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女子マラソンの新星・一山麻緒は「まだまだ速くなる」。進化の秘密を走りの専門家が解説

REAL SPORTS / 2020年3月26日 12時15分

東京オリンピック女子マラソン最後の代表の座を掴んだのは、22歳のシンデレラ、一山麻緒だった。雨が降りしきる悪コンディションの中、日本歴代4位の2時間20分29秒を記録。陸上長距離界を席巻するナイキ社の最新「厚底シューズ」に履き替えての好記録だった。厚底シューズを走りのメカニズムの観点から分析するランニングコーチの細野史晃氏は、「成長著しい一山にとってはオリンピック開催延期もプラスになるのでは?」と期待を込める。一山の躍進、成長の秘密を聞いた。

(解説=細野史晃、構成=大塚一樹【REAL SPORTS編集部】)

女子マラソンの新星に秘められたポテンシャル

昨年9月に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で前田穂南、鈴木亜由子が代表権を獲得。オリンピックの女子マラソン日本代表の残り一枠は、1月に行われた大阪国際女子マラソンで日本陸連の設定記録(2時間22分22秒)を突破した松田瑞生に決まったと思われた。しかし、最終選考レースとなる名古屋ウィメンズマラソン2020で、フルマラソンは4回目の挑戦という新鋭、一山麻緒が松田の2時間21分47秒を上回る好記録で優勝。オリンピックへの挑戦権を得た。

2020年に行われる予定だった東京オリンピックの開催延期が正式に決まった現在、日本陸上競技連盟は代表の再選考は想定しないとの態度を取っている。

『マラソンは上半身が9割』などの著作を持ち、物理や解剖学、生化学などの観点からランニングフォームを科学的に解析しているランニングコーチ、細野史晃氏は、突如現れた女子マラソンのニューヒロインについて、「高橋尚子さん、野口みずきさん、二人の金メダリストに匹敵するポテンシャルの持ち主」と評価する。

「報道の扱いとして、『突然現れた』感があるとは思いますが、初マラソンとなった2019年の東京マラソンでは2時間24分台を記録していますし、注目の選手ではあったんです。MGCではレース終盤に失速して2時間32分台の6位と振るいませんでしたが、“きれいなフォーム”で走る選手だなと思っていました」

細野氏が着目したのは、一山のランニングフォームだった。

一山の速さの秘密は美しいフォーム、“縦のリズム”にあり

「日本の女子選手は身体的な特徴からも、どうしても横ブレが大きくなって、力が逃げるフォームになりがちなんです。しかし、一山選手のフォームは“縦のリズム”がしっかり感じられる走りになっています」

走るという動作は「重心移動の連続」で構成されている。「前に速く進む」ためには、運動エネルギーを常に進行方向に向ける必要がある。そのために有効なのが細野氏が“縦のリズム”と表現する動きで、左右に振り回されるような横方向の動きはパワーロスにつながるという。

「身体の軸はなるべく背骨に近い、身体の中心に置きたい。でも、日本の女子選手は骨格の特徴からどうしても骨盤の左右外側のラインで横ブレが起きてしまいます。一山選手はもともとこの横ブレの少ない選手でしたが、昨年9月のMGCと3月の名古屋ウィメンズでは明らかにこの部分が改善されていました」

MGCまでの走りは、「縦のリズム」の片鱗は見えるが、背骨の他にも手を振っているときに左右の肩に軸が移ったり、骨盤の外側のラインに力が逃げていくような動きが見られた。名古屋での走りには、それが改善され、「背骨を引き上げるような体軸の動き」が見られるようになったという。

MGCから名古屋への飛躍。「厚底」がフォーム強化に

MGCと名古屋で何が変わったのか? 実は一山は、この間にアディダス社の薄底シューズから、ナイキ社の厚底シューズへの“転向”を果たしている。

「ナイキの厚底を履いて速くなったというのは短絡的ですよね。ヴェイパーフライをはじめとするナイキの厚底シューズはたしかに革命的なランニングシューズですが、履いただけで速く走れる“魔法のシューズ”ではありません。重要なのはこのシューズが、速く走るためのフォームを物理学的、解剖学的に徹底解析して、その走り方を再現しやすいように作られている点です。一山選手の走りはもともと、トップ選手の間では主流となっている『縦に弾むような走り』の傾向が見られました。薄底から厚底にシューズを変えたことで、良い面が強調され、理に適ったフォームで走れるようになった。それでタイムが上がったという仮説は成り立ちますよね」

一山の足元を見てみると、9月のMGC、2020年1月の第38回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会で京都チームのアンカーとしてゴールテープを切ったときはアディダス製の靴を履いている。それが2月に行われた丸亀国際ハーフマラソンでは、ナイキ製の厚底シューズに変わっている。

「レースで履くシューズを変えたから速くなったという側面もありますが、練習ではもっと早くから厚底に切り替えていたはず。この練習が一山選手のフォーム改善につながった可能性は高いです」

もともと志向していた理想の走りを厚底シューズがサポートしてくれた。そのフォームづくりにシューズが貢献した。当の一山本人も丸亀ハーフマラソン直後に厚底シューズについて「走った感じは自分に合っている」とコメントしている。

好記録を連発する厚底シューズのメカニズム

厚底シューズのメカニズムについても細野氏に簡単に説明してもらおう。規制の可能性もと話題になった「カーボンプレートの反発力」にばかり注目が集まっているが、細野氏は「シューズ全体がスプーン型の構造になっていることで自然と身体が斜め上に送り出される機構」と「かかととつま先の高低差、ドロップの角度があることで、履いている人が意識せずとも自然に前傾姿勢になる」ことこそが、このシューズが多くのランナーのタイムを短縮している実績の源泉だという。

「ドロップの高低差をつけるため、また長距離を走るのでかかとにクッションを入れる必要があった。だから厚底になった。厚底だから速いのではなく、速く走る機構の実現のための機能を盛り込んでいったら厚底になったというのが正しいかもしれません」

細野氏のいう「縦のリズム」をスピードに変えるためには、上半身をうまく使って重心を「斜め前方」に移動させ続ける必要がある。

「100mなどの短距離走を思い浮かべてもらうとわかると思いますが、スピードを出すためには身体全体を強靱なバネに見立てて、弾むように走る必要があります。このバネの生み出す力の方向、ベクトルを真上ではなく斜め前方に向けることで力強い推進力が得られるのです」

当たり前だが、真上に高く飛び上がっても前には進めない。ならばと、水平に進もうとしても地球には重力が存在するため、ベクトルは徐々にお辞儀をするように下方向に向かう。走るという運動について物理の法則を当てはめれば、縦方向の動きを意識しつつ、重心を絶えず斜め上に移動させ続ける動きが必要。この動きを再現するのが、厚底シューズのつくり出す前傾姿勢というわけだ。

「日本人女子選手に厚底は合わない」という誤解

元来、女子選手、特に日本人女子選手には「厚底シューズは合わない」という言説があった。多くは筋力不足を指摘するものだったが、細野氏は筋力というより、相対的な骨盤の大きさが影響しているのではと推測する。

「日本人女子選手は世界を席巻するアフリカ人選手に比べると骨盤が大きく、その分、走ったときに左右に振れやすい。左右に横ブレがあることを前提のフォームで走っているので、厚底シューズを履いときに違和感を覚えてしまうのかもしれません」

加えて日本人選手は走り込みを重視する。長い距離を走るためにはある意味、重心を崩しながら走る縦のリズムより、左右に軸を持つ横の動きを残した走りの方が安定するという感覚もあるのだという。

「ヴェイパーシリーズをナイキとなかば共同開発したといえるエリウド・キプチョゲ(ケニア)選手は、上半身を弾ませるようにリズミカルに走ります。女子選手でも好記録を連発しているエチオピアやケニアの選手はキプチョゲ選手と同じ方向性の走り方をしています。日本人女子選手もこうした走り方、フォームを意識するようになれば、まずフォームが変わり、それに必要な筋力が自然と鍛えられるようになるはずです」

高橋尚子、野口みずきが「厚底」を履いていたら?

細野氏によると、かつての世界記録保持者にして金メダリスト、高橋尚子さんと野口みずきさんも、「横ブレの少ない縦のリズムで走る選手」だったという。

「二人の走りを思い浮かべて欲しいのですが、高橋さんは手の振りが身体の前の方に集まるフォームでした。この動きで横ブレが抑えられていました。上半身の躍動感を見ても縦のリズムを感じる走り方でした。アテネで金メダルに輝いた野口さんは、手の振りはわずかに左右に流れていますが、全体的なリズムは縦方向に意識が行っているように見えます。お二人との比較では、一山選手は野口さんに近い走りですね」

高橋尚子、野口みずき、二人のレジェンドがもし厚底シューズを履いて走っていたら? 陸上ファンにはたまらない妄想だが、細野氏によると、二人の「厚底適性」は抜群。かなりのタイムが期待できるという。

「日本の高性能薄底シューズで記録出してきたお二人ですから、慣れとか違和感という問題はありますが、走りの方向性、フォームにはむしろ厚底の機構がプラスに働く走り方。2時間17分台は普通に出せると思います」

もちろん時代の違う選手の「タラレバ」に意味はないが、二人の走り方、ランニングフォームという観点から厚底適性を見るのは後進の選手にも役立つ情報かもしれない。

肝心の一山のオリンピックでの活躍はどうだろう? 細野氏は「依然世界トップクラスとの差はある」としながら、厚底というマテリアルに出会って進化の途上にある一山の“のびしろ”には期待できると話す。

「現状一山選手が今回の名古屋でベストコンディションで走ったとしても、2時間18分台がいいところかなと思います。2019年のシカゴマラソンで、ブッリジット・コスゲイ選手(ケニア)が16年ぶりに更新した世界記録は2時間14分04秒。4分のタイム差は正直大きい。金メダルは?と問われると難しい。ただ、勝負となると気候やコース、別の要素も関係してきます。また、一山選手はナイキの最新厚底シューズであるアルファ・フライ・ネクスト%を発売直後に履きこなして好記録を出したわけですから、これからの成長には大いに期待できると思います」

となると、成長のための時間は多い方がいい。奇しくも先日延期が発表されたばかりの東京2020オリンピック。現時点では代表権はそのままスライドという公算が高い。22歳、爆発的な進化の途上にある一山にとっては、成長のための“猶予”が与えられたという見方もできる。一山麻緒の今後に期待せずにはいられない。

<了>





PROFILE
細野史晃(ほその・ふみあき)
/所長。Sun Light History代表、脳梗塞リハビリセンター顧問。解剖学、心理学、コーチングを学び、それらを元に 「楽RUNメソッド」を開発。『マラソンは上半身が9割』をはじめ著書多数。子ども向けのかけっこ教室も展開。科学的側面からランニングフォームの分析を行うランニングコーチとして定評がある。

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