えられないと思われた時代がしばらく続いた。実際、竹のポールで跳んだ最高は1942年に記録された4m77だという。その後、金属製のポールも試されたが、4m83しか跳べなかった。
劇的な変化が起こったのは1960年代に入ってまもなく、グラスファイバー製のポールが開発されてからだ。1962年に16フィートの壁が超えられ、1963年には5mを超えた。いま棒高跳のポールはさらに進化を遂げ、カーボンファイバーなど複合的な素材が使われている。これを陸上界は受け入れてきた。そして、6m台で優勝を争う時代になっている。
短距離スプリンターにとってはスパイクが何よりのパートナーだ。最近、アシックスが「ピン並みのグリップ力と軽量化」を両立させたピンのないスパイクを開発、これを履いた選手たちが好記録を出したことが話題になったが、それまでスプリンターにとって針状のピンの着いたスパイクはレースの必需品だった。
スパイクが、記録を向上させる目的であることは議論の余地はないだろう。スパイクが認められて、厚底カーボンプレートが禁止されるのは理に合わない。
歴史をひもとくと、スパイクにも一世を風靡したヒット商品がいくつかあった。代表的な一例は、アシックスが1997年に市販した『サイバーゼロ』。ベルトで足をきっちりフィットさせる斬新なアイディアで人気を得た。伊東浩司選手が日本記録10秒00(当時)を出したとき履いていたこともあり、国内の大会ではいまの厚底同様、多くのスプリンターがこれを使っていた時期がある。もちろん、サイバーゼロも禁止はされなかった。
この例を見るまでもなく、陸上界の記録が選手の実力、トレーニングの革新、シューズの改良によって更新されてきたのは疑いようのない事実だ。
東京五輪の会場となる新国立競技場には、モンド社のトラックが敷かれる。ソール・スポンサーとして、無償提供されるのだが、このモンド社製は『記録が出るトラック』とも呼ばれている。まさに記録製造を世界陸連も容認しているのだから、厚底シューズだけが禁じられるのはますます考えられない。
「規制か寛容か」技術革新に対するスポーツ界の姿勢を共有すべき他の競技を見ても、技術革新はおおむね歓迎されている。
昨年、強化問題で物議を醸したテコンドーも、電子防具の導入が競技発展に大きな貢献を果たしたといわれている。スピーディーな攻防、休みなく蹴りとパンチの応酬が続く試合の中、正確に有効打をジャッジするのは難しく、それが判定への不服や競技の信頼性を損ねる一因になっていた。ところが、電子防具が開発され、自動的に機械が有効打を感知するようになって、人為的なミスや作為的な判定は激減した。電子防具とともに、これを瞬時に本部席に無線通知する技術も導入の決め手だったという。
いくら電子防具が感知しても、選手にコードがついていたのでは競技に支障をきたす。フェンシングのように、前後にしか動かない競技なら背中に電源コードをつないでも動けるが、絡み合うテコンドーでは無理だ。このように、いまや電子技術が競技そのものをサポートする重要な一角を担っている。
ラグビーのTMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル)、サッカーのVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)、はワールドカップを通じてお茶の間でもおなじみだが、テニス界で導入されている『ホークアイ』による審判補助システムが実現した『チャレンジシステム』なども、もはやスポーツ界の常識となり、反対する声はほとんどない。
もちろん、技術革新のすべてを受け入れることがスポーツにとってプラスとは限らない。その弊害も一部では指摘されている。
高校野球の金属バットなどがその一例だ。技術開発が進み、反発係数がどんどん向上すると、「飛ぶ」という効果の一方で、「投手を直撃する打球」による事故が増えて問題になっている。これにどう対処するかは、本質的な問題だ。日本高野連は先ごろ「反発係数を抑えたバット規制を設ける方針」を打ち出した。
一見まっとうなルール整備にも思えるが、私はこの方針に疑問を感じる。反発係数を抑えたバットなど、打っていて楽しいだろうか。飛ばないために、パワーを鍛える、力ずくで打つなどの方向に向かえば、技術よりパワーが凌駕する貧しい野球に向かう懸念もある。反発係数の規制といった迷路にはまるのではなく、安全確保は大前提としながら、「野球がいっそう楽しくなる」方向で技術の革新を味方につけるべきではないだろうか。
こうして考えると、「技術革新」と「規制か寛容か」については、明快な基準や哲学をスポーツ界が持っていない現実が浮かび上がる。競技によっても姿勢や対応が違う。この方針を、スポーツ界全体で共有する必要はあるだろう。
選手の進化を規制する暴挙は許されない陸上でいえば、電子計時システムの弊害も実はある。かつてフライングは、スターターの目視で行われていた。ピストルを鳴らした当事者が、号砲より先に動いた走者がいたと判断すれば間髪入れずにもう一回ピストルを鳴らし、フライングを伝える仕組みだった。電子的なシステムが採用されて、その規定は変わった。ピストルと各選手のスターティング・ブロックが連動し、瞬時に機械がフライングを判定する方式に変わった。これを世界中のほとんどの当事者、ファンが受け入れている。だが、私はここに大きな落とし穴があるとずっと感じている。その矛盾が明らかになったのは、2003年の世界陸上パリ大会だった。
男子100mに出場したジョン・ドラモンド選手(アメリカ)が、フライングで失格を通告された。これに徹底抗議し、ドラモンドは競技場から退場せず、コース上に大の字に横たわるなどして判定取り消しを求めた。この騒ぎで競技は約1時間も中断したため、ドラモンドの暴挙を非難する声も大きかったが、私にはドラモンドの叫びが悲痛に感じられた。つまり、「自分は絶対にフライングはしていない!」という確信。ピストルが鳴ってから反応したと身体が知っていたに違いない、と私は感じた。それならフライングじゃないだろう!と言いたいところだが、実はそうではない。電子計時システムを信用し、科学的データを盲信する世界陸連は、不思議な規定を導入しているのだ。
フライング(不正スタート)は、ピストルが鳴る前に動いた場合に判定されると思っていた。調べてみると違うのだ。ピストルを聞いてから動いても、0.1秒より早く動き出すとフライングと判定される。電子計時システムにもそのようにインプットされている。それは「人はピストルを聞いて行動するまで最低0.1秒かかる」という科学的データを根拠にしている。そのため、0.1秒以内に反応すると「素晴らしいスタート」と絶賛されるのでなく、ピストルのタイミングを予測して、当て推量で動いた「ずるい行為」とみなされ、一刀両断、失格とされてしまう。ドラモンドの事件をきっかけに、0.1秒以内に反応できる選手もいるのではないかと指摘され議論も起こったが、いまだに改正はされていない。
100mを9秒台で走るスプリンターの中に、一般人とは並外れた反応能力を持つ選手がいてもなんら不思議ではない。世界陸連は、世界一速い男を競うレースで、反応速度だけは常人並みを要求しているのだ。
男子100mの世界記録はいまや9秒58になり、9秒5突破が目前に迫っている。ナイキ製の厚底シューズが審議対象になったのは、好記録を連発したからという見方が大勢を占めているが、ナイキが人類未到の「2時間切り」を目指し、予算と人員を投入して開発した厚底シューズは、単に底が厚いだけでなく、世界のトップ選手の走りを徹底的に解析、「速く走るためのフォーム」をサポートする機能性を高めたシューズだともいわれている。
好記録の要因はカーボンプレートによる反発ではなく、むしろこのシューズを履きこなした選手たちのフォームの変化、進化という可能性もあるのだ。
世界陸連による審議結果は1月末に発表されるとされているが、フライング問題のように厚底シューズも理不尽な理由で禁止される可能性がないとはいえない。そんな暴挙がもし行われたら、世界陸連は信頼を失い、マラソンが陸上から離脱するなど、陸上界に大きな衝撃と変動をもたらすだろう。
<了>
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