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「技術が先か、体作りが先か」“非・天才少年”前田健太が急成長した2つの理由とは?

REAL SPORTS / 2020年6月10日 13時20分

メジャーリーグに活躍の舞台を移して5年目を迎えた、前田健太。広島東洋カープ時代に2度の沢村賞と、5度のゴールデングラブ賞を手にし、ミネソタ・ツインズでさらなる飛躍が期待される日本のエースは、小学生時代、決して飛び抜けた存在ではなかったことはご存じだろうか?
どんな名選手にも、必ず「少年時代」がある。野球と出会ったばかりのその時期に、いったいどんな時間を過ごしたのか? どんな指導者と巡り合い、どんな言葉を掛けられ、どんな思考を張り巡らせて、プロ野球選手、メジャーリーガーへとたどり着いたのか?
日本球界を代表する選手たちの子ども時代をひも解いた書籍、『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)を上梓したスポーツライター・編集者の花田雪氏に、少年時代を知る指導者が見た、前田健太の“秘話”を明かしてもらった――。

(文=花田雪、写真=Getty Images、文中写真提供=宝島社)

成長期は、技術の習得よりも体づくりが重要?

技術は、後からでも身に付けることができる。

野球界では、たびたびこんな言葉を耳にすることがある。

体が大きくなる成長期は、技術の習得よりも体づくりに重点を置く。しっかりと体をつくれば、技術についてはある程度成長が終わってからでも十分に身に付く。そんな考え方だ。

しかし、本当にそうだろうか。
例えば以前、現福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康氏がこんなことを語ってくれたことがある。

「特に子どものころこそ、正しい技術を身に付けておくべきです。もちろん体をつくることも大切ですが、今の野球界は幼少期の基礎の習得をおろそかにする傾向がある。もちろん、『細かな』技術は後から身に付けることができますが、その前段階にある正しい投げ方、正しい打ち方は、吸収力のある子どものころに身に付けておいた方が絶対にいい。基礎をおろそかにしてしまうと技術を上乗せするのが難しくなるし、変なクセがついたままだと、後で修正するのに時間がかかってしまうからです」

技術が先か、体づくりが先か――。

私自身、というか野球界全体を見渡してもその正解はまだ出ていない。

プロ野球の世界で活躍している選手たちも、先に技術を身に付けたタイプと、後から細かな技術を身に付けたタイプは両方存在する。

その意味で現ミネソタ・ツインズの前田健太は、おそらく前者にあたる。

前田健太の小学生時代は、決して飛び抜けた存在ではなかった

筆者は先日、宝島社から『あのプロ野球選手の少年時代』という書籍を上梓したが、そこで前田の「子どものころ」を知る人物に取材を行った。

大阪府泉北郡忠岡町に生まれた前田少年は、小学3年生のころ、隣町の軟式野球チーム、岸和田イーグレッツに入団。1975年創立と歴史も長く、これまで大阪府内で輝かしい実績を残してきた名門チームだ。

当時の前田少年について語ってくれたのは、現在チームの監督を務める今津孝介さん。前田少年が所属していた当時は、5~6年生が所属するAチームでコーチを務めていた。

「前田くんを直接指導したのは、彼が上級生になった2年間。当時から技術はかなり高かったですよ。5年生のころから6年生に交ざってレギュラーで出ていましたし、最上級生ではチームのエースで4番。いわゆる大黒柱ですね」

後にPL学園に進み、ドラフト1位でプロ入り。メジャーリーガーにもなったエリートらしく、小学生時代からその才能をいかんなく発揮していたのだ。

ただ、チームの中心選手ではあったが、その実力が突出したものだったかというと、今津さんは首を横に振る。

「センスも技術も、もちろんあります。ただ、こういう子がプロに行くんだという、いわゆる『怪物』というわけではなかったですね。体の線も細いし、ピッチャーとしてもそこまでボールが速いわけではない。バッターとしても4番は打っていましたが、ホームランを連発するようなタイプではありませんでした。チーム自体のレベルが高かったこともありますが、『頭一つ抜けている』という印象もなかったですね」

岸和田イーグレッツが名門チームだったこともあるが、今津さん自身、20年ほどの指導歴の中で前田健太少年よりも速いボールを投げるピッチャー、ホームランを打てるバッターは何人も見てきたという。少なくとも、小学校時代の「実力」でいえば、前田少年は決して特別な存在ではなかった。


(前田は前列左から2人目。小学生時代に所属していた岸和田イーグレッツでは決して飛び抜けた存在ではなかった)

当時からナンバーワンだった「2つの要素」

ただその一方、今津さんが過去のチームを振り返ったとき、前田少年が歴代ナンバーワンだったと語る要素もある。

それが「コントロール」と「走ること」だ。

「球速は小学校6年生の時点で100キロ程度だったと思います。もちろん、小学生にしては速い方です。ただ、大阪は少年野球のレベルも高いですし、そのくらいの速さでは『絶対的』ではない。ただし、前田くんはそのボールをしっかりとコーナーに投げ分けるコントロールを持っていました。いわゆる『四隅を使えるピッチャー』です。その完成度は間違いなく私が見てきた中で一番ですね」

制球力の高さは今津さんの記憶に鮮明に残っており、「四球はほとんど出した記憶がない。たぶん、10試合投げて1個出すかどうか。一人歩かせただけでも『あれ、今日ちょっとおかしいのかな?』と心配になるくらいでした」というのだから驚きだ。

もう一つのナンバーワン、「走ること」は、彼の性格を如実に表している。

「速さではなく、『量』がナンバーワンです。全体練習が終わった後も、何時間も走っていた。あれほど走った小学生は、僕の指導歴ではいませんね」

当時の岸和田イーグレッツは土日に加えて火、水、木曜日の週5日間、練習を行っていた。学校のある平日は練習が終わるのが8時ごろになるが、そこから10時ごろまで、約2時間はグラウンドを走り続けたという。

「親御さんの教育もありましたが、なにより負けず嫌いだったんだと思います。どんなことでも『1番を目指す』という思いは当時からあったんじゃないかな。野球だけでなく、例えば学校のマラソン大会でもとにかく1位を目指す。そのくらい強い気持ちがなければ、あれだけ走ることはできないと思います」

足腰を鍛えることと、コントロールは密接な関係にある。下半身が安定することでフォームも固まり、それがコントロールの向上につながるからだ。


(岸和田イーグレッツのグラウンドの看板には「広島東洋カープ 18 前田健太君」と書かれている)

「基礎」を身に付けたことで、中学でグンと伸びた

フィジカル面では決して飛び抜けた存在ではなかった前田少年は、日々の鍛錬でピッチャーにとって最も大切なコントロールを、小学生の時点で習得した。

「野球選手としてグンと伸びたのは、やはり中学生になってからだと思います。もともと、技術も高かったですから、それを中学で磨き続けて、体も大きくなってきた。中学卒業前には30校近くから誘いがあったと聞いていますし、その上で名門のPL学園に進学することもできた。全ては、本人の努力ですよね」

「基礎」の大切さはどんなスポーツにも共通するものだ。前田健太は小学生の時点でそこをきっちりと身に付け、高い技術をその後の成長へとつなげた。

技術が先か、体づくりが先か――。
明確な答えは今も出ないが、メジャーリーガー・前田健太の少年時代をひも解くと、一つの正解が見える気がする。

<了>








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