屈強に見えるラグビー選手も…大坂なおみ問題提起の「メンタルヘルス」誤解と実情
REAL SPORTS / 2021年7月21日 11時34分
5月、大坂なおみが全仏オープンの棄権に伴い問題提起したことで、アスリートのメンタルヘルスを取り巻く環境が大きな話題となった。アスリートといえば、屈強な肉体や高い技術と併せて、強靭(きょうじん)な精神力を持ち合わせているとイメージする人も多いだろう。だがそのイメージは必ずしも正しくない。過去にはオリンピック通算23個の金メダルを持つ競泳界のレジェンド、マイケル・フェルプスもうつ病に苦しんだことを告白し、トップリーグで活躍するラグビー現役選手の一部もうつ・不安障害の疑いがあると分かった。
トップアスリートにとっても、一般社会に暮らす私たちにとっても、切り離して考えることのできない身近なこの問題。日本ラグビー選手会と国立精神・神経医療研究センターが共同で立ち上げた「よわいはつよいプロジェクト」のキーパーソン2人に、メンタルヘルスにまつわる誤解と実情、そして私たちが日常生活で気を付けるべきことを聞いた。
(文=向風見也、写真=Getty Images)
ラグビー選手の13人に1人が「2週間以内に死にたいと考えた」。衝撃的な調査結果日本の市民が思い描いてきた「アスリート像」は今、見直しの対象となっている。
記憶に新しいのは、女子テニスの大坂なおみの告白だ。2021年5月からの全仏オープンに際し、義務付けられていた記者会見の出席を拒む。やがてうつや不安に苦しんでいたと告げ、大会を1試合だけで辞退する。かくして、選手のメンタルヘルスについての議論は一般化された。
「大坂さんのような――こう言っていいのか分かりませんが――トップ・オブ・トップとされる方の一言は(影響が)大きかったと思います。アスリートのメンタルヘルスは国際的には何年も前から注目されていますが、そのきっかけをつくったのもアスリートだったんです」
そう話すのは小塩靖崇。国立精神・神経医療研究センター研究員だ。確かに2018年に国際オリンピック委員会(IOC)が関連の声明を出すなど、かねて多くの統括機関、研究機関が関心を示していた。何よりそれに先んじて、マイケル・フェルプスがうつ病に苦しんだ体験を告白した。フェルプスはオリンピックで通算23個の金メダルを得てきた名スイマーだ。
日本国内での動きについては、「素晴らしい個別事例はある。それを体系化していければ」と見る小塩。この領域でのさらなる研究と啓蒙活動のために始めたのが、「よわいはつよいプロジェクト」だ。2020年春から、日本ラグビー選手会(以下、選手会)と協働する。
2019年12月から翌年1月には、国内ラグビートップリーグの選手を対象にアンケートを実施。回答者のうち約3~4割が直近1カ月で心理的なストレスを経験していて、10人に1人が「うつ・不安障害の疑いあるいは重度のうつ・不安障害」が疑われると分かった。加えて直近2週間以内に死にたいなどと考えた「希死念慮」の選手は、13人に1人の割合に上った。
この結果には、堀江翔太、姫野和樹といった日本代表経験者もSNS上で同調。全仏オープンのころには競技の枠を超えて注目された。
優秀な人ほど自らの弱さを認められず、ますます自分を苦しめるNECグリーンロケッツの現役プレーヤーでもある川村慎・選手会会長は、こう補足する。
「一般の方もいろんなストレスを抱えていると思いますが、アスリートは一回、一回で白黒はっきりつけられる場所が多すぎる。日々の練習でのうまい・へた、勝った・負けた、シーズンに入れば(試合の)メンバーに選ばれる・選ばれない……。さらに来季契約できるかどうか、隣の仲がいい同じポジションのやつを『どうしてやろうか』と思う葛藤も……。さらに30代からは『あと何年できるか』など、自分の進退も考えなくてはならない。そのたびにストレスがぐっ、ぐっ、ぐっとかかるのではないかと個人的に思います」
川村は、今回の調査への回答率が4割程度とやや低かったことに問題意識を持つ。ただし小塩は、「一般の方に同じような調査をすると(回答率は)3割くらい。(アスリートの反応は)むしろ普通」と補足。回答が拒まれる背景には、人々のかような心理が見え隠れする。
「アンケートで心をさらけ出すのは、匿名であっても嫌だ」
川村が応じる。
「(メンタルヘルスに関する)スティグマ(誤解)は、アスリート、もしくは一般社会のエリート層といわれるような優秀な方々ほど強く抱いていると感じます。『俺は負けたくない』『弱さを認めること自体が弱い』といったような。逆に、それが自分を苦しめているとも思うのですが」
「メンタルのストレスや不調は、あるのが普通」。認めることがスタートアスリートの心の波は、市民のそれとあらゆる意味で変わらない。すなわちアスリートのメンタルヘルスの問題は、本稿読者一人一人の問題でもある。では一体、アスリートが、さらには私たちが心のトラブルを抱えない方法はあるのだろうか。
「医療者としては……」と、小塩はこう続ける。
「自分にかかるストレスを予防的に対処、軽減させることは必要だといえます。一方で、メンタルのストレスや不調は、あって普通です。それを『自分は(ストレスを)受けていません』と否定するより、『ストレスフルな状態にある。じゃあ、どうしよう』と考えていった方がいい。つまり、予防と早期発見が大事です」
ちなみに前者の「予防」の具体策には、「規則正しい生活習慣」が挙がる。慶應義塾大卒業後に数カ月、一般企業に勤めていた川村は、経験を基に語る。
「僕は働いているとき、サラリーマンこそ最高のアスリートであるべきだと思った。飲み会を『帰りまーす』とさっと抜けるなど、『自分の最高のパフォーマンスを出せるのはどういう状態のときか』を考えている人ほど仕事ができていたんです。健康な状態でないと素晴らしいパフォーマンスは出せない。(生活習慣は)全ての基礎ですね」
メンタルの問題は『弱い』『強い』の二元論で語られがちだが…話題はおのずと、「早期発見」のエリアに転じる。メンタルヘルスに問題を抱えた際の心得について、川村は「『自分がそうなったときには、家族、恋人も苦しめてしまうかもしれない』と理解すると、『自分ごと化』がしやすいかもしれない」とし、こうも語る。
「ストレスをゼロにするのは生きていく中で不可能だけど、良い状態と悪い状態を行き来する循環の流れを小さくすることはできる。『自分がストレスフルだ』と気付ける能力と、『元に戻るのに何が必要か』を知っておくこと(が大事)です」
小塩は補足する。
「メンタルの問題は『健康か、病気か』の二元論で語られがちですが、『よわいはつよいプロジェクト』は『弱い』か『強い』かの二元論ではないんです。(心の状態を見つめる)解像度を増やすことで『ストレスがかかっても回復できる』と理解できると思います」
プロジェクトの公式ホームページを開けば、踊るロゴが目に入る。漢字の「弱」と「強」が分裂せず、輪廻(りんね)しながら絡まる。そう。心は「弱い」か「強い」かで二分されるのではなく、その時々であちらこちらへ傾く。そんな2人の思いが首尾よくデザインされているのだ。
来年開幕のラグビー新リーグに向けて目指していること同プロジェクトは現在、選手の精神的なサポートを施す「プレーヤー・デベロップメント・マネージャー(PDM)」という制度の一般化に努める。
各クラブに配置されたPDMが所属選手の悩みや現状を聞くこのシステムは、ニュージーランドで普及される。PDMは監督やコーチと無関係な人材であるのが条件で、同国の選手会が雇用主となっている。
川村ら日本の選手会は現在、水面下で希望選手を対象にモニタリング調査を実施中だ。PDM側から「僕らは選手のためになっていますか? 効果、出ていますか?」と言われるたび、川村は「いいんです。(求めているのは)効果とかじゃ、ないんです」。存在自体に意味があるという原則を強調する。試行錯誤を重ね、2022年1月にトップリーグから新装開店のジャパンラグビーリーグワンで段階的な導入を目指す。
海外選手の大量加入が目立つ市場にあって、誰しも安心してタックル、パスできる環境ができたらいい。
<了>
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