阪神・藤浪晋太郎が決して忘れなかった原点。「変えてはならぬ物を変え」歯車狂った692日
REAL SPORTS / 2020年8月26日 12時43分
長く険しい道のりだった。狂ってしまった歯車、心を乱した不信、悪夢……、どん底にあった時期にも、決して「原点」だけは忘れることはなかった。忘れかけていた勝利の味は、甘く、そして苦かった――。「スポーツニッポン(スポニチ)」で11年阪神担当記者を務める遠藤礼氏に、藤浪晋太郎の歩んだ“692日”をつづってもらった。
(文=遠藤礼、写真=Getty Images)
692日は、言葉で表現できないほどの険しい道のりだったこんなに“甘い”ものだったのか。忘れかけていた勝利の味が、口の中に広がっていく。敵地でのヒーローインタビュー。藤浪晋太郎は「やっと勝てた」と少しだけ笑みを漏らした。言葉に込めたのは、単純な時間の経過だけではなかったはずだ。苦悩し、落とし穴にもはまり、厳しい批判にもさらされた692日。踏みしめる目の前の「一歩」だけを信じて、ようやく出口の“扉”に手をかけた。
8月21日のヤクルト戦は今季5度目の先発マウンドだった。2被弾するなど痛打も浴びながら、序盤からもらった6点の援護を必死に守った。打席でも2回1死満塁で放った弱い三塁へのゴロに全力疾走で先制の適時内野安打をもぎ取ると、上本博紀の二邪飛でタッチアップを試みて本塁に生還。全身から勝利への執念があふれた。今季は、球界で1人目の新型コロナウイルスに感染して入院。再合流を果たしていた5月には練習に遅刻して2軍降格となり、その後、右胸の故障も発症するなど、つまずき続けた。前年はキャリア初の未勝利。ただでさえ背水のシーズンだっただけに失望した人間も少なくなかった。昇格後も4試合に登板し4連敗。勝ち名乗りを挙げるその瞬間までもがいていた。
「(勝てなかった2年間は)苦しいことばかりだったように思いますし、つらいことが多かったですけど、コツコツやるしかないと思って毎日、練習してきました」
勝って初めて意味があったと思える日々だったのかもしれない。「不振」「低迷」という言葉では足りないほど、長く険しい道を歩いてきた。
「変えてはいけない部分を変えてしまった」、狂い出した歯車4年目の2016年オフ、初めて2桁勝利を逃すと「何か変えないと」と投球フォームの改善に着手した。投げ出す際に内側(本塁方向)に倒れていた右膝を、がに股で外側に力をかけるように矯正。後に「変えてはいけない部分を変えてしまった」と振り返る迷路への入り口だった。投球の土台の小さな「ズレ」は、予想以上の崩壊を招く。体の開き、リリースポイント……メカニックの歯車がかみ合わない。「あれ? 違う……の繰り返しでした。気付けば投げ方が分からなくなって……」。フォームの“消失”は、成績下降とともに顔をのぞかせた制球難の要因の一つといえた。
試合中もリリースを確認する仕草が増え、腕を振っても首をかしげることが多くなった。もともと、探究心が強く、細部までこだわる性格。キャンプ中のブルペンでの“おかわり”はルーティーンとなり、1日200球、300球は当たり前になった。強みである妥協を許さぬ姿勢は、当時に限っては迷いに映った。
「自分はイップスなのかなと思った時もあります。それでも、いろんな人に話を聞いて、それは違うとなった。技術的に確かなものを確立することが大事だと」
ただ、“引き出し”を何度どのように開いても答えはなかなか見つからない。2017年は3勝、2018年は5勝を挙げても会心の投球を思い出すことはできない。「あの状態でごまかして3勝も5勝もよくできたなと。昨年(2019年)もずっと“違うな”と思って投げていた」と漏らした。
「不信」に乱され、どん底にあった心身「不振」は、「不信」となって心も乱す。厳しくなったように感じたチーム内からの視線。「藤浪はあいさつをしない」「生活態度が悪い」……。声なき声が耳に入りメンタルを揺さぶった。
「仲の良い選手も実はみんなそう思ってたんや……とかそんなことばっかり考えて練習してたので…」
「悪夢」を見るようになったのもその時からだ。
「本当に叫んで起きる。夜中に“うわー”って絶叫して。ストレスがあると多いみたいなんですが、自分の歯がボロボロになる夢も何度も見ました」
自律神経は乱れ、強烈な張りが首から背中を襲い一睡もできなかった日もあった。極めつけは頭部にできた円形脱毛症。「すごいストレスだったんだなと。ショックでした」。心身ともにどん底の状態に陥っていた。
「人生には歯を食いしばる時期がある」。訪れた一つの転機それでも「挫折」という問いかけには首を振ってきた。乗り越えられる未来だけを見つめてきた。
「人生で3回か4回は、歯を食いしばってやらないといけない時があると思うんです。その1回目は(大阪大会の決勝で敗れた)高校2年の夏だった。あの時も、一時期ストライクが入らなくなったりして……。今が自分のまた踏ん張らないといけないところだと思うので」
失ったものが少なくない中で原点だけは忘れなかった。どれだけ暴投しようと、キャッチボールという“実験台”に立ち続けた。
「プロやのにたった5mぐらいの距離でもワンバウンド投げたり、とんでもない暴投したり……正直、恥ずかしいですよね。でも、キャッチボールは仮説と検証の繰り返しなんです。良い時も悪い時も、ずっとそういう意識でやってきた。暴投になっても、原因と答えがある」
“下手くそな自分”から逃げず、真正面から受け入ることで導き出される答えだけを信じてきた。
一つの転機となったのは、昨年12月。沖縄で米国の施設「ドライブラインベースボール」の測定会に参加した際、現地のスタッフに言われた。「膝を曲げたらダメ? 米国にそんな教えはないよ」――。大事なことに、気付かされた。
「藤浪は他人の意見を聞かないとか、そんなイメージを持たれてるかもしれないですが、本当にいろんな人の話を聞いて、科学的な投げ方とか正しいとされる投げ方とか、いろんなことをやってきた。でも最後は自分の感覚が大事なんだと再確認できた」
満足することなく、再び前へ。“幸福な時間”はもっと訪れるはずだ
下を向くことはあっても立ち止まらなかった26歳はずっと、壁の“その先”を見てきた。
「順風満帆にいくに越したことはないですけど、あの苦しんだ時期があったから今がある、と言えるように活躍しないといけない」
奇しくも、2013年にプロ初登板し大海原に飛び出した神宮球場で8年目のリスタートを切った。同じ一勝でも、意味合いはまったく違う。浮き沈みを経てつかんだ通算51勝目は逆襲への「目覚め」となるか。6回1/3、4失点。甘かった勝利の味はすぐに苦みに変わっていた。
「初登板から良いピッチングはできていない。失点が多いですし。もうちょっとピリッとした試合をつくっていきたい」
誰もが次代のエースと期待した男だということを忘れていけない。見守る人にも、藤浪本人にも“幸福な時間”はこの先もっと訪れる。
<了>
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