なぜ箱根駅伝の高速化は続くのか? 走りの専門家が解説する「厚底シューズ」の意外な恩恵
REAL SPORTS / 2020年1月4日 7時25分
世界の陸上界を席巻するナイキの「厚底シューズ」。日本の正月の風物詩、箱根駅伝でも過去数大会、これまでにないほど選手の足元に注目が集まった。好記録を連発することから、ワールドアスレティックス(世界陸連)が規制を検討したことでも大きな話題を呼んだナイキの厚底シューズは、今年も箱根の”主役“となるのか? ランニングコーチの細野史晃氏は、昨今の駅伝レースの高速化、区間新連発は、「厚底効果のその先」の争いに突入した証左だという。
(解説=細野史晃、構成=大塚一樹【REAL SPORTS編集部】)
“魔法のピンクシューズ”がもたらしたもの軽やかな走りを見せて記録塗り替える選手。好記録を連発する選手たちの足元には、特徴的な厚底のソールを持ちビビッドな色をまとったナイキのヴェイパーフライシリーズがあった。東京2020 オリンピック日本代表選考競技会として開催されたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で多くのトップランナーが着用したズームXヴェイパーフライネクスト%は、ナイキの「ピンクシューズ」として鮮烈な印象を残した。
その後、世界陸連がシューズの厚底化、ソールの中に仕込まれたカーボンプレートの規制の是非を検討、靴底の厚さは4cm以下、反発力を生む埋め込みのプレートは1枚まで、五輪については大会前に4カ月以上市販されている、店舗やインターネットで購入できるシューズであることなどを新ルールとして、現行の厚底シューズはお墨付きを得た格好だ。
「ナイキの厚底シューズの本当にすごいところは、単に底が厚い、カーボンプレートの反発力を利用したサポートを受けているということではありません」
『マラソンは上半身が9割』などの著作を持ち、物理や解剖学、生化学などの観点からランニングフォームを科学的に解析しているランニングコーチ、細野史晃氏はヴェイパーシリーズ登場時から一貫して「このシューズは、ランナーのフォームを変える革新的なシューズだ」と主張し続けている。
厚底に秘められた「正しいフォームを身に付ける機能」「速く走るために最も意識すべきことは『重心移動』です。走るという動作は重心移動の連続。交互に片足ジャンプをし続け、体をバネのように使って推進力を得るのが『走る』という動作。バネをどう使うかで、進行方向へのエネルギーが変わるため、足が速い、遅いの差が生まれるのです」
真上に弾んでしまえば、その場ジャンプと同じ。では正解は「前」なのかというと、事はそう単純ではない。
「地球には重力がありますよね。真横方向に移動しようとしても、重力の影響を受けて運動エネルギーは徐々にお辞儀をして地面に向かって落ちていきます。速く走るためには、斜め上にパワーを放出するようにバネを使う。ヴェイパーフライは、このエネルギーの方向付けをしてくれるのです」
底が厚く、つま先下がりのヴェイパーシリーズは、履いてまっすぐ立つだけでやや前傾姿勢になる。この姿勢こそが、速く走るための理想の姿勢だという。
「ヴェイパーが出始めたころ、記録がよくなる選手とあまり恩恵がない選手がいることが話題になりました。『向き不向きがある』と。これは向き不向きではなく、ヴェイパーの機構をうまく使えるフォームへのアジャスト具合で差が出ていると考えた方が自然です。もともと“理想的な前傾姿勢”で走っていた選手は、ヴェイパーのスプーン状のソールが作り出す推進力をすぐに自分のスピードに変えられた。そうなっていないフォームの選手は、フォームを矯正するところから始めなければいけないわけです」
この「フォーム矯正」という隠れた機能が、厚底という文脈を離れた陸上界の“超高速化”を後押ししているのだという。
トラック「厚底禁止」でも好記録が出続ける理由「ほとんど影響がないどころか、もう関係なく記録が出るはずです」
マラソンでの規制が見送られた厚底シューズだが、トラック競技では、800m未満の種目は20mm、800m以上の種目は 25mmまでに制限された。2020年12月1日から適用されたこのルールで、駅伝やマラソンで用いる厚底はトラックで使用できないということになった。ルール施行後の12月4日に行われた第104回日本陸上競技選手権大会・長距離種目兼東京2020オリンピック競技大会日本代表選手選考競技会を前に、細野氏に「厚底禁止の影響は?」と問うた答えが、「関係なく記録が出る」だった。
細野氏の“予言”通り、男子1万メートルで優勝した、相澤晃(旭化成)、2位の伊藤達彦(HONDA)、3位の田村和希(住友電工)の上位3人が日本新記録を上回るタイムでゴール。戦前一部で予想されていた「厚底禁止ショック」が回避されるどころか、引き続き好記録連発の流れが続いたのだ。
「相澤選手と伊藤選手は、昨年の箱根で東洋大、東京国際大の選手として2区の区間記録を争っていますよね。結果的に相澤選手が、史上初の1時間5分台という記録を打ち立てましたが(1時間5分57秒で区間新)、彼らはすでに厚底を『履きこなしていた』選手たち。女子でも好記録を出した新谷(仁美・積水化学)選手、一山(麻緒・ワコール)選手、廣中(璃梨佳・日本郵政グループ)選手といった顔ぶれは、厚底適応がすでに済んでいる選手たち。厚底が禁止になっても、すでにフォームが改善されているので、大きく記録が落ちることはあり得ないんです」
さらにナイキ社は、厚底の後継として、トラック用のスパイクを新たに用意。厚底の機構、機能を継承しつつ、底の厚さをルール内に調整しているため、新たな靴に合わせてフォームを微調整する必要もなかったのだ。
「中長距離、トラック用のスパイクとしては、エアズームビクトリー、ズームXドラゴンフライが用意されていますが、マラソンほど足にダメージがないトラックの中長距離では、厚底ほどのクッションは必要ありません。それどころか、軽量化の恩恵の方が大きい」
この流れは当然、学生陸上界にも波及していて、「厚底シューズの最大の恩恵=速く走るためのフォームの獲得」を果たした選手たちが、続々と箱根に名乗りを上げている。
「厚底を履きこなすことで、これまで日本人選手が一番遅れていた物理や力学の観点で理にかなった『ランニングフォーム』が急激に進化しました。今年の箱根からは、その次のフェーズ。厚底の恩恵はフラットになってきていて、そこから先の進化ができる選手とできない選手に分かれてくるはずです」
“厚底ネイティブ”現る 好記録を後押しするルーキーの存在とコロナ禍の影響世界でも好記録を連発している厚底シューズだが、細野氏は厚底の恩恵をもっとも受けたのは日本人選手ではないか? という。曰く、かかと着地、フラット着地など「日本人に合うランニングフォーム」を模索し、試行錯誤を重ねてきた日本のマラソン・長距離界だが、「日本人の特性」にとらわれすぎて、物理的な効率の良さ、速く走るためのフォームというシンプルな真理を見失っていた時期があったのではないか。その影響で止まってしまっていた時計を一気に進めたのが厚底シューズの登場だった。
「箱根駅伝に先駆けて1日に行われたニューイヤー駅伝でも、フォームに関してはほとんど差がなくなってきた印象です。膝の負傷で欠場しましたが、社会人1年目の相澤選手や伊藤選手、福岡国際マラソンで2時間7分5秒の好タイムで優勝した吉田祐也(GMOインターネットグループ)選手のような早くから厚底に適応し、その上に自分の良さを乗せている選手はこれからもどんどん記録を伸ばすと思います」
ルーキーに注目が集まるのは今年の箱根も同じ。予選会で日本人トップタイムを記録した三浦龍司(順天堂大)、日本選手権の5000mで3位に輝いた吉居大和(中央大)の2人は「スーパールーキー」としてメディアからの注目度も高いが、そのほかにも、全日本大学駅伝5区で区間新を記録した佐藤一世(青学大)、同じく全日本で4区の区間新を出した石原翔太郎(東海大)など、メンバー入りすれば結果を出しそうな“即戦力”がひしめき合っている。
「本来、箱根はルーキーが結果を出すのが難しい大会なんです。高校までとは環境も変わりますし、各年代のエリートが大きな目標に向かってしのぎを削る舞台なわけですから。でも、ここ数年は、ルーキーの活躍が目立つ。これは育成年代から厚底を履き、初めから正しいフォームで走ってきた“厚底ネイティブ”な選手たちの活躍といえるかもしれません」
全体のレベルが上がっている上に、“厚底ネイティブ”なる新たな波が押し寄せる箱根駅伝。
「まだまだ区間新が出る余地がある。厚底への慣れもありますし、さらにその先の領域に足を踏み入れる行く選手も出てくるでしょう。コロナ禍という特別なシーズンであることも見逃せません。体力温存や練習への集中力など、理由はさまざまなあげられていますが、コロナ禍で記録が上がるという世界的傾向もあります」
箱根の高速化は衰えるどころか、さらに加速し、ハイレベルな争いになることが予想される。総合優勝の行方とともに、区間新、好記録への期待も高まる。
<了>
PROFILE
細野史晃(ほその・ふみあき)
Sun Light History代表、脳梗塞リハビリセンター顧問。解剖学、心理学、コーチングを学び、それらを元に 「楽RUNメソッド」を開発。『マラソンは上半身が9割』をはじめ著書多数。子ども向けのかけっこ教室も展開。科学的側面からランニングフォームの分析を行うランニングコーチとして定評がある。
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