スケートボード平野歩夢、兄の夢を実現するべく“二刀流ライダー”の道を歩む夏冬五輪
REAL SPORTS / 2021年8月4日 17時0分
東京五輪で初の正式種目入りとなったスケートボード。中でも注目を集める選手が、平野歩夢である。冬季五輪のスノーボードでは男子ハーフパイプで2大会連続銀メダルを獲得した彼が、北京五輪がわずか半年後に訪れる中でなぜ今大会でスケートボード出場を決断したのか。“二刀流ライダー”として挑む両五輪を目指す原動力には、ずっと背中を追い続けてきた兄の夢、そして家族の想いがあった――。
(文=野上大介、写真=Getty Images)
兄、そして父によって導かれた二刀流ライダーの起点「英樹が(父から)言われていることを聞いて、英樹がやっていることを見ながら、英樹の後ろをずっとついていきました」
平野歩夢を語る上で、兄・英樹の存在は欠かせない。2007年秋口に筆者が編集長を務めていたスノーボード専門誌にて、当時ジュニア界で頭角を現していた12歳の英樹を中心に、9歳の歩夢、5歳の弟・海祝、そして両親を含めた平野一家を特集していた。
歩夢は4歳の時に英樹の後を追うようにして、スケートボードとスノーボードを始めている。日本海に面した新潟県村上市で生まれ育ち、サーファーだった父・英功さんは当時、夏は波が少なくなることからオフトレの一環としてスケートボードに着目していた。その頃は県内にスケートボードパークがなかったため、スケートボーダーからのフィードバックをもとに自身でつくろうと考えた。英樹とともに各地を回りながらスケートボーダーたちの声に耳を傾け、東京五輪のスケートボード日本代表の事前合宿が行われた「村上市スケートパーク」の前身にあたる「日本海スケートパーク」を築き上げたのだ。
それを機に歩夢は、父による指導のもと、山に雪が積もればスノーボード、山を下りればスケートボードという生活が一年を通して始まった。二刀流ライダーの起点がここにある。
長男を大事に育てることによって、次男も同じ環境で成長していく「小さい頃は特に(父の指導が)厳しかったですね。『今日は何を言われるんだろう』とずっと考えていたので、滑りに行く時の車の席まで考えて乗っていました(笑)。オリンピックとか大会の映像を見せられている時に、英樹はよく『前に来いよ!』って(父に)言われて指導を受けていて。俺はそれをそっと後ろから見ているんですけど、『英樹を見てればわかんだろ!』って飛び火して怒られたり……。滑る順番も気にしていました。休憩するふりをして英樹を先に行かせて、お父さんと英樹が話している隙に見られないように滑ろうとしていましたね」
かつて東京ドームで行われていたスノーボードの国際大会に大会史上最年少の13歳で出場するほどの実力を持っていた英樹の背中を追いかけ、兄が褒められていることや怒られていることを予習して取捨選択しながら、最短距離で夢への道のりを歩み続けてきた歩夢。
「どちらかというと英樹とともにスケートボードやスノーボードに取り組んできました。長男を大事に育てることによって、次男も同じ環境で成長していく。歩夢にとっての見本が英樹であり、英樹があっての歩夢なんです」
英功さんは兄弟関係についてこのように語っていた。さらに当時の歩夢について尋ねてみると、こう明かした。
「あまりしゃべらないというか、感情を表に出さない子でした。黙々とずっと何かをやっている感じでしたね。英樹を怒る時は歩夢も横にいて、小さかったからあまり言葉を理解していなかったと思うのですが、一緒になって『うんうん』とうなずいていました」
兄は自分一人でできないことすべてを一緒にやってきてくれた存在歩夢に対してクールな印象を持っている読者諸兄姉は多いことだろう。筆者の第一印象もそうだった。
2010年、米カリフォルニア州にある彼ら兄弟がスポンサードを受けているメーカーの本社で初対面した。あいさつしようと顔を合わせると、笑顔の英樹とは対照的に、歩夢は言葉を発することなく力強い眼差しでこちらを見つめていた。以降、東京や村上などで顔を合わせる機会が増えていったが、常に歩夢の横には英樹の姿があった。
「ずっと一緒にやってきましたね。初めて海外に行った時も、初めて海外の大会に出た時も、憧れていたカズくん(トリノ、バンクーバー五輪スノーボード日本代表の國母和宏)に初めて会った時も、ずっと一緒でした。俺一人じゃできないことすべてを一緒にやってきてくれた存在です」
この言葉は平昌五輪前の2017年秋に聞いたものなのだが、次のように歩夢は続けていた。
「今でもオリンピックが終わった次の遠征に英樹も行かないかな、と思うことがあるんです。同じ夢を目指してやってきたからこそ、一緒に(オリンピックに)行きたかった気持ちは正直あります。俺がケガしている時にSAJ(全日本スキー連盟)の全日本選手権があって、その大会でナショナルチームに入れるかどうかが決まるんですけど、『フルで攻めたけどダメだった』と英樹が言っていたんですよね。
でも、俺も自分のことで精いっぱいだったし、英樹もそうだっただろうし。そのあたりからお互いがすれ違っているような違和感はありました。そして、英樹が夢を諦めて違う方向性に切り替えようと考え始めた瞬間から、『俺がやらなきゃ』という気持ちが強くなったんです。
海祝も同じように(平昌五輪出場を)目指していたけど出られないから、兄弟の分まで頑張らないといけないという気持ちはものすごく強くあります。オリンピックでは滑りに集中して、英樹や海祝にいい刺激を与えられるような結果を残したいです」
その結果は周知のとおり。スノーボード・ハーフパイプでオリンピック2大会連続銀メダル獲得という偉業を成し遂げたのだ。
肝臓と左膝靭帯損傷の大ケガに苦しみ挑んだ平昌。兄の思いを受け継ぐも…しかし、歩夢は悔しさをにじませていた。これまで3年に渡り沈黙を貫いてきたが、今年2月にOLYMPIC CHANNELで公開された動画内で、平昌五輪で繰り広げられたショーン・ホワイト(スノーボード アメリカ代表 トリノ、バンクーバー五輪金メダリスト)との激闘について次のように振り返っている。
「正直なところ、優勝だと思っていました。終わってからどうこう言うつもりはないですけど、負けてはいなかったと思いますね」
「もう銀はイヤだ」と公言し、何のために滑っているのかわからなくなるほど自らを追い込んでいた。その上で、平昌五輪の開催まで1年を切っていた2017年3月に肝臓と左膝の靭帯を損傷し重症を負うなど、もがき苦しんできた。
前述した平野一家の特集内で英樹は「オリンピックで金メダル。できればショーンに勝って金メダルを取りたい」という夢を語っている。その思いを受け継いで挑んだ平昌五輪。兄の夢を現実にするだけの実力を身につけ万全の状態だったが、ショーンに敗れての銀メダルに終わった。
家族の想いを背負い歩み始める、新しい道のりそれだけに無謀に思えた。2018年11月、「正式種目になった以上、スルーするわけにはいかない」と東京五輪から正式種目として採用されるスケートボードでオリンピックを目指すと会見で表明。2022年の北京五輪で悲願の金メダルを狙うのであれば、一日でも多く雪上でのトレーニングが必要になるのだから。
さらに追い打ちをかけるようにして、新型コロナウイルスが猛威をふるい東京五輪が一年延期となった。わずか半年の間に行われる夏冬両オリンピックを目指すという、前人未到の挑戦。北京五輪での頂点を基軸に考えると、絶体絶命の窮地に追い込まれていたに違いない。
しかし、これは凡人の発想だったようだ――。彼の辞書に「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざはない。いや、血のにじむような努力でかき消した。
「自分の中ではスノーボードだけに集中することよりも、スノーボードとスケートボードを両立することで歩み始める新しい道のりで得るものに価値があると考えています。でも、それが何かを想像してみてもわからなかったんですが、実際に挑戦してみたらいろいろなことが見えてきた。
今では、これまで思いも寄らなかったことを考えている時間のほうが多いですね。そうした新たな“気づき”を与えてもらっている。強くなりたい、成長したいと思っているので、そういう部分と真摯に向き合っていきたいと考えています」
クールではなく熱く、そして力強く語ってくれた。
歩夢はその日の目標を達成するまで、滑ることをやめない。そして、やめろと言われるまで滑り続けてきた幼少期がある。強固な礎の上に積み重ねられた滑走力を武器に、家族の想いを背負い“二刀流ライダー”として両五輪を目指す堅固な決心が彼の原動力だ。
こうした領域で二兎を追うことで視野は広がり、三兎目、四兎目が見えてくるのかもしれない。事実、歩夢は東京五輪への切符を手に入れた。半年後の北京五輪まで続いている道なき道を切り拓きながら、8月5日、有明アーバンスポーツパークで宙を舞う。
<了>
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