「年を取る=障がい者に近づく」。日本障がい者サッカー連盟・北澤豪が挑む、「他人事ではない」未来づくり
REAL SPORTS / 2020年1月21日 17時10分
「サッカーは“一つ”だから。同じユニフォームを着て戦いたい」
かつてヴェルディ川崎の黄金期を支え、日本代表のユニフォームを着て戦った男は今、新たな挑戦にその身を投じている。
2016年4月に設立された、日本障がい者サッカー連盟(JIFF)の会長として目指しているのは、障がい者サッカーの普及・強化だけでも、障がい者のための社会づくりだけでもない。その先には、障がいの無い健常者にとっても生きやすい社会に行き着くものだと信じて――。
「みんなが同じユニフォームを着て、同じ夢を追う」
北澤豪の挑戦は、始まったばかりだ――。
(インタビュー・構成=野口学[REAL SPORTS副編集長]、撮影=たかはしじゅんいち)
北澤が目指す「ごちゃまぜ」の社会の意味とは?2019年12月、北澤豪は割れんばかりの拍手に包まれながら、手にしたトロフィーの重みを感じ入り、これまで共に歩んできた仲間たちのことを想っていた。
スポーツを通して社会貢献活動を行う個人、団体を表彰する「HEROs AWARD 2019」。その最優秀賞にあたる「HEROs of the year」を、北澤が会長を務める日本障がい者サッカー連盟(JIFF)が受賞した。
「われわれは全ての障がいのある方たちも、健常者も、みんなピッチの上で一緒になってサッカーをやっています。それが、これからの日本に必要になるであろう社会の在り方かなと。サッカーを、スポーツを通して、共生社会の実現、幸せな社会づくりができればと考えています。2020年はその大きなきっかけになると思っています」
いよいよ今年、東京パラリンピックが開催される。史上唯一となる同一都市での2度目の夏季パラリンピックを控え、障がいの有無だけでなく、年齢や性別、国籍など、あらゆる違いを持つ人々が分け隔てなく当たり前のように存在し、誰もが活躍できるインクルーシブ社会の実現へ、その機運は少しずつではあるが高まりを見せつつある。
北澤が、そしてJIFFが目指しているのも、こうした「ごちゃまぜ」の社会だ。パラリンピック競技として昨今広く知られるようになったブラインドサッカー(視覚障がい者5人制サッカー)では、全盲のフィールドプレーヤーに対して、目の見えるゴールキーパーやコーラーと呼ばれる役割の人たちが声で指示を出す。だが例えばボールの位置を伝えるにも、「右!」とか「もうちょっと前!」では通じない。「右」と言っても、それは真横なのか、それとも斜め前なのか、誰から見た右なのか。「もうちょっと」とは具体的にどれぐらいの距離を指しているのか。GKやコーラーは目の見えないフィールドプレーヤーの立場になってどんな指示で伝えるのが適切なのか考え、フィールドプレーヤーはGKやコーラーが何を伝えようとしているのかを判断することが求められる。つまり、「目の見えない人と見える人の強い信頼関係が構築されて初めて成立する」競技だといえるだろう。まさに、「ごちゃまぜ」=共生社会をピッチの上で体現しているのだ。
「僕も最初に関わったころは、障がいに目がいってしまっていたんですけど、何度も会っているうちにいつの間にか障がいのことを忘れて、“サッカー”についてだけ話をしている自分がいたんですよね。1回、2回だけではなくて、回数を重ねていくことによって、“当たり前”というものがつくられていく。そういったコミュニティをどうつくるかというのがすごく重要かなと感じています」
7つの障がい者サッカーの競技団体を全部知っている?パラリンピックには共生社会の実現を加速させる契機となることが期待されている。だが、忘れてはいけないのは、パラリンピック競技が障がい者スポーツの全てではないということだ。日本国内に7つの障がい者サッカーの競技団体があることはご存じだろうか。アンプティサッカー(上肢または下肢の切断障がい)、CPサッカー(脳性麻痺)、ソーシャルフットボール(精神障がい)、知的障がい者サッカー、電動車椅子サッカー、ろう者(デフ)サッカー(聴覚障がい)、そしてブラインドサッカー(視覚障がい)だ。これまではそれぞれバラバラに活動していたが、それぞれの競技の認知度も低く、運営資金も人も限られていた。障がいの有無にかかわらず、誰もがサッカーを楽しめる社会をつくるために――。「サッカーなら、どんな障害も超えられる」を合言葉に、2016年4月、JIFFが設立されたのだった。
「一つひとつの競技団体が個々に活動していても、どうしても組織基盤や情報発信力の面で弱かったというのがあります。普及、強化もなかなか進まない。そこには資金の問題もありました。JIFFが窓口となって共通のパートナー企業に支援していただいたり、日本サッカー協会(JFA)との連携を深めたり。そうすることで障がい者サッカー全体の社会的価値を高め、共生社会の実現に貢献できればと考えています」
2020年は東京パラリンピックが開催されることに伴い、障がい者スポーツを取り巻く状況は大きく変わっていくだろう。日本社会の現状をどう見ていて、どんな未来を描いているのか――。受賞後の北澤に話を聞いた。
障がいの有無にかかわらず、誰もがどこでもサッカーを楽しめるように
――JIFFの設立から約3年半がたちました。一番変わったなと感じるのはどのようなことでしょうか?
北澤:自分自身が一番変わったと思いますよ。これまでいろんな人に会ってきたり、今日のHEROsのような活動をしている団体や個人の方とお話しできて、自分の中の価値観や視点の置き方がすごく大きく変わってきたなと思います。これまでにも気が付けば目線を分けてしまっている自分がいたり、「ごちゃまぜに」と言っているにもかかわらず、そこの目線が足りていないなと感じたり。この3年半で、これまで以上に障がい者サッカーに関わらせてもらうことによって、線がないというか、壁がないというか。そういう自分になれたことは大きいかなと思いますね。
――3年半前は3年半前で「自分の中で壁はなくなっている」と思っていたけど、今振り返ってみると、まだまだ壁はあったということですか?
北澤:ありましたね。自分自身の話し方もそうですけど、例えば新国立競技場の設備をどうするのかという会議に参加したときにも、ここは健常者の通る場所、ここは障がい者の通る場所、と分けながら協議している自分がいたりとかしたんです。何でそうなの?って。今考えてみたらちょっと恥ずかしいなと思います。自分の中にある価値観は、関わらせてもらうことによって大きく変わってきたなと思いますね。今日の数時間だけでもすごく変わってきたなと思っています。
――それはやっぱりJIFFでの活動を通して、障がい者の方と接している時間がどんどん長くなってきたからなんでしょうか。
北澤:そうですね。最初は障がい者の方と一緒にいるとすごく気を使ってしまって、そのことばかり意識してしまうことがあったんですけど、何回か会っていくうちに忘れちゃってしまうんですよね。同じ目線でサッカーの話をしていて、「あ、そういえば障がい者だったっけ」とか、「車椅子に乗ってたな」とか。やっぱり一緒にまざり合うというのかな。普段から「ごちゃまぜ」になることによって、自然とそういう壁のようなものはなくなっていくと思うんですよね。だから、そういう機会をつくる、どんどん増やすことは、理屈は関係なしにみんなが融合していくものになるんじゃないかなと。ですので、われわれの活動はもっと多くしていかなければいけないと思っています。
――世間的にも東京パラリンピックが近づいてきていることで、意識の変化に兆しは見えているように感じます。
北澤:それは大きいですよね。
――ただ、変わってきているなとは思いつつ、やっぱりまだまだ変わっていないところもあるのかなと思います。
北澤:そうですね。例えばキャンプ地の誘致でも、「障がい者スポーツを受け入れますよ」と言ってくださる自治体さんも結構多いんですが、実際に行ってみたらその障がい者スポーツの設備が使えなかったり、整っていなかったりすることもありました。もちろん皆さんご厚意で言ってくださっているので、本当にありがたいことなんですが、例えばここの体育館は電動車椅子が使えますよとか、車椅子が使えますよとか、施設ごとに何ができるのかを認定させていくことができると、障がい者の人がもっと日常的にスポーツをやれる場所ができていくのかなと。やっぱり場所づくりは大変じゃないですか。常設の練習場があるわけではないので。(その認定は)今、日本財団がやってくれているところでもあります。
Jリーグが1993年に始まって、環境が変化していって、競技レベルも向上したわけじゃないですか。それと同じように、強化をしていくには、われわれもやっぱりそういった使える場所を増やしていかなければいけないと思うので、そこは受け入れ側とも話していきながら少しずつ変わってきている部分かなと思います。
――私も何年か前に足を骨折して松葉杖で歩かなくてはいけない時期があったんですが、そこで初めて気付くことがたくさんありました。普段なら普通に歩けていたはずの道が「動線が悪いな」とか、「こんなに遠回りしないといけないのか」とか。
北澤:例えばブラインドサッカーの大会でボランティアを募ると、すごくたくさん若い人が集まるじゃないですか。みんな一生懸命取り組んでいくんですよ。分からないことも分かろうと思って、オープンマインドで関わっていきながら。そうすると終わった後に、普通に今まで歩いていた道が、「これだったら目の悪い人はこの道を歩けないんじゃない?」とか、「このホーム落ちるよね?」というふうに気付き始めたりするんですよね。関わることによって新たな気付きを得られて、それが時代や社会を変えていくきっかけにもなっていくのではないかなと。大切なのは日常を変えていくことだと考えています。
あとはわれわれ競技団体がそれを担っていかなければいけないと思っているんですよ。三角形(ピラミッド)の中の強化だけではなくて、例えば今日この後、帰るときに事故に遭って、足をなくしてしまったというときには、アンプティサッカーがありますよと提案できるのが競技団体ではないのかなと。だから強化ピラミッドだけじゃなくて、網の目になるような、障がいの有無にかかわらず誰もがどこでもサッカーを楽しめる環境をつくるということが必要になるんじゃないかなと思っています。
「年を取る=障がいが増える」誰もが自分事で考えるべき問題
――環境を、日常を変えていくためには、どれだけ多くの人が「他人事じゃなくて自分事にする」かが大事になると感じています。人間、生きて年を取っていくというのは、極端な言い方をすると、少しずつ障がい者に近づいていくことと同義だと思っていて――
北澤:同じですね、高齢化は。
――それってまさに全然他人事じゃないですよね。障がいがあろうがなかろうが、誰もが生きやすい社会をつくるというのは、結局何十年後の自分が生きやすい社会をつくることと同義なのかなと感じています。
北澤:まさにわれわれの言う社会づくりというのは、そういう意味も込めて言っています。海外でも経済発展して人口がどんどん増えている国もありますけど、行き先は日本みたいに高齢化していくと思います。そのロールモデルに日本がどうなれるかというのも、課題だと思うんですよね。そういった意味では、生涯スポーツを推進することによって、「もし年を取って車椅子に乗ってもサッカーやれますよ」となったらモチベーションにもなるじゃないですか。そういった社会づくりにもつながっていくんじゃないかなと思って。障がいだけの問題だとは思っていないですね。
――まさに日本は、他の国がまだ直面していないような社会課題にいくつも直面している、世界でも有数の課題先進国です。
北澤:そうなんですよ。先に行っちゃってるから。でもそこは解決できるんじゃないかなって思っていたりします。
――それこそ、「こういう社会課題の解決の仕方があるんだよ」というのを世界に向けて提示することができる、世界に先駆けて課題解決先進国になることだってできるということですよね。
北澤:われわれ世代なんかそのど真ん中にいるような気がしています。だからこそ、それも自分の果たすべき役割なのかなと思っています。今サッカーの登録者数もシニア世代が結構増えていますし、そういった時代に向かっていっていると思うので、スポーツで社会課題を解決するような社会づくりができればなと思っていますね。
――昨今、特に若い世代を中心に、社会課題、社会貢献に対する意識が高くなってきているように感じます。先ほど話に出ていたように、ブラインドサッカーの大会を見ていても、本当に多くのボランティアの人たちが自発的に参加しているのが印象的です。
北澤:僕はサッカーを、スポーツをやってきたから障がい者スポーツにも積極的に関わっていこうという動機があるのは分かるけど、彼女ら、彼ら若い人たちにとって、いったい何の動機があってここに来たのかな?って。本当にすごいなと思いますし、立派だなと。
――そうですよね。本当にまだ20代とか、大学生の人たちが多いですよね。
北澤:そう、若い人たちが多いじゃないですか。すごいなと思うよ。俺、あの年齢だったら飲みに行ってるよね、本当に(笑)。
――自分もそうです(笑)。これからの社会をつくっていく若い人たちがそういうふうに積極的に関わっていこうとするのは、本当に意味があることだと思います。
北澤:僕は期待していますよ。将来に向けて、大きな可能性を感じている部分ですね。
――だからこそ、きっかけさえあれば本当にすごく大きく変わる――
北澤:おっしゃる通り。そういうきっかけをどうやってつくっていけるか、それぞれが活躍できるフィールドをどうやってつくっていけるかが必要なのかなと思っています。
――それは今後、JIFFの役割の一つになるということでしょうか?
北澤:そうですね。だけど一つひとつの組織が強化されることも大事かなと思っています。自分たちの強みを、もっと世の中に与える影響力を自分たちは持っていると思えるものを見つけていかなければいけないし、世の中に発信しなければいけない。だからいつも、「待っているだけじゃダメでしょ」と。「自分たちの強みは何ですか?」とちゃんとはっきりさせて、それが周りにとって「『あっ体験してよかった』とならなきゃダメですよ」という話をしています。
北澤が描く、2つの大きな夢とは――北澤さんに以前お話を聞いたとき、障がいサッカー7団体にとっての象徴の場となるような常設施設をつくりたいと言っていました。障がい者、健常者関係なくみんなが集まってサッカーをして、何かを生み出していく場所があればいいなと。そこに来れば、さまざまな個性を持った人たちに会える、新たな学びや発見もある、そんな常設施設があったら楽しいんじゃないかと――
北澤:今でも思っていますよ。それは僕の大きな夢ですから。いろいろな可能性を探っているところです。日本のサッカー界が強くなった要因は、環境の変化じゃないですか。障がい者サッカーの競技力を上げていくのに必要なのは、常設スタジアムで、常設の練習場なんですよ。これは僕は進めていきますよ。
――あと北澤さんがいつも言っているのが、ユニフォームですよね。これまでは障がい者サッカー7団体がそれぞれバラバラのユニフォームを着用していましたが、2017年に7団体の統一ユニフォームへと一新しました。
北澤:一緒のユニフォームを着て記者発表した瞬間に、各競技の代表選手同士の絆が生まれました。それぞれのサッカーでルールも違えば歴史も違う。でもそういった垣根が取り払われて、一つのチーム、仲間になれたのは、ユニフォームを統一した大きなメリットかなと思います。
だからこそ、同じサッカーの日本代表として、SAMURAI BLUEと同じユニフォームを着て戦いたい。みんなが同じユニフォームを着て、同じ夢を追う。思いを一つにすることができる。見に来る人にとっても、同じユニフォームを着ることは、同じ一つのサッカーを応援していることになると思うんですよね。今は違うサッカーを応援していることになってしまう。それはやっぱりそうじゃない、サッカーは一つだから。そういうふうに変えていきたいですね。
<了>
PROFILE
北澤豪(きたざわ・つよし)
1968年8月10日生まれ、東京都町田市出身。読売クラブジュニアユース、修徳高校を経て、本田技研に加入。1991年に読売クラブ(→ヴェルディ川崎→現・東京ヴェルディ)に移籍。Jリーグ開幕後、数々のタイトルを獲得するなど、ヴェルディの黄金時代を支えた。日本代表59試合出場3得点。2002年シーズンで現役引退。
引退後は、解説者、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター、日本サッカー協会理事など幅広く活躍。2002年INAS-FIDサッカー選手権(知的障がい者の世界大会)で日本代表チームテクニカルアドバイザーを務めたことをきっかけに、日本の障がい者サッカーの在り方に疑問を持つようになった。以来、積極的に障がい者サッカーに関わるようになる。2016年4月に設立された日本障がい者サッカー連盟(JIFF)の会長に就任。
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