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球児が『痛い』と本音を言えない高校野球の問題。新潟が目指した“サッカー界”的構造改革 ~高校野球の未来を創る変革者~

REAL SPORTS / 2021年5月17日 11時31分

選手の酷使や指導者によるパワハラなど、旧態依然とした体質・風習から、競技人口が著しく減少している野球界。目先のことだけを見ていては、未来は決して明るいものにはならないだろう。

2018年末、新潟県高野連は日本高野連を差し置いて独自に球数制限ルール導入を発表した。結果的にこの決定は覆されることになるが、そもそも彼らが目指していたものは“球数制限ルール”そのものではなかった。地方から野球界に改革を起こすために――。高校野球界では弱小といわれる新潟県が目指している未来とは、いったいどんなものなのだろうか?

(取材・文・撮影=氏原英明)

2018年高校野球界を驚かせた、新潟県独自の「球数制限導入」の発表

高校野球が範を示す。

2018年、野球界をあっと驚かせた新潟県高野連による「球数制限導入」のニュースは、その後、翻されたものの、新潟県の野球界が自らの方向を示す一手だった。

野球界にまん延していたのは勝利至上主義だ。勝つことばかりにとらわれ、子どもの身体を大事にしない。指導現場において常態化していた怒号・罵声を繰り返す野球界の風土は子どもやその親たちから「野球」をプレーする選択肢を考えられないようにしていた。

2016年に新潟県青少年野球団体協議会(NYBOC)が発行した「新潟メソッド」によると、2015年時点で学童少年野球チームの登録数が約20%以上も減少。全国平均よりも上回っているのだという。

つまり、新潟県の高校野球連盟など9つの加盟競技団体で構成する新潟県青少年野球団体協議会としては、競技人口の減少の温床になっている喫緊の課題に取り組む必要があった。

医者の存在を嫌う指導者。両者の溝を埋めた取り組み

その1つ目が「障害予防」だ。

新潟県青少年野球団体協議会の会長を務めた富樫信浩新潟県高野連会長(取材時/現新潟県野球協議会理事長)はこう話す。

「高校野球にはアウトオブシーズンという規定があります。12月1日から3月7日まで試合ができない。しかし、その下の層を見ていると、新潟県は雪国のために県内で試合はできませんが、関東まで行って試合をしていたんですね。学童野球の方に取り組まなければいけないだろう。そういう動きがあった」

富樫が実情を知ったのは新潟リハビリテーション病院の山本智章院長らが主催したシンポジウムに参加してからだ。子どもたちの野球肘障害の実態を知るとともに、体を見る医者と現場の指導者の考え方に乖離(かいり)があり、その差を埋める必要があった。

当時、子どもが「肘が痛い」と言えば、医者は『休め』と言うのがほとんどだった。そのため、指導者は医者の存在を嫌っていた。実際、医者の全てがそういうスタンスだったわけではなく、結局は医療と現場のコミュニケーション不足が問題だった。シンポジウムでは理学療法士も加わり、両者の溝は埋まっていったのだった。

その取り組みの中の延長線上にできあがったのが野球手帳(※)だった。(※子どもに肩肘の故障予防を呼びかけることを目的に、新潟県青少年野球団体協議会と医学チームが協力し合って制作し、県内の小学生から中学3年生までに無料配布。詳細は前編『「甲子園・球数制限」導入は、知られざる闘いの物語だった。“弱小”新潟が高野連に強気を崩さなかったワケ』を参照) 


新潟県高野連を旗頭とした、サッカー界のような組織構造

富樫とタッグを組んで、中高の連携を進めた石川智雄氏(新潟県青少年野球団体協議会副会長/取材時)は言う。

「新潟県は弱いのですが、障害予防を『強化』の位置付けにしたらどうだという話になりました。どんないい選手も一年でつぶれたら強化にならないという考えが浸透していきました」

野球手帳は、新潟県より先駆けていた高知県のものを参考にした、障害予防にかじを切る施策の一つだった。新潟県はそうして高校野球連盟から下の層と医療を巻き込んで一体化した取り組みをするようになっていったのだった。

もっとも新潟県青少年野球団体協議会の改革が進んだ背景には中高の連携が大きい。富樫―石川の関係が良好だったこと、さらに、石川の後輩であり、新潟県青少年野球団体協議会の中核を担う島田修(現新潟明訓監督)が携わったことで一気に進んだ。

ただ、石川は陰の存在があったことも証言する。

「あまり表には出てこないですが新潟明訓高校の元監督・佐藤和也(現医療福祉大学硬式野球部総監督)さんの影響も大きいです。佐藤さんは内々に、新潟県の野球を強くするには、中学の先生が野球を知っている形をつくらないといけないと話していました。高校が上で中学の指導者が下という関係ではなく、野球のことは中学の指導者の方が知ってるぞというふうにすれば、高校の先生の方が“やばい、勉強しなきゃいけない”ってなる。20年以上前から、若手指導者を対象に野球のHow toじゃなく、身体のことやメンタルなどについて指導してくれたんです」

中学には石川がトップを務めた軟式野球の部活だけでなく、硬式野球のクラブチームも存在する。それら全てを取りまとめたことで、団体は加速度的にまとまりを得ていったのだった。

いわば、新潟県高野連を旗頭とした新潟県青少年野球団体協議会はそうして、日本サッカー協会のような三角形の図式を形成することができたのだった。


困難だった小学生年代の改善。画期的な取り組みとは?

一方、普及が進まなかったのが学童(小学生年代)だった。

野球手帳の存在やシンポジウムなどで子どもの肩肘検診などを行ったものの、障害予防や野球指導現場の環境を良くする施策は競技団体のトップに一任されているところがあり、本当の小さな街の学童チームまで浸透するかというと、組織任せのところがあった。

島田は新潟県青少年野球団体協議会としての課題をこう語る。

「青少年の団体は子どもたちのため、小学生のためにという強い思いでやっているんですけど、この世代が一番徹底できなかった。地域が広すぎるんですね。ですから組織的には弱いところだった。研修会などに出席する人は真面目な方なんですけど、実際に変えないといけないのは『俺が見てやっているんだ』みたいな研修会に関心がない人たち。全てに浸透させられなかったんですね。学童が衰退する一番の原因は、指導者がいないから。それでは成り立たないので小学6年の親が1年限り指導をやる。次の年は次の世代の親がやる。それでは、全然引き継がれていかない」

そこで新潟県が取り組んだのが「T字型体制」という取り組みだ。島田は続ける。

「T字型体制の確立を目指しました。各団体の代表者は協議会が目指していることを分かっていて、横のつながりはできたんですけど、そこから下に向いていかない。それをまざまざと感じることが多かったので、統一的なものをつくらないといけない。学童の組織に丸投げをしているのでは、うまくいかない。トータルにしてしまって、取り組んでいこうと。横に広まったものを縦にということです」




いかに縦のつながりを生み出すか。新たな施策への挑戦

各団体のトップは連携していても、その組織の連携が進まなければ浸透していかない。その現実を知った島田らは組織に丸投げするのをやめて、地域でひとくくりとすることを目指したのだ。いわば、新潟県青少年野球団体協議会でやっていることをそれぞれの地域で、ひとまとめにするという考え方だ。

高野連と中学世代は浸透しているので、これらの層が中心となって、地域をまとめる。小中高の一貫した取り組みを始めたのである。

中学校の教員を辞め、現在は長岡市スポーツ振興課に籍を置く石川はすでにさまざまな施策に取り組んでいるという。

これが画期的だ。石川が説明する。

「新潟県青少年団体協議会の長岡版的な取り組みを始めているんですけど、やってみて効果的だと思ったのは、小中高の保護者を交えたグループをつくって、小中高校の指導者と保護者をちりばめて、保護者の気持ち、監督たちはどう思っているかを赤裸々に話し合ってもらう機会をつくりました。みんなの声を集めて、長岡の野球の課題は何かを話し合いました。また、グラウンドでは小中高を1チームにして、1回から3回までは小学生の試合、4〜6回までは中学生の試合、7〜9回までは高校生の試合というふうにして、縦のつながりをつくるということも取り組みました。第2回目はコロナによってできなかったですけど、すごくよかったですね」

各団体の代表者たちが一体となり、横のつながりはできた。これからは長岡市が実践して地域の取り組みを強化することにより、縦のつながりを強固なものにしていく。そうすることで、新潟県の目指す方向に全体が一体となって取り組んでいくというわけだ。

「痛い」と言える子どもを育てる。“人”を大事にした野球界への変革

これまでの野球界は“人”を大事にしなかった。

勝利に固執し、子どもの身体や精神が悲鳴を上げていることにも気付かず、ただただ勝利を目指した。そうしていくうち野球を取り巻く環境は劣悪なものになり、保護者や子どもから敬遠されるようになったのだった。

球数制限ルールに端を発した新潟県青少年団体協議会の取り組みは野球界、子どもたちを守り、県全体の野球レベルを前進させるための取り組みだった。

富樫は言う。

「目の前にある課題に対して対処するだけでは関連性がない。(施策は)つなげていかないとダメだと思います。当たり前のことを当たり前にさせること。それこそが大事。当たり前のことができない構造、ひいては子どもたちが自分たちで『痛い』と言えない、そんな子を育てている。甲子園というのは化け物で、そこに出たいし、勝ちたい。それがために言えない。そして指導者もそれをよしとしている。そこが一番の問題点です。われわれは『痛い』と言える子を育てたい。それは当たり前のことで、その風土がスポーツマンシップにつながっていくと考えています」

高校野球の世界では「弱小」とも呼ばれた新潟県が起こす改革。

日本高野連を先んじた彼らの取り組みはこれからも野球界をあっと驚かせてくれるに違いない。それは本丸の組織が脆弱(ぜいじゃく)であることの証左である一方、地方から日本を変える、野球界を変える手本になり得るかもしれない。

変わらない人たちを変えていくには労力がいる。それを待っている時間も然り。

新潟県のように、変われる人たちから野球界に改革を起こしていく。その繰り返しが目先のものにばかり固執する日本の野球界を進歩・成長させてくれるに違いない。


<了>






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