寺田明日香、摂食障害に苦しんだ10年前。引退・出産を経たからこそ…31歳の初五輪“進化”の理由
REAL SPORTS / 2021年7月30日 12時33分
一度は引退しながらも、結婚、大学進学、ラグビーへの転向、そして陸上競技への復帰を経て100mハードルでのオリンピック出場権をつかんだ寺田明日香。31歳になった寺田はなぜ、復帰前より記録を上げ、日本新記録を連発、自身初のオリンピック切符を手にできたのか? 20代前半の最初の競技生活では意識できなかったことが、さまざまな経験を通じて見えてきた。
(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)
食べることに罪悪感が……。摂食障害に苦しんだ最初の選手生活寺田明日香がこれまで歩んできたキャリアは他の誰とも違う。小学校4年生から始めた陸上競技で早くから頭角を現し、高校1年から取り組んだ100mハードルでは、インターハイ3連覇、日本選手権3連覇、世界陸上出場、アジア選手権銀メダルなど、輝かしい成績を残した。しかし、2013年、相次ぐケガと摂食障害のため23歳の若さで現役を引退することになる。
――陸上競技から一度引退されたとき、ケガと摂食障害を引退理由に挙げられています。まずは最初の引退についてお話を聞かせてください。
寺田:高校生のときはそれほど感じなかったんですけど、二十歳を過ぎたくらいから、いつも通り生活してても太るんですよ。体がむくんでいるなという感覚があって、普通に生活しているだけなのになんでこんなに太るの? といつもそのことばかり考えていました。
同時期に生理がかなり重くなってきて、頻繁に貧血になるようになっていたんですね。だんだん動けなくなってきて、自分への不信感が生まれてきたという感じでした。
――今でこそ、女性アスリートが体重管理の問題、摂食障害、生理不順について声をあげ、健全な競技生活についてメッセージを発信していますけど、当時は「陸上競技はいかに体重を軽くするかだ」のような風潮はあったんですか?
寺田:私は上から頭ごなしに「痩せろ」と命じられたというほどの感覚はなかったんですけど、自分が気にしているからなのか、周囲から「太った?」って聞かれることが多かった気がして、当時のコーチにも食事や生活を見直すように言われたことはありましたね。それで、「もしかしたら、いつも通り食べているつもりでも食べ過ぎているんじゃないか」とか「食べたら太ってしまう」というような、食べることに対する“罪悪感”が生まれて……。
「誰にも見られたくない」嫌いになってやめた陸上寺田:食べないと練習できないし、実際に食べる量が少ないとコーチからも食べるように言われるんですよ。そこで自分の中にすごい葛藤が起きて、周囲が見ているときはいっぱい食べて、一人になった瞬間にそれを吐き戻してしまうことを繰り返すようになってしまったんです。体重の増減も激しくて、貧血もずっと治らないなか、疲労骨折するようになっていったんです。
――栄養も摂取できていないし、貧血も頻繁に起きている。骨密度も低下しているでしょうからね。摂食障害は、うつ病などの気分障害との関係性が医学的にも認められていますが、このまま続けていたら心が壊れるというような状況もあったのでしょうか?
寺田:いや、私に関してはそこはなくて、ただただ、体がうまくコントロールできないこと、人に言われることを気にしながら競技を続けるのがすごく嫌だなって気持ちが強くなって。
陸上をやめるころには、陸上自体が嫌いになっていて、「誰にも見られたくない」って思っていて、その気持ちが強かったです。
――実際に2013年、23歳で一度、陸上競技を引退します。
寺田:1年頑張って、日本選手権でタイムが出なかったらもうやめようと決めて、その結果、なかなか体も戻らなかったし、タイムも出なかったのでもうダメだなと思ってやめました。
良かったときの残像みたいなのがあったんですよね。いいタイムが出ていたときの体が一番良かったと思い込んで、そこに合わせなきゃいけないという思いがすごく強かった。当時もウエートトレーニングはやっていましたが、今みたいに考えながらやっていたというわけではなくて、筋肉量を増やすことも怖かったし、今振り返るといろんな恐怖との戦いでしたね。
―― 引退後にはインターンや大学進学など、「社会経験」を積んでいます。こうしたキャリアを歩もうと思ったきっかけは?
寺田:高校を卒業してすぐ実業団選手になったんですけど、その所属先が学校法人で、2年間専門学校生として学生をしながら競技を続けていたんですね。陸上選手のキャリアを終えたら、大学に行きたいというのはずっと考えていました。
陸上をやめたのが23歳だったので、そこから大学に入り直しても3、4年の遅れで追いつけるのかなと思えたことも大きいですね。社会に出て、キャリアを新しく、きちんとつくり始められる年齢だと思ったので、それまでの陸上のキャリアはパツッと切って、本当に社会人として進んでいくタームに入ろうと思えました。
「この世の中に、オリンピックを目指せる人って何人いるんだろう?」ラグビーに転向し、再びオリンピックを目指す―― 結婚、出産を経験されたあと、7人制ラグビーの選手としてスポーツ界に戻ってきます。どういう心境の変化があったんですか?
寺田:ラグビーのお話は、陸上をやめるときにもいただいていたんです。そのときは、体も心もズタボロだったのでお断りさせていただいたんですけど、大学に行って、働き始めて、子どももできて、いろいろな方々と関わる中で心境の変化があったんですね。
もう一回、「ラグビーでオリンピックを目指さないか?」と、声をかけてもらって、考えたんです。「この世の中に、『オリンピックを目指そう』って言ってもらえる人、『オリンピックを目指せる人』って何人いるんだろう」って。
自分はすごく恵まれた場所にいるんだなと思ったときに、可能性のある、現役でいられる時間が限られていることにも気づいて、迷うくらいならやってみよう!と思ったんです。
ラグビーに取り組んだのは、26歳の後半で、ほぼ27歳でしたけど、20代でやっておかないと後悔するなとは思いました。
―― ラグビーといっても7人制のセブンズはスピードが重要ですよね。陸上選手が活躍する余地はあると思いますが、それでもコンタクトスポーツに挑戦する不安はありませんでしたか? それこそ体のつくり方、食事の取り方も全然違うと思います。
寺田:ラグビーを始めた頃は、とにかく体重を増やさなきゃいけなかったので、糖質、糖質、糖質でした(笑)。食事で糖質をとって、トレーニング後はプロテインを飲んでという生活でした。
ウエートトレーニングなどの体づくりも、陸上選手とは全然違ったんですけど、ラグビーで体重を増やしたことで、「今の自分の体はこれぐらい食べないと太れないんだ」と思ったんですね。自分の体の特徴がすごく見えるようになって、若いときに悩んでいた体重の変化は、実は微々たるもので、そういう時期だったんだと思うんですね。
ラグビーのトレーニングで体重が増えたのになぜか「足が速くなった」―― ラグビー選手としてプレーしていたとき、「あれ? 前より足が速くなってない?」と気がついたと話していたと思いますが、普通は体重が増えて、コンタクトに強い体になったら遅くなりそうですよね?
寺田:そうなんですよ。本当に速くなっている実感があって、しっかり食べて、かつトレーニングをして体づくりをするっていう今までおろそかにしていた基礎的なものができるようになった。いろいろなことが怖くてできなかったことが、ラグビーではできるようになっていたのがすごく大きかったんじゃないかと思います。
―― 体づくりの意識が変わったということですよね。
寺田:ラグビーの後半で、ラスト1年は栄養士さんについてもらって、食事についてもいろいろ指導してもらうようになっていたんです。そもそも食が細い方らしくて、とにかく体重を増やすような食べ方も良くないし、少なすぎてもダメだしということで。食事の中身とタイミングはすごく大事にするようになりました。
―― そのラグビーは、ケガが原因で離れることになります。
寺田:大会中の接触プレーで右足首を骨折して、ケガ明けに代表合宿に戻ったときに、全然動けなかったんですよ。それが延期前の東京オリンピックまで約1年半のタイミングで、代表に残るのは難しいだろうなと。
オリンピックを目指すためにラグビーの世界に飛び込んだので、それがかなわないならズルズルするよりはという。
―― ラグビーをやめた時点で、100mハードルでオリンピックを目指そうと決めていたんですか?
寺田:全然決まってないです。オリンピックは無理でもラグビーを続ける選択肢もありましたし、アスリートをやめて大学院に戻る、会社に戻るという話もありました。「走るのが楽しいから陸上に戻る」という選択肢もなくはなかったのですが、ちょっとリスクが高いなとは思っていました。
「自信がなかったら言わないよ」 根拠のない自信に支えられた陸上復帰―― リスクも含め、最終的に陸上復帰を選んだのは、何が決め手になったんですか。
寺田:後から振り返って、あのとき結果を気にせず陸上競技に戻っていればよかったと思うのが嫌だなという気持ちですね。一度やめたときは陸上を嫌いになってやめていて、ラグビーを経て「走るのが好きだ」って素直に思えるようになったんです。このまま終わりにしたら、ずっと陸上競技を嫌いなまま過ごしていくことになるので、好きって思えたタイミングで、「陸上が嫌いな私」を回収するべきなんじゃないかって思ったんですね。
―― ご家族のサポートも当然必要な中で、また陸上に切り替えるというのは、かなりの決心がいりますよね。夫である佐藤峻一さんは、かつて日本陸上競技連盟の職員だったこともありますし、スポーツ業界の人ですけど、どんなふうに相談したんですか?
寺田:スタッフたちには、ちょっとずつ「陸上に戻るって言ったらどうする?」とやんわりふわふわ出していたんですけど、夫に「陸上に戻ろうと思うんだよね」と言ったら、沈黙でしたね(笑)。
「オリンピックを目指すっていうこと?」というようなことを言われた記憶があるのですが、「それ本気で言ってるの?」みたいな。
23歳で一度やめたときの最後の記録は13秒85なんですよ。オリンピック標準記録が12秒84なので、年齢を重ねた現在、1秒縮めなきゃいけない。夫も以前、陸連で働いていたので、それがどんなに難しいことかはよくわかっていたんです。
最終的には、「自信あるの?」って聞かれて、「自信がなかったら言わないよ」と返して収まったんです。
―― そのとき、自信というか、勝算はあったんですか?
寺田:いや、ないです。根拠のない自信です(笑)。走るのが好きだという気持ちだけです。
―― 心理学の世界でも、成功する人が持っている「根拠のない自信」の研究が進んでいるようですね。スポーツでいう「ゾーン」や「フロー」に入るためにはこれがなければいけないという研究もあるようで。
寺田:本当ですか? 私以外はみんな無理だと思っていたと思います。
食事への意識、内容の充実が体の変化、記録に反映され、夢の舞台へ――ラグビーから再び陸上への体づくりというところはどうだったんですか? 年齢もそうですが、多くの女性アスリートは、出産を経ての体の変化に悩まされると聞きます。
寺田:トレーニングの意識も変わりましたけど、食事には特に気をつけるようになりましたね。娘ができたことで、娘の栄養、食事ということも考えるようになりましたし、自分の体づくりにも、食事が大きく影響していることがわかったので。
食事の回数的には、陸上に戻ってからの方が増えたかもしれませんね。1回でとる糖質の量はラグビーの方が多くて、陸上では糖質だけでなく、たんぱく質の質にもこだわってとるというようなアプローチに変わりました。
――食事の変化でいうと栄養士の指導もあると思いますが。
寺田:実は私、北海道出身なのに、お魚があんまり……だったんです。サケとかホッケはおいしいものをよく食べていた記憶があるのですが、青魚はほとんど食べてこなくて、焼き魚とかもあまり得意じゃなくて。
栄養士さんに、脂質とのバランス、たんぱく質の質でいうと、お肉より魚の方がいいと聞いて、積極的に食べるようにはなりました。
――親の食の好みは子どもの好き嫌いや栄養バランスにも関わりますしね。
寺田:それでいうと、魚はあまり食べられなかったんですけど、かまぼこは昔から普通に食べていたんですよね。母がお弁当に入れてくれて、かまぼこを厚めに切って真ん中に梅干し挟んだものが大好きです。
――魚食の良さを推すアスリートが増えていますが、効果として実感していることはありますか? 本当に摂取するたんぱく質によって違いがある?
寺田:筋肉、疲労の回復にはたんぱく質が欠かせませんよね。お肉だと脂質を取り過ぎてしまうことがあるので、お魚ならそれを気にしないでいいことは実感しています。あと、脂をとるとおなかが痛くなってしまう体質なのですが、魚の脂だと大丈夫なんですよね。
―― スーパーで並んでいる切り身と、水族館で泳いでる魚が結びつかない子どもが増えているという話も聞きます。食育目線でも伝えられることがありそうですね。
寺田:それこそ加工品であるかまぼことか、魚肉ソーセージを食卓に出して、娘に「これは何のお肉でしょう?」とか問いかけながら、食べています。
―― 最後に、いよいよ目前に迫ったオリンピックについて。
寺田:目標はファイナル(決勝)に残ること。そこにこだわってやってきたので、記録的に見れば難しいのはわかっていますが、ブレずにチャレンジしたいなと思っています。
予選から思いきりいかなければいけない立場なので、現在のベストタイムである12秒87か、それ以上で走ることができればと思っています。大一番は準決勝。12秒7、あわよくば6で走って、決勝に進みたいです。
オリンピックの準決勝は8月1日の夜。これは、男子の100mの決勝と同じセッションなので、みなさんの盛り上がりを落とさないようにがんばりたいと思います。
<了>
PROFILE
寺田明日香(てらだ・あすか)
1990年1月14日生まれ、北海道札幌市出身。小学校4年生から陸上競技を始め、小学校5・6年時ともに全国小学生陸上100mで2位。高校1年から本格的にハードルを始めインターハイ女子100mハードルで史上初の3連覇、その後日本選手権でも3連覇を果たす。2009年には世界陸上ベルリン大会に出場、アジア選手権銀メダル。2010年にはアジア大会で5位に入賞など、さらなる活躍が期待されたが相次ぐケガ・摂食障害等から2013年に現役を引退。結婚・大学進学・出産を経て、2016年夏に7人制ラグビーに競技転向する形で現役復帰を果たすが、2018年12月、ケガによりラグビー選手としての引退と陸上競技への復帰を表明。2019年 8月には19年ぶりに日本記録と並ぶ13秒00をマーク、9月には12秒97の日本新記録を樹立して10年ぶりに世界陸上に出場。2021年には、12秒96、12秒87と記録を連発、史上最長ブランクとなる11年ぶりの日本選手権優勝を果たし、初のオリンピック出場を決めた。
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