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「一人で練習場へ現れるテレビ局の人」から名物実況アナに チャンスを掴み続ける西岡明彦の実行力

REAL SPORTS / 2021年6月28日 11時47分

2020年5月に立ち上がったオンラインサロン『蹴球ゴールデン街』では、「日本のサッカーやスポーツビジネスを盛り上げる」という目的のもと、その活動の一環として雑誌作成プロジェクトがスタートした。雑誌のコンセプトは「サッカー界で働く人たち」。サロンメンバーの多くはライター未経験者だが、自らがインタビュアーとなって、サッカー界、スポーツ界を裏側で支える人々のストーリーを発信している。

今回、多様な側面からスポーツの魅力や価値を発信するメディア『REAL SPORTS』とのコラボレーション企画として、雑誌化に先駆けてインタビュー記事を公開する。

第7弾は、実況アナウンサーとして活躍している西岡明彦さんに、ご自身のキャリアや、実況アナウンサーの仕事、サッカー業界について語っていただいた。

(インタビュー・構成=難波拓未、写真提供=西岡明彦)

局アナなのになぜ一人で広島の練習場へ…?

――西岡さんは、1992年に広島ホームテレビでアナウンサーとしてキャリアをスタートして以来、長きにわたりサッカーに関わるメディアの世界で活躍されていますが、学生時代からアナウンサーを目指していたのでしょうか?

西岡:全然目指していなかったです。大学3年の終わりぐらいから就職活動を始めましたが、どこで何をしたいのかは漠然としていました。とりあえずいろいろな会社を受けてみた中の一つにマスコミがありました。アナウンサー試験の書類審査があって、友人と軽い気持ちで提出したのがきっかけです。

――広島ホームテレビにはどのような経緯で入社することになったのですか?

西岡:アナウンサー試験は東京でも何社か受けていて、夏前に受けたテレビ朝日の試験ではかなりいいところまで行きましたが、落ちてしまいました。そうしたら夏休みの終わりくらいに、テレビ朝日のアナウンス部長から「系列局の広島ホームテレビで欠員が出て、急きょ新卒の男性アナウンサーを募集する」という連絡がありました。電話で「君はスポーツをやりたいと言っていたけど、広島ホームテレビを受けてみないか」と言っていただいて、広島に試験を受けに行き、入社に至りました。

――広島ホームテレビでは最初からスポーツを担当していたのですか?

西岡:上司にスポーツをやりたいと伝えていたので、最初からスポーツを担当させてもらえるような雰囲気はありました。また、しゃべるだけではなく取材やインタビューをしたり、ジャンルを問わずニュースの原稿を書く仕事もしていました。高校野球の県予選は入社1年目から担当していて、サンフレッチェ広島の取材に行き始めたのも1年目からです。

 そこで森保一さん(現 A代表監督兼U-23日本代表監督)との縁ができたのですが、最初はアナウンサー試験を一緒に受けていた友人に同じ筑波大学の体育会出身の森山佳郎さん(現 U-17日本代表監督)を紹介してもらい、森山さんが当時紹介してくれた代表選手数人の中に、森保さんがいたというのがきっかけでした。

――それからどのように親交を深めていったのですか?

西岡:当時の取材は、Jリーグ開幕前だったこともあり、選手たちは非常にフランクでした。入社1年目の僕は、番組を作ったりインタビューができるようなキャリアはなかったので、取材がなくても時間を見つけて一人で(広島の)練習場に通っていました。

 そうすると、選手たちから「テレビ局なのにカメラマンを連れずに一人で来ている人がいる」と認識されるようになり、「テレビ局なのに一人なんですか?」「暇なので来ました」というやり取りから、当時の練習場は食堂がなかったので、練習後に一緒にランチに行くなどして交流を持たせてもらいました。

広島の選手たちの姿に刺激を受けてイングランド留学へ

――その後1998年に広島ホームテレビを退職されてイングランド留学を決意されたそうですが、留学を決めた時の気持ちを教えてください。

西岡:新卒の時には、「好きなことをやりたい」という思いがあった中でチャンスをくれた広島に行きましたが、広島で定年まで勤めるというのはイメージしていませんでした。ところが、選手たちと付き合うようになってから、考え方が変わったんです。彼らは1年ごとに選手が入れ替わって、結果が出なければチームを去らないといけない世界にいます。そんな人たちを見てきて、好きなことを仕事にし続ける人たちをすごいと思うようになっていました。僕も好きなことを仕事にできていたけれど、もっと突き詰められないかなっていう思いから、思い切ってサッカーの本場であるイングランドへ留学しに行く決断をしました。

――イングランドではどんな生活を送っていたのですか?

西岡:大学で語学とマスコミの講義を受けて、テレビ朝日でアルバイトをしながら、週末はいろいろなスタジアムでサッカーを見ていました。長くイングランドにいるつもりはなかったので、1、2年のうちに行けるスタジアムには全部行こうと思って、いろいろ行きましたね。一番頻度が多かったのはアーセナルでした。

――印象に残った試合は?

西岡:1998-99シーズンのFAカップ準決勝アーセナル対マンチェスター・ユナイテッドの試合です。ユナイテッドから退場者が1人出たのですが、ギグスが決勝点を挙げてユナイテッドが勝ちました。実際にスタジアムに行ったのではなくて、家の近くのパブで見たのですが、パブ内は今まで経験したことのない盛り上がりでした。お客さんの熱狂がすごくて、最後はパブ内でアーセナルファンとユナイテッドファンが小競り合いをするみたいな。全然会場にいるわけではないのに、勝ったぞ、負けたぞってロンドンにある普通のパブ内でやっていて、日本ではできない経験が印象に残っています。

――帰国後、フリーのアナウンサーになった理由は?

西岡:いろいろな選択肢の中から決断をしたというよりも、アナウンサーになるしかなかったからです。ロンドンに行ったのはアナウンサーを続けるためではなくて、本場のサッカーを見て学んで、帰国後はJクラブに就職したいと考えていました。ところが、Jクラブに入るチャンスはありませんでした。その時に、ある人から「Jクラブに入るチャンスはそのうち来るだろうから、君がやるべきことは広島時代に培ったしゃべることなんじゃないか」と言われて。そのタイミングでしゃべる仕事のチャンスをもらったので、他に選択肢はありませんでした。

フリーアナウンサーを経て、起業に至った意外な理由

――フリーアナウンサーを経て、2004年に代表取締役社長として株式会社フットメディアを設立されました。そのきっかけは何だったのでしょうか?

西岡:出版社のフロムワンから、森保さんの現役引退を記念した本を出版しようという話をいただいたのがきっかけです。彼が引退した直後の2004年に『ぽいち 森保一自伝―雑草魂を胸に』という本をフロムワンから出版したんですけど、その本は森保さんと僕の共著として出しました。本の売り上げを50%ずつそれぞれの口座に振り込んでもらうのは面倒なので、小さい会社を作れば窓口が1つになっていいかなと考え、森保さんからも背中を押してもらったので会社を設立しました。

――スポーツメディアに関わるマネジメント会社として、現在ではアナウンサーや選手のマネジメントもされていますが、どのようにして業務の幅を広げていったのですか?

西岡:本来、会社を立ち上げる時には「こんな事業がやりたい、大きくしたい」というものがあると思うのですが、僕は明確なものがなかったんです。そんな中、海外サッカーを中継するJ SPORTSという会社から、中継の質を高めるために現地のニュースや選手情報を集めるリサーチをお願いされました。当時は僕と森保さんとアルバイトで雇っていた経理の3人しかいなくて、リサーチできる人材を探すことになりました。すると、たまたま高校生の頃からロンドンにいる日本人大学生と知り合って、彼が卒業後は英語を使ってサッカーの仕事をしたいという夢を持っていたので声をかけました。今でもスタッフとしてうちにいますが、彼の最初の頑張りのおかげで仕事が増えていって、スタッフも増えていきました。

 それから、僕がしゃべる仕事をする中でプロデューサーから「しゃべれる人を探してくれ」と言われてニーズに合った人材を探していくうちに、アナウンサーのメンバーも増えていきました。選手のマネジメントに関しては、森保さんのマネジメントをやることになってから、広島の選手たちからも依頼されるようになっていきました。

解説者とは試合前にサッカーの話はしない…?

――実況のお仕事について詳しくお聞きしたいのですが、試合の前にはどのような準備をしているのですか?

西岡:サッカーは90分間ずっと動いているので、用意した情報を紹介するタイミングはそれほど多くありません。なので、この選手が得点を取れば何試合連続ゴール、このチームが勝てば通算何勝、順位がどう変わるなど、いろいろなことを想定して準備をしています。

――当日までに実況を担当するチームの試合はどれくらい見ますか?

西岡:前2試合くらいはフルで見るようにしています。担当するリーグがだいたい決まっていて、1カ月先くらいまでのスケジュールは出ているので、担当するチームの試合は重点的に見るようにしています。得点や交代、試合中のポジション変化やケガの状況など、記録に残っていないものをチェックします。例えば、「60分にケガをしていたけど、90分間プレーした」というのはメモを取らないとすぐ話せない。その選手が次の試合で休んでいたら、前の試合で傷めていたという話ができます。そういうことを気にしながらメモを取っています。

――準備にはどれくらい時間を費やしていますか?

西岡:1チームで2試合見れば、単純計算で90分×4で6時間。メモを取っていたらそれより多くなります。目の前の1試合だけではなくて、次の次くらいまで考えて試合を見ている。家でドラマを見る時間がないくらいサッカーを見ていますよ。

――いろいろな解説者の方と一緒に仕事をされていますが、円滑に中継を届けるために意識をしていることはありますか?

西岡:一番はその人(解説者)がそのチームやサッカーについてどう思っているのかを知ること。その人が放送の中で話したいことを引き出すことを意識しています。質問の仕方によっては、「いやいや違うんです、そういう意図ではないんです」と噛み合わなくなってしまいます。その人がどんな話をしたいのか、どんな評価をしているのかを知ることが重要だと思います。

――解説者の考えは試合前にお話をして理解を深めているのですか?

西岡:試合前にサッカーの話はあまりしません。日常会話ばかりですね。J1だとコンビを組む人は限られているので、その人が僕と組んでいない前の試合でどんなことを話していたのかを知っておくことで、ある程度その人の考えは見えてきます。これは積み重ねだと思うし、初めてご一緒する時にはうまくいかないかもしれません。最初は探り探りで進めていって、何回も繰り返していけば、話したいことや見ているところは自然と分かるようになる。そこをくすぐってあげて、話してもらえるように質問をしています。

現場の雰囲気を伝えるための沈黙「ではなく」話せなかったあの時

――実況において一番意識していることは?

西岡:中継を見ている人たちが会場のテンションや空気感を感じられるように、スタジアムで見ているような錯覚を起こすような演出を心がけています。例えば、ゴールチャンスのシーンでダラダラしゃべっているとおかしいし、0-0と4-0の展開では話す内容は違う。映像だけでは、スタジアムの空気は届けられません。今どういう雰囲気なのか、それを肌で感じた現場にいる僕らが言葉で伝える。なので、あえてしゃべらないこともあります。

――やりがいを感じる瞬間は?

西岡:実況ではテレビの画面を通してお伝えしているので、その時の反応は直接分からないじゃないですか。なので、試合後に視聴者から感想などを言われるのはありがたいです。また、これだけ長くやっていると、いろいろな監督や選手が当事者としてプレーしていたり、見てくれていることもある。そういう話を現場の監督や選手に言っていただくと、やっていてよかったと感じるし、うれしいです。

――難しいと感じることはありますか?

西岡:困ったのが、感情移入しすぎて言葉にならなかったケースです。(引退する選手の)シーズン最後の引退セレモニーで選手が家族から花束をもらう時、本来は選手の経歴を紹介しないといけないのですが、家族一丸となってこれまで選手を支えながら頑張ってきたんだなという姿を見ると……。個人的には面識がない選手でも、そういうシーンには弱いです。それから、2012シーズンのJ1で森保さんが率いる広島の初優勝が決まった試合を担当していましたが、1分間くらい言葉にならなかった。その時は現場の雰囲気を演出するために話さなかったのではなく、話せませんでした。

――コロナ禍において難しさを感じることや、意識していることはありますか?

西岡:選手も僕たちもやることは変わらないので、やりにくさはないです。声を出しての応援ができないので選手やベンチメンバー、審判の声はよく聞こえますよね。それを聞かせてあげたり、拾ったりすることは、平常ではできない演出だと思います。ピッチ上の声が聞こえることは一つのメリットですし、コロナ禍をデメリットに考え過ぎないように、プラスに考えるようにしています。

――今後のビジョン、やりたいことはありますか?

西岡:今までも、目の前のことを続けることで新しいチャンスをいただいて、成し遂げてきました。なので、具体的な目標ややりたいことはないですが、サッカーに関わることなら何でもしたいです。

――アナウンサーを目指す人に向けてアドバイスをお願いします。

西岡:どんどん挑戦してほしいです。いい意味で、力があればどんどんチャンスをつかめる、夢のある職業だと思います。サッカーの実況を担当するアナウンサーを目指すのであれば、サッカーが好きなことは前提として、(その魅力を)どう表現するのかを日々努力して(成功を)勝ち取っていく。僕も最初の頃は先輩方に「大丈夫か?」と思われていたところから、地道に続けてきたことで認めていただきました。これからの若い人にもチャンスは絶対あるので、チャンスをつかむ努力をすれば、それをつかむことができる、やりがいのある世界だなと思っています。うちのメンバーもそうですが、先輩後輩ではなくライバルだと思っているし、先輩を追い抜いてもいい世界。そして僕らみたいな年配の人間は後輩たちから刺激を受けてより努力していく。興味のある人がいれば、チャンスをつかみに来てほしいと思います。


<了>






PROFILE
西岡明彦(にしおか・あきひこ)
1970年生まれ、愛知県出身。青山学院大学を卒業後、1992年に広島ホームテレビに就職しアナウンサーとして活躍。1998年8月に同局を退社後イングランド留学へ。本場のサッカーを堪能しながら、ウエストミンスター大学でメディア論を専攻。帰国後はスポーツコメンテイターとしての活動を始め、海外サッカーの実況を数多く担当し、FIFAワールドカップでは2002年日韓大会で9試合の実況を担当、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会でも現地からの実況中継を担当。その他、媒体での執筆や雑誌の編集に携わるなど、幅広く活動。また、日本サッカー協会登録仲介人としてマネジメント業務にも従事し、2004年に代表取締役社長を務める株式会社フットメディアを設立。

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