引退・荒木絵里香が明かす、18年のバレー人生で“一番大きな経験”「だから長くプレーできた」
REAL SPORTS / 2021年10月29日 16時0分
女子バレーボール界を長年支えてきたレジェンド・荒木絵里香が引退を発表。10月5日に行われた引退会見で「バレーボール選手を味わい尽くせた」と晴れやかな表情で語った彼女に後日改めて話を聞いた。荒木が振り返る東京五輪での苦悩、海外移籍で得た経験、出産と復帰、そして理想の女性アスリート像とは。
(インタビュー・構成=米虫紀子、写真=Getty Images)
改めて振り返る東京五輪。歯がゆさを強さに変換する思考力──現役最後の大会となった東京五輪は予選ラウンド敗退となりました。今後につなげるためにも「こうしておけば」と感じたところを聞かせてください。
荒木:今、何を言っても、もうたらればでしかないんですけど、今回の結果を今後にしっかり生かさなきゃいけないなということはすごく感じています。2016年のリオデジャネイロ五輪が終わって、東京五輪まで5年間あった中で、チームとして一年一年積み上げていくことがあまりできなかったなとすごく感じます。積み重ねていく過程で得たものが、最終的にチームの強さ、チーム力や組織力に直結すると思うんですが、そういう積み重ねが足りなかったなと。
自分はチームの新しい役割として(2020年から)キャプテンにもなりましたし、入ってきた若い選手がもっと思い切りできる環境をつくれなかったことが、本当に申し訳ないという思いがあります。
でも何より大切なのは、「こうしておけば」をしっかり分析し、明確化することだと思っています。まずは問題をあいまいなままにせず、しっかり分析し、そして問題を明確化すること。そして、明確化できた問題を解決するための課題を設定する。そして課題解決のための具体的な戦略、方法を考える。もちろんそれをやりきるためのスケジュール、期限も具体的に。次に生かすためにも、こうした振り返りのプロセスはとても重要だと私は思っていますし、このことは仕事でも、日常生活でも通じることだと思います。「こうしておけば」を「次はこうしよう」に変換していければと考えています。
──東京五輪のチームは今年5〜6月のネーションズリーグでできあがったばかりのチームという印象でした。若い選手が多く、可能性を秘めている一方で、ネーションズリーグでメンバーを固定していたこともあり、どこかがうまくいかなかった時に、その次の手の準備が不十分だったように見えました。
荒木:オプションが少なかったですね。そういうことにも気づけていなかったというのが事実としてあります。東京五輪という、バレーボール界だけじゃなく、スポーツ界にとってすごく大事な舞台で、こういう結果で終わらせてしまったということにもすごく責任を感じます。
──東京五輪の最終戦の後、荒木さんから他の選手たちにはどんな言葉をかけましたか?
荒木:伝えたことは、「自分がキャプテンで、力不足で、こういう結果になって本当にごめんね」という思いと、若い選手が多い中で、「もっと個人が強くなって、さらにチームが強くなれるように頑張っていってほしい」ということです。
自分は2008年の北京五輪の(準々決勝敗退)後、「絶対に次、ロンドンでメダル取ってやろう!」とすごくメラメラしていたから、そういう気持ちになってみんながやってくれたらいいなとすごく思うんです。けど、この東京五輪でつなぎ切れたのかな、つなぎ切れなかったなと、すごく思うから。そう思うか思わないかは個人の問題になるんですけど、でもチームとして戦い切れなかったから、力不足を痛感しました。
自分たちが目指していた結果には程遠いし、チームとしてガチッと一体感を持って試合ができたかといわれたら、そういう場面は少なかった。
「バレーボールがうまくなりたい」という一心でやってきて…──先日の引退会見では、引退を決断した理由について、「うまくなるというところの能力の限界を自分の中で感じて、認めたということが一番大きい」と話していました。出産を経て復帰後も「限界」や「衰え」といった言葉を荒木さんからあまり聞いたことがありませんでしたが……。
荒木:私は「バレーボールがうまくなりたい」という一心でやってきて、その気持ちはずっと、本当にやめる直前まで自分の中で絶えることなくありました。やっぱり最後のほうは、衰えていると感じる部分はありましたけど、でも逆によくなっている部分もあったから、トータルで選手としてバランスを取って、自分では“上がってる”という解釈はずっとしていました。
でも、これからさらにうまくなっていくのか?、自分が世界の舞台でトップの選手と戦ってやっていけるのか?と考えたら、もうそうではないなと感じたし、東京五輪を終えて、改めて、自分の中で認められた、という感じです。
──年々経験値は上がり判断力や技術が磨かれる一方で、やはり苦しいなと感じる部分もあったんですね。
荒木:特に攻撃の部分はすごく感じました。ジャンプ力も、一番いい時に比べると10cm弱ぐらい下がってきていたし、跳んでいる時の感覚も違って……。でも私は出産して復帰した時に、「完全に新しい自分になる」と決めていたから、一番いい時の自分と比べて苦しむことはあまりなかったんですけど。本当に新しい自分で、比べるものがそこではなくなったから、この年までやれたのかなと思います。
ジャンプ力が落ちたなら、じゃあ今度はフェイントしよう、ブロックアウトしようと、新しい技を身につけて、プラスマイナスをなんとか、なんとかプラスに持っていこう!とこの数年はずっと考えて、もがきながらやってきたという感じですね。これも先にもいった、自分の足りないところをしっかり分析し、どうやっていくのかを考えた結果だと思っています。
──そこをプラスにするのが難しいなと感じたのが東京五輪だったんでしょうか?
荒木:オリンピックというものを大きな目標としてずっと走ってきたから、そこが区切りではあったのかなと思いますし、いろんなことを自分の中で認められたというか、もう「味わい尽くせた!」というふうに思えたし、いろんなタイミングが全部重なって、引退を決めることができたという感じです。
欧州チャンピオンズリーグ優勝という経験──荒木さんの中で、「一番よかった時期」というのはいつ頃ですか?
荒木:選手として一番プレーがよかったのは、23、24歳、2008年の北京五輪のあたりだと思います。動きがキレていました。
──イタリア・セリエAに移籍されたのもその頃、2008-09シーズンでしたよね。海外リーグでの経験は、その後の荒木さんの人生にどんな影響を及ぼしましたか?
荒木:海外移籍は、自分がバレーボール選手としてやっていくと決めた時に、自分の中でつくった大きな目標の一つだったので、実際にそれを経験して受けた影響というのは本当に自分にとってすごく大きかったなと改めて感じています。
行ったチーム(ベルガモ)が世界トップチームの一つで各ポジションに世界トップ選手が集結していました。そのため出場機会は限られていて、個人的には苦しいシーズンではありましたけど、欧州チャンピオンズリーグ優勝という経験をさせてもらえたのは、今考えてもすごいことでした。そこで世界のトップレベルの選手たちのバレーボールへの取り組み方や姿勢、監督との接し方、プライベートの過ごし方、家族との距離、そういったものを見る中で、価値観が大きく変化しました。子どもを出産して復帰するというのも、海外での経験がなかったらしていなかったと思うので、すごくいい影響をもらいました。
──そのあたりを詳しくお聞きしたいのですが、イタリアで印象に残ったトップ選手の取り組み方や姿勢というのは?
荒木:オンオフのメリハリのつけ方がすごいなと思いましたね。バレーボールはもちろん、プライベートも充実させるというか。バレーボール選手と、それ以外の自分の人生を、ちゃんとバランスよく両立させている姿を見て驚きました。日本でバレーをやっていると、特に若い頃は、本当にもうバレーボールしかない。自分もそうでした。だからそういう意味で刺激を受けて、「あ、こういうふうにバレーをしてもいいんだ」と新たな発見でした。それはすごく今の自分につながっていると感じます。
──監督との距離感も、イタリアと日本では違いましたか?
荒木:そうですね。監督と選手が、対等という言い方が合っているかどうかわからないですけど、例えばミーティングで監督がしゃべっている最中に、何か疑問に思ったら、「それどうなの?」と選手が普通に話を止めて、聞いたりする。練習も、やらされているのではなく、すごく自分たちで理解してやっているという感じがする。ベルガモが大人なチームだったということもあると思うんですけど、そういうところはすごく違いを感じました。
日本では、監督が話している時に、選手が止めて何か聞くとか、そういう場面はあまりないです(笑)。向こうでは監督も「ああ、これはこうだよ」という感じで普通に答えるし。選手は文句があれば監督に向かって言いにいきますし、監督も選手に対して「ここはもっとこうしなきゃいけない」と個人的にしっかり言ってくれるので、すごくわかりやすく、やりやすかったですね。
──監督と選手が対等というか、ただ役割が違う同僚といった感覚なのですか?
荒木:そうですね。海外に行って、自分の中で感覚というか視野というか、いろんなものの捉え方がすごく変わって、「こうであるべき」とか「こうじゃなきゃいけない」というものが取り払われたのかなと思います。以前だったらしんどくなっていたところも、「あー、そうなることもあるのかー」という感じで、柔軟に捉えられるようになったことはすごく大きくて、それも長くプレーできた要素の一つだったかなと思います。
日本で「ママアスリート」という言葉が使われる現状──海外挑戦は、プレー面以外でも得るものは大きかったようですが、現役の選手たちに勧めたいですか?
荒木:うーん、やっぱり人に「行け」って言われて行くもんじゃないから。自分が本当に行きたいと思って行かないといけないと思う。自分がどういう選手になりたいのかということを考えて、そのために海外に行くことが必要だと思ったら、行ったらいいと思う。つまり、自分の目指す姿があって、それを達成する方法や環境の選択肢の一つとして海外でのプレーがあるということ。そして、選手自身にその考える力がないと、行ったところで、ちゃんと吸収するのが難しいというか、ただの経験で終わってしまうので。ちゃんと描いて、考えてほしいなとすごく思います。
──セリエAの選手を見て、プライベートの過ごし方や家族との距離が違うと感じたというのはどういうことですか?
荒木:例えば、向こうではパートナーや、付き合っている彼氏が普通に練習に来て、体育館で見ていたり、練習が終わったらハグしたり、そういうのが当たり前のチームだったので、日本では考えられないなって(笑)。
ベルガモにいた時のチームメートと、セカンドコーチが結婚して、その彼女も出産してまだプレーを続けています。そのセカンドコーチは、今はイタリア代表監督になっているんですけど。そういうことも普通にあります。プライベートが充実しているから、バレーも頑張れる、という感覚があるのかなと感じました。
日本だと、私がやっていることが特別なことと捉えられて、「ママアスリート」という言葉が使われたりします。でも向こうではそんなことはないのかな、というのは感じますね。
──「出産して現役復帰しようと決めたのも、海外経験があったから」というのは、そういう選択肢も普通なんだという感覚になったからということですか?
荒木:「そういうのがあってもいいんだ」という感じですね。日本の中ではなかなか見られないのですが。普通ではないけど、自分がそういうことに挑戦したいと思ったし、それを後押ししてくれる家族がいて、サポート体制が自分には整っていたから、挑戦できたし、こうして続けることもできました。
達成感を味わったロンドン五輪後に選んだ“一番大きな変化”──出産後に現役復帰された選手はそれまでにもいましたが、最初から復帰すると決めて出産された選手は、バレーボール界では初めてだったのではないでしょうか?
荒木:2012年のロンドン五輪で銅メダルを取ることができて、すごく充実感と達成感がありました。じゃあ次、自分がどういうふうにバレーボールをやっていこうかと考えた時に、また同じペースで4年間代表に入って、2016年のリオ五輪を目指すのか?と考えたら、なんかちょっと違うというか。
その時に付き合っていたのが今の夫(四宮洋平氏/元ラグビー日本代表)で、どうするかということを話した時に、「この(出産して復帰する)プランありじゃない?」みたいな話になって。当時、自分としてはいくつか迷っていた選択肢がありました。もう一度海外でプレーすることや、国内で移籍してみようかなとか、いろいろ考えていたことはあったんですが、夫にそういうアイデアを出してもらって。
本当にロンドンの銅メダルの達成感は大きかったから、これからは違うかたちでバレーに挑戦したいと思っていたのと、やっぱりバレーボール選手としてだけでなく、自分のライフプランを考えた時に、長く競技は続けたいけど、結婚・出産もしたいという思いがありました。長く競技をしてから、出産が可能かと考えたら、難しくなる可能性もあると思ったし、そういういろんなことを考えて、思い切って、決めました。
──その選択肢を聞くと“変化”を求めていたことがわかりますが、その中でも一番大きな変化を選んだんですね。
荒木:はい(笑)。決めてからもすごく悩んだんですけどね。早く復帰したいと思っていたのですが、だからといって思い通りに授かれるものでもないですし、不安はありました。結果、すごくありがたいことに早くに授かったので、自分の中ではわりと最短で復帰できたかなという感じです。
──2013年10月に当時所属していた東レアローズを退団し、出産から約半年後に埼玉上尾メディックスで現役復帰。2014-15Vリーグには開幕から出場され、2016年リオ五輪にも出場されましたからね。
荒木:ただ、復帰してからは心臓の病気で手術したり、出産前にはなかった腰痛が常にあるような状態だったので、体はすごく変化したなと感じました。
──引退会見の時にも、「伝えたいのは、『ママアスリートはお勧めだよ』ということではなく、出産しても復帰してプレーし続けることが当たり前の選択肢になっていけば」と話していました。そうなるためにも、荒木さんが子育てをしながらアスリートを続ける中で、「もっとこういうものがあればな」と思ったことはありますか?
荒木:自分は本当に、母に常時サポートしてもらえたので、環境にすごく恵まれていました。そのぐらいの安心感がないと、競技に集中することは難しいのかなと、母親の立場になってすごく思いました。それに復帰した当時の埼玉上尾メディックス、そしてトヨタ車体クインシーズのサポートにも本当に助けられて、ここまでやってこられました。
やっぱりバレーボールだけじゃなく、女子スポーツ全体が、経済的な面でも上がっていかないと、子どもを産んで育てながら競技をするというのは、選択しづらいのかなというのはすごく思います。男子のスポーツやプロリーグと、女子のスポーツの格差というのはやっぱりあるので、もう少し女子のリーグが盛り上がっていけたら、そういう選択肢も自然と出てくるのかなと思います。そしてそれを一過性のものではなく、継続的にやっていくためには、女性の社会進出などの社会的な側面や、経済合理性などの経営的な側面も求められると思うんです。そこはこれから私が勉強していかないといけないことだと思ってもいます。
──海外の子育てしながらプレーしている選手たちはどのようにしているのでしょうか?
荒木:私の知っている選手は、お母さんに見てもらっている選手が多いですね。あと、海外はベビーシッターが常に一緒にいるという文化があります。ベビーシッターと一緒に住んで、ずっと子どもを見てもらっている選手もいると聞きますが、それは日本ではなかなかなじみがないですし、やっぱり経済的な余裕がないとできないと思うんです。
「人生で初めて『Word』を開きました(笑)」──そうした課題の改善も含めてだと思いますが、今後は大学院でスポーツについて、集客や運営、コーチングなどいろいろな方面から学びたいと記者会見で話していました。今はその受験の準備に取り組んでいるところでしょうか?
荒木:人生で初めて「Word」を開きました(笑)。「Excel」って何?というところから始まっているので、頭から火を吹きそう、パンクしそうです(苦笑)。でも新鮮です。今は志望動機を書いたり、自分のこれまでの経験をレポートにまとめたりしているんですけど、自分のこれまでのバレーボールのキャリアをしっかり客観的に振り返るいい機会にもなっています。
今は(引退後もチームコーディネーターとして活動している)トヨタ車体クインシーズのほうにも毎週のように行って、練習やミーティングに参加したりしているので、選手ではない立場でバレーボールを感じています。
──練習を見ていたら、やりたくなりませんか?
荒木:全然ならないです。もう、お腹いっぱいです(笑)。今は、若い選手、悩んでいる選手に、私の経験してきたことを少しずつ共有し、次につながることをしていくことにモチベーションがあります。
<了>
PROFILE
荒木絵里香(あらき・えりか)
1984年8月3日生まれ、岡山県出身。元バレーボール選手。ポジションはミドルブロッカー。2003年に東レアローズに入団。2008年にイタリアのベルガモへ1シーズンの期限付き移籍を経験。2013年10月、出産予定を機に東レを退社。2014年1月に女児を出産後、同6月、埼玉上尾メディックスにて現役復帰し、そのシーズンでベスト6、ブロック賞を獲得。2016年よりトヨタ車体クインシーズでプレーし、2019-20Vリーグでは通算ブロック決定本数の日本記録を更新した。日本代表としても長年活躍し、オリンピック4大会(2008、2012、2016、2021)に出場。2012年のロンドン五輪では主将を務め、28年ぶりとなる銅メダル獲得に貢献。2021年9月に引退を発表。Vリーグ通算で、最高殊勲選手2回、ベストブロック賞8回、ベスト6賞10回、Vリーグ栄誉賞2回、出場セット数歴代最多、他を記録。引退後は、トヨタ車体の「チームコーディネーター」としてチーム強化に関わりながら、大学院への進学準備を行う日々を送る。
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